聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その990―香(2)

2014-04-26 18:49:04 | Weblog
           新緑の寺に写経の墨香る    紅日2013年7月号
 初夏、薫風の季節になった。新しい力がみなぎる季節だ。力がみなぎるのは結構だが、日本の新緑は暗い木下闇のようで息が詰まりそうな新緑。予想通りにTPP加盟は日本の安全保障を人質にとられながら丸呑みにされるようだ関税全面撤廃で決着だ。日本の政治家は交渉に疲れたような振りをしているが、はじめから決まっていた話であり、日米交渉に疲れたというのは政治家特有の嘘だ。それぐらい見破られないおろかな国民ではない。

 日米安全保障において日本人が期待する尖閣諸島の安全でないことは最近の日米中関係で次第に明白になっている。アメリカの狙いは日本の自衛隊のウクライナ進軍であって尖閣諸島の安全保障ではないことがあきらかになりつつある。だからこそアメリカは日本の集団的自衛権内閣決定を大歓迎している。この戦争は長くなる。宗教戦争がらみは何十年も何百年も続くのが常識である。そして国家経済も国民生活も破壊されるというのが常識である。

 世界史において宗教戦争は戦争当事国が崩壊することはしばしばあった。朝鮮戦争時で朝鮮人の人口の三分の一がキリスト教に改宗したごとく、日本では平穏時にマスコミでユダヤ教やキリスト教に改宗させられている。布教活動と植民地支配と同時進行であった。いずれにしろ激動期に一気に改宗させるのが戦略である。朝鮮戦争をも含めて、すでに東アジアは広い意味では十字軍遠征に組み込まれている。

 NHKドラマ「八重の桜」「花子とアン」「黒田官兵衛」で日本全域でキリスト教やユダヤ教が浸透させられている。今後NHKも民法もユダヤ教キリスト教布教ドラマを展開するであろう。それはウクライナ参戦への準備でもある。精神的準備だ。だからこそ財政危機のアメリカが日本の集団的自衛権を支持している。日本は今までのような戦後経済を期待できないであろう。国の存亡をかけた戦争になることは必至だからだ。

 17世紀の東インド会社即ちユダヤキリスト教連合が南アジアや東南アジアを植民地にしたように20世紀から21世紀にかけて東アジアにまでその勢力を広げているのと同じだ。彼らの現今の東アジアの行動は南アジアや東アジアでの植民地支配行動と同じである。従って日米安保は日本人が期待している国土の安全保障ではない。全く異なる安保条約だ。敬虔なキリスト教徒であり、自民党幹事長の石破氏が「地球の裏側でも集団自衛権で自衛隊が出動する」と言うのはその意味であろう。口が滑ったのだ。ウクライナを隠すために地球の裏側までとしたまでだ。

 世界最大の小麦地帯である、チェルノーゼの沃土を支配すれば世界人類の胃袋を支配することになる。胃袋を支配することは世界を支配することだ。世界の資本びた一文をも支配する野望である。その行為が主の御心に叶う行為であるとユダヤ教もキリスト教も説いている。ウクライナは21世紀の聖書で言う「蜜とミルクのしたたる地」である。

 聖書の「蜜とミルクの滴る地」はカナンだけではない。その時代で日本であったり、ベトナムであったり、中国であったりする。そして21世紀の長い長い戦争はウクライナの蜜とミルクを求めると同時に世界金融資本を完璧に支配することであるのは明白だ。

 この旨味をアメリカキリスト教ユダヤ教連合政府が看過するはずが無い。デモ隊に対してであろうと国家に対してであろうと、いかなる勢力に対してでも膨大な資本をも投入し懐柔し世界最大の農業地域ウクライナを手に入れるのは当然の流れであろう。集団的自衛権はこのことを念頭に入れたアメリカ政府の歓迎であることは明白だ。

 21世紀の日本にまで及ぶ暗い「新緑の寺に写経の墨香る」であるが、聖書で香の実態を追求しつつ。人類にとって経済活動とは何なのかを考えてみたい。少なくとも経済とは人類一人ひとりが協力自立してが大地に足を踏ん張って生きる行為である。世界中の資本や財産を独り占めにし人類の胃袋を支配しつつ国際金融を支配することが経済活動ではない。そんなことを念頭に入れて調査を進めたい。

   <巻別の香の分布>
 ●創世記には香が4箇所に発見される。それは以下である。
・8-21には「主は宥の香りをかいで」とあり、大地の香り。宥(なだ)めの香りはどのような香りか理解が難しい。心を穏やかにする香りであろうか。
・27-27には「子供の匂いは野の香り」とある。野の香である。野には子供のような様な匂いを人々は感じていた。
・37-25には「乳香」とあり、それは。香料の一種。樹木から樹脂が流れると乳白色となるので乳香。
・43-11には「乳香」とある。樹脂が香となる、乳白色の樹脂なので乳香。

●出エジプト記には香が26箇所に発見される。それは以下である。
・25-6には「聖別の香料」とあり、それは香料である。
・29-18には「燃やしてささげる宥め(なだめの香り)」とあり、それは自然の厳しさを宥めようとする香りである。厳しい医師膳の存在を深く認識していたことが読み取れる。
・29-25には「主を宥める香り」とあり、それは香りは主へのささげ物
・29-41には「主にささげる宥める香り」とあり、それは香りは主へのささげ物
・30-1には「アカシア材を燃やす香」とあり、それは香の一種。アカシヤを燃やしてこうにしていた。
・30-7には「香草の香を焚く」とあり、それは香料にする草があった。
・30-8には「祭壇で香草の香を焚いた」とあり、それは香料に草を利用していた。
・30-9には「祭壇で香草の香を焚いた」とあり、それは香料に草を利用していた。
・30-10には「香や焼き尽くすものが無い」とある。髪に香を焚き生贄を燃やしその香りを献上しなければならなかった。
・30-23には「香のミルラは500シケル、シナモンをその半量250シケル、菖蒲は250シ
ケル」とあり、それはほぼ同価値の香料であった。
・30-25には「香料師の混ぜ合わせ方」とある。香料師の職業があった。配合法と混合法にその高度な技術があった。
・30-27には「香料を焚く祭壇」とあり、祭壇は香料を燃や場であった。
・30-34には「ナタフ、シェヘレト、へルベナ、ナフタ香、乳香がある」とあり、香料の種類を列挙している。
・30-35には「香料師の混ぜ合わせ方を学びなさい」とある。香料師は当時重要職業であった。。人々は香料の配合の仕方と混合の仕方を学んだ
・30-37[「主の考慮の割合と使用に使うな」とし香料を公用私用を区分している。
・30-38には「香りを単に楽しもうとするものはすべてその民からはずされる」とあり、香りを個人的に楽しむものではなかった。
・31-8には「香を焚く祭壇とあり・香焚きようの祭壇が存在した。
・31-11には「聖所で香ばしい」とあり聖所は香ばしき空間であった。
・35-8には「香草があった
・35-08には「香料の祭壇」とあり、香料を燃やす専用祭壇があった。
・35-15には「香を焚く祭壇」とあり香を焚く専用の祭壇があった。
・37-29には「香料師の混ぜ合わせ方」香料師の職業があった。混ぜ合わせ方に技術があった。
・39-38には「香草の香」があった。
・40-5には「掟の箱の今に香を焚く金の祭壇があった。香を焚く祭壇は大切なものであったことが読み取れる。
・40-27には「香草の香」とあり。香草の存在が確かめられる。最近日本では鶏肉の香草焼が流行している。トヨタ自動車にもノアと言う名称の車を発売している。日本にユダヤ教文化の影響が急速に拡がっている。

●レビ記には香が27箇所に発見される。それは以下である。
・1-9には「燃やし主に奉げる宥めの香り」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。
・1-13には「燃やし主に奉げる宥めの香り」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。
・1-17には「燃やし主に奉げる宥めの香り」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。
・2-1には「小麦粉にオリーブオイルを注ぎ、更に乳香を載せる」とある。小麦粉にオリーブオイルと白化した樹液をかけた。当時の人々は小麦の香りに注力していたことが見える。
・2-2には「主に奉げる宥めの香り」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。
・2-9には「主に奉げる宥めの香り」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。なだめの香りは高頻度で発見される。注目される。
・2-12には「宥めの香りとして祭壇にささげる」とある。香りにより主の怒りをなだめ慰めた。
・2-15には「小麦粉にオリーブオイルを注ぎ、更に乳香を載せる」とある。小麦の香りに注意を払っていた。この香りも主に対する宥めの香りである。
・2-16には「宥めの香り」とある。宥めの香りは高い頻度で発見された。
・3-5には「宥めの香り」とある。「宥めの香り」は実に多い。
・3-16には「宥めの香り」とある。「宥めの香り」は実に多い。
・4-7には「香をたく祭壇」とある。香は祭壇の上でたかれた。
・4-31には「主を宥める香り」とある。「宥めの香り」は実に多い。
・5-11には「贖罪の奉げ物には小麦粉の上に乳香を載せない」とある。
・6-8には「主を宥める香り」とある。
・6-14には「主を宥める香り」とある。
・8-21には「主を宥める香り」とある。
・8-28には「宥めの香り」とある。
・10-1には「香を焚いて主を宥めた」とある。
・16-12には「香炉」とある。炉の中で香が焚かれた。当時は香炉が存在していた。
・16-13には「香の煙」とある。
・17-6には「香を燃やして煙にする」とある。
・23-13には「宥めの香り」とある。
・23-18には「宥めの香り」とある。
・24-7には「香料を添える。それはパンのしるしとして燃やし主に奉げる」とある。香はパンの代用品でもあった。
・26-30には「香炉台を打ち壊し倒れた偶像の上に貴方の死体を捨てる」とある。香炉台の存在が確かめられるが、偶像と共に存在したものかもしれない。
・26-31には「宥めの香り」とある。

●民数記には香が44箇所に発見される。それは以下である。
・4-16には「香草」とある。
・5-15には「乳香」とある。
・7-14には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。10シュケルは、1シュケルが11グラムであるので、110gの金の柄杓。2014年現在の国際金相場は1g凡そ4000円なので44万円相当の金の柄杓である。香に金の柄杓が添えられている。
・7-20には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-26には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-32には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-38には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-44には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-50には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-56には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-62には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-68には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-74には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-80には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・7-86には「香を盛った。重さ10シェケルの金の柄杓一つ」とある。
・15-3には「ぶどう酒を宥めの香り」とある。
・15-7には「ぶどう酒を宥めの香り」とある。
・15-10には「ぶどう酒を宥めの香り」とある。
・15-13には「ぶどう酒を宥めの香り」とある。
・15-14には「ぶどう酒を宥めの香り」とある。
・15-24には「焼いた雄牛を宥めの香り」とある。
・16-6には「香炉」とある。
・16-7には「炭火を入れて香を焚く」とある。
・16-17には「おのおのが香炉をとり」とある。一人ひとりが香炉を持っていた。香炉は広く普及していた。
・16-18には「香炉」とある。
・16-35には「香炉」とある。
・17-2には「香をささげる」とある。
・17-3には「焼け跡から香炉を取り出す」とある。香炉は燃え残るものであり、焼け跡から拾うものでもあった。
・17-4には「青銅の香炉集め打ち伸ばして祭壇の覆いを作った」とある。青銅香炉の際利用があった。
・17-5には「香をささげる」とある。
・17-11には「香炉をとり、それに祭壇の火を入れる」とある。
・17-12には「香を焚く」とある。
・18-17には「宥めの香り」とある。
・28-2には「宥めの香り」とある。
・28-6には「宥めの香り」とある。
・28-8には「宥めの香り」とある。
・28-13には「宥めの香り」とある。
・28-24には「宥めの香り」とある。
・28-27には「雄牛、雄羊、羊七頭を焼き尽くし宥めの香りとする」とある。
・29-2には「雄牛、雄羊、羊七頭を焼き尽くし宥めの香りとする」とある。
・29-6には「宥めの香り」とある。
・29-8には「宥めの香り」とある。
・29-13には「宥めの香り」とある。
・29-36には「宥めの香り」とある。

●申命記には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・33-10には「香を焚く」とある。

●ルツ記には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・3-3には「体を洗って香油を塗る」とある。激しい乾燥から皮膚を防御するために、人々は体に香油を塗っていた。

●サムエル記上には香が2箇所に発見される。それは以下である。
・2-28には「祭壇の上で香を焚く」とある。
・8-13には「貴方たちの娘を徴用し香料を作る」とある。香料は調合しつつ混合していた。香料は作っていた。この場合は食料用の香料。

●サムエル記下には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・12-20には「体を洗って香油を塗る」とある。激しい乾燥から皮膚を防御するために、人々は体に香油を塗っていた。

●列王記上には香が10箇所に発見される。それは以下である。
・3-3には「香を焚いた」とある。
・9-25には「香を焚いた」とある。
・10-2には「シバの女王は随員を伴い、香料、金、宝石、を駱駝に積んでエルサレムに来た。そして、ソロモンに質問を浴びせた」とある。シバの女王がソロモンに香料を贈っていた。
・10-10には「シバの女王は多くの香料と宝石をソロモン王に与えた」とある。
・10-25には「贈り物として、銀の器、鉄の器、衣類、武器、香料、馬、騾馬を毎年携えて来た」とある。香料は当時の大切な贈答品でもあった。
・11-8には「香を焚いた」とある。
・12-33には「香を焚いた」とある。
・13-1には「香を焚いた」とある。
・13-2には「香を焚いた」とある。
・22-44には「香を焚いた」とある。

●列王記下には香が11箇所に発見される。それは以下である。
・12-4には「香を焚いた」とある。
・14-4には「生贄を屠り、香を焚いた」とある。家畜を焼きながら香を焚いていた。畜肉食と香とは深い関係が有った。
・15-4には「聖なる高台で香を焚いた」とある。
・15-35には「生贄を屠り、香を焚いた」とある。
・16-4には「生贄を奉げ、香を焚いた」とある。
・17-11には「生贄を奉げ、香を焚いた」とある。
・18-4には「香を焚いた」とある。
・20-13には「使者に香料を見せた」とある。
・22-17には「神々に香を焚いた」とある。
・23-5には「香を焚いた」とある。
・23-8には「香を焚いた」とある。

●歴代誌上には香が5箇所に発見される。それは以下である。
・6-34には「祭壇で香を焚く」とある。
・9-29には「彼らの幾人かは祭具、をはじめ麦粉、オリーブ油、香料の責任を持った」とある。香料は貴重品であった。
・9-30には「香料の調合をするのは祭司の一部であった」とある。祭司は誰もが香料の調合が出来るわけではなかった。香料調合は高度な技術が求められたことが推定出来る。
・23-13には「香を焚く」とある。
・28-18には「香を焚く」とある。

●歴代誌下には香が22箇所に発見される。それは以下である。
・2-3には「香草」とある。
・2-5には「香を焚く」とある。
・9-1には「シバの女王は香料、金、宝石を駱駝に積んでエルサレムに来た」とある。
・9-9には「シバの女王がソロモンに贈ったような香料はかつてなかった」とある。
・9-24には「彼らは毎年、贈物として銀の器、鉄の器、衣類、武器、香料を携えて来た」とある。
・13-11には「香草」とある。
・14-4には「香炉台」とある。
・16-14には「香料の満ちた棺に彼を納めた」とある。香料は食べ物だけでない棺にも投入された。死体の悪臭を抑制するためである。
・25-14には「香を焚いた」とある。
・26-16には「祭壇の上で香を焚いた」とある。
・26-18には「香を焚くのは聖別されたアロンの子孫である」とある。香を焚くには資格が求められた。
・26-19には「香炉を手にしていた」とある。香炉は持つことが出来る大きさであった。
・28-3には「谷で香を焚いた」とある。
・28-4には「香を焚いた」とある。
・28-25には「香を焚いた」とある。
・29-7には「香を焚いた」とある。
・29-11には「香を焚いた」とある。
・30-14には「香を焚く台をキドロンの谷に捨てた」とある。
・32-27には「宝物館を築いて金、銀、宝石、香料、楯などの宝物を納めた」とある。香料は宝物の一部であった。
・34-4には「バアルの祭壇を破壊し、香炉台を倒した」とある。邪教も香を焚いていた。
・34-7には「偶像を壊し、香炉台を全て壊し」とある。邪教も香を焚いていた。
・34-25には「彼らは私を捨てて、神々に香を焚いた」とある。邪教も香を焚いていた。

●ネヘミヤ記には香が3箇所に発見される。それは以下である。
・3-8には「香料調合師のハナンヤが補強し、壁までエルサレムを修復した」とある。当時は香料調合師の専門家が居た。この場合の香料は食料でもなければ芳香剤でもなさそうだ。建造物から香が発散していたので。壁の中に調合された香料を塗りこんでいたので、今で言えば左官に近い仕事であったと推定出来る。
 なお、ハナンヤは紀元前6世紀頃の似非預言者であり、預言者エレミヤと対決したことで知られている。エレミヤ書に描かれている。
・13-5には「香と祭具」とある。
・13-9には「香を奉納する」とある。

●エステル記には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・2-12には「」とある。

●詩編には香が5箇所に発見される。それは以下である。
・23-5には「貴方は食卓を整えてくださる。私の頭に香油を注ぎ、私の杯を満たしてくださる」とある。頭髪に香油を塗る習慣があったと推定出来る。
・45-9には「衣はミルラ、アロエ、シナモンの香を放つ」とある。衣服に香料を散布していたと推定出来る。
・55-22には「言葉は香油よりも優しいが剣にも等しい」とある。言葉は諸刃の剣であると説いている。
・66-15には「香と共に雄羊を、雄羊と共に雄牛を焼き尽くして奉げます」とある。獣を焼き尽くしてその香を主に奉げるとしている。
・141-2には「御前に立ち昇る香」とある。

●箴言には香が5箇所に発見される。それは以下である。
・7-17には「床にはミルラの香を散布しました」とある。ミルラは没薬のこと。日本語ではミーラーで保管された亡骸を指摘する。元々は植物名称。フウロソウ目カンラン科ミルラノ樹属。ミルラの樹の樹皮から流れ出る樹脂のことであり。樹脂は芳香を発する性質があるので亡骸に塗布したり詰め込んだりする薬剤とした。
・21-17には「酒と香油を愛するものは富むことがない」とある。香油は贅沢奢侈品でもあった。贅沢をたしなめるために香油が取り上げて諭している。
・21-20には「知恵ある人の住まいには望ましい宝と香油がある。愚か者はそれを飲みつくす」とある。
・27-7には「香油も香も心を楽しませる」とある。香油は心の安らぎを促す医薬品に準じた扱いをしている。
・27-16には「彼女を制する者は風をも制する。彼は香油をその右手の力と呼ぶ」とある。香油の人をひきつける絶大なる効能を述べている。

●コヘレトの言葉には香が3箇所に発見される。それは以下である。
・7-1には「名声は香油に勝る」とある。
・9-8には「頭には香油を絶やすな」とある。
・10-1には「死んだハエは香油作りの香油を腐らせる。臭くする」とある。この翻訳は分かりにくい「香油を作る壷に落ちて死んだハエは香油を腐らせる」としたほうが分かりやすい。香油は壷または壜で醸成されていたと考えられるからである。

●雅歌には香が17箇所に発見される。それは以下である。
・1-3には「流れる香油の如く」とある。
・1-12には「私のナルドは香りました」とある。
・1-14には「香り高いコフェルの花房」とある。コフェルはミソハギ科の植物花期は七月八月。乳白色の花を咲かせる。夏に開花する常緑の潅木でへナとも呼ばれている。白髪染めや体を染める薬剤。
・2-13には「葡萄の花は香る」とある。
・3-6には「乳香を焚く」とある。
・4-6には「ミラルの山に登ろう、乳香の丘に登ろう」とある。香料は山や丘の定位置に有り、その場所は一部の人々に認識されていたのだろう。
・4-10には「貴方の香油はどんな香草よりもかぐわしい」とある。
・4-11には「貴方の衣はレバノンの香」とある。レバノンの香はレバノン杉の香りを指摘している。
・4-14には「乳香の木」とある。乳香の木はムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の木のこと。東アフリカ一帯に分布。樹皮に傷をつけると其処から樹液が流れ出る。そして直に空気に触れて凝固する。この色が乳白色なので乳香と呼んでいる。樹脂の塊を焚いて古くからの香料としている。金と同じぐらいの価値があった。現在の金は1g四千円。中国では漢方薬で鎮痛、止血、筋肉痙攣緩和の効能がある。アラビア半島では唾液分泌促進のためにチューインガムの如く噛む事もある。
・4-16には「風が香を振りまく」とある。聖書時代にも風に香を感じていた。薫風を感じていた。
・5-1には「香草を摘む」とある。
・5-13には「恋しい人は園に香草の花床を降りてゆきました」とある。薬草園があったと推定出来る。日本の紫野である。「花床」は翻訳として正しいと思えない。日本語では花床とは花托でもあり、おしべとめしべを総称して指摘している。この場合は「花圃」が正しいと考えられる。薬草園の花圃である。私の恋しい人が香豊かな薬草園の花圃に降りて行ったと翻訳すれば意味が通じる。何故このような誤訳や紛らわしい日本語訳が聖書に多いのであろうか不思議な現象である。
・6-2には「香草の花床」とある。翻訳の「花床」では意味が全く分からない。花圃で3はないか。
・7-9には「りんごの香のような貴方の息」とある。
・7-14には「恋なすは香」とある。恋なすとは植物名称で俗称である。ナス科マンドラゴラ属の植物。古くからの薬草。根茎に神経毒成分がある。麻薬でもあり媚薬でもあるので俗称「恋なすび」である。他には鎮痛剤、鎮静剤、便秘薬などに使われるが。毒性も強く幻覚幻聴が出て死にいたることもある。仏典にもこの植物に似たものに「曼荼羅華」がある。これは朝鮮朝顔で性質は異なる。
 「宗教はアヘンである」とし宗教実態を批判した哲学者が居た。しかし、哲学者だけではなく聖書を読んでいる人々や熱心な信徒の中には成程宗教はアヘンであると感じる人は多いのではないか。麻薬でもあり媚薬でもある恋なすびは雅歌7-4だけではなく、創世記の30章の14節から16節の間に三回も登場している。創世記での恋なすびは単なる媚薬ではない、薬を使って男の争奪戦をする場面がある。唯心主義者であろうと唯物主義者であろうと、この箇所は誰が読んでも、宗教はアヘンであると言いたくなる場面であろう。
・8-2には「香り高いぶどう酒」とある。
・8-14には「子じかのように香草のやまやまへ」とある。

●イザヤ書には香が13箇所に発見される。それは以下である。
・1-13には「香の煙は私の忌み嫌う物」とある。香は好まれるが、煙は嫌われていた。
・3-24には「芳香は悪臭となる。帯は縄となる。編んだ髪は剃髪される。晴着は粗布になる。美しさは恥となる」とある。「晴着は粗布になる」よりも「晴着はボロ着」とナルの方が分かりやすい。
・17-8には「香炉台」とある。
・27-9には「香炉台」とある。
・39-2には「香料」とある。
・43-23には「乳香」とある。
・43-24には「香水萱を私のために買う」とある。香水萱は菖蒲の事。菖蒲萱は出エジプト記30-23、雅歌4-14、イザヤ書43-24、エレミヤ書6-20、エゼキエル書27-19に発見できる。香水萱は菖蒲のこと。菖蒲はサトイモ科の菖蒲属。原産地はペルシャからインドにかけてと推定されている。原産地が西アジアだから聖書に出てきても不思議ではない。日本でも端午の節句には菖蒲湯に入る慣わしが奈良時代から存在していた。中国からの習慣が日本に入った。庶民生活に薬湯として普及したのは江戸時代に入ってから。菖蒲に日本文化と聖書文化との共通点が発見できる。
・57-9には「お前はメレク神の元に足を運び多くの香料を奉げた」とある。メレクはイスラエルのサウル王の子孫。
・60-6には「シバの女王は金と乳香を携えてくる」とある。
・61-3には「香油」とある。
・65-3には「生贄をささげて屋根の上で香を焚いた。」とある。
・65-7には「山の上で香を焚いた」とある。
・66-3には「乳香」とある。

●エレミヤ書には香が28箇所に発見される。それは以下である。
・1-16には「神々に香を焚く」とある。
・6-20には「乳香」とある。
・7-9には「バアルに香を焚く」とある。
・8-22には「乳香」とある。
・11-12には「香を焚く」とある。
・11-13には「香を焚く」とある。
・11-17には「祭壇上で香を焚く」とある。
・17-26には「乳香」とある。
・18-15には「香を焚く」とある。
・19-4には「香を焚く」とある。
・19-13には「香を焚く」とある。
・32-29には「香を焚く」とある。
・34-5には「先祖に香を焚く」とある。
・41-5には「神殿に香を携えた」とある。
・44-3には「香を焚く」とある。
・44-5には「香を焚く」とある。
・44-8には「異教の神々に香を焚く」とある。
・44-15には「異教の神々に香を焚く」とある。
・44-17には「香を焚く」とある。
・44-18には「香を焚く」とある。
・44-19には「香を焚く」とある。
・44-21には「香を焚く」とある。
・44-23には「香を焚く」とある。
・44-25には「香を焚く」とある。
・46-11には「乳香」とある。
・48-11には「風味も香も変わらない」とある。
・48-35には「香を焚く」とある。
・51-8には「傷口に乳香を塗る」とある。乳香は傷薬にも使われていた可能性がある。

●エゼキエル書には香が12箇所に発見される。それは以下である。
・6-4には「香炉台も偶像も壊される」とある。
・6-6には「香炉台も作った物も一切壊される」とある。
・6-13には「宥めの香」とある。
・8-11には「香炉を手にしており、かぐわしき煙が立ち昇っていた」とある。
・16-18には「油と香とを供えた」とある。
・16-19には「宥めの香」とある。
・20-28には「宥めの香」とある。
・20-41には「宥めの香」とある。
・23-41には「宴の座を用意し私の香と油を其処に置いた」とある。宴には香が用意されるものであったようである。
・27-17には「乳香」とある。
・27-19には「香水萱」とある。香水萱は菖蒲の事。菖蒲萱は出エジプト記30-23、雅歌4-14、イザヤ書43-24、エレミヤ書6-20、エゼキエル書27-19に発見できる。香水萱は菖蒲のこと。菖蒲はサトイモ科の菖蒲属。原産地はペルシャからインドにかけてと推定されている。原産地が西アジアだから聖書に出てきても不思議ではない。日本でも端午の節句には菖蒲湯に入る慣わしが奈良時代から存在していた。中国からの習慣が日本に入った。庶民生活に薬湯として普及したのは江戸時代に入ってから。菖蒲に日本文化と聖書文化との共通点が発見できる。
・27-22には「シバと商人たちは、お前と取引を行い、極上の香料、あらゆる宝石、黄金をお前の商品と交換した」とある。

●ダニエル書には香が2箇所に発見される。それは以下である。
・2-46には「奉げ物と香を供えた」とある。
・10-3には「三週間は美食を遠ざけ肉も酒も口にしないで体には香油も塗らなかった」とある。体に香油を塗るのは贅沢な行為であったと推定出来る。

●ホセア書には香が4箇所に発見される。それは以下である。
・2-15には「バアルに香を焚く」とある。バアルはカナン地方に崇められた風水の神。セム語でバアルは主という意味がある。偶像崇拝信仰であった
・4-13には「丘の上で香を焚く」とある。
・11-2には「偶像に香を焚く」とある。
・14-7には「レバノン杉のように香る」とある。

●アモス書には香が2箇所に発見される。それは以下である。
・5-21には「私はお前たちの祭りを憎み退ける。奉げものの香も喜ばない」とある。
・6-6には「香油を体に注ぐ」とある。

●ハバクク書には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・1-16には「彼らはその網に生贄をささげ、投網に向かって香を焚きます」とある。翻訳文が奇妙である「彼らは投網に入った生贄をささげます。そして投網に向かって香を焚きます」ではないのだろうか。鳥や獣は投げ網で捕らえられ食料にしていた。聖書記者は、この場面は捕獲したばかりの生贄であると言いたいのである。

●マラキ書には香が1箇所に発見される。それは以下である。
・1-11には「至る所でわが名のために香が焚かれた」とある。

 膨大な分量になってしまった。聖書全体では漢字「香」は287回発見できた。その内旧約聖書の「香」は251回であり、旧約聖書だけでも膨大な数の漢字「香」であった。したがって此処でひと区切りをつけてから新約聖書の「香」は次の号で取り扱うこととする。一息ついてから新約聖書の「香」に取組みたいと思う。新約は少ないもの、それでも、36箇所もの漢字「香」が発見できている。旧約の香と新約の香との違いにも注意を払いつつ調査に取組もうと思う。

聖堂の詩その989―香(1)

2014-04-24 17:47:52 | Weblog
             新緑の寺に写経の墨香る    紅日2013年7月号
 桜が散ってしまい、桜青葉の季節。花明かりも良いが、桜青葉の並木道は心が洗われる。近江も京も季節の移り変わりが美しい。聖書には桜も桜青葉も新緑と言う言葉も無い。日本の自然と聖書の自然と根本的な違いである。桜を愛でて桜青葉に心が洗われると、日本で生まれたことの幸せを実感する。砂漠で生活している人々はこんな思いを何処から手に入るだろうか。聖書を読んでいて思うことの一つだ。聖書時代の人々の心の潤いは冬の雨、水の音で手に入れたのであろうか。自然の中で何をどのように感じるか。感じ方の違いが文化の本質的な違いなのかも知れない。
 言語や宗教の違いだけではなく自然に対する感じ方の違いが文化を区分する大切な物指となって良いのではなかろうか。少なくとも外国人が日本文化を理解しようとする時、日本特有の自然観を学習しなければならないだろう。また、逆に日本人が聖書を読む場合、聖書が描かれた時代の人々の自然観を意識しながら読むべきではなかろうか。鯨と牛馬の違い等、動物に対する憐憫の情には大きな落差がある。「繫がれし牛降る雪に目を細む」(天狼1985年5月号掲載)はキリスト教圏の人々には絶対に理解できない。聖書には牛のために涙を流す人は誰一人発見できなかった。自然に対する感じ方は日本と海外との落差は大きいと私は思う。
 新緑の中に写経の墨の香りが流れてきた。日本人は別として、外国の方々には新緑の色彩と墨の芳香との組み合わせの美を感じることは出来ないのではないか。色彩においては淡い緑と黒を極めた墨の色彩の二物衝撃による詩的飛躍。芳香に於いては新緑の匂いと墨が放つにおいとの二物衝撃による詩的飛躍。この種の二物衝撃の詩的飛躍は外国の方々が理解するのは困難だと私は思う。俳句は、そのリズムの奏でる美しさを含めて、他国の人々には理解困難な芸術であると思う。少なくとも聖書にはそのような状況を想い浮かべることが出来る描写は発見できない。
 今回は漢字「香」を聖書で探求してみようと思う。聖書時代の人々は匂いに対してどのような興味や感覚を抱いていたのであろうか。それを調査してみようと思う。聖書の中にある漢字「香」を全て取り上げた。全部で287箇所に漢字「香」が発見された。
 聖書には香料と言う単語が目立つ。聖書全体で34箇所に香料が発見される。聖書時代の人々は匂いへのこだわりが強かったことが予想できる。人間には五感がある視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。聖書に漢字「香」が287回発見され、中頻度語である。聖書時代の人々は嗅覚への関心が強かったと推定できる。
 どのような種類の「香」が聖書に発見できるのか。それを分類し、追求することで聖書時代の人々の嗅覚を解明する手がかりが得られないだろうか。聖書に出てくる漢字「香」を分類することで何かの手がかりになるかもしれない。
 淡い期待を抱きつつ聖書に発見される287の「香」の分類にかかってみようと思う。何の匂いであったのかを中心にして分類しようと思う。それを明らかにすることで現代日本文化との違いが認識できるかもしれない。
 調査は混乱を回避する為に悪臭の「臭」は排除した。また「匂」も除外した。芳香の「香」のみとした。287回の多数の「香」であるので聖書からの漢字「香」の抽出と分類を次の号「聖堂の詩その990」にまわした。

聖堂の詩その988―古代気候の枯(11)、ヨルダン地溝帯の枯

2014-04-24 04:27:09 | Weblog
               枯山に灯火一つ一軒家        紅日2014年2月号
 ヨルダンも聖書地名としてはしばしば目に入る。しかし、エルサレムの767回やエジプトの666回に較べて目に入る頻度は低い。聖書に出て来る地名「ヨルダン」の回数を数えてみた。その結果は以下であった。全部で197回発見された。また、そのヨルダンのうち「ヨルダン川」として河川名称にしているのは全部で143回発見された。それを各章のカッコ内に回数を示した。
創世記:5回(5回)
民数記:20回(19回)
申命記:28回(26回)
ヨシュア記:58回(57回)
士師記:11回(3回)
サムエル記上:2回(1回)
サムエル記下:13回(11回)
列王記上:4回(1回)
列王記下:9回(2回)
歴代誌上:5回(3回)
歴代誌下:17回
ヨブ記:1回
詩編:3回(1回)
イザヤ書:1回
エレミヤ書:3回
ガリラヤ書:1回
マタイ伝:6回(6回)
マルコ伝:4回(4回)
ルカ伝:2回(2回)
ヨハネ伝:3回(2回)
合計:197回(143回)
 聖書本文のヨルダンはそのすべてがヨルダン川を指摘していた。ヨルダン川は「ヨルダン」と表記するかまたは丁寧に「ヨルダン川」と表記するかであった。ナイル川もそうであった。ナイル川は「ナイル」と表記するかまたは丁寧に「ナイル川」と表記するかいずれかであった。この違いは恐らく日本語訳の訳者の違いによるものであろう。ヨルダンはヨルダン川を指摘していると考えてよい。したがって此処では地域的な幅を持たせるために、またこの地域は海水面より400mも低く世界でも特殊な地域であるので「ヨルダン地溝帯の枯」とした。
 前号988でもそうであったが、エジプトは聖書に666回も発見されるのであるが、エジプトの枯を描写する章節は二箇所にしか発見できなかった。このヨルダンも同じである。枯はイザヤ書にしか発見できない。イザヤ書15-6のみに枯が描写されている。イザヤ書15-6には「ニムリムからは水が消滅し草は枯れ苗は消え、青いものは皆無」とある。二ムリムは死海の南岸に位置する集落で、海水面より400m低いところにあるヨルダン地溝帯の中でも最も降水量の少ない乾燥の激しい地域である。植物の枯れやすい地域である。この場合は二ムリム集落の草木も枯れるほど水がなくなった。集落から草木も消滅する。余程の激しい乾燥である。

       ―ヨルダン地溝帯の枯の調査で判明した事項―
<1>ヨルダンは中頻度語
 ヨルダンは聖書全体で197箇所に発見された。それは三桁なので中頻度語であった。エルサレムの767回、エジプトの666回に較べて、四分の一程度であるが、聖書には目に付く地名である。

<2>ヨルダンとヨルダン川
 聖書にヨルダン川が197回発見された。その197回の内143回が「ヨルダン川」であった。本文を読むと「ヨルダン」も「ヨルダン川」も同じで、エジプトの「ナイル川」を「ナイル」としているのと同じであった。ヨルダンもヨルダン川も同じであった。

<3>ヨルダン川の世界の地理的特殊性
 ヨルダン川は海水面より400m低いところを流れている。世界でこれほど低いところを流れている河川はない。脊梁山脈により海からは隔離されているだけではなく、その標高が低いのが地理的特性で、断層作用により生まれた地溝帯をヨルダン川が流れている。

<4>ヨルダンの枯を描く章節は一箇所
 は聖書に197回も発見される中頻度であるが、この197回の内でヨルダン地溝帯の枯を描写している章節は聖書全体で一箇所しかない。それはイザヤ書一箇所だけで、15-6には「ニムリムからは水が消滅し草は枯れ苗は消え、青いものは皆無」とある。

<5>難しい地名ニムリムの二比定地
 ヨルダン地溝帯の枯風景を描く一つの鍵はニムリムである。イザヤ書にはニムリムという覚えにくい地名がある。このニムリムの場所発見に苦労した。私が良く使っているチャールズ・F・ファイファーにも、日本聖書協会発行「聖書」の付録地図にも発見できなかった。インターネットでは多くの牧師が説教をブログで発表している。その幾つか調べたが、いずれもその地理的位置は定かにはしていない。定かにしない宗教的理由があるのだろうが、此処ではそれを詮索しない。
 ユダヤ教であれキリスト教であれその宗派間対立は厳しく一歩間違えば暴力事件に発展することがしばしばである。そんな危険性を常に孕んでいる。此処ではその危険を回避したく、某として明白にしないのであるが、某ユダヤ教の聖書解説書にはニムリムには二つの土地が比定出来るとしている。
 第一のニムリムはヨルダン川支流で死海の北方でヨルダン川に注ぐ川、即ちヨルダン川支流でワディ・ニムリムである。この川を地図で探したが結局発見できなかった。しかし、ニムリムと良く似た地名二メラが発見された。チャールズ・F・ファイファー地図2および地図26で見つけることが出来た。それは死海北東岸にモアブ高原が拡がっているが、このモアブ高原の北東端に位置する集落である。河川名称は表記されていないが集落を流れる河川がワディ・ニムリムであろう。第一の比定地は結局曖昧な認識で終わってしまった。
 第二はモアブの南で、ワディ・エン・ヌメーラ川であるとする説。このワディ・エン・ヌメーラ川も地図の何処を探しても発見されない。但しモアブ国とエドム国との境界を流れる川がある。それがワディ・エン・ヌメーラ川であるとすれば、地図にはその河川名はセレデ川である。明瞭ではないが第二のニムリムの比定地は死海南西方に有るという。何故、地名を疎かにするのかわからないが、結局ニムリムが何処に存在していたのか不明瞭のままに終わった。死海の北方と南端の二箇所が比定地とまでは突き止めることが出来た。

<6>ニムリムは集落名称かそれとも河川名称か不明
 ニムリムは河川名称であるのかそれとも集落名称であるのか明瞭ではなかった。イザヤ書15-6には「ニムリムからは水が消滅し草は枯れ苗は消え、青いものは皆無」とある。が、集落名称には見えにくい。河川名称の可能性が高い。
 河川名称であるならばこの河川はWadiであり洪水時に一時的にしか水がない河川で砂漠特有の河川である。洪水時にしか見られない一時的河川水が消滅した途端に草木が枯れる様子を「水が消滅し草は枯れ苗は消え」と描写している。聖書記者である預言者イザヤはWadiの風景を丁寧に的確に表現している。


聖堂の詩その987―古代気候の枯(10)、エジプトの枯

2014-04-20 16:10:50 | Weblog
            枯山に灯火一つ一軒家        紅日2014年2月号
 聖書を読んでいると常に乾燥気候の厳しい景色を思い浮かべる。荒涼とした砂漠と戦う人々の生き様や人々の生活が見える。聖書を読むことで初めて日本の美しさを感じる。聖書の何処を読んでも落花の美しさはない。聖書の何処を読んでも落花に心がときめくことが出来ない。聖書の何処を読んでも新緑に躍進を感じることが出来ない。聖書を読むことで日本の美しさを再認識できるのだと思う。そのような意味では聖書は日本人にとっては有難い書物である。聖書は日本再認識の書ではなかろうか。四月中旬の洛中洛外の落花が激しかった。都大路は落花に真白になっている。艶やかな古都の落花を見ていて、そんなことをふと感じる。厳しい自然を描く聖書に触れているからこそ落花の美を感じることが出来る。私は日本が世界で一番いい国だとは思わないが、日本生まれて日本で生きてきたことを有難く思う。
 エジプトは砂漠の国である。聖書に発見される地名エジプトは比較的高い頻度で発見される。聖書にはエジプトが666回発見された。そのエジプトは三桁なので中頻度語である。某聖書発見される主が7235回神は4323回で、主や神は四桁の高頻度語でありそれに較べればエジプトの頻度は低く中頻度語であるものの、地名のエジプトは聖書に目立つ地名である。聖書を読んでいてエジプトという単語が目に飛び込む度に砂漠が目に浮かぶ。聖書の何処にエジプトが分布しているのか調べてみた。
創世記:89回
出エジプト記:154回
レビ記:12回
民数記:31回
申命記:49回
ヨシュア記:16回
士師記:9回
サムエル記上:13回
サムエル記下:3回
列王記上:21回
列王記下:12回
歴代誌上:7回
歴代誌下:17回
エズラ記:1回
ネヘミヤ記:3回
詩編:15回
箴言:1回
イザヤ書:42回
エレミヤ書:56回
哀歌:1回
イザヤ書:42回
エレミヤ書:56回
ダニエル書:4回
ホセア書:13回
ヨエル書:1回
アモス書:7回
ミカ書:3回
ナホム書:1回
ハガイ書:1回
ゼカリヤ書:4回
マタイ伝:4回
使徒行伝:17回
ヘブライ人への手紙:5回
ユダノ手紙:1回
ヨハネの黙示録:1回
 以上合計666回であった。聖書の中で出てくる地名としてはエルサレムが767回であるからエジプトはエルサレムに並ぶ高頻度地名であろう。世界の四大文明発祥地は悉く大河の畔にある。エジプトのナイル川のナイルはアラビア語で大河を意味するのであるが、エジプトにナイル川がなければ古代文明発祥地にはなっていなかった。古代文明発祥地であるからこそ聖書に666回も登場するのであるが、古代ギリシャの歴史学者ヘカタイオス(紀元前550年~紀元前476年)やヘロドトス(紀元前485年~紀元前420年)は「エジプトはナイルの賜物である」と説明している。古代からナイル川のエジプトに於ける産業活動としての重要性が認識されていた。
 さて、エジプトが聖書においてもエルサレムと並ぶ著名度の高い地名であることが分かったのであるが、エジプトに於ける枯を描写する箇所は聖書では僅かであった。エジプトの枯はイザヤ書の一巻にしか発見できない。その中でも二箇所にしか発見できなかった。エジプトの枯を描写する場面が乏しいのでエジプトに於ける枯の実態には迫りにくいのであるが、エジプトの枯を以下に拾い上げてみた。

 イザヤ書においてそれは以下の如きエジプトの枯が二箇所に発見された。
・19-6には「運河は悪臭を放ち、ナイルの支流は水かさが減り、葦とよしとは枯れ果てる」とある。日本語翻訳では葦は水辺の植物で、この水辺の植物までがナイル川の水位低下で枯れることがあった。また、「運河が悪臭を放つ」はナイル川の水位低下の結果である。ナイルデルタに於ける旱魃時の景観を描写している。

・19-7には「ナイル川のほとりには裸の所があり、ナイルのほとりに蒔いた種は悉く枯れてしまう、そして消え去る」とある。ナイル川は気候は砂漠であるが河川の上流部の雨季が齎す定期的な「期待された洪水」はナイル川流域を古代から豊潤な大地にしてきたのであるが、ナイル流域の全域が豊潤では無いのであり部分的にあるいは時間的にやせた土地も散見されたことがこの下りから読み取れる。ナイルの水源はビクトリア湖であるが、ビクトリア湖一帯の雨季での降水量の乏しさが原因である。「作物が枯れて消滅する」と述べている。枯れるの次は消滅。この一文によりナイル川の定期的な洪水が期待できない地域の存在が確認できる。

                     ―エジプトの枯に関する調査で判明した事項―
<1>エジプトは中頻度語
 聖書には単語エジプトは666回発見された。聖書に出てくる単語としては三桁に及ぶ頻度であり、中頻度語であり聖書を読んでいてしばしば目に飛び込む単語である。因みに、聖書に出えてくる単語主は主が7235回神は4323回で、主や神は四桁の高頻度語でありそれに較べればエジプトの頻度は低くいものの、目立つ単語である。

<2>地名としては高い知名度エジプト
 地名は聖書を読む場合大切である。聖書は何処を描写しているか読者は常に頭に浮かべながら読み進める。読者の頭脳には常に時間軸と空間軸がありそれを満たさなければ熟読しているとは言いにくい。
 世の中に聖書地名辞典が発行されているが、残念ながら、これは良いという書物にあたったことは余りない。歴史地理学の知識が無ければならない。聖書は古代を描写しているので定かではないことが多いからであろうが、せめてどのような説があるのか地図上に指示ぐらいのことをした地名辞典がほしいものである。そのような辞典を何時かは出会いたいものである。出会うことが無ければ自らが調査して誰にでも分かるようにして体系化し発表したいものだ。
 エジプトが聖書に666回発見される。聖書に出てくる単語としては上記の如く三桁の頻度で中頻度語に分類できるが、聖書に出てくる地名としては高頻度の地名である。聖書で最も目に付く地名はエルサレムであるが、エルサレムが767回であり、エジプトはエルサレムに並ぶ高い知名度の地名であることが分かった。

<3>古代ギリシャ歴史学者のエジプトに対する認識
 ギリシャの歴史学者ヘカタイオス(紀元前550年~紀元前476年)やヘロドトス(紀元前485年~紀元前420年)は「エジプトはナイルの賜物である」と説明している。古代からナイル川のエジプトに於ける産業活動としての重要性が認識されていた。ビクトリア湖に源流があるナイル川であるが、その下流に位置する三角州の沃土を熟知していた。洪水のたびに堆積される養分が古代エジプト文明の発祥地にしたことを知っていた。

<4>運河の存在
 聖書に単語運河が発見されるのはイザヤ書16-9の一箇所のみ。運河建設は高度な土木技術が求められる。木器では困難である鉄器時代に入っていなければ運河建設は絶対に無理である。イザヤ書16-9鉄の普及が見える。翻訳に間違いがなければ、聖書にはナイル川デルタに運河が存在していたことを証明している。聖書時代に、運河の存在が認識されている。内陸部での水上交通の発達が見られた。

<5>預言者イザヤはイザヤ書をエルサレムで執筆
 イザヤ書は旧約聖書の三大預言書であるイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書のひとつ。紀元前8世紀頃、イザヤが伝承と自分の確信に基づきエルサレムで執筆したと推定されている。現場を見ながら執筆したのではないので正確な描写は期待しにくい。伝承と確信に基づくものであり文章からは朧にしか現場が見えない。

<6>運河や川べりの岸に生える草と葦が枯れた
 イザヤ書19-6には「運河は悪臭を放ち、ナイルの支流は水かさが減り、葦とよしとは枯れ果てる」とある。
 ビクトリア湖に水源があるナイル川である。ナイル川の中流から下流はステップ気候や砂漠気候で降水量が乏しい。しかし、水源のビクトリア湖とその周辺は多雨地域で気候区は熱帯雨林気候Afやサバナ気候Awである。赤道直下の熱帯雨林気候は毎月ほぼ同じ降水量であるが、サバナ気候は雨季と乾季の交代がある。この雨季と乾季の交代によりナイル川の水位が上下する。水位が低下すると水が乏しいので腐りやすく悪臭を放つ。イザヤの預言書に「悪臭を放つ」と明記しているので余程の悪臭であったと推定出来る。また、水位の低下で水辺の草木の根に水が及ばないので枯れてしまう。自然の草木だけではないだろう。農作物も大なり小なり影響を受けていたであろう。ナイルの上流域の乾季が下流域の人々の生活に大きな影響を及ぼしたことが見える。

<7>裸の所の意味
 イザヤ書19-7には「ナイル川のほとりには裸の所があり、ナイルのほとりに蒔いた種は悉く枯れてしまう、そして消え去る」とある。ナイル川でも流れの速い水域と流れが襲い水域とがある。流れの速い水域は粒の大きな礫が堆積しやすい。しかし、流れが緩やかな水域では河川の運搬力が低下するため主として泥土が堆積する。粒の細かい砂や泥土が堆積する。
 このよう地層の違いがナイル川の川べりにある。礫層は水はけが良いので激しい乾燥の下では種を撒いても枯れてしまう。逆に流れが緩やかな粘土層や細砂層では水が毛細管現象で上部にまで上昇し、種を撒いても乾燥が激しいという理由で枯れることはない。「裸の所」とは河川水が届きにくい礫層を指摘するものと推定出来る。

聖堂の詩その986―古代気候の枯(9)、レバノンの枯

2014-04-18 20:28:41 | Weblog
                 枯山に灯火一つ一軒家        紅日2014年2月号
 レバノンは地中海に面した山岳地帯、南北に長い断層山地。二本の断層山地がある。直接地中海に面するレバノン山脈とそれに並行する内陸側のアンチレバノン山脈。両者とも標高3000m級の峰が連なり、南北に150kmの長さで伸びている。北と東はシリア、南はイスラエルに接する。古代から両国への木材の供給地域。しかし、現在は森林資源としては枯渇していて植林が活発。
 レバノン山脈のレバノンの意味はメソポタミア地方で紀元前500年頃から紀元前600年頃ごろに使われていたアラム語で白の意味がある。砂漠のメソポタミア地方から仰ぎ見る雪嶺を白山と呼んでいたのであろう。日本では石川県から眺めることが出来る何年雪を頂く白山(白峰)がそれである。
 レバノン地名は古い。レバノン山脈の山麓にはフェニキア人が生活していた。彼らはレバノン杉の伐採と輸出で生活していた。高い文明を持ちアルファベットを世界で始めて考案した民族であった。彼らの中心都市ビブロスはパピルスに由来していて、バブロスが聖書のバイブルの語源であるといわれている。地中海に面した集落である。
 その後、レバノン杉の輸出港はツロに移った。ツロはレオンテス川の河口付近に位置するが、レバノン山脈を流れるレオンテス川はレバノン杉の大量伐採と大量輸送を可能にしたからである。
 中東地方ではレバノンといえば森林資源地域である。砂漠には木材がない。砂漠に囲まれたレバノンは木材供給地として貴重である。それだけに、聖書にはこのレバノン地名が出てくる頻度が高い。聖書にはレバノン地名は97回発見できる。
 低頻度語であるが、中頻度語に近い。巻別では以下であった。レバノンは旧約聖書にのみ発見出来る。新約聖書には発見できない。列王記上や歴代誌下やイザヤ書などに集中していた。
申命記3回
ヨシュア記6回
士師記2回
サムエル記下3回
列王記上23回
列王記下2回
歴代誌上4回
歴代誌下9回
エズラ記1回
詩編5回
雅歌8回
イザヤ書9回
エレミヤ書7回
エゼキエル書7回
ホセア書3回
アモス書1回
ナホム書1回
ハバクク書1回
ゼカリア書2回

 旧約聖書にはレバノンに対する深い拘りや興味があることが分かったのであるが、これら、97回のレバノン全てにレバノンの枯が見られるわけではない。レバノンでの枯を描写しているのはこれらの一部である。その数は乏しく、イザヤ書33-9においてのみレバノンの枯が描写されていた。
イザヤ書33-9には「レバノンは恥じて枯れる。そしてシャロンは荒野になる」とある。「レバノンは恥じて枯れる」とはレバノンは絶対に枯れることがない中東唯一の森林地帯であることを逆説的に述べている。即ちレバノンは建材の宝庫であることを示している。
 
                ―レバノンの枯の調査で明らかになった事項―

<1>レバノン地名は低頻度語
 レバノンは聖書全体では97回発見された。これも聖書の出版会社の違いや翻訳者の違い等でその開きがある。二桁までが低頻度語、三桁が中頻度語、四桁が高頻度語であれば、枯は低頻度語であり、低頻度語の中でも中頻度語に近く、聖書時代には比較的高い関心を抱いていた。聖書を読んでいる人読んでいない人を問わずレバノン地名を知らない人は少ないであろう。しかし、その地理的位置に関しての知識は乏しいのではなかろうか。戦乱のシリアに接していることまでは知られていないであろう。

<2>レバノンは地中海に面した断層山地
 レバノンはヨルダン地溝帯と並行する断層作用によって生まれた山地。レバノンは地中海に面した断層山地。レバノン山脈とアンチレバノン山脈の二本の山脈がある。西側の地中海に面しているのがレバノン山脈で、それに併走する内陸側がアンチレバノン山脈である。
 これら断層山地形成は新しい新期造山帯のアルプスヒマラヤ造山帯の一部であり、6000万年以降の活動により生まれた。日本列島の誕生と同様に地球上ではきわめて新しく造山運動であり、今も活発で地震が多い地域である。

<3>日本では白山メソポタミアではレバノン
 レバノンの語源は「白」であり、白山である。石川県加賀では何処に居ても白山が仰ぎ見ることが可能である。白山は山頂に万年雪を頂いていることがその地名由来で、白峰は白嶽とも呼ばれた。それと同じようにメソポタミア地方で白山即ちレバノンと呼ばれるようになった。

<4>古いレバノン地名
 聖書全体の単語では低頻度であるが、聖書に出てくる地名としてはその頻度が高い。そのレバノンは比較的古い地名であり、紀元前600年頃から紀元前500年頃メソポタミア地方で話されていたアラム語である。その意味は「白」であった。レバノンは地中海から眺めたレバノンではなくメソポタミア地方から眺めたレバノンであった。

<5>レバノンの森林資源で繁栄したフェニキア人
 フェニキア人といえば、アルファベットを考案した民族として知られている。古い民族である。フェニキアは地理的にエジプトとメソポタミアの中点に位置していて二つの文化の影響を受けながら発達した。紀元前15世紀から都市国家を築き始めた。フェニキアの産物はレバノン杉と高級染料の原料紫貝の産地で、紫貝ミューレックスがその語源であると藻言われているが正確にはわかっていない。フェニキアはレバノン杉の輸出で繁栄した。
周りは砂漠ばかりで木材資源が乏しい中でレバノンの存在は貴重であった。また、フェニキアを繁栄させたのは彼らは木材を輸出するだけではなくレバノン杉を船材として活用し造船技術を磨いたことだ。頑丈な船により地中海に積極的に進出し交易活動を展開したからである。アルファベットを広げた背景でもある。

<6>唯一のレバノンの枯
 聖書にはレバノンの枯は一箇所にしか発見できなかった。イザヤ書33-9には「レバノンは恥じて枯れる。そしてシャロンは荒野になる」とある。この場合の枯れるは季節の枯ではなく、禿山になってしまうことを指していて、レバノン杉の死滅を意味している。レバノン杉は針葉樹であり、落葉樹ではない。レバノンには季節的枯は乏しい。

聖堂の詩その985―古代気候の枯(8)、バビロニアの枯

2014-04-11 18:18:45 | Weblog
             枯山に灯火一つ一軒家        紅日2014年2月号
 今年の桜は開花中に大きな気温の上下があった。気温の上下が原因であろうか、例年に較べて落花が早いような気がする。比叡山中腹の桜は既に散り始めている。ゆっくりと時間をかけて桜を愛でることが出来なかったような気がする。ゆっくり桜を眺めることが出来なかったのはそのような自然の激変だけではない。人間社会の大きな変化もあった。暗い話だ。「うっ、暗いな」と思うほどの暗い話がウクライナ地方に展開している。ウクライナ地方の小麦争奪戦事件が今も続いている。ウクライナはチェルノーセムと呼ばれる肥沃な黒土地帯で、世界最大の農業地域であり世界最大の小麦産地でもある。ウクライナを西側の巨大資本が支配することは人類の胃袋を支配したのと同然である。
 旧約聖書を聖典とするユダヤ教徒にとっては、即ちユダヤ巨大資本にとってはウクライナ地方は「蜂蜜と乳のしたたる地」でありこの世の究極的支配地域の一つである。世界は市場原理主義である。市場原理主義の下でその勝者のみが生き残る仕組みが出来上がってしまった。凄惨壮絶な世界になってしまった。ユダヤ教徒のみがノアの方舟でこの世で生き残るために「蜜と乳のしたたる地」を得るにはウクライナを支配するのが絶対条件である。そのための戦いの火蓋が遂にウクライナで切って落とされたのであろうか。世界中が急に険悪な空気に包まれてしまった。折角の桜の開花も散り急いでいるのはそのためだろう。
 現在のイラク、バビロニアにアは砂漠であり桜は見当たらない。ケッペンの気候区分ではチグリス川やユーフラテス川の下流域にあるバビロニアは砂漠気候BWで激しい渇きがある。ケッペンの気候区分ではBは乾燥を表す。Bには乾燥砂漠BWと乾燥ステップBSの二つの気候区がある。Wは砂漠を意味するWastの頭文字、Sステップは樹木がない広大な短草草原である。SはSteppの頭文字を示している。現在のバビロニア地方のユーフラテス川流域のほとんどが砂漠気候である。ユーフラテス川の東側に平行して流れるチグリス川左岸にはステップ気候が広がっている。チグリス川もユーフラテス川もその源流はトルコに位置する。小アジア半島のアナトリア高原に源流がある。海抜高度が高く降雪量も比較的多い。雪と雨とを含めた降水量は1000mm前後に及ぶ。しかし、チグリス川やユーフラテス川の下流域での夏場は水位が急低下する。
 アメリカのブッシュ大統領はこのバビロニアに向かって空爆をしたのは我々の記憶に新たである。彼はバビロニアのバクダッド市民だけではなく膨大なバビロニアの史跡をピンポイント爆撃であると称して壊滅的な被害を及ぼした。フセイン大統領は核武装をしているという口実で数え知れない犠牲者と莫大な損失を出してしまった。またこの戦争では劣化ウラン弾と言う核兵器を使用したことも消すことが出来ない歴史的事実である。この事実は歴史に確実にとどめられるであろう。
 ブッシュ大統領はバクダッド空爆に際して「神の御名によって爆撃を開始する、アーメン」と叫びつつ十字を切ったのである。あのテレビ場面は世界の注目を浴びた。ローマ法王はブッシュ大統領に対して「簡単に神を引き出すものではない」と窘められたことでも有名な話である。ブッシュ大統領のバクダッド空爆の宣戦布告の言葉を私は不思議に思った。キリスト教への疑念が私に一挙に広がった瞬間でもあった。同じようなことがウクライナで今展開されようとしている。
 今度はオバマ大統領が「神の御名によってロシアに爆撃を開始する、アーメン」と叫びつつ空爆を開始をするのだろうか。何とも恐ろしい話である。そうなれば世界はアメリカもキリスト教も恐怖の対象にしかならない。それが宗教戦争であるとすれば宗教は阿片そのものである。唯物論者であろうと唯心論者であろうと宗教は阿片になる。ウクライナでバクダッド空爆と同じことを繰り返せば如何なる宗教も阿片であると罵られる。あってはならないことだがいかなる宗教にたいしても不信の対象にしかならない。
 そのような恐ろしいことがおきて欲しくない。物事を出来る限り穏便に済ませて欲しい。暴力を抑制する、その為に人類は政治を考案した。政治は暴力を抑制する道具の一つだ。国が国として、そして人間集団が人間集団として生きるとするならば政治と知恵を最大限に生かすべきである。未だに20世紀を引き摺るべきではない。如何なる国であろうと、一歩でも暴力から離れるべきであることは言うまでもない。

 今回はブッシュ大統領が空爆したイラクがその対象である。イラクのチグリスユーフラテス川に挟まれた地域であるバビロニアの枯がテーマである。聖書でバビロニアの枯を描写しているのは三巻に及ぶそれは、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書の三巻。当該三巻には全部で11回の枯が発見された。それぞれ枯を次のように描写していた。

●エレミヤ書においては1回。それは以下の如き枯であった。
 エレミヤ書は預言者エレミヤがその著者である。エレミヤはエレミヤ書以外には哀歌をも著している。彼は、紀元前七世紀末から六世紀前半に活躍した。それはユダヤ人がバビロニア幽閉時代であった。エレミヤ書においてエレミヤは絶望の中で未来を告げる。未来への希望を告げる。

・12-4「何時までもどの畑の野菜も枯れていてもかまわないのでしょうか」とある。枯れさせるのは悪であり、悪の栄えは長続きしないと主張している。この場合は畑の野菜が枯れる。場所はバビロニア。
 バビロニアは砂漠気候であるが畑が存在していた。灌漑施設が整い給水が可能でなければ砂漠での耕作は困難である。バビロニアでは灌漑農地での野菜が枯れることもあった。砂漠であるだけに当時としては野菜が枯れるのは深刻な事態である。夏の熱風により野菜が枯れるのである。

●哀歌においては1回。それは以下の如き枯であった。
 哀歌はエレミヤによって著された。エレミヤによって描かれた悲しみの詩である。

・4-8には「皮膚は縮み骨に付着し、そして乾いて枯木のようになった」とある。餓死しかける様子を描写している。シロッコが吹く夏の激しい乾燥が餓死者を増やした。この場合は木が枯れている。場所はバビロン。
 皮膚が縮めば皮膚に張りが出るはずである。この場合体が痩せて皮膚がたるみ骨に皮膚がつかえるぐらいになった。そして彼の姿は枯木のようになった」とすべきであろう。砂漠には樹木は生育できないが、河畔や泉の畔などに局地的に樹木が見られる。しかし、河川の水が消滅したり泉の水が消滅したりすれば樹木も枯れる。水が消滅しなくても激しい乾燥で樹木が枯れることがある。その点は古代も現代も同じである。

●エゼキエル書においては9回。それは以下の如き枯であった。
 エゼキエル書はこれもバビロニアを描写している。エゼキエル書の著者は預言者エゼキエルである。彼もエレミヤとほぼ同時代バビロンに居て虜囚となったユダヤ人の一人で、ユダヤ人の精神的指導者であった。
 
・7-9には「わしはその根を抜き、枝を切り、若葉を皆枯らさないだろかこれを根からあげるには強い腕や多くの民を必要としない」とある。この場合は若葉が枯れる。場所はバビロン。
 この場面は河川の増水時と渇水の風景を思い浮かべる。「根を抜きとり、葉を枯らす」は洪水の風景と洪水後の風景を思い浮かべる。砂漠に流れる河川の水位の上下幅は大きい。増水と渇水との風景の違いが大きい。冬の水位の上昇はチグリスユーフラテス川の源流であるトルコの山岳地帯アナトリア高原での融雪による水位上昇。
 
・17-10には「これが移植されたら、再び生き返るだろうか。東風がこれに吹く時枯れてしまわないだろうか」とある。既に樹木の移植が行われていたことを示している。風は熱風である。この場合は移植された木が熱風に枯れるとある。場所はバビロン。
 砂漠の樹木は貴重。河川の洪水時には樹木が流されてきた。流されてきた樹木も貴重な樹木であり、それを河畔やオアシスの畔に移植して大切に育てていた。そのような風景が見えてくる。移植した樹木が根付くか根付かないかは重大な関心事であったと推定出来る。熱風であり、樹木を枯らす熱風である。
 現在のイラク即ちバビロニアでは夏と冬との風の交代がある。毎年6月から9月にかけての夏はアラビア半島からの乾燥した南西の熱風が、10月から5月までの冬はトルコ方面から北東の北東風が吹く。この風をモンスーンという。モンスーンは日本語化したが、英語Monsoonはアラビア語Mawsimがその由来で。イラクでは夏の南西風と冬の北東風の交代を言う。
 聖書では夏の東風としているが、現在イラク、即ちバビロンの夏の風は南西の風である。夏の乾燥した南西季節風である。古代と現代と気候が異なると言えども、古代に於いて冬に枯れるほどの低温は考えにくい。バビロニアは現在のイラクバクダッドの郊外に位置する。現代のバクダッドの年間の気温と降水量は以下である。古代との気温の上下幅が現代と比較して二度か三度程度の違いがあったとしても、冬の枯は考えにくい。枯れるのは乾燥の激しい夏場以外には考えにくい。現代でも古代でも枯れるのは夏であることは不変である。
    最低気温   最高気温  降水量
一月  四度     十三度   十三ミリ
二月  五度     十六度   十三ミリ
三月  八度     二十度    八ミリ
四月 十四度     二十七度   七ミリ
五月 十九度     三十三度   三ミリ
六月 二十三度    三十八度   零ミリ
七月 二十六度    四十一度   零ミリ
八月 二十五度    四十度    一ミリ
九月 二十一度    三十八度   一ミリ
十月 十六度     三十度    四ミリ
十一月 九度     二十一度   十ミリ
十二月 五度     十四度    十ミリ

・17-24には「主である私が高木を低木にし低木を高木にする。そして緑の木を枯らし、枯木を緑にする」とある。主の力は大きい。樹木の高さを調整したり、樹木を枯らしたり樹木を生き返らせたりできる。この場合緑の木を枯らす。場所はバビロン。
 樹木の高低や樹木の色彩を決定するのは神の力であると考えられていた。

・19-12には「葡萄の木は憤りにより抜かれ、地に投げられ、東風がそれを枯らした。そして、その実はもぎ取られて強い幹は枯れて火にくべられた」とある。東風が枯らしたとある。この場合は東風が葡萄の木を枯らす。場所はバビロン。
 葡萄の栽培があった。栽培の葡萄の木でも自然の力で抜き取られることがあったことが文章から窺える。洪水により抜き取られたのであろう。そして、それを枯らすのは北アフリカやアラビア半島から熱風であり南西季節風のはずであるが、聖書は東風としている。

・20-47には「火はすべての生木と枯木を焼き滅ぼす。燃える炎は消されることが無く南から北に向かって焼き滅ぼす」とある。山火事の恐怖を描いている。いったん火が点けば消えることが無い恐怖を描いている。当時の山火事の多さをも物語っている。この場合は山火事が枯れ木を焼く。場所はバビロン。
 この場合も東風ではない。季節は枯木とあるので夏である。現在のバビロニアは南風または南西風である。東風ではない。

・37-2には「枯れた骨よ主の言葉を聞け」とある。「枯れた骨」は日本ではあまり言わない。骨が枯れるとは激しい乾燥を想起することが出来る描写だ。この場合は、枯れた骨。場所はバビロン。
 「枯れた骨」は日本語ではあまり言わない。バビロニアの激しい乾燥を示している。

・37-4には「われわれの骨は枯れて、われわれの望みは尽きる。そしてわれわれは絶え果てる」とある。激しい乾燥風で骨が消滅するであろう砂漠の情景を描いている。枯れた後消滅するのである。枯れるのは消滅の前兆である。この場合も枯れた骨。場所はバビロン。「われわれの骨は枯れて、われわれの望みは尽きる」とあり、枯れるとは尽き果てることを意味する。水分を完璧に抜き取った状態である。 

・37-11には「われわれの骨は枯れて、われわれの望みは尽きる。そしてわれわれは絶え果てる」とある。37-4と全く表現が同じである。枯れた後に消滅するのである。この場合も枯れた骨。場所はバビロン。

・47-12には「川岸に食料となる各種の木が育つ。その葉は枯れることなく、実は途絶えることなく実り、月ごとに新たな実が実るこれは水が随所から出るからだ。実は食料となり葉は薬となる」とある。
 河岸での植物の生育の旺盛な様態が描かれている。現代でもバビロンとその周辺では河岸やオアシスにしか樹木が生育できない。また、灌漑設備の給水範囲にしか樹木は生育できない。それらの樹木の実や葉の有効性が描写されている。樹木は建材としての重要性よりも食料や薬品原料として重用された。場所はバビロン。古代バビロニアの枯に関して聖書には11箇所で描写している。それらの描写から古代バビロニアの枯に関して次のような特徴が指摘できる。

             ―バビロニアの枯の特徴―
<1>バビロニアの枯の回数
 旧約と新約、聖書全体で漢字「枯」は59回発見された。その内バビロニアを描写する「枯」は11回であった。

<2>バビロニアの枯を描写する巻
 バビロニアの枯を描写している巻は三巻に及んだ。それはエレミヤ書、哀歌、エゼキエル書の三巻であった。それは、ユダヤ人のバビロニア捕囚時代を描いているので旧約聖書のみである。因みに新約聖書の枯は四福音書での枯であった。イエスの奇跡の行いを描写しているので、新約聖書の枯はガリラヤ地方の枯であった。
<3>エレミヤとエゼキエルの二人の預言者がバビロニアを描写
 エレミヤ書と哀歌の著者は預言者エレミヤであると推定されている。またエゼキエル書はこれも書名と人名とが重なっていて。著者は預言者エゼキエルであると推定されている。

<4>川と川の間メソポタミア
 イラクのバビロニアはメソポタミア地方南部に位置している。メソポタミアの「メソ」は中間、「ポタミア」は河川の意で、河川と河川とに挟まれた地域がメソポタミア。チグリスユーフラテス川に挟まれた地域で沃土に恵まれていた。砂漠であるのに沃土に恵まれたので、地球上の最古の文明発祥地になった。

<5>メソポタミアを肥沃にした雪解け水による大洪水
 チグリスユーフラテスの二本の河川は春に定期的に大洪水があった。二つの水源地トルコのアビシニア高原の融雪水が原因であるが、森林の乱伐もその原因であった。また、土木技術が原始的であったからこそ水害規模も大きかった。ヒッタイト人が人類初の鉄を発明したのは水害抑止のための土木技術の必要性が促したことも考えられないことはない。木器から鉄器への変化は開発力を飛躍化し、現代社会での蒸気機関の発明に匹敵するものであったと推定される。
 この大洪水は人間に災いだけではなかった、人間に恵も齎した。それは上流から運搬される土砂に含まれる肥料養分である。BW砂漠気候やBS半砂漠地域は元来土壌がアルカリ性であり水さえあれば農業に最適な土壌である。それが洪水のたびに堆積すれば豊かな農業地域となり古代文明の発祥地となった。

<6>古代バビロニアの夏は東風なのか、それとも南西風か
 聖書に出てくる漢字東西南北の方位の数は東が185回、西が100回、南が115回、北が161回である。聖書時代の人々は東への拘りが強かったことが窺える。そんな関係もあるのかバビロニアの風向きは東風のみであった。夏の東風であった。東風の中で物事が悉く枯れていた。エゼキエル書17-10、19―12の二箇所に東風で枯れるとしている。
 バビロニア地方即ち、ブッシュ大統領がキリストの御名によって爆撃したあのバクダッドの夏の風は東風ではない。現代のバビロニアの夏の風は南西季節風であり南西方向からの風であり、アラビア半島から吹く熱風であった。
 聖書には東風が吹いて枯れると記述されているのに現代のバビロニアでは夏は乾燥した南西季節風が吹いている。この違いは何故起きるのか。考えられる理由は幾つかある。そのうちの一つはエゼキエル書の著者預言者エゼキエルはイスラエルで執筆をしたのではないか。エゼキエルはイスラエルにおいて砂漠の真っ只中にある都市バビロニアを想像しながら執筆したのではないかとの疑いだ。その為に風のみがイスラエルの夏の風であったのではないかという疑念が誰にでも浮かぶのではないだろうか。
 イスラエルの冬は地中海から西風が吹く。偏西風が南下することによりイスラエルに吹き込むのである。夏は逆に偏西風は北上し、それに替わってヨルダンやアラビア半島からの東の熱風が吹き込むのである。エゼキエルはこの夏の風をバビロニアに当てはめてバビロニアの夏風を誤認しつつ執筆したのではないか。そんな疑念が浮かぶ。

<7>灌漑農業の存在
 砂漠気候で農業が可能なのはオアシスの畔や河岸や灌漑設備の整った地域でなければ困難である。エレミヤ書12-4には「何時までもどの畑の野菜も枯れていてもかまわないのでしょうか」とあるが、これは灌漑農業地域での野菜生産の存在を示唆している。それはバビロニアの近郊農業であった。

<8>薬草と薬木と
 エゼキエル書47-12には「川岸に食料となる各種の木が育つ。その葉は枯れることなく、実は途絶えることなく実り、月ごとに新たな実が実るこれは水が随所から出るからだ。実は食料となり葉は薬となる」とある。
 バビロニアでは樹木から薬品を抽出し生産していた。日本でも古代から薬草の生産が盛んであった。中東では樹木から薬品を、日本では草から薬品を生産していた。草と樹木の原料の違いが有るが、植物から薬を抽出していた点では古代中東と古代日本の共通している。額田王の歌「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の紫野は薬草園であったと言われている。また、京都大徳寺がある紫野も薬草園であった。両者とも地名に薬草園存在の痕跡を残している。
 エゼキエル書47-12に「各種の木」とあるが、その中になつめ椰子の木が確実にあった。なつめ椰子は天からの太陽の光と足元のオアシスの水で育つといわれている。バビロニアでは薬草ではなく、灌漑農業により育つなつめ椰子の木からその実を収穫し食料を得ていた。房として大量に実るなつめ椰子の実には高いカロリーがあり古代から貴重な食料であった。葉からは樟脳のようなにおいがする薬を抽出した。皮膚消毒薬、嗽薬、料理のスパイスに供された。因みに、アメリカのブッシュ大統領の激しい空爆にイラク国民が耐えることが出来たのは高カロリー食品なつめ椰子のおかげであったとのことだ。
 核兵器もないのにブッシュ大統領は核兵器があるとして空爆した。地上戦では戦車を木っ端微塵にすべく劣化ウラン弾を大量に発射した。放射能鉄粉や粉塵が今も残留し多くのイラク国民が今も原爆症で苦しめている。大量の癌患者が今も続出しているとのことだ。なつめ椰子の葉で治ればよいのに。アメリカ政府は子供を中心とした癌の続出に何も補償していない。これはアメリカ史上最大汚点の一つとして残留することであろう。アメリカと西欧諸国はウクライナで同じ事を繰り返すかどうか世界は注目している。穏やかに解決してもらいたいものである。二度とバクダッド空爆の愚を繰り返すべきではないだろう。ウクライナで繰り返せば残虐な宗教戦争の繰り返しである。戦争の宗教色はさらに濃厚化することだろう。

聖堂の詩その984―古代気候の枯(7)、パレスチナの枯

2014-04-07 12:26:00 | Weblog
               枯山に灯火一つ一軒家        紅日2014年2月号
 忙しいのでブログを長らく放置していた。京都市内には寺院が多い。何処の寺院にも桜が咲いている。もう桜が散り始めた寺院もある。未だ寒い二月に聖書の枯に取組み始めたのであるが、京都市内は桜が散り始めた。時間が経過するのが本当に早い。一人の人間の人生も同じだと思う。桜の如く直ぐに命が散るもののようである。NHKの朝の蓮ドラ「あまちゃん」の主人公能年怜奈が演じるあきの御祖父さん役をしていた蟹江敬三氏は個性的な俳優だった。蟹江敬三氏は今年の三月に亡くなっていた。悪人役が多い俳優であったが、個性の強い好きな俳優だった。その俳優が亡くなっていたのは驚きである。映画俳優が次々と癌で亡くなっている。
 就中60代から70代の映画俳優の死亡が際立っている。私はその原因は原爆投下にあるのではないかと疑っている。広島や長崎に原爆が投下された直後1845年8月と9月にそれぞれ二つの大きな台風が日本列島を襲っている。第一は昭和二十年八月二十三日夜明けに房総半島に上陸、同日夜に能登半島に抜けた。第二は第一の翌月で昭和二十年九月十七日正午に薩摩半島に上陸、翌日十八日夜明けに島根半島に抜けた。この枕崎台風で広島で3000人を越える犠牲者を出した。これらの台風によって局地的に放射能濃度が高いホットスポットが日本列島全体に拡散したのではないか。それは福島原発事故で首都圏にホットスポットが拡散していた事実で容易に推定出来る。
 チェルノブイリ原発事故では風下に居住していた乳幼児や少年の被爆が目立ったのであるが、日本の原爆投下時に乳幼児から少年時代であった人々の現在の年齢は60代後半から70代にあたる。被爆による癌発症は長い長い年月が経過しなければ明らかにならない。アメリカのレーガン大統領も晩年皮膚がんを患ったが彼は20代のときに原爆実験場で被爆しているとのことであり原爆実験に立ち会ったことが原因ではないかとの疑念がある。日本は広島長崎と二度の原爆が投下された。高齢者の癌の多さと原爆投下と無関係であるとは断言できない。福島原発事故が是に追い討ちをかけているのであり、今後日本列島での高齢者の癌患者激増は必至である。
 高度経済成長期での日本人の死因は交通事故死が上位だった。平成に入って、被爆だけではなく食事の洋風化で牛肉の消費が激増し癌による死亡が頭角をもたげてきている。アメリカ人の大腸癌の多さは世界で知られている。それは牛肉摂取量の多さが原因であるとも言われている。そのことをアメリカ人は知り始めてアメリカ人の牛肉摂取量は急速に減りつつある。しかし日本人の牛肉消費はアメリカとは逆に激増中である。将来はTPP加盟でさらに激増が加速しそうな気配である。われわれ日本人の牛肉への執着は尋常ではない。
 最近はマスコミでは日本人を草食系統と肉食系統と区分していますが、これは大きな間違いです。冗談にも日本人を草食系と肉食系と区分差別するのは間違いです。日本人は何千年も米と魚を食べて生きてきた日本人は大腸がそれに適した形に進化してしまっている。草食動物の大腸になってしまっている。肉食の欧米人の大腸と本質的に異なる。日本人には肉食系統の大腸は誰一人としていない。
 日本人をマスコミが無理に肉食系統と草食系統に区分し、洗脳することは日本人に癌を増殖させる元凶の一つ。マスコミは日本人の癌の増加を加速させていると言っても過言ではない。日本人が牛肉に憧れていることを見越した上で平成に入ってケンタッキーやマグドナルドのような畜肉を食べさせるアメリカ資本の店舗が急増していることも癌の増加を加速させている一要因であろう。またはTPP加盟のために日本人の畜肉食の定着を無意識のうちに狙っているといっても過言ではない。
 癌の原因は基本的に遺伝子にあると言われている。それは医学会では定説になっている。日本人の癌はホットスポット拡散による放射能等で遺伝子が変化し、その上で食事の洋風化で畜肉食に偏り、癌発症の引き金を引いていることは明らかになっている。残念ながら将来、日本人の癌患者の増加は加速する。それは広島長崎の被爆そして原発事故での被曝の遺伝子変化に加えて輸入関税撤廃による有史来の牛肉摂取量の激増が主因となる。
 米と魚で生きてきた雑食動物または草食動物に畜肉ばかりを与えればどうなるのかその結果は明白だ。残念ながらTPP加盟に関してその視点が日本政府にも日本国民にも皆無である。政策の物指は安けりゃ良いという貪欲さしかない。癌の治療費は高血圧症治療費に次ぐ莫大な経費が投入されている。日本政府は国民の健康はどうでも良いと思っては居ないと思うが、結果はそうなっている。日本の官僚は世界でも明晰な知能が有ることで知られているが、今では計算も出来なくなったのであろうか。哀しいことである。早く気がつくことをこれからの若者に期待したい。
 さて、本題のパレスチナの枯に関する話に入りたい。パレスチナの語源はぺリシテ人が住む地域のこと。それは古代カナン南部であり、地中海に面した地域である。ヨブ記が描かれている地域はぺリシテ人が生活する地中海沿岸部であり、パレスチナ地方が舞台である。ぺリシテ人が住む地域、それはぺリシテ平原と言う地名を残している。ぺリシテ平原は地中海に面した平原であり、シャロン平原の南側で死海の西方にある平原ある。それは北はカナ川河口の集落ヨッパから南はガザに至る範囲である。平原と言うより地中海沿いの低地である。海岸線が滑らかであるのは地中海の海底隆起によるものと考えられる。砂浜が沿う遠浅の海岸で、日本では太平洋側の事例として静岡県の御前崎や高知県の土佐湾沿岸がそれである。日本海側の事例では新潟県出雲崎や能登半島外浦などが挙げられるだろう。
 また、ユダの手紙もパレスチナ地方を描写していると考えられている。パレスチナの枯を調べるのにはこれら二巻が必要となる。ヨブ記には6回の枯がある。ユダの手紙12には1回の枯が発見される。パレスチナには合計七回の枯が発見された。それぞれは以下の如き枯であった。

●ヨブ記に発見される枯は六回で、それは次の如くであった。
・8-12には「青くてまだ刈らないのに枯れてしまう」とあり、この場合も立枯れの状態である。この場合は作物が枯れる。場所はパレスチナ。地中海沿岸のペリシテ人の国。即ちパレスチナ。

・14-2では「彼は花のように咲いて、そして枯れて影のように飛び去る」として神出鬼没を描写するために「枯れる」を比喩的表現としている。この場合は花が枯れる。場所はパレスチナ。

・14-8では「たとえ根が地中で腐り幹が地中で枯れても」と消えてゆくさまを樹木の枯れを通じて描写している。「地中の枯れる」は消滅の一現象として比喩的に描写された。樹木が落石や土石に埋まった状態で、この場合地中で幹が枯れる。場所はパレスチナ。

・15-30では「彼は暗闇から逃れられない。災いは若枝を枯らし花は風に引きちぎられる」としており、この場合は若枝を枯らす。激しい乾燥気候が推定される。場所はパレスチナ。

・18-16では「下では根が枯れて上では枝が切られる」として、この場合、樹木の根が枯れる。これも激しい乾燥。場所はパレスチナ。

・24-24では「ゼニアオイのように枯れて消えうせる」としており、ゼニアオイの命の儚さを取り上げて比喩的に表現した。死ぬことを枯れると言って表現した。独特の表現である。場所はパレスチナ。

●ユダの手紙においては1回。それは以下の如き枯であった。
・12には「風に吹き飛ばされる雲、実らないで穂が枯れる。そして早くも枯果てた秋の木」とある。枯果てた秋の木は正確に言えば枯果てた初秋の樹木であろう。夏の乾燥した熱風シロッコで樹木が枯れてしまう様子を描いている。この場合は麦の穂が枯れる。場所はパレスチナ地方。

 以上七箇所のパレスチナの枯に関する特徴について次のような点が指摘できる。
<1>乾燥による枯木
 パレスチナ地方の大きな地理的特徴は地中海に面していて、気候が地中海性気候Csであることだ。温帯に属するが夏の激しい乾燥で植物が枯れる。北アフリカにほぼ年中停滞している中緯度高圧帯であるが、夏になるとこれがが北上して中東や地中海沿岸まで砂漠に停滞する中緯度高圧帯に支配される。聖書のパレスチナを描く箇所には全部で七箇所に漢字「枯」が発見されるが、それぞれの枯れる季節は秋である。そのことは、ユダの手紙12において「枯れ果てた秋の木」とあることで明らかである。

<2>古代と現代との近似
 古代中東地方は一般に現代よりも森林が広く分布し気候は穏やかだったと言われているが、古代のパレスチナ地方と現代のパレスチナ地方の気候は聖書を見る限り大きな変化はない。古代も現代も地中海性気候の特徴が見られる。

<3>人が姿を消すことを枯れると比喩的に表現
 ヨブ記14-2などでは人が姿を消すことを比喩的に「彼は花のように咲いて、そして枯れて影のように飛び去る」として表現している。パレスチナの枯れと日本の枯れると大きな認識の違いが有りそうだ。乾燥で枯れた結果跡形も残らない枯れ方をしていることが窺える。乾燥の激しさの度合いが見える。

<4>強烈な夏の熱風
 北アフリカから地中海沿岸に吹く風をシロッコと呼んでいる。イタリア等ではこのシロッコの熱風で人が死亡することもある。それほどの熱風であり強風でもある。その熱風の激しさを表現する箇所が聖書の本文中に発見される。それはヨブ記14-8で「たとえ根が地中で腐り幹が地中で枯れても」とある。枯れるのは根だけではなく幹までが枯れているというのである。熱風が木に土を吹き寄せて幹まで土に埋まるからこそ根も幹も枯れていたと読み取ることが可能である。

<5>風倒のゼニアオイ
 ヨブ記24-24にはゼニアオイがでてきます。銭葵は初夏に桃色の花を咲かせる。原産地はヨーロッパで日本には江戸時代に渡来。江戸の人々は花の大きさに着目した。ゼニアオイの語源は花が一文銭、寛永通宝などの大きさであることに由来。正岡子規に作品に「鴨の子を盥に飼うや銭葵」があるが、明治でも銭葵との呼称があった。
 パレスチナ地方にも銭葵が咲いていた。ヨブ記24-24では「ゼニアオイのように枯れて消えうせる」としており、ゼニアオイの命の儚さを取り上げて比喩的に表現した。死ぬことを銭葵が枯れると表現した。ゼニアオイもタチアオイと同じように風に倒れやすい性質があり。聖書には人の命の儚さを比喩的に表現するために風に倒れるゼニアオイの姿を取り上げている。