聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その1020―競う

2015-02-20 15:26:41 | Weblog
            黒髪をなびかせ競う女子マラソン    紅日2013年3月号
 昨今の日本語の変化は著しい。激流の如き変化だ。時代の変化が大きければ大きいほど言語の変化率は大きい。そして、言語は生き物であり変化するのは当たり前である。変化は当たり前であるものの、変化の仕方で立ち止まって考え込むことがある。言葉は魔術の道具にも成るそうだが、言葉は一人一人の思いを伝える道具であり人間として極めて大切なものである。人々の思いや思想は言葉を通じて表現される。人の言葉からその人の思想を読み解くことも出来る。言葉から人々の思いや時代の質を眺めることも出来る。
 何時ごろからであるか、分からないが巷では女性のことを殆どの場合「女子」と呼ぶようになった。それほど古い話ではないと思う。この一年か二年程度の現象だと思う。「女性」の呼び方が大きく変化してしまった。「女性」と言えばよいのに生まれたばかりの赤ちゃんから高齢者まで全ての女性を「女子」と呼ぶようになった。昔は「女湯」と「男湯」に分かれていたが、今は「女湯」とは言わないで普通「女子用」と呼ばれているようだ。女子と言えば、文字からしても女の子であり小学生か中学生である。大きくても高校生までである。大学生になればあまり女子とは呼ばない。しかし昨今では白髪の高齢者まで「女子」と呼ばれている。老婆はまんざらではない。深いしわの笑顔をほころばせておられる。
 それはそれでよいのであるが、未だに世間では「男湯」は「男子用」とは言わないで「男湯」が残留している。男性として別に不平等であるとは思わないのであるが、白髪の老婆までが「女子」と呼ばれることの不自然さを感じないではない。女性の飲み会も「女子会」と呼ばれている。未成年が酒を飲むのは可笑しいではないか、と思うものの「女子」という言葉が氾濫している。一方、それに対して「男子」と言う言葉は余り耳にしない。
 それには社会的背景や社会思想が垣間見える気もする。垣間見えるものは女性の社会進出だ。日本で女性の権利は市川房江氏などの運動により女性の力で戦い勝ち取った女性の権利も高度経済成長頃までは前進したが、昨今の女性の権利は女性の運動により勝ち取られたものではない。日本の学生運動も女性運動も労働組合運動も高度経済成長時代が終わり、過激暴力集団と政府により一挙に破壊されたといえるのではなかろうか。社会運動はそれ以降日本から姿を消した。
 日本の女性の立場の大きな変化の原因は多国籍企業などの大企業の誘導する新自由主義経済や市場原理主義によるグローバル化により齎された。グローバル化により日本国内の労働市場が大きく変化した。それと同時に「女子」と言う言葉が広がっただのではなかろうか。日本では外国人労働力の積極的採用とほぼ同時に女性労働力が積極的に活用されるようになった。その主たる目的は企業の人件費削減による生き残り政策であった。日本中に吹き荒れたリストラの嵐の中で低廉な労働力である外国人労働力や女性労働力が導入された。女性労働力は政権与党により「輝く女性の社会進出」ともてはやされた。したがって昨今の女性の社会進出は女性による主体的戦いにより勝ち取られた権利ではない。
 外国人労働力と女性労働力によル人件費削減が日本で推進されたことはこれまでの経過を観察すれば明らかである。企業の生き残り策の中で女性の低賃金労働力とサービス残業が活用された結果であるという側面は拭いきれない。この現象は子供の視点から見れば明らかではなかろうか。子供の目から見れば母親が社会に進出するのではなく、家から母が奪われたと言う結果となってしまている。税制改正などにより専業主婦は家庭から職場に駆出され、共稼ぎは家計の為に止むを得ないのである。
 子供にすれば自分の母が社会に奪れた結果になっているのではないだろうか。だからこそ保育所不足が社会問題化している。また、学童保育の世話をする人が居なくて混乱しているのではなかろうか。だからこそ少子化にもかかわらず託児所代わりとして学習塾が繁盛しているのであろう。グローバル化による犠牲が全て子供に皺寄せされ、社会的弱者である子供が犠牲を払う結果となっている。「女子」と言う言葉の氾濫はそのような社会変化に伴い無意識に生まれたのであろう。無意識に口元から零れ出た。
 「女子」の洪水もひとつの言葉の洪水がある。世間では耳にたこが出来るぐらいの「ガンバレ」と「競争」の言葉を耳にする。私のような呑気者にはとてもついてゆけない競争社会であり人々の傍にいると何となく息苦しくなる。「ハンメルンの笛」で鼠が次々に海に飛び込む風景があるが、それを想起するぐらい人々は何かに躍らされ競い合っている。競っているが社会が遅々として前進しない。前進しないどころか、後退しているのではないかと思う程の息苦しさがある。
 なんだろうかこのせせこましい動きは。所謂、グローバル化が進んで「切磋琢磨」や「競争社会」や「生き残り競争」という言葉やフレーズをテレビを含めて一日何度耳にすることであろうか。「もっと落ち着け、落ち着け」と言いたくなるほどの競争の騒がしさを感じないでもない。社会の変化の中で世相が変化し、更には言語生活にも大きな変化が見られるようになる。言葉の変化や流行は人々の思いの変化の現れてある。
 日本国内では騒々しいグローバル化が進み、「生き残り」や「競ふ」等の煽動的でしかも脅迫的な言葉をを見聞きする機会が随分増えた。聖書では漢字「競」はどのような場面で用いられているであろうか。昨今の世界の市場原理主義または競争至上主義社会と照らし合わせながら、聖書の中の漢字「競」の調査を進めてみた。聖書時代は人々が何を競っていたのかを調査した。

 先ず、巻別の「競」の回数をしたらベた。
コヘレトの言葉には2回の「競」が発見された。
イザヤ書には1回の「競」が発見された。
エレミヤ書には1回の「競」が発見された。
エゼキエル書には1回の「競」が発見された。
コリントの信徒への手紙にⅠは2回の「競」が発見された。
テモテへの手紙には1回の「競」が発見された。
ヘブライ人への手紙には1回の「競」が発見された。

 巻別の調査結果では、漢字「競」は聖書全体で9回しか発見されなかった。回数が少ないので、聖書に於ける「競」の傾向は掌握しにくいかもしれない。少なくとも指摘できるのは現代社会ほど聖書には「競」と言うこと言葉は使われていなかったと言えるのではなかろうか。各巻の「競」は何を競っているのか、その調査結果は以下であった。

 
●コヘレトの言葉には2回の「競」が発見された。
・4-4では「仲間に対して競争心を燃やすからだ」とあるので、仲間同士の競い合いである。
・9-11「足の早いものが競争に、強いものが戦いに」とあるので、早さを競走で仲間同士で競い合った。

●イザヤ書には1回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・44-7「誰か、私に並ぶものがいるなら声を上げ、発言し、私と競ってみよ」とある。
 私に勝てるものは出て来い、私が打ち負かしてやろう、といわんばかりの強い言い方である。

●エレミヤ書には1回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・12-5「あなたが徒歩で行くものと競って疲れると言うなら、どうして馬で行くものと競えるのか」とたしなめている
 競う相手を考えよ、自分の能力を自覚せよと諭している。

●エゼキエル書には1回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・31-8「神の国の杉もこれに及ばず、樅の木も、その枝に比べえず、スズカケの木もその若枝と競いえず、神の国の木も美しさを比べ得なかった」とある。
 神の国のあらゆる樹木よりもそれは美しい。神の国の樹木に比べるとそれより遥かに比べ物にならないぐらい美しいとしている。
 目前の樹木と神の国の樹木の美しさを比べている。そして眼前の樹木のほうが遥かに勝っていると述べている。神の国の樹木はそれほど美しくはないと受け取ることも出来る。樹木の美醜を比べているのであるからそのようなことに受け取れないことはない。

●コリントの信徒への手紙Ⅰには2回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・9-24「あなた方は知らないのですか。競技場で走るのは皆走るけれども、賞を受け取るのは一人だけです。あなた方も賞を得るようになりなさい」とある。
 全員が競っているが、賞を得るのは一人だけである。誰でもが賞を受けられない。あなた方も賞を得るように走りなさいとしているが、一人しか賞を得ないのにあなた方も賞を得るように走りなさいと複数の人間に賞を取るように命令している。
 一人しか賞はない、しかし複数の人間に賞を取るように命じている。走って賞を取って来いと命じている。はじめから矛盾した命令である。競えと命じる時点では、全員がはじめから賞を取れないことが分かっている。分かっていながら全員に賞を取ることを強制する化の如き命令だ。
 その矛盾を無視して全員に競えと命じている。それは芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を髣髴とさせる風景である。競うことを命じる人間は何もしないで口先だけで命じて安閑としている。私は見る人間、貴方は私の命令で競い合う人間と言う二極化された世界が見える。
 これが聖書の一番大きな特徴であり融合する和睦する精神は極めて乏しい。一方的で霊獣である。常に、貴方は被支配者であり私は支配者であると言う二極化の構造が大きな特徴だ。イスラム教はもっとその二極化が拡大される。それは、仏典との大きな距離である。それが欧米では競争至上主義や成果主義を誇張した。勝者組み敗者組みを明瞭化する西欧社会と日本社会との大きな違いでもある。
 欧米の犯罪多発社会に日本が接近しているのは経済活動にこれが導入されているからであろう。これが国際政治に応用されればどうなるだろうか、カミカゼは自爆テロではないとしてカミカゼを復活させるような国家や犯罪多発社会へと突入するのにそれほど時間がかからないと思う。欧米社会に日本が急接近していると思う。

・9-25「競技をする人々は全てに節制」
 競技するひとは皆、すべてに節制します。彼らは朽ちる冠を得る為にそうするのであるが、私たちは、朽ちない冠を得る為に節制するのです。
 古代オリンピックは紀元前728年に始まっている。此処はギリシャであるから競技と言えばオリンピックのことであろう。聖書の中までオリンピックがっもちだされるのである。古代から、余程競走に興味が深いのであろう。こと競い合うことに関しては古事記は少し違うが万葉集の世界とは大違いだ。競い合うことにこせこせしすぎている。おおらかだのない文化である。
 もうひとつ気になることがある。それは冠の違いである。競技する人間は朽ちた冠が被せられて良いのであろうか、比喩と言えどもその比喩の対象があまりにも非人間的ではないのか。節制して自らを律してきた、その上で全力で競技した人間が朽ちた冠とは何と言うことであろうか。比喩と言えども競技者に対してこれほどの失礼な発言はない。
 聖典と言えどもこれは行き過ぎではないかと思いたくなるような表現である。それに、他人が朽ちた冠だとあざ笑うような人間が天国で朽ちない輝かしき冠が得られるとは到底思えない。人を見下す人間は信用できないと言う考え方も日本のひとつの文化だ。聖書はそのような点では隙間だらけだ。神が人間に与えた書とは思えない。私こそ言いすぎだろうか。何を比較するか、その問題もあるが、いずれにしろ競うことの難しさを感じさせる一節であった。人は競わずに生きられないのだろうか、信仰は競わずに信じることが出来ないのだろうか。私はこの一節の競いでおぞましき競い、そして醜悪な競いを感じた。

●テモテへの手紙には1回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・2-5「競技に参加するものは、規則にしたがって競技をしないならば、栄冠を得ることが出来ない」とある。
 古代オリンピックがギリシャアテネで始まったのは紀元前728年であるから、これもオリンピックの話であろう。聖書はオリンピックの話が大好きなようだ。コリント人への手紙についで二回目のオリンピックの話だ。日本では毎日プロ野球、相撲、サッカー、テニスなどなどテレビと新聞には競技が溢れてうんざりしているのに、聖書でまたも競い合いの話になる。人間はこれほど競うことが大好きなのだろうか。競い合わなければ信仰生活がもてないのだろうか。競い合いがなければ信仰は無理だと言うのなら私は更にキリスト教徒の距離が大きくなると思う。残念だが仕方がない。
 
●ヘブライ人への手紙には1回の「競」が発見された。その箇所は以下である。
・12-1「こういう訳で、私たちもまた、このように夥しい証人の群れに囲まれている以上、全ての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められる競走を引退強く走りぬこうではありませんか」とある。
 此処でも競わせる大きな目に見えない権力がある。その権力により人々は走らされていると解釈することも可能である。重荷や罪を背負わされて、被せられて走り競わねば成らない。しかも走ることを促すように証人の集団に包囲されているのである。それは強烈な強制力である。信仰とは走り相互に競い合うことなのだ。競わされることが信仰である。

 冬から春への季節の変わり目は誰もが体に変調をきたすもの。若くても冬から春に体を慣らすのは一工夫もふた工夫も必要だ。私は、呑気にしていたので風邪を引いてしまった。暖かいので布団を減らしたままで居ると急に気温が下がって風邪を引いた。日本は四季が明瞭に別れる。その明瞭な分かれ目が美しいので、俳句も生まれたのであろうが季節の変化に体も心も構える。その構えが俳句の面白さのひとつであろう。しかし季節の変化大気の激変は年寄りの体には応える。「聖堂の詩」はしばらく休んでいたが再開だ。力を籠めて再び漕ぎ出そう。人生は長い長い航海だ。死ぬかと思うほどのだるい体に鞭打って調べたが、私は聖書の中の漢字「競」に意外なことを発見した。

(聖書に発見された漢字「競」で分かった事項)
<1>9回の「競」
 聖書には漢字「競」が九回発見された。低頻度語であり、聖書を読んでいて、余り気がつく単語ではない。旧約聖書に五回、新約聖書に四回発見された。

<2>壮絶な競争社会
 競いは聖書には漢字として九回しか発見されなかったが、当時のその競い合い社会の後ろに人々の心が見え隠れしている。日本にも神話や伝承民話に競い合いが多いが、聖書ほどではないのではなかろうか。

<3>聖書にオリンピック
 聖書の中にオリンピックを描写している箇所を発見した。オリンピックの会場そのものであるのかどうかは文章から判断できないが、競技のルール等が記されている。競い合う場合のルールは厳守であったことが窺える。

<4>競い合う人間への節制強要
 競い合うことはルールを厳守するだけではなく、節制も強要された。節制しないで競い合うことが出来ない社会であったことが窺える。

<5>身分が低い競技者
 競技を自主的にしたのではなく、競技をさせられたことが文面から推定出来る。強制された競技であることが伺える。

<6>受け皿またはセーフティーネットとホスピスと
 競争社会を尊重するキリスト教文化圏には「ホスピス」が存在した。ホスピスはラテン語である。中世ヨーロッパ暗黒時代にカトリック教会の付属機関としてのホスピスがその語源である。その意味は「収容所」である。十字軍戦争は凡そ1000年から凡そ1200年までの200年以上に及んだ宗教戦争であった。ヨーロッパ各国は9回もイスラム圏へ遠征軍を派遣した。そのために各国の経済は破綻していた。キリスト教会の絶対的権力もさることながら、とめどなく継続する宗教戦争がヨーロッパ中世を暗黒時代と呼ぶ所以でもある。
 十字軍遠征で多くの戦士が野垂れ死にした。瀕死寸前の戦士を収容するのがカトリック教会のホスピスであった。ホスピスは行き倒れ収容所であった。勿論、戦士が死にいたれば死者の遺産が全て教会に没収される仕組みが出来上がっていた。現今の日本社会ではキリスト教機関が経営するホスピスが増加すると同時に、受け皿やセーフティーネットと言う言葉が大流行している。
 ホスピスを見るたびに、セイフティーネットや受け皿という言葉を耳にするたびに、日本社会は既に宗教戦争に巻き込まれているのだとつくづく思う。セーフティーネットも受け皿も弱者を寄せ集める塵取でしかない。競走結果の敗北者としての弱者である。それがキリスト教文化ではなかろうか。元来の日本社会はキリスト教文化圏の競争至上主義社会とは水と油の関係である。しかし、それがグローバル化で大きく変転しようとしている。聖書の「競」を考えることで日本のグローバル化またはキリスト教化が広く深く進んでいることを感じる。

<6>生産は共同成果か個人成果か
 日本の米は共同体で生産される。田植えも草引きも村の共同体を無視して実施は困難である。日本は瑞穂の国でもあり、労働には共同体を抜きにして語ることが出来ない。協力共同をことに重視する労働観が定着している。それに対して狩猟社会を基盤にしたキリスト教文化圏では労働は個人的成果で計測される側面が強い。個人が競い合う側面が強く要求される。聖書に競争を重視する場面が散見された。
 日本社会が労働観に於いてキリスト教文化圏に傾斜し始めている。昨今の日本社会のグローバル化にそのことが垣間見える。年功序列賃金制度や終身雇用制度が崩れた。給与が成果主義に切り替えられたり同一労働同一賃金に切り替えられた。昨今の日本社会では協力体制や共同体制を無視し個人の成果だけに依拠している。
 経済活動において人間が生きることを忘れ経済活動がゲーム化している。日本社会が激変している。グローバル化により日本特有の人々の協力共同を無視する今の流れは格差社会の格差を拡大させるだけでなく、日本人の労働意欲を消滅させる。日本の産業全体の労働生産性の大幅な低下が危惧される。昨今の経済活動のゲーム化や日本に強化される競争社会にそれを感じる。
 


聖堂の詩その1019―聖書の雪解けと近江の雪解け

2015-02-17 14:13:27 | Weblog
              雪解けの近江水車の音響く    2014年2014年5月号
 節分が終わったのに、滋賀県はまだまだ寒い。滋賀県北部の余呉湖方面では積雪が3mを超える地域もあるそうだ。しかし、春も近い。湖北の野坂山地山麓の今津町ではザゼンソウが咲き始めた。建国記念日のことだった。そこは竹薮の中の雪道だった。自然堤防を降りる雪道である。竹薮の中を下りると、残雪の後背湿地に出てきた。其処には無数のザゼンソウが紫褐色の苞の天辺だけを見せていた。
 紫褐色の閉じている苞もあるが、開いている苞もある。苞の中に白い花が咲いている。この白い花が座禅をしている僧侶の姿と似ているのでザゼンソウと言うそうだ。雪にうずもれているものもある。何十何百もの花である。何十何百もの僧侶が雪中で座禅をしていた。それは、雪中の永平寺である。警策の音が聞こえるかもしれない。耳を澄ますと、聞こえるのは雪解けの水の音だけだった。近江の春が其処まできている。
 春の柔かくて穏やかな音のひとつに水車の音がある。水車が廻る音には車軸の軋み音、杵の音など水車そのものの発する音の他に水音が混じるからであろう水車の音は柔かくて穏やかな感じがする。地面にまで響くのであるがその音は心地よい。本格的な春が見えてくる音。
 ザゼンソウは日本中何処にでも咲いていた花だったそうだが、今は栃木県大田原市、山梨県甲府市、鳥取県智頭町、そして滋賀県高島市今津町の四箇所にしかその群落がない。天然記念物に指定されているそうだ。神経痛やリューマチの薬品として活用されるが、一方で猛烈な悪臭を放つ為にアメリカではスカンクキャベツSkunk Cabbageの俗称がある。この悪臭に誘われ蝿がおびき寄せる性能を持つ。ザゼンソウはその生態を活用して無農薬野菜の生産に活用できないことはなかろう。
 「生臭坊主」という僧侶を揶揄した呼称がある。ザゼンソウはまさに生臭坊主だ。文字通り悪臭を放つ生臭坊主だ。遠くから眺めると残雪の中に紫褐色の中で座禅を組む信心深い僧侶であるが、一旦接近すれば鼻持ちならない。猛烈な悪臭を放つ曲者である。所詮、ザゼンソウと言えども生臭である。一人一人が聖書の理解を深めて信仰しているのであれば良いのであるが徒党を組んだ途端に悪臭を放つ生臭に成る。昨今の聖職者は徒党を組まなくとも悪臭を放つ御仁の何と多いことであろうか。良くぞ神父と呼ばれたり、牧師と呼ばれたりしているものだと呆れるほどである。呼ぶほうも呼ぶほうだが呼ばれておさまりかえっている生臭を見ると阿呆らしくなる。酷い牧師と信徒が要るものだ。あの集まりからは逃げるが勝ちと思う事例が何と多いことであろうか。最たるものが暴力集団ISである。ISであろうと主日礼拝であろうと徒党を組めば個人の倫理が消滅して瞬時に恐怖集団と化けるものだ。
 暴力集団イスラム国も同じだが集団化すると平気で悪事を働くのが聖職者だ。信徒も同じだ。一人一人は問題がないが集団化すると平気で一人の人間を虐め集中攻撃する残酷な集団となる。そんな場面をしばしば見る。聖職者や信徒の集団に恐怖感を覚える。それは仏教であろうとイスラム教であろうとそのような一団からは1cmでも離れたい気持ちに成る。集団化徒党化すると一人一人の倫理がその瞬間に消滅するのであろう。
 さて、聖書の中の雪解けはどのように描写されているであろうか。聖書には漢字「雪」が24箇所に発見できる。聖書には降雪の描写は比較的多い。しかし「雪解け」となると余り見かけない。精査すると聖書には「雪解け」は二箇所にしか発見できなかった。聖書の世界では人々は雪解けに春の喜びを感じる人々は余り居なかったのだろうか。「雪解け」はヨブ記に発見できた。ヨブ記9-30、ヨブ記24-19の二箇所である。聖書には他には一切「雪解け」は発見できない。

 
●ヨブ記9-30には「雪解けの水で体を洗い、灰汁で手を清めても」とある。
 身を清めようとしている。清めようとしているのであるから、清冽な雪解け水であったことが推定出来る。雪解け水で大洪水となり河川の堤防が決壊する激しい雪解けもある。その場合は濁流となり清らかな雪解け水ではない。しかし、雪が時間をかけてゆっくりと解ける場合の雪解け水は小川に穏やかに少しずつ流れ、川に浄化作用が働き、清らかな河川水と成る。このばあいは時間をかけて解けて流れる雪解け水であろう。

●ヨブ記24-19には「暑さと乾燥が雪解け水を消し去るように、陰府は罪人を消し去るであろう」とある。
 乾燥地方の愛器現象の激変が見える1節である。未だ残雪があるにも拘らず、暑さと感想と言う言葉で出て来ている。湿度の低い乾燥地方特有の待機現象の激変である。因みに気温の日格差、それは一日のうちの最高気温と最低気温の差のことであるが、地球上で最も気温の日較差が大きい気候区は乾燥気候地域であり、BW砂漠気候やBSステップ気候である。一日の最低気温を記録する夜明け前は氷点下でも、日中は摂氏30度以上に水銀柱が騰がることもある。サウディアラビアのルブアルハリ砂漠では摂氏55度の最大格差がある。夜明け前は氷点下だったのが、昼には55度に達する。聖書のこの箇所「暑さと乾燥は雪解け水を消滅させる」はルブアルハリ砂漠を想起させる。日本にはこのような激しい地域はない。聖書の世界は日本と全く異質な環境である。雪解けは春の季語であるが、聖書の雪解けには春の喜びや春の開放感は見つけることが出来なかった。

聖堂の詩その1018―1つの真珠貝と59尾の名無し

2015-02-10 11:49:31 | Weblog
          海苔粗朶の渚貝殻ばかりなり        紅日2015年1月号

 海苔は春の季語。新春の伊勢湾での作品。日本列島での海苔養殖は盛んである。日本の農業就業人口200万人、漁業就業人口は15万人を割り込んだ。日本は農業も林業も水産業も衰退の一途。中でも日本の漁業は風前のともしびとなったと言われている。最近では原発事故による日本人の魚食離れが衰退を加速化させている。そんな中で海苔養殖は比較的健在だ。世界の日本食ブームで海苔需要が高まっているからであろう。しかし、この海苔養殖も韓国や中国の生産も伸びていて、何時日本の海苔養殖も崩壊するか分からない。
 今流行のグローバル化や国境がない交易も考え物である。開発途上国での日本の自動車販売も同じであるが、資本だけを計算した安易な交易によってその国の経済だけではなく文化まで根こそぎに奪ってしまうことがある。過激な資本主義経済が世界の経済も文化も破壊しかねない勢いでグローバル化が進んでいる。しかし、日本に海苔がなくなれば、日本が海苔の生産をやめれば日本人の食生活がどう変わるだろうか、日本の景観はどれほど激変するだろうか。考えただけでもぞっとする。
 海苔の養殖場は海苔粗朶(のりそだ)や海苔篊(のりひび)と呼ばれている。粗朶は枝のことであり、篊は竹のことである。厳密に海苔粗朶と海苔篊を区別すれば、海底に枝を立てる海苔養殖場が海苔粗朶で、海底に竹を立てる海苔養殖場が海苔篊である。しかし現実にはそのような区分をしない。区別をしないで海苔粗朶と呼んだり海苔篊と呼んだりしている。両者とも渚から見て木の枝か竹であるか識別できないこともあるだろう。
 海苔は栄養の豊かな水域でなければならない。内海でしかも河川の河口や潟湖など陸地から湧出されるミネラルが豊かな富栄養海水域でなければ海苔は育たない。養殖場にはもうひとつ条件がある。それは海底に枝や竹を突き刺すことが出来る遠浅な海岸で無ければならない。
 遠浅でなければならないのは大量生産を考慮に入れなければならないからだ、沖に向かって何時まで歩いても深くならない。引き潮になると何処まで沖に向かって歩いても腰ぐらいの深さしかない、そんな海岸が好条件であると言える。広大な海域に粗朶や篊を海底に立てることが出来て広大な海苔粗朶が保障されるからだ。
 日本の都道府県別の海苔生産の順序は枚数で計算すると第一位が佐賀県17億枚、一位以下は、兵庫13億枚、福岡11億枚、熊本8億枚、愛知4億枚、宮城3億枚、香川3億枚、千葉2億枚、三重2億枚、岡山1億枚の順である。海域で言えば一位が有明海、二位が瀬戸内海、三位が伊勢湾、四位が東京湾で閉鎖性水域または半閉鎖性水域に海苔養殖が集中している。四国愛媛でも海岸に湧き出る名水に恵まれた西条地方が盛んである。
 日本以外で海苔養殖している国は中国や韓国がある。欧米では海苔は肥料や家畜の飼料として扱われていて食用は局地的で例外的存在だ。ニュージーランドやイギリスのウエールズ地方やアイスランド等に限定される。日本列島は海苔養殖に適した独特の地形に恵まれている。日本は世界で最も雨の多い地域で山間部から湾や内海などの閉鎖性海域にミネラルをはじめとした栄養分が放出される。そのことが日本列島に海苔養殖を可能にしている。
 自然環境に恵まれているので日本ののりの歴史は古い。奈良時代初期の各地の風土記に漢字「海苔」が見える。岩のりを天日乾燥している景色が描かれている。岩海苔から養殖が始まったのは江戸時代初期のことで、浅草や品川が始まりであると言われている。
 海苔粗朶の浜辺には貝殻が溢れていた。海砂よりも貝殻の方圧倒的に多い。貝殻の多さは貝の繁殖力の大きさを見せ付ける。膨大な貝の生命があったからこそ膨大な貝の屍骸である貝殻が溢れている。真白な貝殻は生命が果てた死の集団である。それに対して真っ黒な海苔粗朶で生きる海苔は生命の塊だ。海苔粗朶は閉鎖性海域でありしかも干満の差が大きな海域に多い。それは干満の差があるから一日に二回海苔は海水に漬かる。そして一日二回寒風に晒される。海水につかったり寒風に晒されたりしながら乗りは成長する。ことができる。
 海苔は大気に触れたり海水に漬かったりしながら成長する。その点では毎日睡眠を繰り返す人間とそっくりである。海苔粗朶の渚で生と死の境界を感じた。そうして生まれた作品が「海苔粗朶の渚貝殻ばかりなり」であった。
 海苔談義が長くなってしまった。ところで聖書には魚介類が登場するのであろうか。以前にも触れたことがあるが、聖書には漢字「魚」が幾つか発見される。今回の調査では漢字で「魚」は57回、ひらがなで「さかな」は2回発見された。興味深いのは聖書には魚の種類は一切触れていない。鯛や鯵など魚の種類名称が一切見られない。全て魚で片付けている点である。魚を食べる場面は新約聖書に見られるが、魚の種類は聖書では明らかにされていない。聖書の魚は全て名無しのごんべいだ。食卓に上っていたのであるが魚の種類名は明らかにされない。
 魚は名無しのごんべいだが、貝に関しては正反対だ。貝は聖書に一度しか発見できないが、その一回には「真珠貝」と明瞭に会の名称が明記されている。聖書は魚と貝とはその扱いがま反対であった。貝は魚に比べて捕獲しやすく旧石器時代から洋の東西を問わず食料にしていたと推定されるが、聖書に出てくる貝は装飾用の真珠貝の貝であった。
 中東地方では貝を食料にする生活が積極的に展開されなかったと推定出来る。日本列島では縄文遺跡には貝塚が切り離せないのと異なった傾向が見られる。日本と中東地方のそれぞれの原始時代や古代の食生活に大きな落差が見られる。それは勿論自然環境の大きな違いに起因するものである。
 日本の縄文時代の代表的遺跡といえば現代も見られる貝塚である。貝塚は縄文人のゴミ捨て場であった。貝塚を調査すれば縄文時代の人々の生活が復元できる。文字のない縄文時代を探る最大の資料となるのが貝塚である。縄文時代の海水面は現在よりも5m高く、気温も二度前後現代より高いと推定されている。気温が高いから南極や北極や山岳地帯の氷河が溶けて海水面が今より5m高かった。
 縄文時代の人々の生活の場は水が豊かな海岸や河岸や湖岸であった。縄文時代の海岸線は貝塚を辿ることで描くことが可能である。明治10年アメリカ人動物学者が東京の大森貝塚を発見したのであるがその場所も凡そ海抜5mである。魚よりも貝の方が捕獲が容易である。魚は敏捷で捕獲が困難であるが、貝はそのようなことがない。縄文時代は貝が主たる動物性蛋白源であった。日本の場合、縄文時代から古代にかけて貝は重要な食料源であった。だからこそ縄文遺跡には貝塚が必ず存在する。
 欧米の貝塚は旧石器時代で日本より時代が古いのが特徴的である。欧米の場合は狩猟が発達したので日本の縄文時代ごろには貝塚の数が少なくなっているのであろう。欧米の場合貝塚と早い段階で離脱し狩猟社会に進歩していた。それが原因で聖書には貝が一度しか見ることが出来ない。しかも、その貝は日本と異なり装飾用の真珠貝である。聖書に鯛や鰤など魚の名称がないのも狩猟の歴史が古く動物性淡白を畜肉に求めて魚類に求めなかった背景があるであろう。
 貝殻は貝塚だけではなく、今も渚には驚くほど多い。渚を歩くとバリバリと貝殻を踏み潰す音がする。屍骸を踏み潰しているのであるが、海苔粗朶の渚を歩くと貝の繁殖力と生命力の強靭さに感嘆する。貝殻を踏み潰す音を立てながら「海苔粗朶の渚貝殻ばかりなり」の作品が生まれた。