綱引きに鉢巻強く締めなほす 紅日2004年12月号
綱引きは世界各国にも日本にも良く見られる。日本の場合、豊凶を占う神道の行事から始まったと言われている。新道の場合正月十五日の小正月に実施される場合が多く季語は新春となる。仏教でも盆綱引きとして盆行事として綱引きが開催される地方がある。それは盆綱引きと呼ばれるものであり、この場合は秋の季語となる。明治時代以降学校教育の運動会種目で綱引きが盛んに採用された。それは昔から全国各地に見られた神事としての綱引きや盆行事として綱引きを取り込んだのであろう。そして今は秋季運動会の一種目になっている為に綱引きも秋の季語として認識する結社もある。但し、玉入れと同様結社によって綱引きを季語と認めていない場合もある。
結社により季語として認めるかどうか、その違いがあるのは日本列島の自然環境の複雑さと地域の違いの落差の大きさもあるだろう。北海道と沖縄に大きな自然の違いが有るだけではない。日本列島では山を一つ越えると、峠を境にして言葉も風習も異なる例にわれわれは良く出会う。中国や欧米では見られない日本独特の現象である。その様な日本の自然環境の多様性と俳句結社を構成する人々の自然認識や時代認識の違いが、季語と認めるか認めないかの違いの原因となるのだろう。掲句「綱引きに鉢巻強く締めなほす」は季語として認められた。
聖書にも「綱」の単語が目に付く。聖書時代に既に綱は多くの場面で使われていた。また、「綱」と言えばその太さで差異がある「紐」も聖書には「綱」ほどは多くは無いが目に付く単語である。聖書にはそれぞれがどのような場面に出て来て、それぞれが、どの様に利用されてきたのであろうか。聖書の中の綱と紐との違いは興味ある問題だ。日本語では綱と紐という言葉が、その太さの大小で区分される。尚、縄は主として稲藁で綯われていて少し綱や紐とは概念が異なるのではないだろうか。縄は綯うのであり綱や紐は撚るのである。製法手段やその性質に大きな違いがあるので縄は別扱いとなるだろう。
したがって、日本語では大小区分で、綱と紐の二段階に区分される。一方、英語では日本語よりその大小の区分が詳細である。英語では綱はRope、紐はCordであるが、その他にStringやStrapがある。英語ではその径の大きい順に並べれば、Rope、Strap、Cord、stringであろうか。そして、綱と紐との比較ならば糸を意味するThreadは比較の考察対象には入らない。日本文化よりも、英語文化圏の方が綱から紐への区分が細かい。日本語訳聖書ではこの区分はどうであろうか、私の観察した範囲では綱と紐との中間的な単語は見つけることが出来なかった。聖書の中の「綱」と「紐」のそれぞれの用途を一つ一つ取り上げながら聖書時代当時の人々の綱と紐の区分は用途に対する意識を考えてみたい。
(聖書の中の「綱」の巻別分布表)
●出エジプト記には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・33-18には「綱」に関して「幕屋の杭、及びその綱」と述べている。幕屋を張る為に使われた綱
・39-40には「綱」に関して「庭の周りの幕とその入り口の幕、綱と杭」と述べている。酷い日本語訳だ景色が全く見えない。訂正したい翻訳だが、此処では割愛する。これも幕屋を張る為の綱
●民数記には「綱」は4回発見できた。それは以下である。
・3-26には「綱」に関して「幕屋と祭壇を囲む庭の周りの幕とその入り口の幕、綱」と述べている。庭を包囲する幕を張る為の綱
・3-27には「綱」に関して「庭の周囲の柱と台座、杭、綱」と述べている。柱を四方から綱で張って柱が倒れなくしていた。柱(ポール)を垂直に保つ為の綱。
・4-26には「綱」に関して「幕屋と祭壇を囲む庭の周りの幕とその入り口の幕、綱」と述べている。幕張りの支柱を支える綱。
・4-32には「綱」に関して「庭の周りの幕とその入り口の幕、綱と杭」と述べている。訂正したい翻訳だが、此処では割愛する。これも幕屋を張る為の綱。
●ヨシュア記には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・2-15には「綱」に関して「ラハブは二人を窓から綱で吊り下ろした」と述べている。ラハブが二人の逃亡を助けている場面。人を吊り下げることが可能な強靭なロープであった。幕屋を張るためのロープが家にあったと推定出来る。
●列王記上には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・22-34には「綱」に関して「王は御者に言った『手綱を返して敵陣から脱出させて呉れ』」と述べている。この時代に、馬を制御する為の手綱の存在が認められる。
●列王記下には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・4-24には「綱」に関して「従者に『手綱を引いて進んでゆきなさい』と命じた」と述べている。馬の制御目的の手綱だ。
・9-23には「綱」に関して「ヨラムは手綱を引いて逃げ出した」と述べている。馬の制御目的の手綱だ。
●歴代誌下には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・18-33には「綱」に関して「王は御者に命じた『手綱を返して敵陣から脱出させてくれ』」と述べている。「手綱を返して」は今流で言えば「ユーターン」であろうか。
●ヨブ記には「綱」は7回発見できた。それは以下である。
・4-21には「綱」に関して「天幕の綱は引き抜かれて為すすべも無く死んでゆく」と述べている。天幕の支柱を支える綱の重要性が読み取れる。
・8-14には「綱」に関して「頼みの綱は断ち切られる。よりどころは蜘蛛の巣のようなもの」と述べている。この日本語訳は誤訳の疑いがある「蜘蛛の巣」ではなく。「綱」に対比するのであるから「蜘蛛の糸」でなければ場面が見えてこない。芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を髣髴とさせる。
・18-10には「綱」に関して「綱が地に隠され張り巡らされ、行く道に仕掛けが待ち伏せている」と述べている。綱は狩猟用具の一つであった。
・30-11には「綱」に関して「彼らは手綱を振り切り、私を辱め轡を捨てて勝手に振舞う」と述べている。今まで馬に乗っていた自分を馬に乗れないようにしてしまった。「手綱に触れることもさせない、轡まで馬の口から外し捨ててしまった」と嘆き悲しんでいる場面だ。
・38-31には「綱」に関して「オリオンの綱をお前は緩めることが出来るか」と述べている。星座のオリオンの星を綱で結び付けているように表現している。星座に関する概念が既に紺の頃に存在していた。
・39-10には「綱」に関して「お前は野牛に綱をつけて畝を行かせ、お前に従わせて谷間の畑を掘り起こすことが出来るか」と述べている。これも誤訳ではないか。「野牛を綱で縛り畝を曳かせることが出来るか、そして谷間の畑を鋤くことが出来るか」と言いたいのではないだろうか。野牛はできなかったが馴化された牛を耕作の役畜として利用していた。野生牛の馴化と役畜化が進んでいたことが窺がえる。
・40-26には「綱」に関して「お前はその鼻に綱をつけて顎を貫いて轡をかけることが出来るか」と述べている。これも日本語訳に無理を感じる。鼻に綱をつけて」が分かりにくい。当時は牛が生まれたら直ちに鼻穴を開けていたので「お前は牛の鼻穴に綱を通して」とすべきである。当時は既に、鼻の中に穴を開けて綱を通してさらには轡で牛を制御していた事が見えてくる。鼻穴と轡と一体化していた。鼻穴の無い轡はないだろう。
●詩篇には「綱」に関して4回発見された。それは以下である。
・32-9には「綱」に関して「分別の無い馬や騾馬のような振る舞うな。それは轡と手綱で動きを抑えなければならない」と述べている。此処では馬や騾馬とあるが、他には牛や駱駝なども馴化させ轡や手綱で制御支配していたことが聖書から読み取ることが可能だ。
・116-3には「綱」に関して「死の綱が私に絡みつき」と述べている。「死の綱」であるから、この場合の綱は仕掛けた罠の綱と考えられる。
・118-27には「綱」に関して「祭壇の角のところまで生贄を綱で引いてゆけ」と述べている。
・140-6には「綱」に関して「傲慢な者が私に罠を仕掛けて綱や網を張り巡らし、私の行く手に落し穴を掘っています」と述べている。綱や網は獣を捕獲する狩猟の道具だけではなく人間を捕獲する道具としても使われていた。
●箴言には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・5-22には「綱」に関して「主に逆らう者は自分の悪の罠にかかり、自分の罪の綱が彼を捕える」と述べている。罠に綱が用いられていた。
・23-34には「綱」に関して「海の真ん中に横たわっているかのごとく、綱の端にぶら下がっているかのごとく」とのべている。人の脱力感を描写している。
●イザヤ書には「綱」は5回発見できた。それは以下である。
・5-18には「綱」に関して「虚しきものを手綱とし、罪を車の綱とし」と述べている。虚しきものに振り回されないように手綱で制御しなければならないとのべている。誘惑に打ち勝たねばならないとも読める。
・30-28には「綱」に関して「手綱を諸国民の顎にかけられる」と述べている。諸国民を支配することを比喩的に表現している。
・33-20には「綱」に関して「移されることの無い天幕。その杭は永遠に抜かれることはない。一本の綱も切られることも無い」と述べている。この場合の綱は天幕を張るための綱である。
・33-23には「綱」に関して「船の綱は緩み」と述べている。マストや帆など船体を支える様々の綱
・54-2には「綱」に関して「あなたの住まいの幕を広げ惜しまず綱を伸ばして杭を硬く打て」と述べている。この場合は、天幕を張るための綱。
●エレミヤ書には「綱」は8回発見できた。それは以下である。
・2-32には「綱」に関して「貴方は昔手綱を振り切って『私は仕える事は出来ない』といった」と述べている。「手綱を振り切って」は支配の拒絶を比ゆ的に表現している。
・5-5には「綱」に関して「彼らも軛を折り綱を断ち切った」と述べている。神の支配から逃れることを比ゆ的に述べている。
・10-20には「綱」に関して「天幕は略奪に遭い、天幕の綱は悉く切られた」と述べている。
・27-2には「綱」に関して「主は私にこういわれる。軛の横木と綱を作ってあなたの首に嵌めよ」と述べている。神に従うことを比ゆ的に表現している。
・38-6には「綱」に関して「役人たちはエレミヤを捕らえて監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱で吊り下ろされた。」と述べている。エレミヤが捉えられた風景を描いている。綱はエレミアを吊り下げた強靭な綱だった。日本語訳は「監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱で吊り下ろされた。」とあるが、日本語訳では「水溜め」は適切ではないと思う。翻訳者は貯水槽のつもりで「水溜め」と翻訳したのだろうが、日本語での「貯水槽」を「水溜」とするには無理があるのではないか。文章の前後からは思い切って「井戸」と翻訳されるべきだ。それの方が景色が良く見える。
・38-11には「綱」に関して「倉庫の下から古着やボロ切れを取ってきて、それを綱で水溜の中に居るエレミヤに吊り降ろした」と述べている。「ボロ切れ」ではなく「ボロ布」の方が分かり易いのではないか。綱は古着やボロ布を下に下ろすために使われた。
・38-12には「綱」に関して「『古着とボロ布を脇の下に挟んで綱にあてがいなさい』エレミヤは言われたとおりにした」と述べている。綱を直接挟めば怪我の原因になる。それを避ける為の対策だった。脇と綱との間の緩衝機能を持つ古着でありボロ布である。当時の綱は強靭であったが人間の肌には合わない荒っぽいざらつきがあるものだったと推定出来る。
・38-13には「綱」に関して「彼らはエレミアを綱で水溜りから引き上げた」と述べている。「水溜り」は井戸であったと推定出来る。
●エゼキエル書には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・には「綱」に関して「彼らはお前と取引を行った。豪華な衣服、紫の衣、美しく織り上げた布、多彩な敷物、丈夫に撚った綱を取引した」と述べている。綱は他に並べ上げられる物と比較すれば、貴重な商品であったことが窺がうことが可能である。
●ホセア書には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・11-4には「綱」に関して「私は人間の綱、愛の絆で彼らを導いた」と述べている。人と人との繋がりを綱で繋げると比喩的に表現している。
●使徒行伝には「綱」は3回発見できた。それは以下である。
・27-17には「綱」に関して「小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、風に船首の帆を揚げ」と述べている。場所はクレタ島の属島クラウダである。クラウダでのパウロ一行の難破風景を描写している。母船に救命ボートを綱で縛りつけて救命ボートを失わないように船員の必至な努力の姿が見える。
・27-32には「綱」に関して「兵士たちは綱を断ち切って小舟を流せるにまかせた」と述べている。母船から小舟で逃亡する兵士を描写している。
・27-40には「綱」に関して「舵の綱を解き放ち風に船首の帆を上げて砂浜に向かって進んだ」と述べている。場所はマルタ島である。マルタ島上陸の寸前を描いている。舵の綱は船の向きを固定させる為に縛られていた。愈々上陸する為に舵の綱が解かれ舵を目的地に向かって操作しなければならなくなった。当時の航海操舵術で綱で舵を綱で固定させることをしていた。
(聖書時代に於ける綱の性質やその用途)
(1)聖書には「綱」の文字が全部で42回という高い頻度で発見された。聖書の単語では比較的頻度が高く綱が生活必需品に近い存在だったことが推定出来る。
(2)綱の用途は幕屋や天幕や庭を囲む幕を張るために使われた綱が圧倒的に多かった。幕屋と杭と綱は三点は一対のものと見做されていたようである。
(3)天幕や幕屋の綱に並んで多いのが手綱であった。人々は家畜の順化と手綱に関して深い関心を抱いていた。
(4)綱は物を吊り下げる用具としてしばしば登場する。人間を持つ利下げら利する場面が数箇所で発見された。
(5)通商において綱は貴重な存在であり、豪華な服飾や布製品と並ぶくらいの貴重性が認められた。
(6)聖書を探したが「綱引き」は何処にも発見できなかった。掲句「綱引きに鉢巻強く締めなほす」は神事や仏事の宗教行事として生まれた。それが近代以降学校教育の運動会種目に採用された歴史がある。キリスト教文化圏でも綱引きが存在していたようである。物の本によれば紀元前2509年エジプトはサッカラ古墳の壁に綱引きが描写されていた。また紀元前500年頃にはギリシャで綱引きがスポーツ競技として存在していた。また、西欧圏では西暦1000年頃にスカンディナビアとプロシャの選手権大会が実施された記録がある。
(7)聖書には綱引きの戦いやスポーツの記述は一切無い。戦いはもっぱら血で血を洗う戦争だけであり。聖書は戦記物語であることが明白だ。それはサムエル記上17-49の「小石を石投げ紐を使って飛ばし、敵のぺリシテ人の額を撃った、石は額に食い込み彼はうつ伏せに倒れた」の例を取り上げるまでも無く描写が極めてリアルで血のにおいが漂うのが聖書の大きな特徴である。聖書の「石投げ紐」は聖書の戦争描写の陰惨さを教えてくれる。
(聖書に発見される「紐」の巻別分布表)
聖書に見つけられる綱は42回という高い頻度だ発見されたが、「紐」は「綱」ほど高い頻度では発見出来なかった。6箇所しかなかった。聖書では綱が主役で紐は脇役であった。紐は旧約聖書だけに見つかった。それも5箇所の内の4箇所がサムエル記上に集中していた。
●サムエル記上には「紐」は4回発見できた。その箇所は以下である
・14-40には「滑らかな石を五つ選んで羊飼いの投石袋に入れた。そして、石投げ紐を手にしてぺリシテ人に向かっていった」とある。「石投げ紐」は武器であった。石投げ紐に石を装着して相手に向かって投げる武器だ。相手を倒すだけに威力があるので紐は綱より細いながらそれなりの強靭さを求められたのは明白だ。
・17-49には「小石を石投げ紐を使って飛ばし、敵のぺリシテ人の額を撃った、石は額に食い込み彼はうつ伏せに倒れた」とある。石は敵をうつ伏せに倒すほどの強力な弾丸だった。石投げ紐の威力を読者に見せ付けている。
・17-50には「ダビデは石投げ紐と小石でぺリシテ人に打ち勝ち、彼を撃ち殺した」とある。石投げ紐は殺傷能力のある凶器でもあり武器でもあった。
・25-29には「敵の命こそ石投げ紐で吹き飛ばされる」とある。ダビデの偉大さと強さを部下が讃えている場面である。武器は強力でなければ価値が無いことを物語っている。当時の石投げ紐は現代で言えば核兵器に当たる武器であったろう。
●には「紐」は1回発見できた。その箇所は以下である
・ヨブ記には「弓を射ても彼を追うことができない。石投げ紐の石も籾殻に変えてしまい」とある。籾殻は米の籾殻ではなく麦の籾殻である。石投げ紐で投げられても石には威力が無いことを物語っている。
●箴言には「紐」は1回発見できた。その箇所は以下である
・には「愚か者に名誉を与えるのは、それは石投げ紐に石を袋ごと番えるようなものだ」とある。愚か者に名誉を宛てえても意味が全く無い。それは武器にもならない石投げ紐であるのと同じだと比ゆ的に表現している。
(聖書の中の「紐」の使用目的とその特徴)
(1)聖書の中の単語「紐」は「石投げ紐」にしか発見出来なかった。
(2)常葉隆興編著「聖書辞典」には566頁武器の項の中で「石投げ」と「石投げ機」に関して説明している。次のように説明している「『石投げ』はヘブライ語で「ケラ」。戦争用の武器としてだけではなく、牧童が羊を誘導する為にも利用していた。主として皮製だった」。また、その説明の傍に挿絵でも表現されていて、挿絵の場合は皮製と紐製の両者が描かれている。皮や紐を用いることで石の先進の勢いを付けて弾丸のようにして石を飛ばす。また、石投げ機も挿絵で描かれている。機は大きな台に固定され、踏み台に足で反動をつけながら踏みつけることで石を前方に飛ばす仕掛けになっている。当時の強力な武器であった。
(3)ミサイルは「石投げ」が語源である。昔も今も最新鋭の飛び道具だ。但し日本の武道では「飛び道具とは卑怯なり」として武士から蔑まれる対象となる。戦争には手段を選ぶのかそれとも選ばないのか。日本文化とキリスト教文化との落差があるのだろうか。戦争に関して、手段を選ばないことの良し悪しは議論はありそうだが、核兵器だけは議論の余地の無い世界になってもらいたい。人類が自らの手で自らの首を絞めるような行為であり言語道断である。人類は遺伝子にまで子々孫々に渡り傷つける核兵器の意味を考えるべきであろう。
(4)綱より紐は細いもので綱より脆弱なイメージがあるが強靭な武器に「石投げ紐」として利用していたことが判明した。
(5)服飾に紐を多用していたと考えられるが、理由は判明しないが聖書には服飾の紐としては一度も登場していなかった。服飾の腰紐などは余りにも当然であり聖書記者は書く必要性も感じなかったのであろう。
綱引きは世界各国にも日本にも良く見られる。日本の場合、豊凶を占う神道の行事から始まったと言われている。新道の場合正月十五日の小正月に実施される場合が多く季語は新春となる。仏教でも盆綱引きとして盆行事として綱引きが開催される地方がある。それは盆綱引きと呼ばれるものであり、この場合は秋の季語となる。明治時代以降学校教育の運動会種目で綱引きが盛んに採用された。それは昔から全国各地に見られた神事としての綱引きや盆行事として綱引きを取り込んだのであろう。そして今は秋季運動会の一種目になっている為に綱引きも秋の季語として認識する結社もある。但し、玉入れと同様結社によって綱引きを季語と認めていない場合もある。
結社により季語として認めるかどうか、その違いがあるのは日本列島の自然環境の複雑さと地域の違いの落差の大きさもあるだろう。北海道と沖縄に大きな自然の違いが有るだけではない。日本列島では山を一つ越えると、峠を境にして言葉も風習も異なる例にわれわれは良く出会う。中国や欧米では見られない日本独特の現象である。その様な日本の自然環境の多様性と俳句結社を構成する人々の自然認識や時代認識の違いが、季語と認めるか認めないかの違いの原因となるのだろう。掲句「綱引きに鉢巻強く締めなほす」は季語として認められた。
聖書にも「綱」の単語が目に付く。聖書時代に既に綱は多くの場面で使われていた。また、「綱」と言えばその太さで差異がある「紐」も聖書には「綱」ほどは多くは無いが目に付く単語である。聖書にはそれぞれがどのような場面に出て来て、それぞれが、どの様に利用されてきたのであろうか。聖書の中の綱と紐との違いは興味ある問題だ。日本語では綱と紐という言葉が、その太さの大小で区分される。尚、縄は主として稲藁で綯われていて少し綱や紐とは概念が異なるのではないだろうか。縄は綯うのであり綱や紐は撚るのである。製法手段やその性質に大きな違いがあるので縄は別扱いとなるだろう。
したがって、日本語では大小区分で、綱と紐の二段階に区分される。一方、英語では日本語よりその大小の区分が詳細である。英語では綱はRope、紐はCordであるが、その他にStringやStrapがある。英語ではその径の大きい順に並べれば、Rope、Strap、Cord、stringであろうか。そして、綱と紐との比較ならば糸を意味するThreadは比較の考察対象には入らない。日本文化よりも、英語文化圏の方が綱から紐への区分が細かい。日本語訳聖書ではこの区分はどうであろうか、私の観察した範囲では綱と紐との中間的な単語は見つけることが出来なかった。聖書の中の「綱」と「紐」のそれぞれの用途を一つ一つ取り上げながら聖書時代当時の人々の綱と紐の区分は用途に対する意識を考えてみたい。
(聖書の中の「綱」の巻別分布表)
●出エジプト記には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・33-18には「綱」に関して「幕屋の杭、及びその綱」と述べている。幕屋を張る為に使われた綱
・39-40には「綱」に関して「庭の周りの幕とその入り口の幕、綱と杭」と述べている。酷い日本語訳だ景色が全く見えない。訂正したい翻訳だが、此処では割愛する。これも幕屋を張る為の綱
●民数記には「綱」は4回発見できた。それは以下である。
・3-26には「綱」に関して「幕屋と祭壇を囲む庭の周りの幕とその入り口の幕、綱」と述べている。庭を包囲する幕を張る為の綱
・3-27には「綱」に関して「庭の周囲の柱と台座、杭、綱」と述べている。柱を四方から綱で張って柱が倒れなくしていた。柱(ポール)を垂直に保つ為の綱。
・4-26には「綱」に関して「幕屋と祭壇を囲む庭の周りの幕とその入り口の幕、綱」と述べている。幕張りの支柱を支える綱。
・4-32には「綱」に関して「庭の周りの幕とその入り口の幕、綱と杭」と述べている。訂正したい翻訳だが、此処では割愛する。これも幕屋を張る為の綱。
●ヨシュア記には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・2-15には「綱」に関して「ラハブは二人を窓から綱で吊り下ろした」と述べている。ラハブが二人の逃亡を助けている場面。人を吊り下げることが可能な強靭なロープであった。幕屋を張るためのロープが家にあったと推定出来る。
●列王記上には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・22-34には「綱」に関して「王は御者に言った『手綱を返して敵陣から脱出させて呉れ』」と述べている。この時代に、馬を制御する為の手綱の存在が認められる。
●列王記下には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・4-24には「綱」に関して「従者に『手綱を引いて進んでゆきなさい』と命じた」と述べている。馬の制御目的の手綱だ。
・9-23には「綱」に関して「ヨラムは手綱を引いて逃げ出した」と述べている。馬の制御目的の手綱だ。
●歴代誌下には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・18-33には「綱」に関して「王は御者に命じた『手綱を返して敵陣から脱出させてくれ』」と述べている。「手綱を返して」は今流で言えば「ユーターン」であろうか。
●ヨブ記には「綱」は7回発見できた。それは以下である。
・4-21には「綱」に関して「天幕の綱は引き抜かれて為すすべも無く死んでゆく」と述べている。天幕の支柱を支える綱の重要性が読み取れる。
・8-14には「綱」に関して「頼みの綱は断ち切られる。よりどころは蜘蛛の巣のようなもの」と述べている。この日本語訳は誤訳の疑いがある「蜘蛛の巣」ではなく。「綱」に対比するのであるから「蜘蛛の糸」でなければ場面が見えてこない。芥川龍之介の作品「蜘蛛の糸」を髣髴とさせる。
・18-10には「綱」に関して「綱が地に隠され張り巡らされ、行く道に仕掛けが待ち伏せている」と述べている。綱は狩猟用具の一つであった。
・30-11には「綱」に関して「彼らは手綱を振り切り、私を辱め轡を捨てて勝手に振舞う」と述べている。今まで馬に乗っていた自分を馬に乗れないようにしてしまった。「手綱に触れることもさせない、轡まで馬の口から外し捨ててしまった」と嘆き悲しんでいる場面だ。
・38-31には「綱」に関して「オリオンの綱をお前は緩めることが出来るか」と述べている。星座のオリオンの星を綱で結び付けているように表現している。星座に関する概念が既に紺の頃に存在していた。
・39-10には「綱」に関して「お前は野牛に綱をつけて畝を行かせ、お前に従わせて谷間の畑を掘り起こすことが出来るか」と述べている。これも誤訳ではないか。「野牛を綱で縛り畝を曳かせることが出来るか、そして谷間の畑を鋤くことが出来るか」と言いたいのではないだろうか。野牛はできなかったが馴化された牛を耕作の役畜として利用していた。野生牛の馴化と役畜化が進んでいたことが窺がえる。
・40-26には「綱」に関して「お前はその鼻に綱をつけて顎を貫いて轡をかけることが出来るか」と述べている。これも日本語訳に無理を感じる。鼻に綱をつけて」が分かりにくい。当時は牛が生まれたら直ちに鼻穴を開けていたので「お前は牛の鼻穴に綱を通して」とすべきである。当時は既に、鼻の中に穴を開けて綱を通してさらには轡で牛を制御していた事が見えてくる。鼻穴と轡と一体化していた。鼻穴の無い轡はないだろう。
●詩篇には「綱」に関して4回発見された。それは以下である。
・32-9には「綱」に関して「分別の無い馬や騾馬のような振る舞うな。それは轡と手綱で動きを抑えなければならない」と述べている。此処では馬や騾馬とあるが、他には牛や駱駝なども馴化させ轡や手綱で制御支配していたことが聖書から読み取ることが可能だ。
・116-3には「綱」に関して「死の綱が私に絡みつき」と述べている。「死の綱」であるから、この場合の綱は仕掛けた罠の綱と考えられる。
・118-27には「綱」に関して「祭壇の角のところまで生贄を綱で引いてゆけ」と述べている。
・140-6には「綱」に関して「傲慢な者が私に罠を仕掛けて綱や網を張り巡らし、私の行く手に落し穴を掘っています」と述べている。綱や網は獣を捕獲する狩猟の道具だけではなく人間を捕獲する道具としても使われていた。
●箴言には「綱」は2回発見できた。それは以下である。
・5-22には「綱」に関して「主に逆らう者は自分の悪の罠にかかり、自分の罪の綱が彼を捕える」と述べている。罠に綱が用いられていた。
・23-34には「綱」に関して「海の真ん中に横たわっているかのごとく、綱の端にぶら下がっているかのごとく」とのべている。人の脱力感を描写している。
●イザヤ書には「綱」は5回発見できた。それは以下である。
・5-18には「綱」に関して「虚しきものを手綱とし、罪を車の綱とし」と述べている。虚しきものに振り回されないように手綱で制御しなければならないとのべている。誘惑に打ち勝たねばならないとも読める。
・30-28には「綱」に関して「手綱を諸国民の顎にかけられる」と述べている。諸国民を支配することを比喩的に表現している。
・33-20には「綱」に関して「移されることの無い天幕。その杭は永遠に抜かれることはない。一本の綱も切られることも無い」と述べている。この場合の綱は天幕を張るための綱である。
・33-23には「綱」に関して「船の綱は緩み」と述べている。マストや帆など船体を支える様々の綱
・54-2には「綱」に関して「あなたの住まいの幕を広げ惜しまず綱を伸ばして杭を硬く打て」と述べている。この場合は、天幕を張るための綱。
●エレミヤ書には「綱」は8回発見できた。それは以下である。
・2-32には「綱」に関して「貴方は昔手綱を振り切って『私は仕える事は出来ない』といった」と述べている。「手綱を振り切って」は支配の拒絶を比ゆ的に表現している。
・5-5には「綱」に関して「彼らも軛を折り綱を断ち切った」と述べている。神の支配から逃れることを比ゆ的に述べている。
・10-20には「綱」に関して「天幕は略奪に遭い、天幕の綱は悉く切られた」と述べている。
・27-2には「綱」に関して「主は私にこういわれる。軛の横木と綱を作ってあなたの首に嵌めよ」と述べている。神に従うことを比ゆ的に表現している。
・38-6には「綱」に関して「役人たちはエレミヤを捕らえて監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱で吊り下ろされた。」と述べている。エレミヤが捉えられた風景を描いている。綱はエレミアを吊り下げた強靭な綱だった。日本語訳は「監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱で吊り下ろされた。」とあるが、日本語訳では「水溜め」は適切ではないと思う。翻訳者は貯水槽のつもりで「水溜め」と翻訳したのだろうが、日本語での「貯水槽」を「水溜」とするには無理があるのではないか。文章の前後からは思い切って「井戸」と翻訳されるべきだ。それの方が景色が良く見える。
・38-11には「綱」に関して「倉庫の下から古着やボロ切れを取ってきて、それを綱で水溜の中に居るエレミヤに吊り降ろした」と述べている。「ボロ切れ」ではなく「ボロ布」の方が分かり易いのではないか。綱は古着やボロ布を下に下ろすために使われた。
・38-12には「綱」に関して「『古着とボロ布を脇の下に挟んで綱にあてがいなさい』エレミヤは言われたとおりにした」と述べている。綱を直接挟めば怪我の原因になる。それを避ける為の対策だった。脇と綱との間の緩衝機能を持つ古着でありボロ布である。当時の綱は強靭であったが人間の肌には合わない荒っぽいざらつきがあるものだったと推定出来る。
・38-13には「綱」に関して「彼らはエレミアを綱で水溜りから引き上げた」と述べている。「水溜り」は井戸であったと推定出来る。
●エゼキエル書には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・には「綱」に関して「彼らはお前と取引を行った。豪華な衣服、紫の衣、美しく織り上げた布、多彩な敷物、丈夫に撚った綱を取引した」と述べている。綱は他に並べ上げられる物と比較すれば、貴重な商品であったことが窺がうことが可能である。
●ホセア書には「綱」は1回発見できた。それは以下である。
・11-4には「綱」に関して「私は人間の綱、愛の絆で彼らを導いた」と述べている。人と人との繋がりを綱で繋げると比喩的に表現している。
●使徒行伝には「綱」は3回発見できた。それは以下である。
・27-17には「綱」に関して「小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、風に船首の帆を揚げ」と述べている。場所はクレタ島の属島クラウダである。クラウダでのパウロ一行の難破風景を描写している。母船に救命ボートを綱で縛りつけて救命ボートを失わないように船員の必至な努力の姿が見える。
・27-32には「綱」に関して「兵士たちは綱を断ち切って小舟を流せるにまかせた」と述べている。母船から小舟で逃亡する兵士を描写している。
・27-40には「綱」に関して「舵の綱を解き放ち風に船首の帆を上げて砂浜に向かって進んだ」と述べている。場所はマルタ島である。マルタ島上陸の寸前を描いている。舵の綱は船の向きを固定させる為に縛られていた。愈々上陸する為に舵の綱が解かれ舵を目的地に向かって操作しなければならなくなった。当時の航海操舵術で綱で舵を綱で固定させることをしていた。
(聖書時代に於ける綱の性質やその用途)
(1)聖書には「綱」の文字が全部で42回という高い頻度で発見された。聖書の単語では比較的頻度が高く綱が生活必需品に近い存在だったことが推定出来る。
(2)綱の用途は幕屋や天幕や庭を囲む幕を張るために使われた綱が圧倒的に多かった。幕屋と杭と綱は三点は一対のものと見做されていたようである。
(3)天幕や幕屋の綱に並んで多いのが手綱であった。人々は家畜の順化と手綱に関して深い関心を抱いていた。
(4)綱は物を吊り下げる用具としてしばしば登場する。人間を持つ利下げら利する場面が数箇所で発見された。
(5)通商において綱は貴重な存在であり、豪華な服飾や布製品と並ぶくらいの貴重性が認められた。
(6)聖書を探したが「綱引き」は何処にも発見できなかった。掲句「綱引きに鉢巻強く締めなほす」は神事や仏事の宗教行事として生まれた。それが近代以降学校教育の運動会種目に採用された歴史がある。キリスト教文化圏でも綱引きが存在していたようである。物の本によれば紀元前2509年エジプトはサッカラ古墳の壁に綱引きが描写されていた。また紀元前500年頃にはギリシャで綱引きがスポーツ競技として存在していた。また、西欧圏では西暦1000年頃にスカンディナビアとプロシャの選手権大会が実施された記録がある。
(7)聖書には綱引きの戦いやスポーツの記述は一切無い。戦いはもっぱら血で血を洗う戦争だけであり。聖書は戦記物語であることが明白だ。それはサムエル記上17-49の「小石を石投げ紐を使って飛ばし、敵のぺリシテ人の額を撃った、石は額に食い込み彼はうつ伏せに倒れた」の例を取り上げるまでも無く描写が極めてリアルで血のにおいが漂うのが聖書の大きな特徴である。聖書の「石投げ紐」は聖書の戦争描写の陰惨さを教えてくれる。
(聖書に発見される「紐」の巻別分布表)
聖書に見つけられる綱は42回という高い頻度だ発見されたが、「紐」は「綱」ほど高い頻度では発見出来なかった。6箇所しかなかった。聖書では綱が主役で紐は脇役であった。紐は旧約聖書だけに見つかった。それも5箇所の内の4箇所がサムエル記上に集中していた。
●サムエル記上には「紐」は4回発見できた。その箇所は以下である
・14-40には「滑らかな石を五つ選んで羊飼いの投石袋に入れた。そして、石投げ紐を手にしてぺリシテ人に向かっていった」とある。「石投げ紐」は武器であった。石投げ紐に石を装着して相手に向かって投げる武器だ。相手を倒すだけに威力があるので紐は綱より細いながらそれなりの強靭さを求められたのは明白だ。
・17-49には「小石を石投げ紐を使って飛ばし、敵のぺリシテ人の額を撃った、石は額に食い込み彼はうつ伏せに倒れた」とある。石は敵をうつ伏せに倒すほどの強力な弾丸だった。石投げ紐の威力を読者に見せ付けている。
・17-50には「ダビデは石投げ紐と小石でぺリシテ人に打ち勝ち、彼を撃ち殺した」とある。石投げ紐は殺傷能力のある凶器でもあり武器でもあった。
・25-29には「敵の命こそ石投げ紐で吹き飛ばされる」とある。ダビデの偉大さと強さを部下が讃えている場面である。武器は強力でなければ価値が無いことを物語っている。当時の石投げ紐は現代で言えば核兵器に当たる武器であったろう。
●には「紐」は1回発見できた。その箇所は以下である
・ヨブ記には「弓を射ても彼を追うことができない。石投げ紐の石も籾殻に変えてしまい」とある。籾殻は米の籾殻ではなく麦の籾殻である。石投げ紐で投げられても石には威力が無いことを物語っている。
●箴言には「紐」は1回発見できた。その箇所は以下である
・には「愚か者に名誉を与えるのは、それは石投げ紐に石を袋ごと番えるようなものだ」とある。愚か者に名誉を宛てえても意味が全く無い。それは武器にもならない石投げ紐であるのと同じだと比ゆ的に表現している。
(聖書の中の「紐」の使用目的とその特徴)
(1)聖書の中の単語「紐」は「石投げ紐」にしか発見出来なかった。
(2)常葉隆興編著「聖書辞典」には566頁武器の項の中で「石投げ」と「石投げ機」に関して説明している。次のように説明している「『石投げ』はヘブライ語で「ケラ」。戦争用の武器としてだけではなく、牧童が羊を誘導する為にも利用していた。主として皮製だった」。また、その説明の傍に挿絵でも表現されていて、挿絵の場合は皮製と紐製の両者が描かれている。皮や紐を用いることで石の先進の勢いを付けて弾丸のようにして石を飛ばす。また、石投げ機も挿絵で描かれている。機は大きな台に固定され、踏み台に足で反動をつけながら踏みつけることで石を前方に飛ばす仕掛けになっている。当時の強力な武器であった。
(3)ミサイルは「石投げ」が語源である。昔も今も最新鋭の飛び道具だ。但し日本の武道では「飛び道具とは卑怯なり」として武士から蔑まれる対象となる。戦争には手段を選ぶのかそれとも選ばないのか。日本文化とキリスト教文化との落差があるのだろうか。戦争に関して、手段を選ばないことの良し悪しは議論はありそうだが、核兵器だけは議論の余地の無い世界になってもらいたい。人類が自らの手で自らの首を絞めるような行為であり言語道断である。人類は遺伝子にまで子々孫々に渡り傷つける核兵器の意味を考えるべきであろう。
(4)綱より紐は細いもので綱より脆弱なイメージがあるが強靭な武器に「石投げ紐」として利用していたことが判明した。
(5)服飾に紐を多用していたと考えられるが、理由は判明しないが聖書には服飾の紐としては一度も登場していなかった。服飾の腰紐などは余りにも当然であり聖書記者は書く必要性も感じなかったのであろう。