聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その1042―綿

2015-07-31 21:43:20 | Weblog
           浜木綿が灯台よりも白く咲く    紅日1990年11月号

 浜木綿はハマユウと読む。愛媛県宇和島市日振島での作品。昭和50年代だったと思う。NHK大河ドラマで藤原純友を描いた「風と雲と虹と」があった。あのころは私は松山から幾つもの山を超えて宇和海に魚を釣りにしばしば出かけた。釣りだけではなく職場で友人を多く作って生徒指導の助言も期待していた。生徒の指導は個人の力ではなく共同の力に負うことが大きい。その為には普段からの職場仲間の意思疎通も大切だと思っていた。釣行は仕事をも意識したが大切な息抜きでもあった。

 松山宇和島間は道も悪く3時間かかった時代だ。テレビドラマにも影響され、反逆児としての藤原純友に興味を抱いた。宇和海でメバルやカサゴを釣りながら作品では「純友の島が霞みし宇和の海」が出来たこともあった。その内に純友が砦を築いた宇和海に浮かぶ日振島に行きたくなった。地歴部の生徒達に島へ一緒に渡ってみようと誘うと生徒達は藤原純友研究に夢中になった。彼らは学校近辺の純友関連史跡を歩いたり、図書館通いをして一生懸命調査に当たった。

 勉強をしろと強制しなくとも彼らは興味を抱くと無我夢中で研究活動に打ち込むものである。その猛烈な学習ぶりには私がたじたじとなったことがしばしばだった。彼らの中には卒業後も歴史学や考古学の道に進んだものが多かった。地歴部の生徒たちは学校の図書館だけでは満足しなかった。県立図書館通いをもしはじめた。ある日のことである。私に県立図書館から電話があった。「生徒さんから図書を借りたいとの申し出がある。これは貴重な図書なので先生がこちらに直接来ていただきたい。生徒さんだけではお貸しすることが出来ません」などというお叱りを県立図書館から頂いたこともあった。電話越しに平謝りに謝ったことがあった。

 松山は昔から生徒や学生を軽視する文化がある。松山の人々は穏やかな気質であるが、児童生徒は餓鬼であると決め付けている地方文化がある。子供を最初から見下す社会風潮がある。夏目漱石の小説「坊ちゃん」に意地の悪い生徒が沢山出て来るが、あの生徒の意地の悪さは大人の意識を反映したものであるから仕方が無い。そのような風潮は松山に赴任した直後から分ったので、そのように大人の松山人に私は対応した。図書館でも何処でもそのように対応した。生徒観の違いで松山人と衝突しても仕方が無いのである。

 最近の生徒諸君は知らないが、昔の生徒達は本当に熱心だった。その気になれば燃え上がって取組む生徒が多かった。最後には一冊の研究ノートを仕上げたのには驚いた。私は教壇で歴史を教えたことは一度も無い。歴史教育には無縁の地理教師として三分の一世紀以上過ごした。歴史教育とは無縁であったが歴史学習は生徒にその気にさせることが肝心だとつくづく思った。歴史は時間軸、地理は空間軸であるが、この点では同じであると思った。学ぶとはその気になること。教師は燃えるべく薪を立てるのが仕事であり教師の「させる」の連発で燃えるはずの薪を寝かせてはならないと思った。

 人名や年代を覚えることを強制する歴史の教員を良く見かけたが、覚えることを強制すれば歴史嫌いが増えるばかりだ。学習指導要領は使役動詞「させる」の連続である。生徒を牛や馬扱いだ。また、「など」の連続である。不明箇所が多すぎてうんざりである。学習指導要領や指導書や教科書と言えども人間が書いた文書だ。基礎的な大きなミスも沢山ある。文部省の学習指導要領や指導書は参考にすれば良いが、それに一字一句忠実に従い、生徒に「させてばかり」では授業の展開は大失敗確実である。科学的な認識を生徒と共に確かめあいつつ、学習活動を生徒諸君の夢や希望に結びつける一工夫が必要なのだと思ったものであった。

 さて、掲句「浜木綿が灯台よりも白く咲く」は宇和島市沖に浮かぶ日振島の属島である沖ノ島での作品。生徒達と日振島の明海(あこ)に宿泊した。藤原純友の砦も藤原純友の井戸もある集落に宿所を取った。折角、日振島まで来たのである浜木綿自生地の小島も見学したかった。明海(あこ)の目の前の無人島だ。早朝民宿の漁船に乗せてもらい渡った。浜木綿が咲き乱れる小島、沖ノ島に灯台があったわけではない。明海(あこ)漁港の灯台である。灯台の白さと浜木綿との白さが、黒潮の流れ込むコバルトブルーの宇和海によく似合っていた。真夏の強烈な日差しを灯台の白さと浜木綿の白さが和らげた。恐らく生徒諸君は一生の思い出として残っていることだろう。

 聖書には浜木綿は発見できない。しかし、漢字で「綿」が発見できる。星川清親著「栽培植物の起源と伝播」184頁によれば、綿の原産地を数箇所挙げている。第一はインダス川モヘンジョダロ遺跡で綿布の破片が発見された。紀元前26世紀と推定されている。第二はアラビアである。ギリシャへは紀元前4世紀のアレキサンダー大王の遠征で拡がった。としている。
 星川清親著「栽培植物の起源と伝播」によれば時代的には聖書に綿は発見されてもおかしくない。早速調べてみたが、綿が出て来る頻度はきわめて低かった。聖書には漢字「綿」は四回しか発見できなかった。ついでに聖書の他の天然繊維についてそれぞれの回数を調べてみた。
           (聖書に出て来る繊維で、頻度が高い順)
麻と亜麻は―92回
羊毛は  ―08回
毛糸は  ―05回
山羊の毛 ―09回
毛織物は ―02回
絹は   ー06回
綿は   ―04回
 麻や亜麻が圧倒的に多く、綿に回数が極めて低い。考えられるのは技術レベルである。聖書時代は綿を紡いだり織ったりする技術が余り発達していなかったことが推定出来る。聖書時代の人々はには綿はどのような存在であったか聖書で調べてみた。「聖堂の詩―その644」と重複するかもしれませんがご了承ください。

                          (聖書に発見できる漢字「綿」の分布)

●エステル記には綿は一回発見できた。それは以下である。
・1-6には綿を次のように描いている。「そこには純白の亜麻布、見事な綿織物、紫の幔幕が一連の銀の輪によってかけられた」とある。
●マタイ伝には綿は一回発見できた。それは以下である。
・27-48には綿を次のように描いている。「その内の一人が直ぐに走り寄り、海綿を取り上げ酸い葡萄酒を含ませて葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした」とある。
●マルコ伝には綿は一回発見できた。それは以下である。
・15-36には綿を次のように描いている。「その内の一人が直ぐに走り寄り、海綿を取り上げ酸い葡萄酒を含ませて葦の棒に付けてイエスに飲ませようとした」とある。
●ヨハネ伝には綿は一回発見できた。それは以下である。
・19-29には綿を次のように描いている。「ある者が走り寄り、海面に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付けて」とある。


                          (聖書に出て来る漢字「綿」で判明した事項)
<1>綿は低頻度語
 聖書全体で漢字「綿」は四箇所にしか発見できない。綿は聖書では極めて頻度が低い。低頻度語である。

<3>四回中三回は海綿の綿
 聖書の漢字「綿」は全てが天然繊維の綿ではなかった。四回中三回が海綿であった。ギリシャのエーゲ海は海綿の産地で世界的に知名度が高いが、聖書時代から日常生活に海綿を活用していたと推定される。

<4>イエスの口元へ近づけた海綿
 イエスを磔にしている。その十字架の下に下人たちが屯している。彼らは、海綿にたっぷりのぶどう酒を含ませてイエスの口元に含ませようとした。その目的はぶどう酒を摂取させることによる鎮痛作用を期待したものと推定される。

<5>聖書唯一の天然綿が出て来る場面
 聖書に出て来る天然綿は一回だけであった。上に掲げた如く、エステル記1-6のみである。それはエステルがペルシャ王に嫁ぐ場面であり婚礼式の場面である。豪華絢爛たる婚礼式場であり、その中での綿布である。綿布は高価な希少価値があったことがこの場面から窺い知ることができる。

<6>綿工業の未発達
 聖書時代はまだまだ綿の栽培そのものも、綿を紡いだり綿を織ったりする技術が未発達であった。衣料用繊維の中心は麻や亜麻が大半であった。亜麻や麻が聖書にて手来る回数は92回であるのに綿は1回しか出てこないことからもそのことが判断出来る。

<7>ハマユウ
 浜木綿はハマユウと読むが、聖書には浜木綿が発見できなかった。浜木綿は熱帯地方がその原産地であり古代中東地方でも分布していたと推定されるが、聖書では発見できない。
 したがって「浜木綿が灯台よりも白く咲く」のような景色が聖書時代に中東地方では見られなかったであろう。「浜木綿が灯台よりも白く咲く」は愛媛県宇和島市日振島での作品。藤原純友を思い浮かべながらの作品であった。船舶の位置はGPSで確かめられて灯台が減少する中で、日本国内でもこのような景観を発見するのが困難ではなかろうか。海岸から灯台が消滅する日本、それは海洋国日本らしさの消滅でもあろう。寂しい限りである。日本は大きな大きな曲がり角に来ているのではなかろうか。

聖堂の詩その1041 ―ふるさと

2015-07-24 23:14:14 | Weblog
       
                  海青きわが故郷の鱗雲       紅日2012年11月号

 真っ青な空に真白な鱗雲。祇園祭も終わって鱗雲が綺麗な季節になった。朝は空気が清浄なので殊に美しい。昔は人々は夜は寝ていた。今はコンビニが24時間経営となり人々の生活に夜と昼とのけじめが無くなった。人々は夜も働くようになって夜の間に空気が清浄化することが余り無くなった。深夜でも自動車の音が絶え間ない。比叡山の山中でも深夜にクラクションが聞こえることもある。それでも夕方に比べれば朝の空気は美しい。

 作品は富山県雨晴海岸にて。富山湾の氷見から伏木にかけて、北から島尾海水浴場、雨晴海水浴場、国府海水浴場が並んでいる。島尾海岸は渚から直ぐに深かく沿岸流が激しかった。雨晴海岸は砂浜は現在より広く遠浅だった。国府海岸は浅すぎてしかも流れも無い海岸だった。国府海岸は小矢部川の河口が近いから汚れも目立った。沖に浮かぶ雌島まで近かった。国府海岸でボートを借りて雌島経由で雨晴まで漕いだ事もあった。三つの海水浴場では雨晴海岸が一番泳ぎ易かった記憶がある。

 北陸線高岡駅から小さな支線氷見線が出ている。終戦直後娯楽が乏しく、海水浴客が多かった。高岡駅から出る氷見線の列車は客車だけではなく蒸気機関車に海水浴客は鈴生りだった。終戦直後で多くの乗客は無賃乗車で雨晴駅手前で列車がスピードを落とすと蒸気機関車や客車のデッキから客は次々飛び降りていた。そして遮断機を堂々と歩いて往来に出ていた。誰も咎めるものも無く呑気な時代であった。

 そんな雨晴で生まれた作品だ。富山湾の向こうには立山連峰が屏風のように聳えて、真夏でも峰々には雪を頂いている。そんな立山連峰の万年雪より鱗雲の白は深い。鱗雲は亡くなった親戚の人々の顔に見える。祖父、祖母、叔父、叔母、そして従兄弟などの顔が走馬灯の如く次々と現れては消える。ふるさとは不思議な存在である。今の人々には分らない不思議さがある。

 今の日本社会では親戚付き合いも希薄化し、祖父祖母だけではなく叔父叔母との交流が消滅した。少子化で父や母にも兄弟が無いからそういうことになる。従兄弟と言う言葉が日本社会から消滅してしまってから長い時間が経過したように思う。もう少しすれば兄弟姉妹と言う言葉も消滅するかもしれない。子供が駅前の託児所に預けられ、小学校に入ると学習塾に預けられる社会であるので、家庭教育という言葉も無くなり、父や母という言葉も消滅するかもしれない。

 首都圏の一世帯あたりの平均家族人数は二人以下である。ほとんどが単身所帯である。これは家族消滅現象と言っても過言ではない。この家族消滅現象は世界で最も進んでいるのは、日本社会と韓国社会である。日本と韓国が世界で最も家族の消滅している国である。そんな実態があるにも拘らず日本の学校教育で道徳に力を注ぐ所以はどこにあるのだろうか。道徳の基本は社会の最小単位である家族にあると思うが、その家族が消滅していれば道徳は絵に描いた餅でしかない。

 朝鮮と日本との共通性は儒教。慶長の役で藤堂高虎により虜囚となった朝鮮の儒学者姜が愛媛県大洲城に幽閉された。その姜の朱子学が徳川幕府の目に留まり、幕府は彼を京都御所の北隣、同志社大学(同志社大学は相国寺の借地である)がある相国寺に招かれた。幕府は姜の朱子学を幕藩体制の指導理念にすべく、林羅山や藤原惺窩に朱子学を学ばせた。

 日本の軍部の指導理念である忠孝思想は徳川幕府の幕藩封建体制指導理念でもあり、更にその起源をたどれば朝鮮の朱子学にまで溯ることが可能であるといわれている。日本の封建体制は朝鮮の朱子学にその源流がある。日本の精神文化と朝鮮の精神文化のその土台の共通性は儒教の朱子学である。

 家族を大切にする朱子学。忠孝思想を大切にする朱子学。朱子学の朝鮮と日本が世界で最も家庭消滅が進んでいるというのは実に不思議な現象である。朝鮮半島は朝鮮戦争時にキリスト教の布教活動が盛んで、一挙に朝鮮の宗教人口は二十パーセントがキリスト教が占めるようにうなった。また、サムスン電気が韓国経済を支配してからというものは少子化社会と家庭消滅現象が劇的に進んだと言われている。

 日本も朝鮮と同じ道を辿ろうとしている。巨大な外国資本が株式市場を席巻しつつ、派遣労働者が激増し少子化が急速に進んだ。日本社会はTPP加盟により朝鮮と全く同じ道を辿るものと推定される。それは儒教社会が西欧の市場原理主義社会に敗北したことを意味するのであろう。儒教は西欧の市場原理主義社会に対して極めて脆弱な側面を持っている。脆弱であるからこそ朝鮮と日本が同時に少子化社会と家族消滅社会へと突入している。

 現代日本は少子化が進み家の崩壊が進みふるさとも消滅しつつある激変期の中にある。そんな激変期の日本にあった、聖書ではふるさとをどのように扱っているであろうか。日本人にはふるさとへの意識が次第に希薄化しているのは確実である。確実に希薄化してはいるものの、今も心の底のどこかで「ふるさと」が微かに生きている。さて、聖書に於ける「ふるさと」はあるのだろうか。あったとすれば聖書時代の人々のふるさとへの意識はどうだったのであろうか、我々東アジアの諸民族との違いが何処にあるのか、それは興味深いものがある。

 聖書に出て来るふるさとは漢字で「故郷」と表記している。全部で24箇所に故郷が発見された。その内、創世記が九回であり、創世記への集中が目立った。半分近くの故郷が創世記で発見されるのである。また、単語が聖書に出て来る回数で一桁であるなら低頻度で、二桁であるなら中頻度で、三桁であるなら高頻度であるとすれば故郷は中頻度語である。故郷は聖書でそれほど目に付く単語ではない。目立たない単語であり、それは聖書時代の人々の故郷への意識が希薄であったと言えるかもしれない。


●創世記には故郷が9回発見された。その位置は下記である。
・11-28には「ハランは父のテラより先に、故郷カルディアのウルで死んだ」とある。ハランはテラの子である。そして、アブラハムとは兄弟である。ハランはテラとアブラハムがウルを去る前に死亡した。カルディアのウルはカルディア人の町ウルのことである。古代メソポタミアにあった都市である。そのカルディア人の町ウルをハランの故郷としている。

・12-1には「主はアブラハムに仰った。「貴方は生まれ故郷、父の家を離れて私が示す土地に行きなさい」とある。
アブラハムは古代メソポタミアのウルの町で裕福な生活していた。ウルはユーフラテス川下流の左岸に位置する。オアシス集落で豊かな集落であった。そのアブラハムに主は其処を出て、ヨルダン川西岸のカナンに行くよう指示される。

・24-4には「私の一族のいる故郷(ウル)へ行って、嫁を息子イサクの為に連れてくるように」とある。
 この場合の私はアブラハムである。アブラハムは下僕に向かって自分の息子の嫁探しをするように命じている場面。下僕はアブラハムの故郷ナホル(ウル)へ向かって嫁探しを始める。この嫁探しの風景が祇園祭の函谷鉾で飾られる織物である。四条烏丸北西角の鉾で「かんこぼこ」と呼んでいる。本祭にはベルギー製の「イサクの嫁探し」を吊って飾る。アブラハムの下僕がアブラハムの息子イサクの嫁を探すのであるが、このような風景を描いた織物が何故祇園の町衆に贈呈されたのか。謎である。
 ひとつ考えられることは当時の京都の貧困である。また、日本に宣教師を派遣していた東インド会社は日本人奴隷売買で巨万の利益を得ることであったので人身売買の商売道具としての寄贈である。今流に言えば宣伝ポスターである。祇園祭は疫病撃退祈願から始まったのであるが、京都の貧困社会では若い女性には豊かさが夢であった。権力者が自分を嫁に貰ってくれるかもしれない。それは彼女達にはそれが異国であろうと夢のような話である。その夢を与えつつアフリカやヨーロッパへの渡航を誘った。
 しかし、実際は人身売買の商売人が介入し奴隷として売り飛ばされたことが考えられないことは無い。当時の文書にも残るが、日本人奴隷は高価で売買され、日本人奴隷は数十万人に達したと言われている。豊臣秀吉が切支丹禁教令を下したのも鎖国政策を布いたのも宣教師の奴隷売買が目に余ったからでもあった。彼の怒りが鎖国の一原因であった。また、現在北アフリカや南ヨーロッパには日本人の名前が残留し、それは日本人奴隷の末裔であることを示す痕跡であると言われている。
 因みに創世記第九章で奴隷制度を肯定する下りがある。黒人差別の奴隷制度の肯定の起源が聖書にあるとは意外である。アメリカの保守系政党は黒人差別は差別ではなく区別であり問題が無いと主張するキリスト教系団体が多いと言われる。それは創世記第九章とのかかわりではなかろうか。

・24-5には「僕は尋ねた。『もしかすると、その娘が私に従ってこの土地に来たくないと言うかもしれません。その場合には、ご子息をあなたの故郷にお連れして良いでしょうか」とある。
 「僕(しもべ)」はアブラハムの命令を受けた下僕である。嫁を探し当てた場合、その嫁が動こうとしなければご子息をその嫁のところに、即ちアブラハムの故郷に連れて行っても良いかどうかアブラハムに問いかけている。

・30-25には「ラケルがヨセフを産んだころ、ヤコブはラバンに言った『私を独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください』」とある。
 24章はイサクの嫁探しであったが、30章は内容が大きく変わって、男一人ヤコブを姉妹二人が争奪する話。男一人が二人の女と交わる話。しかも、姉妹は恋茄子と呼ばれる媚薬を利用してヤコブを奪い合おうとする淫乱壮絶な話である。一人の男が幾人もの女を巡る話は日本最古の小説「源氏物語」で知られているが、同じような話が聖書の創世記30章にあった。男一人と何人もの女性、即ち一夫多妻制では共通性があるが、源氏物語と創世記30章との違いは大きい。時代背景が違うと言えども文化の大きな落差を感じる。複数の女が媚薬を利用して男を奪い合うそんな話は源氏物語には何処にもない。ユダヤキリスト教文化と日本文化との大きな違いである。
 この場面は、女に挟まれたヤコブが女達に嫌気がさして、その生活から脱却しようとしている。姉妹の親ラバンにもう故郷に帰らせてくれと懇願する場面。この種のこの種の話はキリスト教文化圏では好まれるのであろう。この30章を土台にしてドイツの作家でフロイト心理学の影響が強かったトーマスマンが「ヨセフとその兄弟」を著している。

・31-3には「主はヤコブに言われた.『あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。私は貴方と共にいる。』」とある。
ヤコブの故郷はカナン。主はヤコブの故郷カナンまでその旅路を守ると約束している。「私は貴方と共にいる」は旅路の安寧を約束すると言う意味であろう。

・31-13には「私はぺテルの神である。嘗て貴方は、其処の記念碑を立てて油を注ぎ、私に誓願を立てたではないか。さあ、直にこの土地を出て、貴方の故郷に帰りなさい。』」とある。
 「この地」はハランのこと。ハランから故郷カナンに帰ることを主はヤコブに促す。

・32-19には「ヤコブは祈った。『私の父アブラハムの神、私の父イサクの神、主よ、貴方は私にこう言われました。『貴方は生まれ故郷に帰りなさい。私は貴方に幸いを与える』と」とある。
 ヤコブの故郷はヨルダン川と地中海に挟まれた地域、カナン。

●民数記には故郷が1回発見された。その位置は下記である。
・10-30には「ホバブが、『いや、行くつもりはない。生まれ故郷に帰りたいと思う』とこたえると」とある。

●ルツ記には故郷が1回発見された。その位置は下記である。
・2-11には「ボアズは答えた。『主人が亡くなった後も、姑に尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見知らぬ土国に来たこと等、何もかも伝え聞いていました」とある。

●イザヤ書には故郷が1回発見された。その位置は下記である。
・14-17には「世界を荒野とし、その町々を破壊し捕らわれ人を解き放たず故郷に帰らせなかった者か」とある。

●エレミヤ書には故郷が2回発見された。その位置は下記である。
・22-10には「死んだ王の為に泣くな。彼の為に嘆くな。引いて行かれる王の為に泣き叫べ。彼が再び帰って生まれ故郷を見ることは無い」とある。

・50-16には「バビロンから断て種撒く人と、刈り入れの時に鎌を振るう人を。人々は滅ぼすものの剣を逃れておのおの自分の民のもとへ帰り故郷を目指して逃げる」とある。

●マタイ伝には故郷が2回発見された。その位置は下記である。
・13-54には「故郷へお帰りになった。会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。『この人は、このような知恵と奇跡を行う力を何処から得たのであろうか』」とある。
 イエスキリストの生誕地はナザレ。ガリラヤ地方のナザレである。地中海とガリラヤ湖の間で山間部の寒村であった。人口は数百人の寒村であったと推定されている。イエスはガリラヤ湖の北岸の湖畔の集落カペナムを拠点にしてガリラヤ地方各地で伝道活動を展開していたが、故郷ナザレに行くことを躊躇していた。
 イエスは故郷ナザレの人々はイエスを受け入れた呉れないであろうと思っていたからでもあった。それは13-15で「預言者が敬われないのは故郷と家族だけである」と述べていることから推定出来る。イエスの故郷に対する複雑な気持ちが表現されている。

・13-57には「このように、人々はイエスにつまづいた。イエスは『預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである』」とある。

●マルコ伝には故郷が2回発見された。その位置は下記である。
・6-1には「イエスは其処を去って故郷にお帰りになったが、弟子達も従った」とある。

・6-4には「イエスは、『預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである』と言われた」とある。

●ルカ伝には故郷が1回発見された。その位置は下記である。
・4-24には「そして、言われた『はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』」とある。

●ヨハネ伝には故郷が1回発見された。その位置は下記である。
・4-44には「イエスは自ら『預言者は自分の故郷では敬われないものだ』とはっきり言われたことがある。」とある。

●使徒行伝には故郷が2回発見された。その位置は下記である。
・2-6には「この物音に大勢の人が集まってきた。そして、誰も彼も、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」とある。

・2-8には「どうして我々は、めいめいが生まれた故郷の言葉を聴くのだろうか」とある。

●ヘブライ人への手紙には故郷が2回発見された。その位置は下記である。
・11-14には「このように言う人たちは、自分が故郷を捜し求めていることを明らかに表しているのです。」とある。

・11-16には「ところが、実際は、彼らは更に勝った故郷、即ち天の故郷を熱望したのです。だから、神は彼らの神とと呼ばれることを恥となさいません。神は彼らの都を準備されていたのです」とある。
 「天の故郷」は天国のことだと思うが、天国は神が築くものであると考えられていたのであろう。


                    (聖書に出て来る「故郷」の調査で判明した事項)
<1>故郷は中頻度語
 聖書には単語「故郷」は二十四回発見された。中頻度語である。聖書に余り出て来る単語ではない。目立たない単語である。

<2>「故郷」は旧約も新約も等しく分布
 単語「故郷」は聖書全体で二十四回しか発見できない目立たない単語である。その内で旧約聖書には十四回発見された。そして、新約聖書には十回発見された。旧約も新約も万遍に分布し偏りは無かった。旧約時代も新約時代も故郷に対する意識は等しく存在したと言えないことは無い。

<3>創世記に集中分布
 単語「故郷」は聖書全体では二十四箇所に発見されるが、その中でも創世記には九箇所に発見された。創世記でよく目立つ単語であった。

<4>イエスの故郷に対する思い
 聖書に出て来る24箇所の多くは故郷は、生地への憧れであり望郷のふるさとであった。しかし、イエスの故郷に対する思いは複雑であった。それは故郷に人々は自分を受容れてくれないのではないかと言う気持ちが入り混じる複雑な故郷であった。それは四福音書すべてに共通して描写されている。
 イエスは故郷ナザレで民衆を前にして「自分が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と断言している。多くの人々の前でこんなことをいうのは憚ったであろう。しかし、敢えてイエスはそのことを説明している。イエスの人間的側面、人間としての苦悩を描写している。


聖堂の詩その1040 ―聖書で亀と逢えるか

2015-07-22 22:59:56 | Weblog
            浦島と亀の浜辺で海開き          2014年8月作

 日本各地に浦島伝説が散在している。少し煩雑になるが、その多さを認識してもらう為に参考の為になるかと思い北海道から沖縄までリストアップした。

  以下は、武豊町浦島太郎探検隊資料「全国の浦島太郎関連地域一覧」を掲載予定。引用させていただくべく探検隊にメールで依頼中です。下の空白に引用させていただきます。





 このデーターは愛知県の自治体武豊町が2011年に立ち上げられたブログに発表されているものです。武豊町は浦島研究に力を注いでおられるのです。情報全国に広げる意図も感じましたので、全国全ての浦島縁の地名を此処で引用させていた抱く予定にしています。それにしても何と日本に多くの地域で浦島に心を寄せている人が多いのでしょうか。

 現代社会でも日本人の心の底に深く浦島太郎が沈着しているのは確実ではないでしょうか。その理由は分りませんが、全国に浦島の縁の地の多さに驚きでした。亀が長命目出度いからと言う理由があるのかもしれませんが、この多さはそれだけではないでしょう。何か理由はあるとは思いますが分りません。ひとついえることは日本は島国であるものの島国であるからこそ海の彼方に対する好奇心が他の民族より強烈であることは確かです。

 さて、この作品「浦島と亀の浜辺で海開き」は京都丹後の伊根町泊での作品。舟屋集落のあの伊根の裏山にある泊集落である。式典の海開きではない。田舎なので神主さんと数人の有志があつまるそうだ。作品は「海開」としたが寒いのに子供たちが泳いでいるので「海開き」とした。田舎であるの八世紀に書かれた「日本書紀」や「丹後国風土記」が書かれた、浦島伝説がある歴史的な集落だ。自然破壊で海亀はもう来ないらしいが人の気配が全く無い浦島神社と浦島伝説だけが残っているひっそりとした集落。

 海亀は日本には中国やインドネシアやフィリッピンからの齎される黒潮文化の使者としての動物であると昔から先入観を抱いていました。海亀へのこだわりが強く徳島県日和佐海岸の海亀博物館も訪れました。それが講じて沖縄石垣島の川平湾のダイビングに挑戦しました。川平湾はマンタ(オオイトマキエイ)の遊泳海域で知られていますが、海亀が多いことでも知られています。幸いにもマンタの大群にも逢えて、おまけに海亀の背中に縋って泳ぐことも出来ました。

 国内でやめとけばいいのですが、インド洋のモルジブにまで足を伸ばしました。聖書にはインドも描かれているので、海亀に出会えるかもしれないという淡い期待を抱いていましたが、此処では一週間もぐり続けましたが結局逢えませんでした。モルジブで海亀と逢えないなら聖書にしばしば出て来るシナイ半島が突き出した紅海なら確実に逢えるだろうと思い渡航を計画しましたが、出港寸前仕事の都合で断念しました。紅海でも西表島の川平湾の如く亀の背につかまり一緒に泳ぎたい願望は消滅しません。未だに紅海の海亀との出会いは出来ていないままです。

 日本には中国や朝鮮からの流入文化の資料は無数に存在しますが、どのような理由か南洋に生じた黒潮文化の流入の記録は文書としては極めて乏しいです。八丈島の丹娜伝説も南洋から伝わる黒潮文化ですが残る文書が何もありません。八丈島でも海亀と出会いました。西表島に海亀は海面に逃げたので背中につかまることが出来ましたが、八丈島では海亀が深いところににげました。何時までも追いかけて水深計器で確かめると38mで暗くなっているのでやめました。急に深くなって両方の耳穴から血がでました。鼓膜が破れたようですが、耳鼻科へ行ったら、三日か四日で耳の調子は元通りになりました。

 そんな海亀とのふれあいも、海亀は海洋文化を日本に齎せる使者であるとの私の思い込みがあります。それに顔のひょうきんさも大好きです。亀は爬虫類であるものの人間に対して蛇と異なり遠慮がちです。蛇は人間に対して遠慮がありませんが、亀は怖ければ首を引っ込めて、顔つきからも何かおどおどして遠慮がちであるのが愛おしいです。

 聖書が描かれている中東地方で最も海亀が分布している海域は紅海である。紅海はスキューバーダイビングのダイバー垂涎の的で、海亀は勿論熱帯性の多数の魚種と逢うことが出来る海域だ。聖書に地名として紅海は使徒行伝に一回(7-36)しか発見できない。そしてヘブライ人の手紙には一回(11-29)しか発見できない。旧約聖書には紅海は見当たらなくて、新約聖書には紅海は合計二箇所にしか発見できない。

 聖書に漢字「紅海」は二回しか発見できないが、シナイ半島の「シナイ」は聖書に続出する。シナイ半島は紅海の北端で南三角形に垂れ下がるように見える半島であるが、地殻運動の地溝帯がこのような三角形の半島を形成した。アフリカ大陸とアラビア半島とに挟まれた紅海の北の端から南に三角形に垂れ下がる独特の地形の半島である地溝がそのような形になった原因だ。世界でこれほど形が整った綺麗な三角形の半島は無い。シナイ半島の大きさは6万平方キロメータで、北海道が8万平方キロメータであるから、シナイ半島は北海道よりひとまわり小さな半島で、その半島が紅海に南に垂れ下がっていることになる。
 聖書にはこのシナイ半島のシナイはその頻度が高い。以下の如く38箇所もの地名「シナイ」が聖書に発見された。

●出エジプト記には十三回発見される。その位置は
16-1、19-1、19-2、19-11、19-18、19-20、19-23、24-14、31-18、34-2、34-4、34-29、34-32に発見される

●レビ記には四回発見される。その位置は
7-38、25-1、26-46、27-34に発見される

●民数記には十二回発見される。その位置は
1-1、1-19、3-1、3-4、3-14、9-1、9-5、10-12、26-64、28-6、33-15、33-16に発見される

●申命記には一回発見される。その位置は
33-2に発見される

●士師記には一回発見される。その位置は
5-5に発見される

●ネヘミア記には一回発見される。その位置は
9-3に発見される

●詩編には二回発見される。その位置は
68-9、68-18に発見される

●使徒行伝には二回発見される。その位置は
7-30、7-38に発見される

●ガラテヤ人への手紙には二回発見される。その位置は
4-24、4-25に発見される

 シナイ半島のシナイ山で主からモーセは石版に綴られた十戒が与えられる。それだけにシナイ地名が有名で高い頻度で聖書に出て来る。聖書全体で38箇所に発見される。旧約聖書は34回で、新約聖書でも4回発見された。聖書時代の人々にはシナイ地名は現代と同様常識化していた地名であろう。現代はそのシナイ半島が南にたれる紅海はアオウミガメの宝庫となっている。一時は眼鏡など装飾品の鼈甲の材料として乱獲されていたが、それでも紅海は今も世界の海亀の宝庫である。

 現代それだけ紅海に海亀が多いのなら、古代の聖書時代の人々は紅海で海がめを目撃していないことはないと思うのだがどうだろう。海水温に海生生物は敏感であるから、そうとも言い切れないのであろうか。私は古代でも紅海に海亀が生息しているような気がしてならない。そのように考えていて、今でも紅海でのダイビングの夢は捨てることが出来ない。現地で自分の眼で海亀を確かめて、その上で現地で文献を探したり、現地の人々生の声を聞いて海亀の正体を探らなければならない。そうしなければ古代の海亀の何かが見えるのではないかと思っている。そんな気持ちを抱きながら聖書に立ち向かったが聖書の何処を探しても海亀が出て来ないのである。

 そんな中で海亀が入りのではないかと疑われる場所が一箇所ある。海亀の聖書の有無を調べて何になる。詰まらないことを詮索するな都のお叱りが飛んできそうな気がしないでもないが、我々は日本人であり、日本人は海亀に古代から深く関わり、現代でも全国各地に海亀関連の史跡や伝承を残しているからである。異文化に接する場合、それなりの構えが求められるのは当然である。

 我々日本人の体には浦島太郎の亀は染み込んでいる。鶴や亀が長寿であり目出度い動物であることはもう物心がつく幼児期から心の底にまで、真髄にまで知らされている。関東地方では縁起が悪いものを目撃した瞬間「ツルカメ、ツルカメ」と口中で繰り返すのだそうだ。そんな文化の乖離が二代や三代で変わるはずがない。構えが無ければ異文化を乗り換えられるものではなかろう。グローバル化はその破壊行為でもあることを心すべきである。人は生まれた土地の文化からは容易には抜けられない生き物だ。

 亀についてキリスト教文化圏に関して全く知りませんでしたでは済まされないであろう。日本人の敬虔なクリスチャンが聖書に亀がいるか居ないかそんな愚かなことに関心を示しませんと仰ればそれまでであるが、それが日本でのキリスト教布教活動の大きなネックのひとつでもあろう。日本人の聖書の飛ばし読みの弱点だ。敬虔なクリスチャンほど飛ばし読みしているのではないだろうか。
 さて、話を戻して聖書に海亀ではないかと疑われる箇所を挙げておきたい。今までにその疑念は指摘されていたようである。海亀ではないかと疑われている巻は雅歌にある。雅歌2-12に「花は地に咲きいで、小鳥の歌う時が来た。この里にも山鳩の声が聞こえる」のくだりがある。日本語ではこのように日本の聖職者は翻訳しているのであるが、この翻訳に以前から疑義があるとされていた。誤訳ではないかと言う話がくすぶっていた。くすぶっていたのであるが、翻訳者の対応も弁解も無かったようである。少なくとも英文からの翻訳であれば、これは誤訳であるとされている。
 
 英文は以下の如くTHE time of the singing of birds is come,and the voice of turtle is heard in our land.である。この日本語訳はどのように翻訳したとしても「鳥が鳴いている」と言えない。「亀の声」としか翻訳できない。the voice of turtleは亀の声であり、亀の声が我々の国で聞こえるようになったとしか翻訳できない。かめが無くとは不思議であるが。ひょっとすればそれはヘブライ語を何か英語でturtleとしたのかもしれない。ヘブライ語から英語への誤訳も考えられないことは無い。雅歌はソロモンによる著作である。

 ソロモンはどのような気持ちでこの箇所を描いたのか究明することが大切ではなかろうか。このような日本語訳や英語訳を何時までも放置していることの聖職者や信徒の堕落が垣間見える哀しい思いだ。信仰は言葉を軽視無視すれば、カルトへ急降下だ。雰囲気だけで酔っ払う聖職者や信徒ばかりでは、唯物主義者からは「宗教は阿片」と言われても止むを得ない側面がある。今の日本社会も言葉が軽視され憲法違反か違反で無いかも分からなくなっている。境界が不明確による心のゆがみは言葉のゆがみであり、とんでもない曲解は人間にとっては一種の阿片である。

                   (聖書で亀を調査して判明した事項)
<1>日本書紀に亀が初出
 日本では亀が文献上最も旧く発見されるのは「日本書紀」や「丹後風土記」であった。古代から浦島太郎伝説があって、文書にまで残っている。亀と日本人との関係は古い。

<2>亀は長寿の動物
 日本では亀は長寿動物として昔から考えられていて、目出度い動物として珍重された。the voice of turtleとある。しかし、聖書に亀は登場しない。聖書では亀が目出度い動物であるという認識もない。

<3>日本語訳聖書には亀はない
 日本語訳聖書には亀は一語も発見できなかった。ユダヤ教やキリスト教と亀との距離は大きいことが分った。

<4>英語訳聖書に亀が発見
 日本語訳聖書には亀は発見されないが、英語訳聖書には亀があった。雅歌2-12に於いて発見された。英語でthe voice of turtleとある。 turtleは亀以外に翻訳しようがない。日本語訳は山鳩と翻訳しているが、 turtleは山鳩ではない。

<5>何故このような誤訳が長期間放置されているのか
 キリスト教会では信徒は聖書を読んでいないのではないか。誰かが読んでいれば、一人でも読んでいれば、この誤訳は指摘されるはずである。しかし、そのような話は未だ嘗て耳にしたことがない。聖職者と信徒の退廃堕落が垣間見える。雰囲気だけの教会、聖職者も信徒も雰囲気に酔い痴れるだけなら「阿片教会」と罵られても仕方がない。全国の教会でこのような実態があるのではないだろうか。内村鑑三の無教会主義、その気持ちがわからにでもない。

聖堂の詩その1039―水

2015-07-16 09:27:05 | Weblog
            室町の名水掛けつつ辻回し         紅日2013年9月号

 祇園祭の山鉾には孟宗竹が不可欠だ。四辻に来ると車輪の下に孟宗竹を敷く。車輪を滑り易くする為だ。滑り易くする為には孟宗竹だけでは不十分。車輪に敷いた孟宗竹に水をまく。水をまくことで車輪が孟宗竹の上を滑って山鉾の方向が小さな力で簡単に動く。作品「室町の名水掛けつつ辻回し」はその瞬間を描き切り取った。この作品は「辻回し」が季語である。俳句の結社によって「辻回し」が季語に認めたり認めなかったりしている。

 祇園祭が迫ってきた。心配なのは台風11号の動き。祇園祭の山鉾は高さが高くても強風には簡単に倒れない。骨組みは太くて強靱な材を多用し荒縄で縛り上げている。黒塗りの車輪も重厚で道路に安置されている限りは微動だにしない。台風で倒れるとは思えない。但し四条通りは高層化が進みビル風が不安要因だ。ビルの隙間は局地的に風速が1.5倍になると言われている。

 今回の台風11号は今までにない大きな規模であり、しかも北へ進むスピードが遅く、十一号台風は祇園に長らく停滞するであろう。台風の大型化は世界的に進行していて地球温暖化の中の一現象である。それよりもっと警戒すべきは日本列島が地震活動期の真っ只中にあることだ。日本列島の場合は地震活動期は凡そ五十年から、七十年間継続する。まさに今は活動期真っ只中だ。先月だったと思うが、日本列島全体をゆする地震があった。震源地は小笠原諸島で深度640kmであった。

 地震の震源地は日本の場合多くは50kmより浅いところにあるが、小笠原に地震の震源地はその10倍以上も深いところに震源地があった。地球表面から50km深くなると、もうそこは地殻ではない。マントルと呼ばれる岩石が完璧にどろどろに溶けた地圏である。地震とは普通地殻変動であり、そんなマントルと呼ばれるどろどろのところに震源地があるとは考えられない。あれは謎の地震であり、謎の震源地だ。

 謎であるが、日本列島全体があの地震により揺れたことは間違いないのであり、日本の地帯構造に多数の亀裂が入っていたことは充分に疑う余地がある。恐ろしいのはこの亀裂である。亀裂が入った地殻に豪雨が襲い掛かればどうなるかである。深層崩壊と言う現象が起きる。四年前紀伊半島を襲った巨大台風を思い出せば深層崩壊の恐怖がどれほどのものか分る。

 亀裂が入り山全体が豪雨により崩壊する現象だ。四年前の紀伊半島では半島の各地で山が崩壊し、山の土石が河川を堰き止めた。堰止湖が紀伊半島各地に形成され、この堰止湖が下流域の集落を次々飲み込んで多数の犠牲者を出してしまった。四年前は紀伊半島であったが、今回は京都盆地を流れる鴨川や桂川の上流で堰止湖が形成されかねない。そうすれば、四条道理の家並みは一階まで水没し祇園祭の鉾も水没するのは確実だ。

 今日本を守るということは地震活動期と地球温暖化に伴う台風の巨大化に対する対策を講じること、そして原発運転終息以外にない。戦争になり原発が標的になれば戦争はそれでおしまいである。日本列島は西風が支配的であるが、静岡県御前崎の浜岡原子力発電所を破壊すれば首都圏で生きることが出来る人は誰も居ない。そうなれば日本を守るもヘチマも無い。

 戦後しばらくは地理教育は民主教育の柱の一本として尊重されたが、1980年代頃から日本国民は地理教育を政権与党から剥奪され、日本人の自然環境の危うさや激変に関する知識は皆無である。火山国である日本に火山学者や火山を専門に研究する学徒が100人も居ない現状が全てを物語っている。理学部に火山学の講座を開講している大学はあまり無い。火山防災研究は皆無であるといっても良い。

 火口から噴出する有毒ガスが空気より重いことを知っていて、火山爆発から避難する国民は余り居ない。知っていれば御嶽山爆発の惨事は起きていない。全員が風上に避難し犠牲者は遥かに少なかった。爆発した瞬間に火口の風上に避難すれば良かった。毒ガスが重いので屈まないで少しでも高い所に逃げれば良かった。そのような角度から日本を眺めると日本は明らかに開発途上国と断ぜざるを得ない。無知な国民といわざるを得ない。

 大分県に八丁原(はっちょうばる)地熱発電所がある。発電所の傍に「雀地獄」がある、地表の亀裂から火山性の毒ガスが噴出してその毒ガスが窪地に滞留している。雀が窪地に接近するとバタバタと死んでしまう。だから、雀地獄と呼んでいるのである。雀地獄から離れた高台に民宿がある。その民宿の屋号は「遊雀荘」だった。火山ガスに巻き込まれない雀でも安心できるので「遊雀荘」と主は命名したのであろう。「雀地獄」と「遊雀荘」は対照的で興味深かった。

 このような知識が御嶽山登山客にあればアレほどの多くの犠牲者を出さないで済んだ。学校で何のために勉強するのか、それは受験と就職の為だけではなかろう。学習の目的が何処にあるのか、日本の場合それが極めて原始的な段階に放置されている。津波犠牲者の多さもそうであるが、日本の学校教育の原始性が災害犠牲者を増やしているといっても過言ではあるまい。私は韓国のソウル、ロシアのカムチャッカやイルクーツク、中国の上海やトルファン、フィリッピンのワワなど、周辺国の学校教育を見学して廻ったが日本の立ち遅れは言葉に言い尽くせない。本当に遅れている。

 日本国民は自分たちが学んでいる学校の原始性に気がついていないだけだ。教員は朝から晩まで頭髪検査や服装検査で振り回されている。教材研究の時間は一切与えられないし求めようとしない。頭髪検査や服装検査に伴う暴力に対する反省も全くない。これが教員かと思う人間が学校に溢れている実態がある。是で生徒の学力が伸びるはずがない。伸びれば不思議である。東大が何でも優れているとは思わないが、学校へ行かなかったお陰で東大に合格したという話があるほどだ。それぐらい学校では学力がつかないというお話だ。

 日本列島は地殻変動が活発で地形が険しい、その上ユーラシア大陸東縁に位置しているため世界最多雨地域である。地形の険しさ降水の多さで日本は名水に恵まれている。四条室町上るには菊水鉾が聳えている。千利休が茶を立てた水、それは菊水井戸が使われたことで有名である。濁り一点もない水を「菊水」と言われている。聖書が描かれた中東地方は半乾燥地域で水が乏しい。それだけに人々は水に対する興味も深く、聖書に沢山の漢字「水」が出て来ることが予想されるが、聖書の水はどの巻に集中しているか知りたい事項である。


                      (聖書に発見される漢字「水」の分布)
創世記:64箇所―地下水、海水、水瓶、水飲場、水槽、水舟、防水、水汲、
出エジプト記:52箇所―防水、水浴、水中、水舟、水汲、水辺、水路、水溜、飲料水、水上、大水、水差、水晶、水汲、
レビ記:45箇所―水中、飲料水、水洗、水汲、
民数記:38箇所―水差、聖水、水中、飲料水、水洗、井戸水、水汲、
申命記:18箇所―水中、貯水池、湧水、飲料水水汲、
ヨシュア記:14箇所―海水、水際、水枯、水汲、水場、
士師記:15箇所―水留、溜池、水汲場、水辺、飲料水、水瓶、水場、湧水
ルツ記:1箇所―水瓶
サムエル記上:7箇所―水汲、水差、飲料水
サムエル記下:9箇所―水汲、、決壊、水浴、大水、井戸水、飲料水
列王記上:18箇所―飲料水、水辺
列王記下:19箇所―水汲、決壊、水浴、大水、飲料水、
歴代誌上:5箇所―井戸水、飲料水、水位、決壊
歴代誌下:5箇所―水盤、湧水
エズラ記:1箇所―飲料水
ネヘミア記:11箇所―貯水池、水門、湧水、渇水、飲料水
ヨブ記:30箇所―湧水、送水、水洗、飲料水、海水、洪水、水晶、水量計測、水際、水滴、水路、
詩編:53箇所―大水、水上、洪水、飲料水、水枯、水中、水源、岩清水、流水
箴言:17箇所―井戸水、水源、漏水、水路、冷水、洪水、
コヘレトの言葉:2箇所―導水、飲料水
雅歌:3箇所―水汲、洪水
イザヤ書:59箇所―希釈水、水枯、水路、貯水池、海水、飲料水、大水、水面、池水、水溜、水門、洪水、水槽、潅水、湧水、井戸水、香水、水枯
エレミヤ書:28箇所―水留、泉水、香水、大水、毒水、水滴、水洗、水路、水枯、湧水、水差
哀歌:箇所:4箇所―水晶、飲料水
エゼキエル書:47箇所―水晶、大水、飲料水、水洗、大水、水夫、水漏、香水、水路、送水、飲料水、水中、
ダニエル書:5箇所―飲料水、洪水、
ホセア書:4箇所―飲料水、水源
ヨエル書:2箇所―流水、水枯
アモス書:5箇所―飲料水、海水、洪水、
ヨナ書:2箇所―大水、飲料水
ナホム書:4箇所―洪水、流水、水城、水汲
ハバクク書:3箇所―海水、大水
ゼカリヤ書:2箇所―なし
マタイ伝:10箇所―洗礼水、水中、飲料水、洪水、
マルコ伝:6箇所―洗礼水、水中、水浸、飲料水、水瓶
ルカ伝:11箇所―洗礼水、洪水、河川水、水洗、水気、水瓶、洪水、水腫
ヨハネ伝:23箇所―洗礼水、水瓶、飲料水、井戸水、
使徒行伝:7箇所―洗礼水、水中、水深
コリント人への手紙Ⅰ:3箇所―潅水
エフェソ人への手紙:1箇所―水洗
テモテへのへの手紙Ⅰ:1箇所―飲料水
ヘブライ人への手紙:2箇所―水洗
ヤコブの手紙:2箇所―甘水、苦水
ペテロの手紙Ⅰ:2箇所―なし
ペテロの手紙Ⅱ:2箇所―洪水
ヨハネの手紙Ⅰ:2箇所―なし
ヨハネの黙示録:19箇所―大水、水晶、海水、河川水

 聖書全体で683回、旧約は592回、新約91回であった。これらの水はどんな水であるか、さらに聖書に描かれている水の実態を明らかにするために、巻別に「水」を含む熟語を全てリストアップしてそれぞれの巻の後部に列挙してみた。但し、これは各巻に二度以上出て来る熟語は全て一度である。これは水熟語頻度を集計する為ではなく、水を調査するにはどんな単語があるかを抽出する為であるからで、水の更なる詳細な調査の下調べであり事前調査であるからです。聖書に出て来る水に関する調査はこの一回の調査では終わりません。本稿は水の調査の第一段階ですから水を含む熟語を此処で列挙するだけでよいと考えています。


                     (聖書に出て来る「水」の調査で判明した事項)

<1>水は高頻度語
 聖書全体で漢字「水」は682回発見された。聖書を読んでいればしばしば目に入る単語である。聖書時代の人々の水への関心は高かったことが推定できます。その内旧約聖書は回だった。新約聖書は回であった。

<2>水は旧約聖書に圧倒的に多い
 水の682回の内、旧約聖書が529回で新約聖書が91回であり、旧約聖書への偏在が目立った。新約で目だって水が多いのはヨハネ伝とヨハネによる黙示録であり、それぞれ僅か23箇所と19箇所に過ぎない。

<3>巻別の水の頻度の順序
第一位:創世記には64箇所発見された
第二位:イザヤ書には59箇所発見された
第三位:詩編には53箇所発見された
第四位:出エジプト記には52箇所発見された
第五位:エゼキエル書には47箇所発見された
第六位:レビ記には45箇所発見された
第七位:民数記には38箇所発見された
第八位:ヨブ記には30箇所発見された
第九位:エレミヤ書には28箇所発見された
第十位:ヨハネ伝には23箇所発見された
モーセ五書では高い頻度の水が発見された。それに対して新約聖書は十位以内であるのはヨハネ伝だけだった。

<4>聖書で目立った水の諸相
 各巻で出て来る水をひとつずつ取り上げた。それが上記の「聖書に発見される漢字水の分布」であるが、それらから目立つ水を取り上げると以下の如くである。幾つの巻に分布しているか多い順に並べた。
第1位:泉の水は   聖書全体の巻の内で22巻で発見された。
第2位:井戸の水は  聖書全体の巻の内で15巻で発見された。
第3位:湧水は    聖書全体の巻の内で12巻で発見された。
第3位:大水は     聖書全体の巻の内で12巻で発見された。
第4位:洪水は     聖書全体の巻の内で10巻で発見された。
第五位:洗礼の水は  聖書全体の巻の内で10巻で発見された。
第6位:飲み水は   聖書全体の巻の内で9巻で発見された。
第7位:水洗いは   聖書全体の巻の内で8巻で発見された。
第8位:水路は    聖書全体の巻の内で8巻で発見された。
第8位:水中は    聖書全体の巻の内で8巻で発見された。
第9位:水瓶は    聖書全体の巻の内で6巻で発見された。
第10位:海水は    聖書全体の巻の内で5巻で発見された。

 聖書の中で最も幅広い巻で発見される水は泉の水であった。聖書時代の人々と泉との深いかかわりが読み取ることが出来る。そして、第二位は井戸水の水であった。泉と井戸とは人々の生活と不可分の関係である。泉や井戸は人々の命綱であった。聖書の多くの巻で井戸や泉が発見できることがそれを証明している。

<5>水害への恐怖
 泉、井戸、湧水への関心が極めて高かったことが判明した。清水は聖書時代の人々には命図名であったことが泉、井戸、湧水の聖書に於ける頻度の高さから窺い知ることができた。飲み水の供給源に次いで深い関心事は何であろうか。第三位に幅広く聖書に出て来る単語は大水であった。そして第四位は洪水であった。
 飲み水供給源に次いで高い関心事は水害であり、防災であることが判明した。聖書時代も現代も中東地方は半乾燥地域ステップ気候であることが推定出来る。植生に乏しく僅かな雨でも一気に河川は暴れ川になっていた。Wadiが大氾濫する暴れ川になっていたことは容易に想像できる。そのことに関して現代と比較してどうなのか、それは更に聖書をより詳細に深く解読しなければならない。今後の私の課題である。

<6>聖書時代の地震雷火事親父
 昔から日本では恐ろしいものの順序に「地震雷火事親父」と言われてきた。聖書時代の人々は火の次に水に怯えていたであろうことは容易に推定出来る。神が齎す火にたいする怯えは聖書ではただならぬものであった。地震雷はその序列外であるが、水に関する怯えも相当なものである。水害への恐怖心は相当なものである。火に次いで怯えたいたのではなかろうか。

<7>期待は無かった水の潤滑性
 作品「室町の名水掛けつつ辻回し」は水の潤滑性を巧妙に利用した京都町衆の知恵を謳った作品である。聖書には水に潤滑性がある液体であると言う認識も痕跡も何処にも発見できなかった。聖書時代の人々は潤滑物質としてはオリーブ油やオリーブ油を基にした香油を多用していたことが窺い知ることができる。因みにアーメンの意味はヘブライ語でありユダヤ語である。その意味は「真に、その通りです」と言うことだが「円滑(潤滑)に」の意味に受け取れないことはない。遠いところでアーメンの意味は油と交差しているかもしれない。貴方のお話は実に滑らかに頭の中に入ります。仰せの通りです。アーメンの意味はNKHの人気番組「合点だ」に近い。

聖堂の詩その1038―塗れ

2015-07-14 19:54:49 | Weblog
               荒縄の藁に塗れて鉾を組む      紅日2013年9月号
 為政者の「グローバル化、グローバル化」の連呼の中で、日本はTPPに加盟しようとしている。日本国民の生活が何もかも大きく変えられそうな時代になってしまった。この大きな時代変化に恐怖感を抱いている人々は多いと思う。日本は「瑞穂の国」と昔から言われてきた。幕藩体制の下では石高はその大名の権力の大小を示し、幕藩体制下では米本位制であった。

 戦後も昭和は国民全員に米穀通帳が配布され、米は配給制度であり、ついこの間まで日本は米本位制であった。縄文時代晩期から日本列島では米が生産され人々の日常生活と稲作とは密接な関係が保たれてきた。日本の米本位制度が狂い始めたのは。米の配給制度が廃止され、土地価格が急上昇し土地本位制度となり、土地本位制度からさらには拝金主義思想が社会を覆ったからである。今も拝金主義が社会を大きく歪めている。日本の共同体社会は根こそぎに破壊され、何もかも金銭で解決できる社会が国民の互助精神を大きく歪めてしまった。

 国民の共同体意識は破壊されたものの、未だに目を凝らして見詰めると日本特有の稲作文化が残留している。作品「荒縄の藁に塗れて鉾を組む」の荒縄は稲作の中で生まれた産物だ。米を生産しなければ祇園祭の鉾を組む荒縄が消滅してしまうであろう。自国生産の稲藁わらを使わないで、中国輸入藁や麻ロープで組立てた鉾は本物の鉾ではない。麻ロープで組まれた鉾は考えただけでも興ざめである。自国産の稲藁を使うからこそ、祇園祭の鉾になる。

 稲作は昔から言われてきたことであるが、国土保全に於いて重要な役割を果たしている。太平洋戦争で日本はアメリカに敗北しその復興の為にアメリカのテネシー川開発計画を模倣した。模倣したというより是こそ押し付けられたのであるが、TVA計画を日本に導入させられ、日本列島はダム建設ラッシュとなり日本中がダムだらけになってしまった。

 あの日本列島に散在する無数のダムが現在では老朽化し、ダム壁のコンクリートが何時崩落しても不思議ではない。戦後のことで殆どのダムのコンクリートは低廉な海砂を使い、コンクリート内部の鉄筋は完璧に腐食している。その上もう、半世紀以上経過しているのである。それほどのダム壁の劣化が進んでいると指摘されている。そしてダムは砂礫堆積が激しくダムの主要機能である貯水能力が消滅している。現在でも豪雨で下流の堤防を決壊させる頻度が高くなっている。

 梅雨や台風時の豪雨での、日本の全てのダムの貯水力と水田の貯水力とを比較すると水田はダムの貯水量の優に三倍はあると言われている。日本列島は地形が険しい上に世界最多雨地域であり、梅雨と台風の豪雨に耐えられるのは水田があるからである。水田が防災で大きな役割を果たしていることを日本人は知らない。文部省が地理教育を日本国民から剥奪して防災教育がなされていない。それが原因であろうと考えられるが、日本人の自然に関する関心は世界の中でも最も低い民族のひとつである。

 TPP加盟が決定すれば、日本には水田が消滅し、日本列島の主要都市は毎年大洪水に襲われることであろう。アメリカの米の生産コストは日本の米の生産コストの何十分の一であり、日本人は低廉なアメリカのカリフォルニア米やミシシッピーデルタのミシシッピー米など低廉な米に飛びつくのは確実であると言われている。そして日本には水田が消滅し、日本の主要都市は毎年大洪水に襲われることになるのは確実。日本人が味わう自業自得といえば無責任な言い方であるが、どうするつもりであろうか。

 日本の主要都市は大阪も東京もデルタ上に発達した都市である。東京や大阪だけでない、全国の主要都市、県庁所在地は沖積平野上に発達した都市であり、水田が消滅した日本列島で豪雨になれば、そしてそれが満潮時と重なれば、水深数メーターは冠水する。日本の与党政治家は其処まで考えた上でTPP加盟を決定しているとはトテモ思えない。本日憲法違反の安保法案が採決されるそうだが、最早、国会の体をなしていない。憲法違反の法案を何時間審議してもそれは無意味ではなかろうか。

 杜甫の漢詩では「国敗れて山河在り」と言うが、日本の場合「国敗れて山河荒廃」。政権変わり山河荒廃だ。国民は選挙で今の政権を決定したのであるが、国民は真面目に自分自信のことや子孫の将来を考えているとは思えない。更にはこんな最中に、日本列島自信活動活発期に原発を再稼働しようとするのであるから、我々日本国民は狂い始めているとしかいえない。福島原発復興も出来ないで、日本の与党為政者も日本国民もヤケクソになって居るのかもしれない。私を含めて、冷静に判断できない国民には何を言っても無益であろう。自分自身を含めて今の日本国民には、呆れ果てる。どうすればいいのか分らない。異国にいる心地である。激動の時代であるが、大切なのは冷静さであろう。

 我々日本国民は将来を見詰め、そして悩みつつ、汗に塗れつつ必死に生きることを忘れた。朝から晩まで相撲、相撲の次は野球、野球からサッカー隙間なく日本人の娯楽が勝負事で埋め尽くされている。勝負事に明け暮れ今の一瞬にだけで生きていて将来を見詰めない。射幸心だけを膨張させ、金銭のみに幸せを求める刹那主義なのであろう。熱心なキリスト教信徒が廻ってくる献金袋に手を突っ込み自らの懐に入れている話は各地で耳にするのである。さて、聖書では、この「塗れる」と言う言葉がどのような場面で発見できるであろうか、今回は作品「荒縄の藁に塗れて鉾を組む」の塗れに注目しつつ、聖書の中の「まみれ」を追求してみようと思う。

 但し、「塗れ」は「ぬれ」とも「まみれ」とも読む。此処では連用形が名詞化した「まみれ」に限定した。命令形では「ぬれ」と読むがこれは排除した。「まみれ」のみに限定した。「砂まみれ」や「汗まみれ」の「まみれ」である。何かがべっとりと張付いて汚れることである。聖書にはそのような「まみれ」は八箇所に発見された。聖書には極めて珍しい単語であり、低頻度語であった。それぞれの位置は下記の通りである。

                 (聖書に発見された「まみれ」の分布)
●サムエル記下には一箇所発見された。その位置は下記
・20-12には「アマサが道の真ん中に倒れて血まみれになって転がっていた」とある。
 戦争とは常に裏切りが伴う。裏切りのない戦争はない。日ソ不可侵条約も裏切りであった。日本もアメリカが同盟国と思い込んでいる。しかし、同盟国でなくなる瞬間は必ず来る。そんなことを知らないで、憲法解釈を変更する愚かな政治家が多いのには呆れる。アメリカ政府はそれを織り込んで今の日本政府の憲法解釈変更を観察している。アメリカ政府も国民も核兵器利用は正当であると考えている。広島長崎の次は東京と考えているであろう。聖書のこの場面も裏切りであり、ヨアブにアマサが殺害された場面。

●イザヤ書には三箇所発見された。その位置は下記
・1-15には「血にまみれた手」とある
・9-4には「血にまみれた軍服」とある
・34-6には「主の剣は血にまみれ」とある

●哀歌には一箇所発見された。その位置は下記
・4-5には「紫の衣に包まれて育った者も埃まみれ」とある

●エゼキエル書には一箇所発見された。その位置は下記
・16-6には「私は血まみれのお前に向かって『生きよ』と言った」とある

●ルカ伝には二箇所発見された。その位置は下記
・16-9には「不正にまみれた富」とある
・16-11には「不正にまみれた富」とある

                 (聖書で発見されたまみれの特徴)
<1>まみれは低頻度語
聖書全体で「まみれ」は八箇所に発見された。回数が一桁であれば低頻度語、二桁であれば中頻度語、そして三桁であれば高頻度語であるとすれば、「まみれ」は低頻度語であり、聖書の中では余り見かける単語ではなく、極めて珍しい単語であることが分かった。

<2>血まみれが最も多い
 聖書に出て来る「まみれ」はどんなまみれが多いのか、その頻度は以下の順序であった。
第一位:血まみれが5回
第二位:不正まみれが2回
第三位:埃まみれが1回
 血まみれが圧倒的に多い。八回のまみれの内の半数以上五回が「血まみれ」であった。火に関して前回は調査した結果、神による放火が圧倒的に多かった。そしてまみれに関しては「血まみれ」が圧倒的に多い結果が出た。
ユダヤ教キリスト教の経典聖書やイスラム教の経典コーランは怒りの経典とも呼ばれることがある。神の怒りにより信仰が成り立っている。神の力や神の怒りにより人々は信仰に追い込まれる。それは中東地方の砂漠で誕生した宗教のひとつの大きな共通点である。南アジアで誕生し東アジアに広がった仏教と大きな隔たりがある。


聖堂の詩その1037―火(7)、旧約聖書の火に関する分析結果(Ⅲ)

2015-07-09 19:14:44 | Weblog
                 哲学の道に蛍と地蔵の火     紅日2013年8月号
 もう、京都で蛍を見ようとするなら、街中では見られない。洛中では見られない。足を伸ばして山間部でなければならない。鴨川水源の雲ヶ畑や鞍馬まで行かねば七月上旬になると蛍が見られない。蛍の命は短い。昨日、2015年7月8日、日本経済新聞第一面「明日の話題」に目を引く俳句が掲載されていた。
 
 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの 池田澄子

 蛍に惨酷だが、可愛らしくて物悲しい作品だと思った。蛍に生まれた。その短命を嘆いて、子供の言葉でじゃんけんで負けたとしている。愛らしさと物悲しさとが入り混じった秀作だと思った。俳句は自然との出会いである、自然とであった時の、その瞬間の感動と認識を謳い上げるのが俳句であるが、自分の自然に対するアンテナを常に磨いていても、このような出会いがなかなかないものである。俳句作品には色彩がなければならない。作品の中の色彩が作者の思いや思想を読者により正確に送るもののようだ。芭蕉の有名な

 荒海や佐渡によこたふ天の川

 池田澄子の作品の蛍も、作品の中に言葉として青が出ていないように、芭蕉の作品も言葉として金と銀が出ていない。天の川は中国語の「銀漢」が由来である。銀は色彩である。漢は水の流れていない河川のことであり、アラビア語の水なし川のWadiのことだそうだ。天界に横たわる天の川は一面銀色である。その天の川の下に佐渡が横たわっている。佐渡には日蓮上人など著名な文化人や政治家が流人として幽閉された。江戸中期以降は金山の炭鉱労働者として江戸の無宿人などまでが佐渡へ労働力の消耗品として送られた。彼らの生命は結核で絶え長くて三年である。その流人たちがが金を採掘する強制労働に耐え抜いている。

 新潟の市街地からは海岸まで出ても佐渡島は見えにくい。芭蕉は新潟県出雲崎の砂丘上で沖の佐渡島を眺めてこの作品が閃いたのであろう。無意識ではあるが、彼の脳裏の中には金と銀との色彩が鏤められていた。その金と銀の美しさの背後には口にも出していえない流人の悲劇があった。その哀しさを作品に謳い上げたのであろう。流人に対する思いやりがあったからこそ初めて作品となった。

 池田澄子の作品も同じである、弱弱しい蛍の点滅は誰もが蛍の短命を思う。彼らは川の中ではタニシの体に中に産卵してもらって、タニシを食べながら育つのであるが、一旦陸に上がり成虫となれば僅か一週間か二週間しか生活していない。その短命の中で精一杯生きている。自らの種を残さんとして、点滅を深夜まで続けている。作者はその短命を再認識し子供言葉で「じゃんけんで負けて」とした。子供言葉にすることで、蛍に対する深い愛情が伝わる。子供言葉にした作者の高い俳句創作力。

 さて、光といえば火である。聖書に出て来る火から愛情を感じるのは困難であった。主なる神の放火の火の連続であった。背信者への憎悪、異教徒への憎悪の連続であった。人に火をつける、家に火をつける、集落に火をつける、そして諸民族まで火をつけて抹殺した。凄惨さ残忍さの連続であった。今の中東戦争を彷彿とする場面であった。子供に火をつけて燃やす場面もあったが、これは死海西方のモアブ族の偶像崇拝者などで多くの場合異教徒であり。異教徒の子供を生贄にささげる風習を描写していた。日本社会なら時代を超えて火を放つはどんな理由があっても許されない。況や主なる神が人間や人間が生きている家や集落を焼き払うことは絶対に許されない。現代日本社会では放火殺人悪質犯罪であり死刑である。

 大分県杵築市の自衛官が妻と八人の子供が生活する自分の家に放火した事件が2015年7月6日におきた。四人のお子さんがなくなった。新聞やテレビではかっとして火を放ったと伝えているが。是は例外である。あまりにも配慮のない人事が原因であることは明白だ。杵築市に居を構えたのは大分県日出駐屯地に勤めていたからであろう。そこで八人の子供を授かったのであるが、問題はそこからの非人間的配置転換であり人事である。

 報道によればはじめは山口県下関に飛ばした、そして今年の春は広島県江田島へ飛ばした。この人事は普通の人間では考えられない非人間的な機械的人事といわねばならない。自分が八人の子供に恵まれて同じような機械的且つ差別的人事をされれば、そして自分が一週間に一度家に帰るとすれば、とてもこんな人事がでくるはずがない。しかし、彼は八人の子供や家庭のことを考えれば毎週家に帰らざるを得ない。恐らく彼は奥さんをも大切にし子煩悩な人であろう。

 本件は自衛隊の能力の無い幹部がばら撒いた不幸としかいえない。自衛隊隊員の強盗や猥褻事件の犯罪が多い根本原因は、世間知らずの虐め社会で生きてきた幹部の非人間性から派生する問題であろう。そうでなければ説明がつかない事件が日本社会に多すぎる。世間は自衛隊員を見る目が冷淡である大きな原因だ。今回の杵築市の事件は誰が命令に拒絶出来ない隊員に向かってこのような非道な辞令を発したかが問われる。日本社会ではこうした例外事例を除いて放火殺人犯は極刑である。

 聖書には放火の話ばかりではない。聖書に出て来る火の殆どは神が放つ火であり神の手による放火であったのであるが、本稿では一息ついて放火以外の聖書に出て来る火を取り上げたい。

<9>聖書の火、第四位の炭火
 聖書に出て来る火では、第一位が放火の火(67回)、第二位が主の火(36回)、第三位が主の怒りの火(22回)であった。聖書の火の中で四番目に多かったのは炭火であった。炭火は聖書に20箇所に発見された。ともし火の14回より高い頻度であり、炭火は聖書時代の人々には欠かすことが出来ない物資であったことが推定出来る。以下、聖書に於ける炭火に関しての特徴を列挙した。

()聖書に於ける炭火の分布
 聖書全体では炭火は20回発見された。それは以下の箇所であった。炭火は火の中でも比較的高い頻度で発見された。しかも多くの巻にまたがり分布している。また、鍛冶屋やパンを焼く燃料だけでなく暖房用にも炭火を使っていた。聖書時代の人々の日常生活に密着していたと推定出来る。
●レビ記二回
10-1には「規定違反の炭火」とある
16-12には「祭壇の炭火」とある
●民数記五回
3-4には「規定違反の炭火」とある
16-7には「香炉に炭火を入れて香を焚く」とある
16-18には「香炉に炭火をれる」とある
17-2には「焼け跡から香炉を取り出し、炭火は遠くに撒き散らす」とある
26-61には「規定違反の炭火」とある
●サムエル記下二回
22-9には「主の口は炭火となって燃え盛る」とある
22-3には「御前の輝きの中から炭火が燃える」とある
●ヨブ記一回
41-13には「主の口から炭火の炎が噴き出る」とある
●詩編一回
120-4には「エニシダの炭火」とある
●箴言二回
6-28には「炭火の上を歩く」とある
25-22には「貴方は炭火を彼の頭に載せる。そして、主は貴方に報いられる」とある
●イザヤ書五回
6-6には「祭壇の炭火を火鋏で取った」とある
44-12には「鉄工は金槌と炭火で仕事をする」とある
44-19には「炭火でパンを焼く」とある
47-14には「体を暖める炭火」とある
54-16には「職人は炭火をおこす」とある
●エゼキエル書三回
1-13には「ケルビム(ガンダム)は燃える炭火のようである」とある
10-2には「ケルビム(ガンダム)とケルビム(ガンダム)との間で燃える炭火」とある
24-11には「鍋を空にして炭火にのせる。錆がなくなるように」とある
●ヨハネ伝二回
18-18には「寒いので炭火を起こし、ペテロもそれで暖を取った」とある
21-9には「陸に上ると炭火が起こしてあった。その上にパンが載せてあり、魚もあった」とある
●ローマ人への手紙一回
12-20には「燃える炭火を彼の頭に載せることになる」とある

()炭の原木
 聖書に出て来る炭火の全てであるかどうかは不明であるが、炭にする原木はエニシダであったことが詩編から推定出来る。詩編120-4には「エニシダの炭火」とある。
 エニシダは高さが2m前後の潅木である。ステップ気候に分布する植物である。半乾燥地域の中東地方では重要な炭の原木であった。エニシダでも根茎部分が活用された。根茎部分を蒸焼きにすることで、硬質で良質な炭を得ることが可能であった。

()炭の用途
 エニシダから入手される木炭は祭壇の炭、香炉の炭、鍛冶屋の炭、パンを焼く炭、暖房の炭等の用途があった。

()ケルビムの炭
 ケルビムはガンダムとも呼ばれている。エゼキエル書10-2には「ケルビム(ガンダム)とケルビム(ガンダム)との間で燃える炭火」とある。天使ケルビムとケルビムとの間には炭火が存在していたと考えられていた。

 祇園祭の鉾立てが終わった。今日、14日は祇園祭吟行をした。函谷鉾を見に行った。旧約聖書の物語にイサクに水を差し出すリベカのお話がある。その場面がゴブラン織の前掛けに描かれている。残念ながら本祭でなければ展示しないそうだ。祇園祭は例年酷暑の中で実施される。祇園祭を見に行くにはこの酷暑に耐える覚悟が必要だ。水銀柱が35度を突破していた。あまりにも暑いので聖書に出て来る漢字「火」に関する調査はこの辺でひとまず終えたいと思う。まだ幾つかの火に関する項目が残っているが、別の機会に取り上げようと思う。台風9号の熱風の影響もあるが強烈な熱さであった。救急車のサイレン音が聞こえた。誰かが熱中症で倒れたのであろう。命がけの祇園祭である。
 祇園祭といえば鱧料理だ。夕食に鱧を食べようと思って魚屋をのぞいてみたが、魚が古そうで手が出なかった。鱧が生き生きしていない。鱧は死ぬと鮫と同じで体の中からアンモニアを出して腐敗を防ぐそうである、だから酷暑の祇園祭でも食べられる数少ない魚のひとつだ。とは言うもののいざ一尾が2000円もする古そうな鱧を買う気にはなれない。はもは漢字で「鱧」と書くのは沢山の料理方法があるからだといわれるが、なかなか手が出しにくいものである。京都人なら喜んで買うところであろうが、長らく瀬戸内海のメバルやオコゼを磯で釣って食べていれば鱧は手が出にくいものだ。買うことを迷った末結局買わないで帰宅してしまった。京都ではまだまだ海の魚が食べられない。京都は海から隔離された地方だとつくづく思った。

聖堂の詩その1036―火(6)、旧約聖書の火に関する分析結果(Ⅱ)

2015-07-03 19:00:37 | Weblog
                哲学の道に蛍と地蔵の火     紅日2013年8月号

 漢字「火」は聖書に500回近く発見される。主はバビロンに火を放つ」とあると、バビロンの火が一回、放火の一回とし合計二回と計算すると、500回では終わらない。ほぼ1.5倍の計算になった。キリスト教寺院でも、仏教寺院でも必ず祭壇に供えられているのは灯明である。火は人類に注目され易いものである。作品「哲学の道に蛍と地蔵の火」も瞬時に作者の目に飛び込んだから、瞬時に口元に「哲学の道に蛍と地蔵の火」が迸り、作品にした。古今東西人々は火にもっとも心が奪われたのであろう。人間の原始的な動物性にひとりでに火に注目する何かが存在しているのであろう。だからこそ聖書に漢字「火」が500回近くも出て来る。火が高頻度語となる所以。
 聖書に出て来る火に関する分析で前回は<3>火のあいうえお順をしめしたが、今回はそれを高頻度順で並べてみた。そのトップは「火を放つ」であり放火であった。主である神の手による放火であった。放火は67箇所にも発見できる項目であり、聖書を読む場合「放火」は無視できない存在である。

<4>聖書に出て来る火の序列
一位:放火の火(火を放つ)――67回
二位:主の火――36回
三位:主の怒りの火――22回
四位:炭火――20回
五位:ともし火――14回
五位:天から降る火――14回
六位:神の怒りの火――12回
六位:町を焼く火――12回
七位:火皿――10回
八位:雲の中の火――9回
九位:エルサレムの火――8回
九位:清められた火――8回
九位:火に投げ込む――8回
九位:子を通らせる火――8回
十位:薪の火――7回
十位:硫黄の火――7回
十一位:神の火――6回
十一位:偶像を焼く火――6回
十一位:主の情熱の火――6回
十一位:主が人間を焼く火――6回
十一位:火からのげれる――6回
十二位:ガンダム(ケルビム)とガンダム(ケルビム)の間の火――5回
十二位:ささげものを焼く火――5回
十二位:人を焼き尽くす火――5回
十二位:火が食い尽くす――5回
十二位:都を燃やす火――5回
十三位<聖書に四回出て来た語句>
家を焼く火、祭壇の火、主を包む火(――火の中にある主)、主が燃やす火、民を焼き尽くす火、人間を焼き尽くす火、人に注がれる火、腐食を焼く火、炉の火
十四位<聖書に三回出て来た語句>
生贄を焼く火、エジプトの火、木を燃やす火、子供を投じる火、煙の火、柴を燃やす火、松明の火、火あぶりの火、火に焼ける、火花の火、火打石、パンを焼く火、火矢、焼く火、
山に燃える火
十五位<聖書に二回出て来た語句>
荒野の火、エジプトの神殿で燃える火、規定に反する炭火、香を焼く火、子供を焼く火、
ガンダム(ケルビム)の腰の周りの火、口から噴き出る火、財産を燃やす火、舌のように舐める火、戦車を焼く火、大地の火、企みの火、暖炉の火、ティルス(ツロ)の城壁の火、灯油の火、肉を焼く火、火の中を歩く人間、火で焼かれる諸国民、火種、武器燃やす火、バビロンが燃える火、レバノン杉を焼く火
十六位<聖書に一回出て来た語句>
 彼ら(異教徒)を焼き尽くす火、葦の火、イスラエルを燃やす火、茨が燃える火、馬の火、エニシダの炭火、太い枝の火、エルサレムの城郭の火、火刑、黴を焼く火、神々を投げ込む火、閂(かんぬき)の火、火葬の火、草が燃える火、苦難の火、軍服を投げ込む火、国を焼き尽くす火、欠乏の火、言葉に燃える火、彼のものを焼き尽くす火、家族もろともに焼き尽くす火、弦を燃やす火、ガザの城壁の火、枯木に注ぐ火、ガンダム(ケルビム)の目の火、ガンダム(ケルビム)とガンダム(ケルビム)の間の炭火、車の火、ケリオト
の火、祭壇に放火する火、逆らう者にかけられる火、錆を取る火、山頂で燃える火、車輪で燃える火、失火者の火、シオンの火、子孫の火、神殿に放火する火、主の言葉の火、主が奴隷を焼く火、首長達を焼き尽くす火、サムソンの火、城門に放火する火、城郭の火、審判の火、精錬の火、背いた者に燃える火、ダマスコの火、調理の火、ツォアンの火、テマンの火、天幕を焼く火、鉄工(鍛冶屋)の火、塔に放火する火、砦の火、肉を煮込む火、鍋の火、人間が歩く火、ネゲブの火、背信者を燃やす火、初穂をあぶる火、畑を焼き尽くす火、ハザエルの宮殿の火、住民を火に投げ込む、火の前の蝋、火の中に投げ込まれるサマリアの像、火の中を通す、火の川、火バサミ、懐に入れる火、太った者を燃やす火、ヘシュボンの火、モアブの火、民家を燃やす火、息子や娘を焼き尽くす火、燃えさしの火、森を燃やす火、村を焼く火、モーセの放火の火、息子を燃やす火、ヤコブの家の火、ユダの町々の火、ユダの火、行く手の火、ヨセフの火、ラバンの火、烈火の火、若者を燃やす火

 聖書には「火を放つ」が出て来る回数が圧倒的に多かった。日本語では「火を放つ」は放火のことである。主の放火が目立った。何に火をつけたのか。それは国や城壁や村や生きている人間に対して火をつけていた。中でも異教徒や背信者そして偶像崇拝者等の人々に火をつけて廻った。
 世界では過激派テロリストIS国は異教徒を檻に幽閉して火をつけるという残虐行為が指弾されている。檻の中の人間に火をつけるのはコーランに基づいているとされている。同じことが旧約聖書でも発見された。旧約聖書でも異教徒に神が火をつけて集団虐殺することは当り前の行為であった。
 現在、中東地方で展開しているのは宗教戦争。ユダヤキリスト教連合とイスラム教との対立である。両陣営に共通する点は旧約聖書に描写されている異教徒に対する憎悪であると言える。日本もこのような際限がない宗教戦争に飛び込むことが国会で決定されようとしている。いよいよ二十一世紀の十字軍遠征が東アジアを含めて世界規模に拡大しそうな気配だ。これで戦費の垂れ流しによる国民生活破壊と国力疲弊は必至。今回は核戦争になるかもしれない。どんな戦争でもそうだが昨日の友は今日の敵である。そして、二度あることは三度ある。広島長崎の次は東京かもしれないという噂がある。確かに、日本が戦争で動き始めると世界は騒然となる。日本が動くと必ず戦争犠牲者はの数が大きくなる。今までがそうだった。二度あることは三度あるという話は噂で終わって貰いたい。祈らずにはおれない。
 神の荒野への放火、神の諸国への方か場面には草木だけではなく逃げ惑う人々の姿が鮮明に描写されていた。主の姿、それは沖縄戦争での米兵の姿であった。米兵が構える火炎放射機の炎が沖縄の人々に注がれる場面を思い出させる。思わず聖書を閉じてしまうこともあった。それぞれの場面がリアルであり聖書時代と現代戦争の戦場と余り変わらない点が印象的である。

<5>神の火の怒り
 神が即ち火であり、またその火は神の怒りの象徴として聖書に描写されていた。聖書時代の人々は神が怒りを伴いながら火をつけて廻る存在であると考えていたようである。神は即ち怒りであるとの考え方があった。世界最古の宗教で、ユダヤ教よりも古い紀元前16世紀に生まれたといわれている拝火教(ゾロアスター教)の影響であろうか、火に対して畏敬の念が深い。同時に火に対する恐怖感が当時は強烈であったことが推定出来る。
 昨日、二〇一五年七月六日午前零時に九州は国東半島に位置する大分県杵築市で不幸な事件が起きた。テレビで自衛隊員が自宅に放火し、自分の子供を四人焼死させた。それは偶然、この「聖堂の詩」で主なる神の火を放つ行為を調査している真最中であり手が震えてキーボードを叩くことすら出来なくなった。聖書の放火と現実の放火の重なりに驚いた。
 主なる神の放火は多くの場合、怒りを伴う放火であった。だからこそ「主の怒りの火」が聖書の22箇所に発見される。主なる神が聖書の中で少なくとも22回以上怒りから火を放っている。即ち22回以上怒りによる放火であった。日本では古代から放火は重罪であった。古事記など神話に神が怒りから火を放つと言う話は出て来ない。日本と中東地方はその背景の自然も歴史も大きな違いがある。古代聖書時代には放火はそれほど犯罪視されなかったことがこれほど神による放火が多い原因であろう。

<6>主なる神は何に火を放ったのか、放火対象は何か
 主なる神がさまざまな物に火を放ち放火をしていた。そのことを取り上げるのは気が重いのであるが、調査から外し無視することは出来ない。気が重いが調べざるを得ない。火を放つことの罪悪感の軽重があるのは時代も異なり止むを得ない事であろう。主なる神が火を放った対象を高頻度順に列挙してみた。
第一位は12回:町を焼く火
第二位は8回:子を通らせる火(但し、これは異教徒が子供を焼く描写)
第三位は6回:偶像を焼く火
第四位は6回:人間を焼く火
第五位は5回:人を焼き尽くす火
第六位は5回:都を焼き尽くす火
第七位は4回:家を焼く火、民を焼く火、人を焼き尽くす火、人に注がれる火、
第八位は3回:子供を投じる火(但し、これは異教徒が子供を焼く描写)
第九位2回:イスラエルを燃やす火、大地の火、ティルスの火、諸国民を焼く火、バビロンが燃える火、レバノン杉を燃やす火
第十位1回:彼ら(異教徒)を焼き尽くす火、茨の燃える火、イスラエルを燃やす火、エルサレム城郭の火、ガザ城壁の火、ユダの火、ヘシュボンの火、モアブの火、ラバンの火、村を焼く火、若者を燃やす火、太い枝の火、草が燃える火、国を焼き尽くす火、背信者を燃やす火、娘や息子を燃やす火

 以上の対象物に対して主なる神が火を放っている。人々が火を恐れ神を恐れて居たであろう社会背景が聖書を通じて見えてくる。それにしても主なる神が、異教徒であれ、背信者であれ、偶像崇拝者であれ火を放つという行為は時代を超えているといえどもそのような行為の肯定は現代文化にも反映しているのではないだろうか。

<7>聖書で神が火を放つことの現代社会への反映
 聖書に於ける神が火を放つことの肯定は現代社会にも反映しているのではなかろうか。アメリカ社会では原爆を広島長崎に投下したことは軍国主義日本を早期に鎮める為に有効であったとし正当であると考えられているが、このように考えられる背景には聖書が精神的支柱にあることは否定できない。
 また、沖縄戦争での火炎放射機や日本の主要都市での焼夷弾爆撃は聖書の描写を髣髴とさせるのであるが、このような兵器の活用は聖書がそのバックボーンに全く無いとはいえないであろう。「火を放つ」という言葉が聖書にはあまりにも多いからである。
 昨今の日本でも放火事件が増えているが、キリスト教の布教活動やキリスト教原理主義の台頭との因果関係は全く無いかもしれない。しかし、キリスト教徒の増加につれて放火事件が増加している事実は気になる日本社会の雰囲気であり現象である。新幹線車内での放火や大分県杵築市での放火などが連続しているのは気になる現象である。
 日本の家屋は鉄筋コンクリートが増えているもののまだまだ伝統的木造家屋が多い。日本の家は木と土と紙とで出来ている。木と土と紙とで造られた家に人々の生活がある。だからこそ古代から放火は反社会的行為であり罪が重い。聖書を読む場合、社会環境の隔たり歴史環境の隔たりを深く認識した上で読み進まなければ極めて危険である。
 イスラム原理主義者たちが処刑としてキリスト教徒を檻に幽閉し火をつけたとニュースは報じている。そのようなことは聖書にも多く描写されている。これも社会や歴史を認識した上で読まなければ極めて危険である。
 明治維新政府は民衆を扇動し、廃仏毀釈運動を全国に展開した、その結果当時日本に存在した仏像の半数以上が燃やされたといわれている。明治6年切支丹禁教令が解かれた時と時間的なずれはあるものの、廃仏毀釈運動と聖書での偶像焼却と似ている。偶像を破壊する行為であるだけに聖書とその場面が酷似している。気になる現象である。日本では同じ轍を踏まないという点でも廃仏毀釈運動の解明が期待される。

<8>何故、聖書辞典には「火をはなつ」に関する説明が皆無なのか
 「火を放つ」に関して幾つかの聖書辞典を調べたが、主である神が火を放つことに関する説明が発見できなかった。日本語では「火を放つ」は「放火」でもあるのであるが、この「放火」に関しても説明が何処にも発見されなかった。
 古くから知られている常盤隆興編の「聖書辞典」で火を調べたが、「火を放つ」も「放火」も発見できなかった。但し「火」に関しては以下の説明があった。それをそのまま此処に引用した。「聖書辞典」551ページから引用した。
「ひ(火)
 ①火は生活上不可欠なものである。工芸に(創世記4-22)、また暖をとるために用いた(エレミヤ記36-22、ヨハネ伝8-18、18)、使徒行伝28-2)。燔祭の壇には火を絶やすことは許されなかった(レビ記6-12)。主の火が下がることは、ささげものが神に受容れられたしるしである(士師記6-21、列王記上18-38)。また火は神の臨在として関連してしるされている(出エジプト記3-2、13―21・22,19-18、申命記4-12、4―36、サムエル記下22-13、詩編105、イザヤ書6-4、エゼキエル書1-4、マラキ書3-2)。また火は触れるものを焼き尽くすので、不浄を清めるものとされていた(またい伝3-11など)。異教では日を崇拝することが行われていた。モレク礼拝を行ってきた人々は、自分の子供を火の中で焼き、それを敬虔な行為であると信じられていた(列王記下16-2、列王記下21-6、エレミヤ書7-31、エゼキエル書16-20)
 ②民数記21-30の「火」は文語訳ではへブル語に従い「またノバに及び」とある。この場合のノバは地名であり、モアブの一都市地名である。」
 以上のような「火」に関する解説を述べている。因みに「火打石」に関しては以下の如き記述であった。是は825ページで解説していた。「火打石」もそのまま引用した。
「火打石 緻密で硬い。半透明または不透明。鉄で打って発火させる。割れると鋭い刃が生まれ、その刃を活用し先史時代はには石斧、ナイフに活用された(イザヤ書50-7、ヨシュア記5-2)。」
 火に関しては「火」と「火打石」の二項目しか解説していない「聖書辞典」であった。何故、火を放つ「放火」に関して「聖書辞典」は言及しないのであろうか。幾つかその理由を推定した。
 聖書に出て来る「火」は聖書の498箇所、500近くの箇所で発見されるのであるが、どのような火であったかを調べた結果は本稿の<4>出述べた。「火」の中で最も高い頻度で一位は「主が火を放つ」であり、主の放火であった。498回中一割以上67箇所に神の放火が描写されていた。このように聖書に良く出て来る「神が火を放つ」であるのに全く聖書辞典には触れられていないのである。聖書辞典としては極めて不自然であり、辞典としては不思議な体裁である。
 幾つかその理由を考えたのであるが、日本社会では古代から現代にかけて、焚き火に火をつける」ぐらいは驚かないのであるが「焚き火に火を放つ」となれば誰もが心の中が穏やかにならない。喩えそれが神の行為であろうと、「火を放つ」などということは恐ろしくて考えられないことではなかったのか。
 聖書翻訳者は、苦しんだであろう。しかし「火を放つ」ぐらいは言えるが「神が放火」したとは翻訳できない。そんな事情があったであろう。しかし、ながら紙のp放火対象は人間であり、家であり、集落を放火しているのである。その多くの理由は異教徒であったり、異邦人であったり、背信者であったりした。イスラム教徒の一部過激派はキリスト者を檻に幽閉したうえで火を放ったとマスコミは伝えているが、その同じ行為は旧約聖書に予想以上に多い場面で描写されている事実を認識すべきではなかろうか。
 砂漠社会では古代も現代も道の選択は厳しいものと人々は昔から信じていた。道を誤ることは背信者になることであり偶像崇拝者に鳴ることでもあった。それだけに背信者も偶像崇拝者も許せない。だからこそ、神は烈火のごとく怒りで支配したと考えられる。
 先月、2015年6月だったと思うが、マスコミはキリスト教一教派と伝えられているが、全国の神社仏閣に油をまいて回った人間が居た。その行いは表面的には旧約聖書の神の放火行為と酷似している。明治維新政府の「廃仏毀釈運動を彷彿とさせた。恐らく旧約聖書の火」に関する部分だけを取り上げてそれを模倣したと推定されるが、聖書を読み違えれば少しの読み違いでとんでもない反社会的行為に走ってしまう危険性は聖書には山ほどある。
 だからこそ聖職者による聖書の翻訳は逐語訳ではなく翻訳でなければならないことはいうまでもないが言葉の選択が慎重でなければならない。歪んだ翻訳や歪んだ「聖書辞典」は信徒をとんでもない方向に導くことであろう。昨今の多くのキリスト教宗派で聖職者による性犯罪、金銭関係犯罪が多く日常化していることも、聖書を曖昧に読んでいることが大きな原因であろう。
 だからこそ聖書の翻訳で「神により放火」を正確に翻訳しなければならない。逐語訳では信徒の誤解が拡がるのである。このような問題に何時までも蓋をして「神が放火した」ことを真剣に議論されない。そのことが現代のユダヤ教やキリスト教のとてつもない大きな弱点では無いだろうか。