聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その938―仰ぐ(1)

2013-09-24 18:28:31 | Weblog
          舟屋より仰ぐ丹後の鱗雲      紅日2013年2月号
 鱗雲は秋の季語。漁師仲間では鱗雲が出ると鰯が大漁になると言う。そんな理由から鱗雲は鰯雲と呼ばれることもある。作品は丹後半島の伊根舟屋群集落にて。丹後半島の付け根に天橋立がある。丹後半島北端に経ヶ岬がある。天橋立から経ヶ岬に向かう海岸沿いに伊根集落がある。天橋立と経ヶ岬とのほぼ中点に位置する集落だ。伊根湾は急峻な山に囲まれている。そして沖には青島が浮かび青島も伊根湾を囲んでいる。こんな地理的環境が伊根独特の舟屋集落群を形成した。伊根湾は荒海の日本海から隔離された穏やかな海。その穏やかさが舟屋集落群を形成した。山に囲まれた湾であり、平地が乏しい。平地が乏しいので船小屋の上を居住空間にする。また、波が穏やかなので舟を家屋内部にまで導入しようとする発想が生まれたのであろう。伊根の漁民の舟を大切に扱う思いが見えてくる舟屋群集落である。真っ青な空の下に鏡のような伊根湾も真っ青だった。舟屋から腰をかがめながら青空を仰ぐと鱗雲が広がっていた。その為に潮の香る舟屋の中まで明るかった。作品「舟屋より仰ぐ丹後の鱗雲」は丹後の鱗雲の美しさを舟屋の中から描いた。
 さて、聖書にはどのような「仰ぐ」があるだろうか。聖書であるから「信仰」が最も多いと思われるが、「仰ぐ」と言う動詞も多いであろう。私は丹後伊根にて鱗雲を仰ぎ見たのであるが、古代中東地方は何を仰ぎ見ていたのであろうか、それを聖書で調査してみた。何を仰ぎ見たのか聖書全体で拾い上げ調査した。数が多いと推定されるのであるが漢字「仰」を全て丹念に拾い上げ調査してみたい。何を仰ぐか、それはその人のものの考え方をも推定できる。古代中東地方の人々は何をしばしば仰ぎ見ていたのか明らかにしてみたい。何処の学校の校歌でも必ず入っている単語がある。それは「仰ぐ」だ「仰ぐ」のない校歌は日本にはない。聖書にも単語「仰ぐ」は多い。古代中東地方の人々は、何を仰ぎ見ていたのかを明らかにし、当時の人々のものの考え方を推定する一資料になればよいと思う。

              (聖書に発見される漢字「仰」の巻別分布)
 信仰など目に見えない物を除いて、また「仰る」などを除いて、具体的に人々は何を仰いでいたのか、それを聖書の全ての「仰」を取り上げつつ調査した。聖書全体では521回の漢字「仰」が発見された。聖書の中では中頻度語である。聖書の中では漢字「仰」はしばしば見かける。
●創世記には漢字「仰」は2回発見された。その箇所は以下であった。
 創世記では僅か二回の仰」である。そのうちの一回が仰せになる」であり、もう一回が「天を仰ぐ」であった。
・8-5ではを仰せになった。
・15-5では天を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●出エジプト記には漢字「仰」は22回発見された。その箇所は以下であった。
 この巻では22回のうち全てが「主が仰せになった」であり、仰ぎ見るの漢字「迎」は発見されなかった。
・6-2では仰せになった。
・6-10では仰せになった。
・6-29では仰せになった。
・7-13では仰せになった。
・7-22では仰せになった。
・8-11では仰せになった。
・8-15では仰せになった。
・9-12では仰せになった。
・9-35では仰せになった
・10-29では仰せになった。
・13-1では仰せになった。
・14-1では仰せになった。
・16-11では仰せになった。
・16-23では仰せになった。
・25-1では仰せになった。
・30-11では仰せになった。
・30-17では仰せになった。
・30-22では仰せになった。
・31-1では仰せになった。
・32-7では仰せになった。
・33-1では仰せになった。
・40-1では仰せになった。

●レビ記には漢字「仰」は36回発見された。その箇所は以下であった。
 19-4の一箇所の「偶像を仰ぎ」以外は全てが、即ち35回の漢字「仰」は「主が仰せになった」の迎であった。また、レビ記のほぼ全ての巻頭には「主が仰せになった」とある。主がモーセに伝える場面が目立つ。
・1-1では仰せになった。
・4-1では仰せになった。
・5-14では仰せになった。
・5-20では仰せになった。
・6-1では仰せになった。
・6-12では仰せになった。
・6-17では仰せになった。
・7-22では仰せになった。
・7-28では仰せになった。
・8-1では仰せになった。
・10-8では仰せになった。
・11-1では仰せになった。
・12-1では仰せになった。
・13-1では仰せになった。
・14-1では仰せになった。
・15-1では仰せになった。
・16-1では仰せになった。
・17-1では仰せになった。
・18-1では仰せになった。
・19-1では仰せになった。
・19-4では偶像を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・20-1では仰せになった。
・21-16では仰せになった。
・22-1では仰せになった。
・22-26では仰せになった。
・23-1では仰せになった。
・23-9では仰せになった。
・23-23では仰せになった。
・23-26では仰せになった。
・23-33では仰せになった。
・24-1では仰せになった。
・24-13では仰せになった。
・25-1では仰せになった。
・27-1では仰せになった。

●民数記には漢字「仰」は49回発見された。その箇所は以下であった。
・1-1では仰せになった。
・1-48では仰せになった。
・2-1では仰せになった。
・3-5では仰せになった。
・3-11では仰せになった。
・3-14では仰せになった。
・3-44では仰せになった。
・4-1では仰せになった。
・4-21では仰せになった。
・5-1では仰せになった。
・5-4では仰せになった。
・5-5では仰せになった。
・5-11では仰せになった。
・6-1では仰せになった。
・6-22では仰せになった。
・8-1では仰せになった。
・8-5では仰せになった。
・8-23では仰せになった。
・9-1では仰せになった。
・9-9では仰せになった。
・10-1では仰せになった。
・12-8では主の姿を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るの一つ。
・14-26では仰せになった。
・15-1では仰せになった。
・15-17では仰せになった。
・16-20では仰せになった。
・16-23では仰せになった。
・17-1では仰せになった。
・17-9では仰せになった。
・17-16では仰せになった。
・18-8では仰せになった。
・18-25では仰せになった。
・19-1では仰せになった。
・20-7では仰せになった。
・21-9では青銅の蛇を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・24-4では仰せになった。
・24-16では仰せになった。
・24-17では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・25-10では仰せになった。
・25-26では仰せになった。
・26-52では仰せになった。
・28-1では仰せになった。
・31-1では仰せになった。
・33-50では仰せになった。
・34-1では仰せになった。
・34-16では仰せになった。
・35-1では仰せになった。
・35-9では仰せになった。

●申命記には漢字「仰」は7回発見された。その箇所は以下であった。
・1-6では仰せになった。
・1-21では仰せになった。
・2-17では仰せになった。
・4-19では天を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・25-19では仰せになった。
・32-48では仰せになった。
・33-9では仰せになった。

●ヨシュア記には漢字「仰」は3回発見された。その箇所は以下であった。
・11-23では仰せになった。
・20-1では仰せになった。
・24-27では仰せになった。

●サムエル記上には漢字「仰」は2回発見された。その箇所は以下であった。
・1-22では主の御顔を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・10-18では仰せになった。

●サムエル記下には漢字「仰」は4回発見された。その箇所は以下であった。
・3-18では仰せになった。
・5-2では仰せになった。
・14-19では仰せになった。
・22-31ではを仰せになった。

●列王記上には漢字「仰」は10回発見された。その箇所は以下であった。
・1-36では仰せになった。
・5-20では仰せになった。
・8-12では仰せになった。
・8-15では仰せになった。
・8-18では仰せになった。
・8-25では仰せになった。
・8-29では仰せになった。
・9-3では仰せになった。
・11-2では仰せになった。
・11-11では仰せになった。

●列王記下には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・21-7では仰せになった。

●歴代誌上には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・11-2では仰せになった。

●歴代誌下には漢字「仰」は9回発見された。その箇所は以下であった。
・6-1では仰せになった。
・6-4では仰せになった。
・6-8では仰せになった。
・6-16では仰せになった。
・6-20では仰せになった。
・7-12では仰せになった。
・20-12では主を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・32-23では王を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・33-7では仰せになった。

●エステル記には漢字「仰」は2回発見された。その箇所は以下であった。
・5-8では仰せになった。
・10-3ではモルデカイを仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●ヨブ記には漢字「仰」は15回発見された。その箇所は以下であった。
・6-10では仰せになった。
・16-20では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・19-26では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・19-27では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・27-12では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・31-26では太陽と月を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・33-26では神の御顔を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・33-28では光を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・35-5では天を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・36-25では主の御業を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・38-1では仰せになった。
・40-1では仰せになった。
・40-6では仰せになった。
・42-5では主を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・42-7では仰せになった。

●詩編には漢字「仰」は54回発見された。その箇所は以下であった。
・5-4では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・8-4では神の指の業を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・12-2では信仰。
・12-7では仰せになった。
・12-8では仰せになった。
・16-11では主の御顔を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・17-15では主の御顔を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・18-31では仰せになった。
・25-1では主を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・27-4では朝を迎える。数少ない迎えるのひとつ。
・31-24では信仰。
・33-9では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・34-6では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・37-3では信仰。
・40-4では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・42-3では神の御顔を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・46-9では主の遂げられたことを仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・58-9では太陽を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・63-3では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・66-5では神の御業を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・90-3では仰せになった。
・90-16では神の御業を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・97-6では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・105-19では仰せになった。
・107-11では仰せになった。
・107-25では仰せになった。
・119-4では仰せになった。
・119-11では仰せになった。
・119-30では信仰
・119-38では仰せになった。
・119-41では仰せになった。
・119-50では仰せになった。
・119-58では仰せになった。
・119-67では仰せになった。
・119-76では仰せになった。
・119-82では仰せになった。
・119-90では信仰。
・119-103では仰せになった。
・119-116では仰せになった。
・119-123では仰せになった。
・119-133では仰せになった。
・119-140では仰せになった。
・119-148では仰せになった。
・119-154では仰せになった。
・119-158では仰せになった。
・119-162では仰せになった。
・119-166では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・119-170では仰せになった。
・119-172では仰せになった。
・121-1では山を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・123-1では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・138-2では仰せになった。
・138-4では仰せになった。
・147-15では仰せになった。

●雅歌には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・3-11ではソロモンを仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●イザヤ書には漢字「仰」は14回発見された。その箇所は以下であった。
・1-12では主の御顔を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・6-5では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・17-7では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・17-8では祭壇を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・26-2では信仰。
・26-11では御手を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・31-1では聖なる方を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・33-17では王を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・33-20ではシオンを仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・38-14では天を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・41-5では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・45-22では主を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・52-10では神の救いを仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。この場合の仰ぐは期待するの意味もある。
・62-2では主の栄光を仰ぐ。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●エゼキエル書には漢字「仰」は3回発見された。その箇所は以下であった。
・18-6では偶像を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・18-12では偶像を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・18-15では偶像を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●ダニエル書には漢字「仰」は2回発見された。その箇所は以下であった。
・4-31では天を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。
・9-3では神を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●アモス書には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・では主を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●ミカ書には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・7-7では主を仰いでいる。数少ない仰ぎ見るのひとつ。

●ハバクク書には漢字「仰」は1回発見された。その箇所は以下であった。
・2-4では信仰。

聖堂の詩その937―底

2013-09-17 06:41:20 | Weblog
         鯊釣りの沖で底掻く浚渫船       紅日2013年1月号
 鯊(はぜ)は秋の季語。ハゼは汽水湖や干潟に這う魚。愛媛県ではハゼよりもキス科のトラハゼが有名だ。魚体が虎のような縞模様なので虎鯊という。松山市では塩屋海岸や梅津寺海岸や白石の浜などが好漁場だ。虎鯊を釣りに宇和島など南予にまで出かけた覚えはあまりない。魚に余価値が無かった。小鯵釣りと同じように次々釣れるので釣りの面白さも乏しかった。魚に価値が乏しいといっても虎鯊の南蛮漬けはこれほど美味い物はない。唐揚げにして唐辛子入りの甘酢に漬けると一週間は食べられる。三日目ぐらいになると骨まで食べられて味も最高になり、高級料理のひとつだ。
 虎鯊の南蛮漬けは懐かしい料理であるが京阪神地方では食べることは百パーセント無理である。トラハゼは鮮度が落ちるのが早いからだ。釣り上げたらその日のうちに料理しなければならない。そんな理由で蒲鉾や竹輪などの練り製品原料になる。郊外に沢山の漁港がある松山では「松山すし」と呼ばれるちらし寿司がある。一種の郷土料理でもある。ちらし寿司の出汁はエソやトラハゼでとった。そしてちらし寿司の上にはアナゴや酢に漬けたトラハゼが上に盛られている。あんな料理はもう二度と口にすることは無いだろう。今考えれば余りにも贅沢であり高級である。
 作品「鯊釣りの沖で底掻く浚渫船」は淀川河口での作品。ゼロメートル地帯のスーパー堤防の見学時で生まれた作品。河川の上流部でダムが沢山建設されると河川は全体的に痩せ細る。それはダムが上流から流れてくる土砂や泥土をブロックするからである。河川の運搬力や体積力が衰えて痩せ細るのが一般的傾向である。上流から運搬される土砂や泥土が少なくなり中州が小さくなったり、河岸の河川敷きが狭くなったりする。日本の河川はその上流に戦後ダム建設が急激に増えた。その為に日本の沖積平野の発達拡大は戦後急激に衰えていると言えるであろう。それにしても台風の後や梅雨豪雨の後などは河口で活躍しているのは浚渫船だ。
 台風の後や梅雨豪雨の後は河口に土砂が堆積し船舶の航行が困難になる。船底に台風や梅雨豪雨で上流から運搬堆積した泥土ぶつかり航行が困難になる。大型タンカーなら尚更である。したがって、台風が通過した河口には必ず浚渫船(しゅんせつせん)が停泊し海底の泥土を救い上げて安全な航路を確保している。豪雨の後には必ず愛媛県松山市の重信川河口には浚渫船が作業をしていた。それを大阪の淀川河口でも目撃した。魚釣りは海水の透明度が高かったり晴天日は避けるべきである。魚の視力は人間が考える以上に良い。彼らは釣り糸を認識することが出来るのであり、多少にごった海でなければ釣ができない。また釣り糸は出来る限り細くしなければならない。豪雨の後の河口でありしかも曇天の日は最高の釣り日和である。潮が澄み渡る日や晴天日は避けるべきである。それは彼らに釣り糸を見せながら釣ろうとする愚である。
 作品「鯊釣りの沖で底掻く浚渫船」は静かに釣りをしているのに沖で底をかき回す浚渫船がいる。魚が怯えて釣りどころではない風景を描いた。水中は音の伝導が良い。空気中よりも水中のほうが伝導性が良い。それはスキューバーダイビングの経験者は知っていることである。小石に少し触れただけでも音は遠くにまで聞こえるものである。子供のころ鉄道のレールに耳を押し付けるとまだまだ遠い見えないところを走ってくる機関車の音が聞こえて来た。そんな危険な遊びに夢中になったことがあった。小学生頃だった。中学生になってまでそのような馬鹿な遊びはしなかった。水中はレールと同じで遠くの音まで聞こえてくる。私はさぞかし鯊は浚渫船の音に怯えているに違いないと思った。そんな心地で生まれた作品だ。それは遠い遠い昔の、そして遠い遠い場所から聞こえてくる音に対する私の郷愁である。
 その音は鯊に聞こえてくる浚渫船の音であり、浚渫船が海底をかき回す音である。回転ショベルが海底を掻き回す音、それはどんな音であるか私は凡そ見当がつく。ザリザリとゴボゴボの入り混じった音だ。その音を感じて生まれた作品である。沖の浚渫船が海底を掻き回す音、すなわち海の底を掻き回す音が聞こえてくる。それは、底を掻く独特の音である。我々は底に対して抱く独特の感覚がある。底の深さ、底が発する鈍い音など、日本語で感じる底には独特の感覚を抱いている。さて、聖書にはどのような「底」があるのだろうか。此処では聖書に於いて発見できる底の実態に迫ってみたい。聖書にはどんな底の種類があるのか調査してみた。


                           (聖書に発見される「底」の巻別分布)
●出エジプト記に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・15-5の底は深淵の底であった。

●申命記に於ける単語「底」は3回発見された。その底は何の底であったか。
・7-26の底は「徹底」の底であった。
・12-2の底は「徹底的に」の底であった。
・32-22の底は陰府の底であった。

●ヨシュア記に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・17-13の底はの「徹底的に」の底であった。

●士師記に於ける単語「底」は3回発見された。その底は何の底であったか。
・1-28の底は「徹底的に」の底であった。
・11-33の底は「徹底的に」の底であった。
・15-8の底は「徹底的に」の底であった。

●サムエル記下に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・22-16の底は海の底であった。

●列王記上に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・14-10の底は「徹底的に」の底であった。

●列王記下に於ける単語「底」は2回発見された。その底は何の底であったか。
・3-9の底は水の底であった。「家畜のための水が底をついた」とある。
・11-18の底は「徹底的に」の底であった。

●歴代誌上に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・の底は「考えの奥底」の底であった。


●歴代誌下に於ける単語「底」は3回発見された。その底は何の底であったか。
・12-12の底は「徹底的に」の底であった。
・15-15の底は心の底であった。
・31-1の底は「徹底的に」の底であった。

●ヨブ記に於ける単語「底」は7回発見された。その底は何の底であったか。
・12-22の底は「暗黒の深い底」の底であった。
・19-27の底は腹の底であった。
・26-5の底は水の底であった。
・26-8の底は雲の底であった。
・28-3の底は「死の闇の底」の底であった。
・34-36の底は「徹底的に」の底であった。
・38-16の底は深淵の底であった。

●詩編に於ける単語「底」は10回発見された。その底は何の底であったか。
・18-16の底は海の底であった。
・49-12の底は土の底であった。
・62-5の底は腹の底であった。
・68-23の底は海の底であった。
・69-3の底は水の底であった。
・69-15の底は水の底であった。
・88-7の底は地の底であった。
・95-4の底は地の底であった。
・130-1の底は淵の底であった。
・139-15の底は地の底であった。

●イザヤ書に於ける単語「底」は5回発見された。その底は何の底であったか。
・1-15の底は墓穴の底であった。
・14-19の底は陰府の底であった。
・44-23の底は地の底であった。
・44-27の底は水の底であった。
・51-10の底は海の底であった。

●哀歌に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・3-55の底は深い穴の底であった。「深い穴の底から主よ、私は御名を呼びます」とある。

●エゼキエル書に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・36-5の底は心の底であった。

●ダニエル書に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・6-25の底は穴の底の底であった。「彼らは穴の底まで達しないうちに獅は彼らを噛み砕いた」とある。

●アモス書に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・9-3の底は海の底であった。

●ヨナ書に於ける単語「底」は3回発見された。その底は何の底であったか。
・1-5の底は船底の底であった。
・2-3の底は陰府の底であった。
・2-7の底は地の底であった。

●ゼファニア書に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・3-14の底は心の底であった。

●ゼカリア書に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・1-8の底は谷底の底であった。

●ルカ伝に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・8-31の底は底なしの淵の底であった。

●ローマの信徒への手紙に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・10-7の底は底なしの淵の底であった。

●ガラテアの信徒への手紙に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・1-13の底は「徹底的に」の底であった。

●エフェソの信徒への手紙に於ける単語「底」は1回発見された。その底は何の底であったか。
・1-13の底は心の底であった。

●ヨハネの黙示録に於ける単語「底」は7回発見された。その底は何の底であったか。
・9-1の底は底なしの淵の底であった。
・9-2の底は底なしの淵の底であった。
・9-11の底は底なしの淵の底であった。
・11-7の底は底なしの淵の底であった。
・17-8の底は底なしの淵の底であった。
・20-1の底は底なしの淵の底であった。
・20-3の底は底なしの淵の底であった。


             (聖書に発見される単語「底」の特徴)
<1>「底」は低頻度語
 聖書全体で発見される単語「底」は58回であった。余目にする言葉ではない。低頻度語に属する単語であることが判明した。

<2>旧約聖書に偏在
 単語「底」は聖書全体で58回発見された。58回中旧約聖書では47回で新約聖書では11回だった。旧約聖書に圧倒的に多いことが判明した。

<3>旧約聖書の巻別分布序列
 旧約聖書の中で単語「底」が最も集中している巻は詩編であった。10箇所で単語「底」が発見された。そして、第二位はヨブ記で7回、第三位はイザヤ書で5回であった。
第一位は詩編で10箇所に発見できる。
第二位はヨブ記で7箇所に発見できる。
第三位はイザヤ書で5箇所で発見できる。
第四位は申命記で3回発見できる。
第四位は士師記で3回発見できる。
第四位は歴代誌下で3回発見できる。
第四位はヨナ書で3回発見できる。

<4>新約聖書の巻別分布序列
 新約聖書の中で単語「底」が最も多かったのはヨハネの黙示録であった。黙示録の中には7回の単語「底」が発見された。他は一回づつの単語「底」であった。七回の黙示録が抽んでて多かった。

<5>聖書の「底」の分類
 聖書にはどのような種類の「底」があるのだろうか。それを分類し、多いもの順に序列をつけて列挙してみた。その結果は以下であった。
第一位は深淵の底であり11回発見された。
第一位は徹底の底であり11回発見された。
第二位は水の底であり7回
第三位は海の底であり5回発見された。
第四位は地の底であり4回発見された。
第五位は陰府の底であり3回発見された。
第六位は心の底、腹の底、雲の底がそれぞれ2回発見された。
第七位は土の底、考えの奥底、暗黒の底、死の闇の底、墓穴の底、穴の底、深い穴の底、船底、谷底がそれぞれ1回発見された。

<6>「徹底」や「徹底的」の多さ
 聖書には「徹底」や「徹底的」の多さが目立った。在職中の高校ではしきりに「服装の徹底」を耳にした。校内にはあちこちに「服装の徹底」と書かれた紙が貼られていた。これは日本語なのかと常に訝しく思いつつ、指摘しないでついに退職してしまった。「服装の徹底」とは服装の何を徹底するのか意味が分からない。誰に呼びかけているのかも分からない指導標語であった。教員は生徒の服装を徹底的に検査し指導せよと呼びかけているのか、それとも、生徒が誰にも文句が言われない服装を徹底的に意識せよと呼びかけているのか、私には分からなかった。意味不明の標語だった。日本では徹底や徹底的にという言葉が愛されているようだ。しかし、多くの場合意味不明な徹底や徹底的が多い。それは今の政治家が好んで使う言葉「しっかりと」と同じかもしれない。翻訳者はそのような流れで徹底や徹底的にを使った節がないことはない。そのような言葉を使わなくてももっと明瞭に通じるケースが多い。日本語訳聖書の翻訳者は「徹底」や「徹底的」はもう少し深く吟味して使うべきではなかろうか。「底まで貫き徹する」意味が正確に理解されていないのではないか。言うまでもないがこの場合の「底」は抽象化された底であり具体的に見える底ではない。

<7>深淵の底
 「深い淵の底」も「徹底」と並んで聖書では最も多い底であった。古代中東地方の人々は河川の深みや淵に強い興味を抱いていたことが読み取ることが出来る。中東地方は水の乏しい地域でありそれだけに深い淵に大きな関心を抱いていたものと推定できる。レントゲン撮影はレントゲンが発明した医療検査器具である。人名が医療機器呼称にそのまま転換した。しかし、レントゲン撮影はエックス線撮影とも呼ばれる。それはレントゲンが謎の放射線であるとして、エックス線撮影と呼ぶようになったのが始まりだ。聖書時代の人々は「深淵」は分からない神秘的なものの代表と考えていたのであろう。レントゲンにとってはエックス線のエックスは未知数である。古代中東地方の人々はエックスではなく深淵としていた。だからこそ聖書に二番目に多いのは「底なし」の「底」である。底がないのであるから無限大の未知である。

<8>海の底も五回発見された
 作品「鯊釣りの沖で底掻く浚渫船」の底は海底の底である。聖書にも海底の底が五回も発見される。見えない海底への興味関心が強かったのであろう。当時の人々にとっては海底は想像の世界であった。

聖堂の詩その936―天上と地上、そして天国と地獄

2013-09-12 08:19:00 | Weblog
            天界を歩く伊吹の花野道        紅日2012年12月号
 秋真っ盛り。村にも町にも運動会のピストルが聞こえるのはもうすぐだ。今頃、学校では先生も生徒も運動会の準備に大忙しだろう。秋の草が咲く野を花野という。比叡山も萩が咲き始めた。今朝歩いていると萩を見つけた。「比叡山の萩が琵琶湖の風に散る」そんな景色も見え始めた。花野も花野道も秋の季語。万葉集第八巻、秋雑歌1537番は山上憶良の作品である。「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」とある。七種の花が咲き乱れている野を花野という。
 漢字で秋の七種は、それは七草とも書くが、萩、尾花、葛、撫子、女郎花、藤袴、朝顔の七つの花を指摘している。萩は赤い花、尾花はススキのこと、葛は赤花房、撫子は河原に咲く派手な花、女郎花は日当たりの良い斜面に咲く黄色い花、藤袴は多年草の淡紅色の花、朝顔はお馴染みの漏斗形の派手な花、英語ではモーニンググロリアで朝の輝きを賛美する花。春は明るい景色で、反対に秋は沈んだ景色である。しかし、春の七草と秋の七草とはその性格が反対である。春は地味で沈んだ花色であるが、秋はけばけばしく派手な花が多い。
 日本では日本的な女性を大和撫子と呼んで居るが、撫子の花には控えめさは無い、これ見よがしに派手に咲くのが撫子の特徴だ。大和撫子は日本人女性の可憐さ、清楚さ、謙譲さを花に例えて言うが、実際の花の姿にはそれはない。何故、日本人女性の象徴花として撫子が決定されたのか訳が分からない。女性サッカーチームのパフォーマンスを見ていたらなるほど派手であると納得できるのであるが、河原撫子とも呼ばれる大和撫子はイメージ通りの花ではない。野に派手な撫子や朝顔が咲いている、その様な野を花野と呼び、花野の中を通る道を花野道という。秋の寂しい風景を彩り秋の寂しさを緩和するのが秋の七草。
 伊吹山の花野は広大である。山体が石灰岩であり、山頂部が侵食され平坦であるために広大である。伊吹山山頂付近は石灰岩地形特有の白石が散らばる羊群岩、又は羊背岩、又はドイツ語では溝地形を意味するカレンフェルトと呼ばれている地形だ。伊吹登山自動車道はその花野の裾まで敷設されている。
駐車場から山頂まで歩かなければならない。ゆっくり歩いて20分余りである。なだらかな坂道で険しい山道ではない。花野を楽しみながら歩くことが出来る。まるで花野の天国を歩いている気分である。その時に生まれたのが作品「天界を歩く伊吹の花野道」である。琵琶湖が眼下に見え隠れしたのですぐに「天界」という言葉が迸り出た。
 「天界」や「天上界」は仏教では良く出てくる言葉であるが、聖書には発見できない。しかし、天界に近い言葉として天上がある。尚、地獄と天国は対峙する言葉であるように、地上と天上は対峙する言葉である。わき道にそれる話で、また別の機会で扱おうと考えているのであるが、地獄と天国との対比には興味深い点がある。それは、聖書には天国という言葉が何処にも発見されないのである。天国も地獄も聖書には沢山出てくると思いがちであるが、それは全くの期待はずれである。
 単語「天国」は旧約にも新約にも発見されない。しかし、単語「地獄」は新約には数は少ないものの、16回発見される。マタイ伝7回、マルコ伝6回、ルカ伝1回、ヤコブの手紙1回、ペテロの手紙1回の合計16回であった。地獄は旧約には無く新約にしか発見できない、しかも、その回数は僅か16回である。この事実から推定出来るのは旧約聖書時代も新約聖書時代も天国と地獄を対比して考え理解する事は無かったといえるのではないか。即ち、旧約聖書時代も新約聖書時代も天国も地獄もその概念が曖昧模糊として考えていたと推定できる。勿論、天国と地獄を対峙して考えることは無かったのではないか。
 天国や地獄は中世暗黒時代に醸成された言葉であり概念である可能性があるのではないだろうか。天国と地獄は我々は常に考えるのであるが、古代中東地方はそのような思考習慣は無かったようである。天国と地獄に関してはこの程度にしておいて、此処では地上と天上とを聖書の中で対比考察して見ようと思う。聖書には地獄と天国は単語として乏しかったが、地上と天上はその数が驚くほど多い。古代中東地方の人々は地上と天上とどちらに強い興味を抱いていたか、それを単語の数から推定してみようと思う。

                    (聖書に発見される単語「地上」の巻別分布)
 聖書全体で241回の単語「地上」が発見された。三桁の回数なので聖書では中頻度語である。そのうち旧約聖書には149回、新約聖書には92回発見された。旧約では創世記が突出して多い。新約ではヨハネの黙示録が抽んでて多い。以下が巻別の数値とその発見箇所である。
●創世記には単語「地上」は32回発見された。その箇所は下記である。
2-5,4-12,4-14,6-1,6-4,6-5,6-6,6-7,6-17,7-4,7-6,7-10,7-12,7-17,7-19,7-21,7-24,8-3,8-7,8-11,8-13,8-17,9-16,9-17,10-8,10-32,12-3,19-23,22-18,26-4,28-14,48-16
●出エジプト記には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
9-14,9-15,32-12,33-16
●レビ記には単語「地上」は8回発見された。その箇所は下記である。
11-2,11-29,11-41,11-42,11-44,11-46,20-25,26-20
●民数記には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
11-31,12-3
●申命記には単語「地上」は10回発見された。その箇所は下記である。
4-10,4-17,4-18,4-32,4-36,12-1,12-19,28-1,28-10,28-25
●ヨシュア記には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
4-24
●士師記には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
18-10
●サムエル記上には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
20-31
●サムエル記下には単語「地上」は5回発見された。その箇所は下記である。
4-11,7-9,7-23,14-7,14-20
●列王記上には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
8-27,8-43,8-53,8-60
●列王記下には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
19-15,19-19
●歴代誌上には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
1-10,17-8,17-21,29-15
●歴代誌下には単語「地上」は3回発見された。その箇所は下記である。
6-18,6-33,36-23
●エズラ記には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
1-2
●ヨブ記には単語「地上」は13回発見された。その箇所は下記である。
1-7,1-8,2-2,2-3,7-1,8-9,18-17,20-4,28-4,38-13,38-24,38-33,41-25
●詩編には単語「地上」は8回発見された。その箇所は下記である。
2-2,34-1,73-25,102-16,102-20,109-15,138-4,148-11
●箴言には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
8-26,8-31,11-31,30-24
●コヘレトの言葉には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
5-1,7-20,8-14,8-16
●イザヤ書には単語「地上」は12回発見された。その箇所は下記である。
14-9,16-4,18-3,23-1,24-4,24-11,25-8,26-18,27-6,37-16,37-20,54-9,
●エレミヤ書には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
15-4,25-26,26-6,27-5
●哀歌には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
4-12
●エゼキエル書には単語「地上」は9回発見された。その箇所は下記である。
1-19,1-21,7-21,10-16,27-33,28-18,31-12,32-4,38-20
●ダニエル書には単語「地上」は3回発見された。その箇所は下記である。
2-10,7-17,7-23
●アモス書には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
3-2,3-5
●ハバクク書には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
1-6
●ゼファニア書には単語「地上」は4回発見された。その箇所は下記である。
1-18,2-11,3-8,3-20
●ゼカリア書には単語「地上」は6回発見された。その箇所は下記である。
1-10,1-11,4-10,6-7,14-9,14-17
●マタイ伝には単語「地上」は10回発見された。その箇所は下記である。
6-19,9-6,10-34,16-19,17-25,18-18,18-19,23-9,23-35,24-30
●マルコ伝には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
2-10,4-31
●ルカ伝には単語「地上」は5回発見された。その箇所は下記である。
5-24,12-49,12-51,18-8,21-25
●ヨハネ伝には単語「地上」は3回発見された。その箇所は下記である。
3-12,21-32,17-4
●使徒行伝には単語「地上」は7回発見された。その箇所は下記である。
3-25,4-26,8-33,1-11,11-6,17-26,22-22
●ローマの信徒への手紙には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
9-28
●コリントの信徒への手紙Ⅰには単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
15-40
●コリントの信徒への手紙Ⅱには単語「地上」は3回発見された。その箇所は下記である。
5-1,5-2,5-4
●エフェソの信徒への手紙には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
4-9,6-3
●フィリピの信徒への手紙には単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
2-10
●コロサイの信徒への手紙には単語「地上」は2回発見された。その箇所は下記である。
3-2,3-5
●ヘブライ人への手紙には単語「地上」は6回発見された。その箇所は下記である。
8-4,8-13,9-1,11-13,12-25,13-14
●ヤコブの手紙には単語「地上」は3回発見された。その箇所は下記である。
3-15,5-5,5-17
●ペトロの手紙Ⅰには単語「地上」は1回発見された。その箇所は下記である。
1-17
●ヨハネの黙示録には単語「地上」は45回発見された。その箇所は下記である。
1-4,1-7,3-10,5-10,6-4,6-8,6-13,6-15,8-5,8-7,8-13,9-1,9-3,11-4,11-10,12-4,12-9,12-13,13-8,13-13,13-4,14-3,14-6,14-15,14-16,14-18,14-19,16-1,16-2,16-18,17-2,17-5,17-8,17-18,18-1,18-3,18-9,18-11,18-23,18-24,19-2,19-19,20-8,20-9,21-24

                      (聖書で発見される単語「天上」の巻別分布)
 聖書には単語「地上」が241回も発見された。「地上」の多さに比べて「天上」は僅か8回であった。「天上」は聖書では低頻度語であり、希少価値の高い単語である。しかも旧約聖書には詩編にしか発見されないで僅かに二回である。六回が新約聖書であった。聖書では地上の概念が明確化していたが、天上に関しては興味が希薄であったと推定できる。
●詩編では単語「天上」は2回発見された。その位置は下記である。
10-3,104-13
●マタイ伝では単語「天上」は2回発見された。その位置は下記である。
16-19,18-18
●ヨハネ伝では単語「天上」は1回発見された。その位置は下記である。
3-12
●コリントの信徒への手紙では単語「天上」は1回発見された。その位置は下記である。
15-40
●エフェソの信徒への手紙では単語「天上」は1回発見された。その位置は下記である。
3-10
●フィリピの信徒への手紙では単語「天上」は1回発見された。その位置は下記である。
2-10

              (天国と地獄を含めて聖書に於ける天上と地上の比較対比)
<1>聖書に於ける「地上」の多さと「天上」の希少性
 聖書には単語「地上」は多く発見された。241回も発見された。中頻度語であることが分かった。古代中東地方に人々は地上に関しては深い関心を抱いたと推定できる。一方地上に対峙する反対語「天上」に関してはその回数が僅か8回であった。低頻度語で希少性のある単語であった。全体的に古代中東地方の人々は地上には意識が注がれて関心が強かったが、天上には関心が希薄であったと推定できる。

<2>単語「地上」は旧約も新約も偏りがなく分布
 単語「地上」は旧約聖書に149回、新約聖書に92回発見される。新約も旧約も単語「地上」の分布は偏りが無かった。単語「地上」が旧約も新約も普遍的に分布していた。そのことは旧約聖書時代でも新約聖書時代でも中東地方の人々は現世への関心が天上や天国よりも強かったと言えるひとつ証左である。

<3>天上の分布は新約聖書に偏在
 単語「天上」は聖書全体では僅か8回しか発見されなかった。八回のうち旧約聖書が二回、新約聖書が六回であり、新約聖書への分布上の偏りが認識できる。それは天上の概念が旧約聖書時代には曖昧であったが、新約聖書では明瞭貸したといえるであろう。地上より天上は新たな単語であり新たに生まれた概念と考えられないことは無い。

<4>単語「天上」の分布
 単語「天上」は旧約聖書に発見されたのは詩編のみである。詩編に二回の「天上」が発見された。他には新約聖書ばかりであった。新約には六回の「天上」が発見される。マタイ伝では16-19、ヨハネ伝では3-12、コリントの信徒への手紙では15-40、エフェソの信徒への手紙が3-10、フィリピの信徒への手紙が2-10。
 単語「天上」は旧約には殆ど発見できない。新約にしか発見できない。単語の有無や頻度だけからの推定は危険であるが、天に関する関心は新約聖書時代以降に誕生し醸成されたと推定できる。

<4>聖書に「天の国」はマタイ伝のみ。
 聖書には「天国」という言葉は無い。単語「天国」は聖書全巻に於いてどこにも発見されない。しかし、「天の国」は聖書の中で一巻にのみ発見できる。それはマタイ伝である。全聖書のうちで「天の国」が発見されるのはマタイ伝のみである。マタイ伝には35回もの「天の国」が発見された。それは以下の箇所である。
3-2,4-17,5-3,5-10,5-19,5-20,7-21,8-11,10-7,11-11,11-12,13-11,13-24,13-31,13-33,13-43,13-44,13-45,13-47,13-50,23-52,16-19,17-27,18-1,18-3,18-4,18-23,19-1219-14,19-23,20-1,22-2,23-13,25-1,25-14,
 聖書に「天の国」が最初に出てくるのはマタイ伝であり。マタイ伝以降には「天の国」は二度と発見できない。聖書の中での「天国」すなわち「天の国」の特殊性がこのことから推定できる。我々現代人が抱いている「天国」の概念は後世に聖書と離れて形成された概念であると言えるのではないか。

<5>「天国」同様「地獄」も聖書には乏しい
天国と同様地獄も聖書には稀に見る言葉である。聖書には単語「地獄」は乏しい。旧約聖書には一切発見されない。新約聖書に僅かに発見できる。新約聖書に16回のみ発見される。それは以下である。
・マタイ伝の「地獄」は7回で以下の箇所である。5-22,5-29,5-30,10-28,18-9,23-15,23-33
・マルコ伝の「地獄」は6回で以下の箇所である。9-43,9-44,9-45,9-46,9-47,9-48
・ルカ伝の「地獄」は1回で以下の箇所である。12-5
・ヤコブの手紙の「地獄」は1回で以下の箇所である。3-6
・ペテロの手紙Ⅱの「地獄」は1回で以下の箇所である。2-4
 聖書には天国はなく「天の国」はあった。地獄も新約聖書に16回しか発見できない。旧約聖書は勿論、新約聖書でも天国も地獄も聖書には乏しい言葉であることが判明した。
現代人が好んで天国と地獄を対比して考えようとするのはある意味では聖書から逸脱した思考方法であると言えない事は無い。

<6>運動会の「天国と地獄」
 ドイツ人の作曲家でフランスで活躍したオッフェンバックは「天国と地獄」を作曲した。日本で「地獄と天国」を知らない人は居ない。忙しそうな曲である。その場に居ても立っても折られないような気分にする曲を知らない人は居ない。なぜ日本にあのような奇妙な曲が運動会で広がったのか理由は知らないのであるが、好ましい曲とはいえない。
 軍事教練が出発点であった日本の運動会である。世界中で運動会があるのは日本だけであるが、恐らく日本人の悪弊であり怠惰の象徴でもある横並びで安心する考え方が日本に奇妙な曲「天国と地獄」を運動会で流行らせたのであろう。「天国と地獄」の考え方の低劣愚劣さを露出する曲であるだけではなく、人間の生命を軽視愚弄する曲であると私は思う。「天国と地獄」はマインドコントロールに利用される曲であるといえないことは無い。

<7>天界は来世ではない
 作品「天界を歩く伊吹の花野道」の「天界」は来世の意味ではない。雲の中を歩く気分であったので「天界」とした。伊吹は文字通り霧のかかりやすい山である。伊吹の花野道を歩いていて生まれた作品であるが、瞬間霧がかかって、まるで雲上を歩く気分であった。その時に生まれた作品であり天国と地獄を対峙させる発想からの作品ではない。


聖堂の詩その935―塗れ

2013-09-08 11:37:02 | Weblog
       荒縄の藁に塗れて鉾を組む      紅日2013年9月号
 この夏は厳しい暑さだった。さすがに九月に入ると秋風が吹き始めた。九月に入ってからは秋雨前線が日本列島に停滞し全国各地に記録的な豪雨をもたらした。今日は久しぶりの好天である。雨上がりの秋晴れになった。雨上がりは気持ちが良い。雨が大気の塵埃を洗い流してくれて空気が澄み渡っている 
 そんな気持ちの良い秋の一日であるが、夏の俳句を掲載してしまった。祇園祭の俳句である。毎年祇園祭は鉾を組み立てている頃を見計らって、室町通を一巡してから四条烏丸の喫茶店で一休みすることにしている。函谷鉾の同じ並びで西側にオランダ風の喫茶店がある。オランダには燃料が無かった。そんなことが原因であるがオランダでは水出しコーヒーが飲まれている。喫茶店の入り口には水出しコーヒーのサイフォンをずらりと並べている。店員も全員ベレー帽をかぶりオランダ人風の衣装をまとっている。コーヒーも低廉で、大衆的で少し貧しそうな雰囲気は私にぴったりである。
 喫茶店の東には函谷鉾が立っている。函谷鉾には新約聖書聖画が飾られている。創世記24章の物語でリべカが嫁を選んでいるところを描いた聖画である。この聖画は江戸時代にオランダ人がこの町内に贈呈したものだそうだ。オランダにはユダヤ人が多い。ユダヤ人は1478年から始まったスペインによるユダヤ異端審問が開始から迫害を受けいた。それ以降多くのユダヤ人がオランダに逃亡してきた。
 母国無き流浪の民ユダヤ人、即ちオランダ人が切支丹近世の時代に京都の町内に聖画を贈っていた。ひょっとして聖画を通じてユダヤ人は日本人女を嫁として迎えたい願望の意思表示をしていたのでないのか。贈呈した聖画が何故創世記24章のリベカの花嫁選びであるのか分らないが、実際、何十万人に上る日本人女性の人身売買にユダヤ人は深く関っている。
 天草などから日本人女性が外国に売買された。50万人にも上ると言われている「唐ゆきさん」の多くは嫁に行くという甘言に騙されて拉致された。そのことにより巨万の富をユダヤ人が蓄積した。日本の貧困を逆手に取ったのである。そのリベカの嫁選びの聖画を飾っているのが函谷鉾である。函谷鉾の傍にオランダ風喫茶店がある。偶然であると思うが、こんなに出来上がった話は無い。この界隈はまるで京都のユダヤ人街でありオランダ人街だ。
 喫茶店は鉾を組み立てる風景を眺めるには絶好のポイントだ。函谷鉾は見えないが、店内から正面には長刀鉾を組み立てている様子が手にとるように見える。店内からは幾つかの俳句が生まれたが、俳句は傍に近寄らなければまともなものは出来ない。コーヒーをすすりながら作れないではないが作品に臨場感に欠ける。この作品は店内からではなく、いったん店から出て長刀鉾の傍で生まれた。
 組み立てている人はプロである。町内の人々が集合して組み立てているのではない。日本社会は何もかも分業化し専門化して祭の雰囲気が薄れてしまった。それは祇園祭も同じである。鉾組み立ての専門家であることは一瞥してわかった。祇園祭は京都盆地で一年で一番蒸し暑い。プロと言えども汗を額からも、首筋からも、両手からも体中から流していた。滝のごとき汗だった。その汗に荒縄の藁屑が沢山張り付いていた。体中藁塗れであった。「藁塗れ」と言う言葉が閃いた瞬時に作品が生まれた。
 私が俳句を作り始めた頃、もう30年も40年も前の話であるが、愛媛県西端の佐田岬にキス釣りに出かけた時の作品で「釣り上げしキス砂浜に砂塗れ」がある。この場合はキスが砂にまみれている。海の貴公子キスが砂にまみれているのが印象的だった。何にまみれているのか、それは人間の視野に真っ先に入るものだ。誰かが汗まみれになっていたり、ほこり塗れになっていたり、泥まみれになっていたりすれば、人々はひとりでに視線を注ぐものだ。
 さて、聖書には何かにまみれている描写があるのだろうか。それを聖書で検索調査してみた。何に塗れているのかに絞り込んで調査した。古代中東地方の人々は何に塗れていることに目が留まったのであろうか、興味深い点である。


            (聖書に発見される「まみれ」の巻別分布)
 聖書には全部で単語「まみれ」は10回発見された。低頻度語である。聖書には「塗れ」はめったに見かけない希少価値の高い単語である事が判明した。
●サムエル記下には「まみれ」が1回発見される。その箇所は以下である。
・20-12には血に塗れていた。「アマサが道の真ん中に血まみれで転がっていた」とある。

●イザヤ書には「まみれ」が3回発見される。その箇所は以下である。
・1-15には血に塗れていた。「お前たちの血に塗れた手」とあった。
・9-4には血に塗れていた。「血に塗れた軍服」とあった。
・34-6には血に塗れていた。「剣は血にまみれていた」とあった。

●哀歌には「まみれ」が1回発見される。その箇所は以下である。
・4-5には埃に塗れていた。「紫の衣に包まれて育った者も塵に塗れている」とあった。

●エゼキエル書には「まみれ」が1回発見される。その箇所は以下である。
・16-6には血に塗れていた。「血まみれのお前」とあった。

●ルカ伝には「まみれ」が2回発見される。その箇所は以下である。
・16-9には不正に塗れていた。「不正にまみれた富」とあった。
・16-11には不正に塗れていた。「不正にまみれた富」とあった。


                  (聖書の中の「まみれ」の特徴)
<1>希少性の高い「塗れ」
 聖書には8回の「塗れ」が発見された。低頻度語に属している。低頻度語の中でもめったに目にすることがない、聖書では珍しい希少性の高い単語であった。

<2>旧約新訳の比較
 旧約には八回の「塗れ」が発見されたが、新約には二回の「塗れ」が発見された。新訳にはルカ伝16章に二箇所のみである。旧約は「血まみれ」が多かったが、新約は「不正塗れ」であった。

<3>何に塗れていたか、その順位
第一位:血まみれが五回であった。「塗れ」の半分が「血まみれ」であった。
第二位:不正塗れが二回であった。
第三位:埃塗れが一回であった。

<4>聖書に目立つ血まみれ
 聖書の「まみれ」の半分以上が血まみれであった。血に塗れる景色は日本社会ではあまり見かける場面ではない、また「血まみれ」は日本語ではあまり使う言葉ではない。特異な場面である。聖書は牧畜社会に普及した書物であり、家畜の解体は日常的に目撃する景観である。数は少ないものの、そのことが血まみれという特異な言葉が聖書に散見される背景であろう。聖餐式においても、秘儀としてイエスキリストの血を飲むまたは肉を食べる行為は、験ではあるものの一種のカーニバルであり、牧畜社会と関係が否定できない。 韓国人はその先祖は遊牧民族である。1950年の朝鮮戦争時にキリスト教が一挙に拡大した。あの戦争で、韓国人の二割から三割がキリスト教に改宗したと言われる。戦争を通じて欧米が布教活動を展開したのである。韓国人のその文化的背景には遊牧民の生活が現代社会でも残留しているからではないだろうか。血で肉を炊いたりする韓国人の日常的肉食にそれを垣間見ることが出来る。
 料理の名称は忘れたが(注)、韓国人が口の周りを血まみれにして牛肉を食べる姿を見て、われわれ日本の農耕民族との大きな距離を感じた。日本人も犬を食べたことは文献にも残っている姫路城などに犬の骨が大量に発掘され犬を食べていたことは確実だ。しかし、牛肉を血液で煮て食べる習慣は日本にはまったく無い。韓国人は欧米人(キリスト教文化圏)と文化的土台に牧畜社会という共通したものがある。しかし、日本の農耕文化とは大きな落差がある。

 (注)朝鮮料理本を調べるとソンジククであった。

聖堂の詩その934―「のみ」と「だけ」

2013-09-04 20:21:16 | Weblog
         カナリアの声のみ園児皆昼寝    紅日2013年9月号

 郊外の幼稚園の前を通る機会があった。園舎は森閑として園児の声は聞こえなかった。聞こえるのはカナリアの声だけだった。そっと覗いてみると昼寝の時間のようである。先生がしのび足で廊下を歩いて遊戯室の園児の様子巡視されていた。カナリアの声がする園舎の先生の忍び足を見た瞬間、私は園児の幸せを感じた。同時にこの俳句が生まれた。この時もうひとつ生まれた俳句は「幼稚園廊下に吹けり青田風」だった。
 私は街の中の幼稚園より郊外にある幼稚園の方が園児の成長に恵まれていると思う。蛙の声が聞こえること、飛んでいる蝶々が見えることそんな経験だけでも田舎や郊外の幼稚園が優れている。三つ子の魂百までというが、乳幼児こそその発達過程に於いて花鳥風月が大切である。しかし、今の世の中はそうではない。マスコミや親の価値観がまとも教育から完璧に逸脱している。子供の視点が皆無である。此の世のものとは思えない。親の都合が最優先する。街の中の交通の便利な幼稚園でなければならない。幼稚園の価値は制服が有名デザイナであるかどうか、または有名大学に付属するかどうかが決定する。
 聞いてあきれるのであるが、ブランド価値のある幼稚園に入園するのに親は年間何百万円もかかる予備校にわが子を通わせるらしい。自分の子供を一体何と考えているのであろうか、着せ替え人形かまたは他人に見せびらかす自分のアクセサリーの一部として考えているのであろうか。自立しようとする一人の人間を支援する親の姿勢が全く見えない。
 作品「カナリアの声のみ園児皆昼寝」では、「カナリアの声だけ」としないで「カナリアの声のみ」にしたのは俳句では濁音の「だけ」は音が美しくないからであり俳句になりにくいからだ。また、「だけ」には0nly以外に領域や範囲を示す「だけ」もあり、単語の意味が不明瞭であるからである。俳句は17音しかない短詩文芸であるだけに言葉の指摘は明確明瞭でなければならない。また、日本語では一般に文語では「のみ」になりやすく、口語では「だけ」になりやすい傾向があるので「カナリアの声だけ」にしなかった。
 聖書の日本語翻訳者は「のみ」か「だけ」かどちらを多用しているであろうか、興味あるので調査してみた。膨大な分量になるので巻別の数値のみを調べた。もっとも読者幅が広い新共同約、すなわち文語約で調査した。

             (聖書に発見される「のみ」の巻別分布)
 勿論、飲み込んだの「のみ」や鑿の「のみ」や女のみだらな行為の「のみ」は排除して計算した。集計するとonlyを意味する「のみ」は59回発見された。旧約聖書に59回、新約聖書には発見されなかった。
●創世記には1回の「のみ」が発見された。
●出エジプト記には1回の「のみ」が発見された。
●民数記には4回の「のみ」が発見された。
●申命記には4回の「のみ」が発見された。
●サムエル記上には4回の「のみ」が発見された。
●サムエル記下には1回の「のみ」が発見された。
●列王記上には3回の「のみ」が発見された。
●列王記下には2回の「のみ」が発見された。
●歴代誌下には4回の「のみ」が発見された。
●ネヘミヤ記には1回の「のみ」が発見された。
●エステル記には2回の「のみ」が発見された。
●ヨブ記には4回の「のみ」が発見された。
●詩篇には6回の「のみ」が発見された。
●箴言には3回の「のみ」が発見された。
●コへレトの言葉には2回の「のみ」が発見された。
●イザヤ書には5回の「のみ」が発見された。
●エレミヤ書には7回の「のみ」が発見された。
●エゼキエル書には2回の「のみ」が発見された。
●ナホム書には1回の「のみ」が発見された。
●ハバクク書には1回の「のみ」が発見された。
●ゼカリア書には1回の「のみ」が発見された。

                (聖書に発見される「だけ」の巻別分布)
  限定を意味する「だけ」でありサムエル記上21-4の「いただけますか」の「だけは排除して計算した。聖書全体で405回の「だけ」を集計することができた。その内旧約聖書が256回で、新約聖書が146回であった。
●創世記には28回発見された。
●出エジプト記には9回発見された。
●レビ記には3回発見された。
●民数記には14回発見された。
●申命記には17回発見された。
●ヨシュア記には10回発見された。
●士師記には17回発見された。
●ルツ記には1回発見された。
●サムエル記上12には回発見された。
●サムエル記下には5回発見された。
●列王記上には9回発見された。
●列王記下には16回発見された。
●歴代誌上には2回発見された。
●歴代誌下には6回発見された。
●エズラ記には1回発見された。
●ネヘミヤ記には2回発見された。
●エステル記には6回発見された。
●ヨブ記には12回発見された。
●詩篇には8回発見された。
●箴言には8回発見された。
●コへレトの言葉には4回発見された。
●雅歌には1回発見された。
●イザヤ書には19回発見された。
●エレミヤ書には12回発見された。
●エゼキエル書には15回発見された。
●ダニエル書には4回発見された。
●アモス書には1回発見された。
●オバディヤ書には1回発見された。
●ゼファニア書には1回発見された。
●ゼカリア書には5回発見された。
●マタイ伝には18回発見された。
●マルコ伝には12回発見された。
●ルカ伝には16回発見された。
●ヨハネ伝には10回発見された。
●使徒行伝には12回発見された。
●ローマの信徒への手紙には16回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅰには6回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅱには6回発見された。
●ガラテヤの信徒への手紙には4回発見された。
●エフェソの信徒への手紙には1回発見された。
●フィリピの信徒への手紙には4回発見された。
●コロサイの信徒への手紙には4回発見された。
●テサロニケの信徒への手紙には3回発見された。
●テモテへの手紙Ⅰには1回発見された。
●テモテへの手紙Ⅱには3回発見された。
●ヘブライ人への手紙には4回発見された。
●ヤコブの手紙には7回発見された。
●ペテロの手紙Ⅰには2回発見された。
●ペテロの手紙Ⅱには1回発見された。
●ヨハネの手紙Ⅰには2回発見された。
●ヨハネの黙示録には4回発見された。
             
              (聖書に発見される「だけ」の巻別分布)
 限定を意味する「だけ」であり、サムエル記上21-4の「いただけますか」の「だけ」などは排除して計算した。聖書全体で405回の「だけ」を集計することができた。その内旧約聖書が256回で、新約聖書が146回であった。
●創世記には28回発見された。
●出エジプト記には9回発見された。
●レビ記には3回発見された。
●民数記には14回発見された。
●申命記には17回発見された。
●ヨシュア記には10回発見された。
●士師記には17回発見された。
●ルツ記には1回発見された。
●サムエル記上12には回発見された。
●サムエル記下には5回発見された。
●列王記上には9回発見された。
●列王記下には16回発見された。
●歴代誌上には2回発見された。
●歴代誌下には6回発見された。
●エズラ記には1回発見された。
●ネヘミヤ記には2回発見された。
●エステル記には6回発見された。
●ヨブ記には12回発見された。
●詩篇には8回発見された。
●箴言には8回発見された。
●コへレトの言葉には4回発見された。
●雅歌には1回発見された。
●イザヤ書には19回発見された。
●エレミヤ書には12回発見された。
●エゼキエル書には15回発見された。
●ダニエル書には4回発見された。
●アモス書には1回発見された。
●オバディヤ書には1回発見された。
●ゼファニア書には1回発見された。
●ゼカリア書には5回発見された。
●マタイ伝には18回発見された。
●マルコ伝には12回発見された。
●ルカ伝には16回発見された。
●ヨハネ伝には10回発見された。
●使徒行伝には12回発見された。
●ローマの信徒への手紙には16回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅰには6回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅱには6回発見された。
●ガラテヤの信徒への手紙には4回発見された。
●エフェソの信徒への手紙には1回発見された。
●フィリピの信徒への手紙には4回発見された。
●コロサイの信徒への手紙には4回発見された。
●テサロニケの信徒への手紙には3回発見された。
●テモテへの手紙Ⅰには1回発見された。
●テモテへの手紙Ⅱには3回発見された。
●ヘブライ人への手紙には4回発見された。
●ヤコブの手紙には7回発見された。
●ペテロの手紙Ⅰには2回発見された。
●ペテロの手紙Ⅱには1回発見された。
●ヨハネの手紙Ⅰには2回発見された。
●ヨハネの黙示録には4回発見された。


            (聖書の中の「のみ」と「だけ」の比較)
<1>聖書には圧倒的に多い「だけ」
 英語でonlyの意味がある「のみ」は聖書全体で59回を数えることができる。その数値は一桁で低頻度語である。希少価値があると言うまでにも至らないが、あまり目立つ単語ではない。一方、これも英語でonlyを意味する「だけ」の場合は405回も聖書に発見することが出来た。すの数値は三桁であり、中頻度語であった。聖書には文語調の「のみ」が僅かで、口語調の「だけ」が圧倒的に多いことが判明した。

<2>新約聖書にはのみが発見されなかった。
 新約聖書には「のみ」が皆無であった。新約聖書には口語調の「だけ」は各巻満遍なく発見されたが「のみ」に関しては皆無であった。

<3>新訳には「だけ」が圧倒的に多い
 新訳には「のみ」は皆無であったが、新訳の「だけ」は多い。下記がその巻別分布であるが、その総数は146回に上った。「のみ」の皆無、「だけ」の突出が特徴的である。
●マタイ伝には18回発見された。
●マルコ伝には12回発見された。
●ルカ伝には16回発見された。
●ヨハネ伝には10回発見された。
●使徒行伝には12回発見された。
●ローマの信徒への手紙には16回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅰには6回発見された。
●コリントの信徒への手紙Ⅱには6回発見された。
●ガラテヤの信徒への手紙には4回発見された。
●エフェソの信徒への手紙には1回発見された。
●フィリピの信徒への手紙には4回発見された。
●コロサイの信徒への手紙には4回発見された。
●テサロニケの信徒への手紙には3回発見された。
●テモテへの手紙Ⅰには1回発見された。
●テモテへの手紙Ⅱには3回発見された。
●ヘブライ人への手紙には4回発見された。
●ヤコブの手紙には7回発見された。
●ペテロの手紙Ⅰには2回発見された。
●ペテロの手紙Ⅱには1回発見された。
●ヨハネの手紙Ⅰには2回発見された。
●ヨハネの黙示録には4回発見された。

<4>日本語訳聖書に目立たない「のみ」
 旧約にも新訳にも全体的に「のみ」が目立たなかった。作品「カナリアの声のみ園児皆昼寝」のような表現が乏しかった。口語でも、日本語訳聖書はもとより「のみ」は日本の言語生活ではあまり使わなくなったのであろう。日本語の変化は劇的である。情報化社会になりパソコンが万人に活用されるようになったこと、文教行政で英語を初等学校で義務化されたことがその背景であり。世界の出稼ぎ国家といわれているフィリッピンであるが、日本語のフィリッピン語化が目前に迫っている。フィリッピン語はタガログ語と英語とスペイン語が一体混然化している。すでにその気配があるが、日本語もフィリッピンと同じように、日本語と英語とが混在した言葉が一般的になるであろう。母国語の喪失した日本社会は真近だ。日本人が外国語を学ぶのは結構だが、母国語を完璧に喪失したアイデンティティーを喪失した社会に、故郷を思う心や愛国は絶対に期待できない。「流浪の民への道」が用意されているだけだ。