機械にて刈りて茶の畝整える 1990年7月号
茶摘、茶摘女、茶山、茶園、製茶、茶揉み、焙炉どれもが春の季語である。茶摘の季節に関連する語が春の季語である。しかし、「茶を刈る」は季語には無い。茶摘も製茶も機械化が進んでいるので「茶を刈る」も季語に入れてらえないだろうか、そんな思いでこんな句になってしまった。機械で茶を摘めば摘んだ後の畝が手で摘むよりすっきりしていることに気がついた。機械であるので茶の畝に凹凸が出来ないのである。機械の冷徹な均一性と言えば良いのだろうか、それとも機械の不思議さと言えば良いのだろうか、それとも機械の魔法性と言えば良いのであろうか。茶の畝の上を機械が通った後の整い方には驚いた。その驚きを句にした。
聖書に「茶」はあるだろうかあちこちの文書をひっくり返したり、インターネットでひっくり返したりしたのであるが見つからなかった。茶そのものは見つからなかったが辛うじて「茶」一文字を発見できた。それは茶そのものではなく「茶色」または「栗色」である。
士師記5-10において「茶色のロバに乗る者、毛氈に座る者、及び道を歩む者よ、共に歌え」とある。また別の聖書によればその部分を「栗毛の驢馬に乗り、敷物を敷いてその背に座り道を行くものよ、歌え」とある。同じ聖書でも翻訳の仕方で此れほど落差があるのであろうかと驚いた。前者は三人に呼びかけている場面であるが、後者は一人に呼びかけている場面になっている。それは兎も角として前者の場合は茶といっても翻訳者が「茶色」と翻訳したのであり、飲むお茶とは全く異なる。後者は「栗毛」と翻訳しているので「茶」では無いことがはっきりする。聖書にはこの他に「茶」は発見できなかった。
既出の「世界の栽培作物の起源と伝播」によれば茶は原産地は概ね一箇所であるが二通りの伝播のルートがあるようだ。158頁に地図を添えてそのことが説明されている。茶の原産地はヒマラヤ山脈山麓であるが一つのルートは中国を経由して日本に渡ったいわゆる緑茶と呼ばれたり日本茶と呼ばれるものである。この緑茶は中国に於いて様々な形態に分かれた。もう一つはヒマラヤ山脈南麓の茶で紅茶である。欧米に広がった茶はその葉の色が黒いのでブラックティと呼ばれるものである。
前者の緑茶は中国では紀元前1000年に溯り華北には西暦3世紀、そして日本には西暦8世紀頃に伝播した古い茶である。後者の紅茶はその歴史が極めて新しい。ヨーロッパに広がったのは18世紀から19世紀にかけての出来事だった。先ほど述べたようにイギリス人がインドを植民地にして茶の葉を本国に持ち帰って本国の水で茶を入れたのであるが香りも味も無かった。しかし船倉の隅で腐った茶を入れてみると芳醇な匂いと味を楽しめたので茶を発酵させることを学び紅茶として愛飲するのが始まりだったという。これが全世界に広がったブラックティで、中国語や日本語では紅茶と呼ばれている茶である。
インドからヨーロッパに伝播した18世紀から19世紀にかけての茶は紅茶として初めてパレスチナ地方を通過したのであり聖書に出てくるはずが無いのである。聖書と茶とは全く関係が無い。現在でも水質に於いて茶を受容れる環境ではないのではなかろうか。戦乱の渦中パレスチナ地方に平和が訪れて穏やかになれば死ぬまでに一度は訪れたい地方である。どのような茶との距離があるのかまたは接触をしているのか調べたいものである。
茶摘、茶摘女、茶山、茶園、製茶、茶揉み、焙炉どれもが春の季語である。茶摘の季節に関連する語が春の季語である。しかし、「茶を刈る」は季語には無い。茶摘も製茶も機械化が進んでいるので「茶を刈る」も季語に入れてらえないだろうか、そんな思いでこんな句になってしまった。機械で茶を摘めば摘んだ後の畝が手で摘むよりすっきりしていることに気がついた。機械であるので茶の畝に凹凸が出来ないのである。機械の冷徹な均一性と言えば良いのだろうか、それとも機械の不思議さと言えば良いのだろうか、それとも機械の魔法性と言えば良いのであろうか。茶の畝の上を機械が通った後の整い方には驚いた。その驚きを句にした。
聖書に「茶」はあるだろうかあちこちの文書をひっくり返したり、インターネットでひっくり返したりしたのであるが見つからなかった。茶そのものは見つからなかったが辛うじて「茶」一文字を発見できた。それは茶そのものではなく「茶色」または「栗色」である。
士師記5-10において「茶色のロバに乗る者、毛氈に座る者、及び道を歩む者よ、共に歌え」とある。また別の聖書によればその部分を「栗毛の驢馬に乗り、敷物を敷いてその背に座り道を行くものよ、歌え」とある。同じ聖書でも翻訳の仕方で此れほど落差があるのであろうかと驚いた。前者は三人に呼びかけている場面であるが、後者は一人に呼びかけている場面になっている。それは兎も角として前者の場合は茶といっても翻訳者が「茶色」と翻訳したのであり、飲むお茶とは全く異なる。後者は「栗毛」と翻訳しているので「茶」では無いことがはっきりする。聖書にはこの他に「茶」は発見できなかった。
既出の「世界の栽培作物の起源と伝播」によれば茶は原産地は概ね一箇所であるが二通りの伝播のルートがあるようだ。158頁に地図を添えてそのことが説明されている。茶の原産地はヒマラヤ山脈山麓であるが一つのルートは中国を経由して日本に渡ったいわゆる緑茶と呼ばれたり日本茶と呼ばれるものである。この緑茶は中国に於いて様々な形態に分かれた。もう一つはヒマラヤ山脈南麓の茶で紅茶である。欧米に広がった茶はその葉の色が黒いのでブラックティと呼ばれるものである。
前者の緑茶は中国では紀元前1000年に溯り華北には西暦3世紀、そして日本には西暦8世紀頃に伝播した古い茶である。後者の紅茶はその歴史が極めて新しい。ヨーロッパに広がったのは18世紀から19世紀にかけての出来事だった。先ほど述べたようにイギリス人がインドを植民地にして茶の葉を本国に持ち帰って本国の水で茶を入れたのであるが香りも味も無かった。しかし船倉の隅で腐った茶を入れてみると芳醇な匂いと味を楽しめたので茶を発酵させることを学び紅茶として愛飲するのが始まりだったという。これが全世界に広がったブラックティで、中国語や日本語では紅茶と呼ばれている茶である。
インドからヨーロッパに伝播した18世紀から19世紀にかけての茶は紅茶として初めてパレスチナ地方を通過したのであり聖書に出てくるはずが無いのである。聖書と茶とは全く関係が無い。現在でも水質に於いて茶を受容れる環境ではないのではなかろうか。戦乱の渦中パレスチナ地方に平和が訪れて穏やかになれば死ぬまでに一度は訪れたい地方である。どのような茶との距離があるのかまたは接触をしているのか調べたいものである。