田に水が満ちて近江の国広し 紅日2011年11月号
明治二十九年の琵琶湖水位が大雨でどれほど上昇したのか、前号では湖北の尾上集落では二階から舟で出入りしたとの記録を示した。それを今度は琵琶湖の西岸での石碑で確かめて見ようと思う。明治二十九年で近代に入ってはいるものの、琵琶湖にはまだ南郷瀬田の洗堰が無かった。洗堰水門完成はその九年後の明治三十八年である。瀬田川は大戸川土砂吐出により堰止められ易く浚渫も不充分であり、琵琶湖の水位が少しの雨で上昇しやすかった。明治二十九年の大洪水時の琵琶湖水位がどれほど上昇したのか、それを示す石碑が琵琶湖の湖岸で比叡山の山麓の町、坂本に立っている。坂本の酒井神社である。それは、下坂本小学校の近くにある。休み時間には小学生の声が聞こえる神社。鬱蒼とした境内の琵琶湖側の端にその石碑が立っていた。石碑の四面に洪水時の琵琶湖高水位が記されていた。明治二十九年大洪水時を基準として水位は記されている。尺貫法をメートル法に換算しさらに標準水位より幾ら高かったのか、これを時系列で並べると次のようになる。
万延元年(1860)五月十七日、 2m52cm
明治元年(1868)五月二十日、 3m34cm
明治十八年(1885)七月三日、 2m80cm
明治二十九年(1896)九月十一日、3m88cm
この石碑に刻まれた記録では後になればなる程洪水時の琵琶湖水位が高くなっている。明治二十九年は明治二十七年の日清戦争勃発後のことでもあり政府は対外的な面子の為にも瀬田川に近代的な堰建設を強いられた事が推定出来る。農民も市民も琵琶湖の脅威には我慢できなかった。その事は家屋の位置からも判断出来る。洪水時に冠水しにくい旧自然堤防上や旧浜堤上に古い集落があり、古い屋敷を観察すると敷地が高く、床も心持高い住居が目立つ。土蔵は石垣上にあり、物置小屋は高床式だ。洪水時の恐怖心が家屋の位置や形態に具現化されている。
琵琶湖の標準水位より3m88cm高ければ今の酒井神社の屋根の庇部分までが完全に水中に沈んでしまう。湖岸の集落は殆んど水没だ。神社から路地の隙間に垣間見える琵琶湖を眺めて洪水時の琵琶湖の広大さを思い描いた。酒井神社がある琵琶湖西岸は背後に比良比叡連峰が琵琶湖に聳え立つのでさほど洪水時の琵琶湖の広がりはない。しかし、対岸の琵琶湖東岸は低平広大な沖積平野が拡がる。3m88cmの水位上昇時は琵琶湖は内陸に拡がる。琵琶湖面積は二倍ぐらいに膨張するのではないか。酒井神社の近くから見える対岸、近江富士は湖中の島と化すであろう。低平な平野はどれほど大きな水害となるだろうか目視だけでも凡そ推し量ることが出来る。
人間にとっては満たされることは多くの場合喜ばしきことである。満足の「満」である。しかし、満ち溢れると困ったことになることもある。一定の容器が満たされるのは良いのであるが、容器の受容能力を超えて溢れた場合それを始末しなければならない。満ち溢れて零れた液体物の処理に余計な労力がかかる。従って満のは喜ばしいが満ち溢れるのは、後始末を考えれば人間に歓迎されない。満ちるというのは人間にとって丁度都合の良い分量でなければならないということになる。匙加減された分量でなければならない。人間が満足するにはその定量があるということである。定量を越えればそれは邪魔物である。滋賀県の水害を調べていてつくづく満ち溢れた場合の人間の困窮を感じる。
さて、レビ記にはどのような「満」が発見されるであろうか。モーセ五書船体では68回の「満」が発見されたのであるが、レビ記にはその内の14回が発見された。それは以下の箇所である。
<レビ記>
モーセ五書には68回の「満」が発見できた。その内レビ記には14回の「満」が発見された。その箇所は以下である。
●レビ記には「満」が14回発見できる。
・7-16 には「満願の奉げ物」とある。願いが全て叶った状態で満足すべき心理を「満願」と日本語で翻訳している。
・14-5には「新鮮な水の満たした土器の上で鳥の一羽を殺すように命じた」とある。水の上で鳥を殺すのであるから新鮮な水に血がほとばしる。現代日本では考えられない動物虐待であるが、当時は当然のことであった。祭壇での儀式と云えども凄惨な現場である。今もユダヤ教にはこのような血生臭い儀式が継続されているのであろうか。
・14-50には「新鮮な水の満たした土器の上で鳥の一羽を殺す」とある。
・16-12には「祭壇から炭火を取って香炉に満たし」とある。当時は既に炭は焼畑農業もあり存在していた。焼畑のない地域では最も原始的な製炭方法である「伏せ焼」があった。生木を並べてその上に土をかぶせて火をつけるという原始的な製炭法が存在していた。この場面の「炭火」は焼畑で拾ってきた炭か伏せ焼」の炭であるかどちらかであったろう。尚、日本では炭窯製炭法が一般的であるが、この製炭法は中国から遣唐使が齎した製炭法であり、伏せ焼製炭法よりはるかに新しい物である。この場面は、香炉の香に着火させる為に炭火を香炉に満たした。「満たした」とあるのであるから、香炉に比べて炭火の多さが見える場面である。香炉に溢れんばかりの炭火。
・19-29には「娘に遊女の真似をさせて娘を汚してはならない。貴方の土地をそれによって汚してはならない。恥で満たしてはならない」とある。自分の娘を遊女にすることは大きな恥であると考えられていた。娘に遊女の真似をさせることの容認は即ち自分の領地をも汚すことであり、自分の領地に恥を満たす行為であると考えられていた。自分の娘の教育のあるべき形が示されている。娘への教育が間違えば自分の領地にまで汚されるというのである。そして、領地が大きな恥で満たされるのである。当時の人々の領地に対する意識も描写されている。
・22-18には「満願の奉げ物」とある。願いが全て満たされた時に感謝の気持ちで奉げる奉げ物。日本語には「満願」に近い単語では「結願」がある。遍路が巡るべく全ての札所を巡り終えて、最後の札所寺にたどり着く。その寺を「結願寺」という。聖書では願いが満たされる。遍路では願いが結ばれる。願いが満たされると、願いが結ばれるとの違いがある。
・22-21には「満願の奉げ物」とある。
・22-23には「満願の奉げ物」とある。
・23-15には「満七週間」とある。予定時間が経過した時は時が満ちると表現した。日本語訳で「満」とした。
・23-38には「満願の奉げ物、随意の奉げ物」とある。奉げ物には二通り存在していた。一つは常々抱いていた願いが満たされた時の「満願の奉げ物」である。もう一つは意識しないで定期的に奉げる奉げ物で「随意の奉げ物」の二つに区分した。この考え方はキリスト教に於いても継承され残留している。満願の奉げ物(注1)は「特別献金」であり、強制や縛りの無い随意の奉げ物(注2)は「通常献金」であろう。
・25-30には「一年未満に買い戻さねば家屋を買い戻す権利が放棄される」とある。「一年未満」は時間を区切るフレーズである。当時は、一年未満であれば自分の売った家屋を買い戻す権利が留保されていた。売ったものの、やはり売らないでおこうという願望が法律的に赦されていた。
・26-26には「満腹する」とある。
・27-2には「満願の献げ物」とある。
・27-8には「彼が満願の献げ物をささげる資力に応じて祭司が決定する」とある。この翻訳は「彼が満願の献げ物をささげる彼の資力に応じて祭司が決定する」とし、「彼の」を加えなければ文章の前後関係から分かりにくいのではないか。司祭が満願のささげ物をささげる者の資力で判断決定していた。この考え方は現在のキリスト教にも継承されている。「満願の献げ物」も「随意の献げ物」も含めて年間総収入のうち十分の一の献金が暗黙の了解事項とされているようである。これを「什一献金」と呼んだり、「十分の一税」と呼んだりしていた。
(レビ記に発見される「満」の特徴)
(1)器に満たされた新鮮な水の上で鳥が殺されていた。現代社会では考えられない凄惨な場面である。今もユダヤ教においてこのような残虐な儀式が継続されていると考えられる。血に対しての恐怖感が皆無である。7-16、14-5
(2)祭壇では炭が活用されていた。それは焼畑から得られた消し炭であったり、伏せ焼」という原始的製炭法により入手していた。香炉に炭火を満たしていたのであるから。香炉に比べて炭火の大きさが大きかった。16-12
(3)自分の娘を遊女にすることは恥であった。それは自分の領地を汚すことであり領地を恥で満たす行為であると考えられていた。「土地を恥で満たす」という表現は日本語には余り見られない。当時の人々の土地に対する意識が表現されている。日本では「土地本位制」や「土地神話」という言葉があった。それに近い人々の意識が聖書時代に存在していたと推定出来る。それは地域を越えて、時代を超えて空間占有欲望が強烈であったことの証である。19-29
(4)「満願」という言葉が各所に発見できた。常々抱いていた拘りや問題が解決した状態を満願と考えられる。22-18、22―21、22-23、
(5)レビ記に於いては貢献げ物には二通りの扱いが在る。それは一つは満願の献げ物である。もう一つは随意の奉げ物である。これら献げ物は奉げる人物の資力に応じて祭司が決定した。27-8
(6)レビ記は他には「時が満る」満や「満腹」の満が発見された。23-15、25-30、26-26
(7)当時は土地の売買に於いて、売却してから一年未満であれば買い戻す権利が保障されていた。このような農民に与えられた一年間の猶予期間は農民からの税収入が期待できる支配者が農民の生産意欲を尊重したことに由ると推定出来る。25-30
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(注1)聖書に発見される「満願の献げ物」の巻別分布表とその箇所。
聖書全体で22箇所の「満願の献げ物」が発見された。巻別では以下である。
●レビ記では7回発見出来て、その箇所は。
・7-16,22-18,22-21,22-23,23-38,27-2,27-8
●民数記では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・29-39
●申命記では4回発見できて、箇所でその箇所は。
・12-6,12-11,12-17,12-26
●サムエル記上では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・1-21
●ヨブ記では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・22-27
●詩篇では7回発見できて、箇所でその箇所は。
・22-26,5-14,61-9,62-2,66-13,116-14,116-18
●ユディト記では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・4-14
(注2)聖書全体に発見される「随意の献げ物」の巻別分布表
聖書全体に発見される「随意の献げ物」は20回で巻別では以下である。
●出エジプト記では2回発見できて、箇所でその箇所は。
・35-29,36-3
●レビ記では5回発見できて、箇所でその箇所は。
・7-16,22-18,22-21,22-23,23-38
●民数記では2回発見できて、箇所でその箇所は。
・15-3,29-39
●申命記では2回発見できて、箇所でその箇所は。
・12-6,12-17
●歴代誌では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・31-14
●エズラ記では5回発見できて、箇所でその箇所は。
・1-4,1-6,2-68,3-5,8-28
●エゼキエル書では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・46-12
●アモス書では1回発見できて、箇所でその箇所は。
・4-5
●ユディト記では2回発見できて、箇所でその箇所は。
・4-14,16-18