新緑の寺に写経の墨香る 紅日2013年7月号
今日は京都で葵祭がある。賀茂祭とも呼ばれている。俳句では字数制限が厳しい。五七五の中に嵌めこまねばならないので加茂祭との別称があるのは有難い。葵祭は元来五穀豊穣を祈るための御田植祭が始まりだった。全国での御田植祭の源流は京都の葵祭にある。最近は滋賀県や京都府だけでなく全国的に田植はゴールデンウィークに実施されることが多い。兼業農家が増えたこと、台風被害を回避するために早生種の稲が増えたことによる。
この季節は薫風も季語になるが、薫風ではなく薫水という言葉があっても良いのではないか。水の匂いがする田植えである。もう、30年以上も前にもなるだろう「田植えにて村中水の匂いする」の作品を作ったことがある。聖書は乾燥地域を舞台にして描いている。人々は水の味に対しても、水のにおいに対しても敏感であったに違いない。しかし、聖書には「水が香ばしい」も「水が美味い」もなかった。
それにしても今日の葵祭を決行するかどうかの判断は難しい。比叡山では未だ小雨がぱらついて居る。責任者は頭を抱えているだろう。他の都道府県からの観客に対してだけではない、交通機関をはじめとしてありとあらゆるところに影響が発生する。判断を間違えて自動車電車等の交通事故を誘発しかねない。その判断が人々に評価されるのであるから責任者は辛いであろう。
(聖書に出てくる漢字「香」に関しての調査結果)
<1>「香」は中頻度語
聖書には漢字「香」は287回発見された。その回数は三桁なので中頻度語である。287回の内、旧約聖書には251回発見され、新約聖書には36回発見された。聖書の中では比較的目立つ漢字であり単語である。
<2>聖書の三大香
どのような香が多いのか、聖書に出てくる漢字香の熟語を調べた。調査結果は以下である。
第一位は香料:32回
第二位は香油:31回
第三位は乳香:24回
第四位は香炉:21回
第五位は香草:12回
第六位は香炉台:8回
第七位は香水:3回、この三回はすべて香水萱だった。また全て新約聖書で発見。
第八位は香壇:2回、二回とも新約聖書で発見された。
第九位は香料師:1回
茴香(ういこう):1回、発見されたのは新約聖書のみ
芸香(うんこう):1回、発見されたのは新約聖書のみ
もっとも高い頻度で発見されたのは香料で32回、次いで香油が31回。乳香24回、香炉21回、香草12回、香炉台8回と続いている。香料、香油、乳香の三つの香は聖書の三大香である。聖書には三大果物は葡萄、無花果、石榴であった。同じように聖書には三大香がある。聖書の三大香、それは香料、香油、乳香の三つである。
<3>乳香は樹液の凝固白化
乳香の乳は色彩であり、液体の乳ではない。樹液が凝固白化したので乳香と呼ばれている。東アフリカやインドに分布するムクロジ目カンラン科ポスウエリア属の樹木の樹皮から流れ出る樹脂を乳香と呼んでいる。
漢方薬として鎮痛剤、止血剤にも使われる。樹脂の塊を燃やすと良い香りを発散する。古いものとしては、紀元前40世紀頃のエジプトの墳墓から埋葬品として発掘されている。6000年も前から人類は副葬品として乳香を使っていた。また、キリストにささげた三つの贈物黄金、乳香、没薬の内のひとつである。貴重品であった。
なお、6000年前は日本列島で言えば縄文海進期であり、海水面が現在より5mも高い。日本には沖積平野が現在のように発達していない時代で東京湾や大阪湾は今よりも広大であった。
<4>祭壇で香を焚いていた
聖書には「香をたく」が23回発見される。香は礼拝において日常的に使われていた。23回の「香をたく」のうち15回は祭壇において、聖なる高台においてまたは聖所に於いて焚かれたとある。祭壇で焚いたのであり、祈りの場には常に香が用意されていたものと考えられる。尚、仏教には「焼香」と言う言葉があるが、聖書にはそれが無かった。「香をたく」しかない。
<5>聖書では香料師、現代社会では調香師
香料は貴重品である。三人の博士たちが、キリストに黄金、香料、没薬を贈物にしていたことからも明らかだ。貴重品であるからこそ香料師がいた。貴重品としての香料を扱うので、高度な技術が要求されたと推定出来る。
聖書に香料師が登場するのは出エジプト記のみである。他の巻には香料師は発見できない。
第一は出エジプト記30-25で「香料師の混ぜ合わせ方に従って聖なる聖別の油を作る」とありこの場合の香料は油であり、液体である。香料師は粉の香料だけを扱っていたのではない。
第二は出エジプト記30-35で「香料師の混ぜ合わせ方に従い聖なる香を作る」とある。香料師が全て製造に携わったのではなく、それを模倣する人々も多かったことが此処から読み取ることが可能である。
第三は出エジプト記37-29である。「香料師の混ぜ合わせ方に従い純粋な香草の香を作った」とある。分かりにくいのは「純粋な香草の香」である。純粋でなければ不純な香草の香が存在していたのであろうか。偽物の香草の香があったのだろうか。翻訳は「純粋な」であるが、「芳醇な」とすべきではないのだろうか。
香料師は職業として存在していたものと推定出来る。現代社会では、それに近い職業は「調香師」がある。香りに対しては今も昔も敏感である。香りの生産者は職業として昔も今も存在価値がある。職業として香を生産する人々があるという点では古代も現代も同じである。
<6>香料名称
聖書には多数の香料の名前が出てくる。出エジプト記30-34には「ナタフ、シェヘレト、へルベナ、乳香の四つの香料名称があるが、そのほかに香料で気がついたものを全て拾い上げてみた。聖書に記載されている香料の数は少なくとも22以上はあることが判明した。見落としもあるので22以上の香料名称があるのは確実である。
(1)没薬、(2)乳香、(3)ヘルベナ、(4)沈香またはアロエ、(5)菖蒲または菖蒲香、(6)肉桂またはシナモンまたは桂皮、(7)月桂樹、(8)ヒソプ、(9)芸香またはヘンルーダ、(10)薄荷、(11)いのんど、(12)とうごま、(13)コエンドロ、(14)ニガヨモギ、(15)ムラサキゴジアオイ、(16)恋なすび、(17)ドクニンジン、(18)コロシントウリ、(19)鳩のくそ、(20)コフェル、(21)ナタフ、(22)シェヘルト
<7>菖蒲も香水萱も同じもの
聖書には菖蒲と香水萱と分けているが、これらはいずれも同じもの。サトイモ目、ショウブ科、菖蒲属の菖蒲のことである。菖蒲は強い香を放つので香水萱とも呼ばれた。理由は不明だが、出エジプト記30-23と雅歌4-14の二箇所は香料としての「菖蒲」と翻訳している。一方、イザヤ書43-24とエレミヤ書6-20とエゼキエル書27-19の三箇所は「香水萱」としている。香水であるので、既に精製して液体化させてしまったものである。
菖蒲の原産地は現在のイランであるペルシャから北インドにかけてであると推定されている。聖書が描かれた中東地方にも古くから分布していた。また東アジアでは中国でも古代から分布していた。日本には奈良時代に中国から移入された。菖蒲はキリスト教圏にも仏教圏にも古代から分布普及していた。
中国では漢方薬として活用されている。日本でも神経痛や痛風治療の医薬品として扱われていたが、古代から蒸し風呂(窯風呂)などで風呂でも菖蒲が盛んに使われていた。菖蒲を蒸し風呂の床に敷き詰めて皮膚呼吸を通じても体内に取り入れた。菖蒲が発する香りテレピンは鎮痛効果があった。庶民に菖蒲風呂が普及し一般化したのは江戸時代に入ってからである。京都洛北に古代の窯風呂を模した窯風呂があった。比叡山登山口がある八瀬に窯風呂があった。その始まりは壬申の乱で大海人皇子が矢を受けてそれを癒したのが始まりと言う言い伝えがある。古代中東地方にも古代日本にも菖蒲を使っていた可能性が高い。今はそのかま風呂も姿を消してしまった。
現代の若い人々は古いものを忌避する傾向が強い。若人が窯風呂を排除したのであろう。次々と京都では古いものが消滅して市街地が規制緩和で高層ビル街と化してしまった。巨大資本とそれを受容する若者が京都を急速に変貌させている。勿体無い事である。これではどんなに自治体が声を嗄らして京都の良さを訴えても人々は寄り付かなくなる。規制緩和で市街地が殺伐とした高層マンションばかりになってしまった。京都御所の周りがその変化の中でも顕著である。天皇陛下の私生活を覗き見下ろすかの如く京都御所を包囲するホテルや高層マンションが激増している。それは天皇陛下の居所でなくとも他人の居所の中を覗き込むような建造物を作るものではない。マナー違反以前の問題だ。何処かは指摘しないが、某宗教法人の本部まで御所のそばに高いホテルを経営しているのには驚いた。儲かりさえすれば良いという拝金主義が京都の景観に拡がっているのは残念なことだ。
文化都市・観光都市としての京都は衰えるスピードが急加速しているのは確実だ。古都に於ける新旧のバランスは大切である。開発かまたは保全か、この適切な均衡をとるのが大切であるが、このバランスが完璧に崩れていると思うのは私だけではない。多くの市民が口を揃えて訴えている。昔は京都には沢山の銭湯があった。五月には菖蒲湯も楽しめた。今はそのような京都の風情は消滅した。資産家の東京人であるのか、それとも京都人であるのか知らないが、価値あるものを次々と溝に捨てている姿が見えてならない。この数年間で京都から昔ながらの銭湯そのものまで無くなっている。井戸端をはじめとして良き共同社会のインフラが次々と消滅している。祭の運営までが困難になってきた。目には見えにくい地域生存力も劇的に衰えているであろう。
<8>43回の宥めの香
聖書には「宥めの香」が目立った。聖書には全部で43回もの「宥めの香」が発見された。聖書では「宥めの香」は目立つ句である。念のために聖書に出てくる漢字「宥」を全て拾い上げるとこれも43回発見された。「宥」と「香」とが全て一対になっていることが判明した。
その箇所は以下であった。
創世記:1箇所
出エジプト記:3箇所
レビ記:17箇所
民数記:18箇所
エゼキエル記:4箇所
エゼキエル書以外は全てがモーセ五書に集中していた。モーセ五書に於ける「宥めの香」が際立つ。その原因は何であるか不明。何か理由はあると思うが見当がつかない。今回の調査では「宥」と「香」とが全て一対になっていること。43組みの対が発見されたこと。そして、それらが全てがモーセ五書に集中していることだ。勿論、新約聖書には「宥めの香」は一切発見されない。
モーセ五書は創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五巻を指摘している。ユダヤ教ではこの五書のことをトーラーと呼んでいる。または、ペンタークと呼ばれている。米軍中央本部は五角形であり通称ペンタゴンと呼ばれる。五角形であるのは海軍、陸軍、空軍、海兵隊、沿岸警備隊の五軍由来であるとの説もある。一方、ペンタークの名称からもペンタゴン由来が推察されている。聖書原理主義者が世界支配即ち「蜜と乳とが滴る国」を再現するため、一部のユダヤ教徒が米軍本部を建設支配していると言われている。彼らにとっては蜜と乳が滴る国は今やカナンではなく世界征服であると指摘されている。そして、これら五書はユダヤ教の根幹を成すもので、モーセ五書はユダヤ教の律法でもある。
米軍とユダヤ教徒そしてキリスト教徒は密接な関係があるとの指摘もある。第二次世界大戦後世界各地で紛争や戦争が勃発したが、その混乱のたびにキリスト教やユダヤ教がそれぞれ勢力を拡大した。戦争を通じて布教活動を展開した。日本や韓国においてそれが如実に現れているとのことである。宥めるとは怒りを鎮める行為である。神の怒りを香で宥めることが出来ると考えられていた。神は人間にとっては怒りなのである。神即ち怒りであるがゆえに宥めの香りが不可欠となる。日本等東アジア諸国でも宗教行為は香を焚くのが一般的で聖書とも共通している。但し、日本語では聖書の如く「香を焚く」とは言わないで「焼香」の名詞一語である。
<9>牛や羊等の家畜は焼き尽くすまで香りを発し続ける
漢字「香」を調査していて、気がつくことは香の発生方法である。聖書には家畜等の生贄を焼き尽くして香りを発し続けていることだ。漢字「香」の前後には必ず焼き尽くす」というフレーズが付随しているのが特徴的である。聖書全体でも「焼き尽くす」は極めて高頻度で検出される。
以下がその巻別の「焼き尽くす」の回数である。全部で276回もの焼き尽くすと言うフレーズが聖書に発見される。中頻度語である。但し、聖書と言っても旧約聖書であり、なかんずくモーセ五書に集中的に分布している。新約聖書には乏しい。新約聖書には僅か6回しかない。キリスト時代には焼き尽くすは余り意識されなくなった。
このことは、ユダヤ教とキリスト教徒の大きな違いである。ユダヤ教では焼き尽くすことが強い意識でもって実行されたことを物語っている。律法集とも言われるモーセ五書(ペンターク)に集中していることもそのことを物語っている。旧約聖書時代は農業技術も原始的であり、焼き尽くすは焼畑農業とのかかわりも推定される。但し、我々日本人として気になるのは原爆の父と呼ばれているオッペンハイマー氏の脳裏には焼き尽くすのイメージが払拭出来なかったのではないかと言う疑念である。広島や長崎を一瞬にして焼き尽くしたい願望は無かったのだろうかと言う疑念だ。
日本では家畜を焦げるまでそしてなくなるまで焼き尽くすことは習慣上皆無である。古代にも現代にもそのような現象はなかった。誰かがそのようなことを実施すれば悪臭に対する苦情と指弾で其処には居ることができない。日本と全く異質な文化の一つだ。日本では魚を焼くのは当たり前であるが、キリスト教文化圏では魚を焼くことは非常識の極みである。焼き尽くすは日本とそれほどの大きな距離がある。文化を区分する場合、香りは五感の中で最も際立つ指標となる。匂いは原始的な感覚であるだけに文化のエッセンスである。それだけに聖書に出てくる「香」や「焼き尽くす」は今後注目されることであろう。
創世記:6回
出エジプト記:17回
レビ記:53回
民数記:53回
申命記:9回
ヨシュア記:6回
士師記:6回
サムエル記上:9回
サムエル記下:5回
列王記上:6回
列王記下:8回
歴代誌上:11回
歴代誌下:26回
エズラ記:7回
ネヘミヤ記:1回
ヨブ記:1回
詩編:4回
イザヤ書:10回
エレミヤ書:8回
エゼキエル書:17回
ホセア書:2回
アモス書:1回
オバディア書:1回
ミカ書:1回
ゼカリヤ書:2回
マルコ伝:1回
ヘブライ人への手紙:4回
ヨハネの黙示録:1回
合計:276回
<10>恋茄子は香でもあるが麻薬に近い媚薬
恋茄子は聖書に全部で4回発見される。それは、創世記30-14、創世記30-15、創世記30-16、雅歌7-4で発見される。雅歌7-4には「恋なすびの香」とあり、恋茄子は香料の一種でもあった。「恋茄子」は回数が少ないものの、聖書の中では目立つ存在である。恋茄子の正式名称はマンドレイク。ナス科マンドラゴラ属の植物。地中海沿岸から中国にかけて分布する。
恋茄子は、聖書には媚薬としての位置づけが明瞭であり、恋茄子は近親相姦の受胎効果のある植物として描写されているからである。昔は鎮痛剤、鎮静剤、下剤、便秘薬として薬剤として利用されたこともあるが、反面毒性の強い植物でもある。幻聴、幻覚、嘔吐、瞳孔拡大を伴い死に至ることもある毒物でもある。
宗教はアヘンであると言われた時代があるが、聖書に媚薬として扱われていたことが原因であろう。唯物論者が宗教は麻薬であり阿片であると主張したと言われている。しかし、唯物論者だけではなく、聖書の恋ナスの描写を読んだことがあれば、近親相姦や麻薬を肯定するかのごとき描写であり誰もがなるほど宗教は反社会的であり危険なものであると考えるのが当然であろう。仏典でも同じであるが、現代とは時代が異なると言えども、現代人にはショックであり聖典らしからぬ箇所と感じるのは当然である。
アメリカ合衆国の西海岸の多くの州では麻薬が合法化しているそうだ。そのような国との交易で関税撤廃を目指すTPPに加盟しても良いのであろうか。Pは環太平洋のPでもあり太平洋を囲む諸国が麻薬で汚染された地域になるのは真っ平御免である。多くの日本人もそれを恐れていることであろう。拝金主義や市場原理主義に土台をおく麻薬や覚醒剤の普及は人類の滅亡への近道である事は間違いないだろう。
今日は京都で葵祭がある。賀茂祭とも呼ばれている。俳句では字数制限が厳しい。五七五の中に嵌めこまねばならないので加茂祭との別称があるのは有難い。葵祭は元来五穀豊穣を祈るための御田植祭が始まりだった。全国での御田植祭の源流は京都の葵祭にある。最近は滋賀県や京都府だけでなく全国的に田植はゴールデンウィークに実施されることが多い。兼業農家が増えたこと、台風被害を回避するために早生種の稲が増えたことによる。
この季節は薫風も季語になるが、薫風ではなく薫水という言葉があっても良いのではないか。水の匂いがする田植えである。もう、30年以上も前にもなるだろう「田植えにて村中水の匂いする」の作品を作ったことがある。聖書は乾燥地域を舞台にして描いている。人々は水の味に対しても、水のにおいに対しても敏感であったに違いない。しかし、聖書には「水が香ばしい」も「水が美味い」もなかった。
それにしても今日の葵祭を決行するかどうかの判断は難しい。比叡山では未だ小雨がぱらついて居る。責任者は頭を抱えているだろう。他の都道府県からの観客に対してだけではない、交通機関をはじめとしてありとあらゆるところに影響が発生する。判断を間違えて自動車電車等の交通事故を誘発しかねない。その判断が人々に評価されるのであるから責任者は辛いであろう。
(聖書に出てくる漢字「香」に関しての調査結果)
<1>「香」は中頻度語
聖書には漢字「香」は287回発見された。その回数は三桁なので中頻度語である。287回の内、旧約聖書には251回発見され、新約聖書には36回発見された。聖書の中では比較的目立つ漢字であり単語である。
<2>聖書の三大香
どのような香が多いのか、聖書に出てくる漢字香の熟語を調べた。調査結果は以下である。
第一位は香料:32回
第二位は香油:31回
第三位は乳香:24回
第四位は香炉:21回
第五位は香草:12回
第六位は香炉台:8回
第七位は香水:3回、この三回はすべて香水萱だった。また全て新約聖書で発見。
第八位は香壇:2回、二回とも新約聖書で発見された。
第九位は香料師:1回
茴香(ういこう):1回、発見されたのは新約聖書のみ
芸香(うんこう):1回、発見されたのは新約聖書のみ
もっとも高い頻度で発見されたのは香料で32回、次いで香油が31回。乳香24回、香炉21回、香草12回、香炉台8回と続いている。香料、香油、乳香の三つの香は聖書の三大香である。聖書には三大果物は葡萄、無花果、石榴であった。同じように聖書には三大香がある。聖書の三大香、それは香料、香油、乳香の三つである。
<3>乳香は樹液の凝固白化
乳香の乳は色彩であり、液体の乳ではない。樹液が凝固白化したので乳香と呼ばれている。東アフリカやインドに分布するムクロジ目カンラン科ポスウエリア属の樹木の樹皮から流れ出る樹脂を乳香と呼んでいる。
漢方薬として鎮痛剤、止血剤にも使われる。樹脂の塊を燃やすと良い香りを発散する。古いものとしては、紀元前40世紀頃のエジプトの墳墓から埋葬品として発掘されている。6000年も前から人類は副葬品として乳香を使っていた。また、キリストにささげた三つの贈物黄金、乳香、没薬の内のひとつである。貴重品であった。
なお、6000年前は日本列島で言えば縄文海進期であり、海水面が現在より5mも高い。日本には沖積平野が現在のように発達していない時代で東京湾や大阪湾は今よりも広大であった。
<4>祭壇で香を焚いていた
聖書には「香をたく」が23回発見される。香は礼拝において日常的に使われていた。23回の「香をたく」のうち15回は祭壇において、聖なる高台においてまたは聖所に於いて焚かれたとある。祭壇で焚いたのであり、祈りの場には常に香が用意されていたものと考えられる。尚、仏教には「焼香」と言う言葉があるが、聖書にはそれが無かった。「香をたく」しかない。
<5>聖書では香料師、現代社会では調香師
香料は貴重品である。三人の博士たちが、キリストに黄金、香料、没薬を贈物にしていたことからも明らかだ。貴重品であるからこそ香料師がいた。貴重品としての香料を扱うので、高度な技術が要求されたと推定出来る。
聖書に香料師が登場するのは出エジプト記のみである。他の巻には香料師は発見できない。
第一は出エジプト記30-25で「香料師の混ぜ合わせ方に従って聖なる聖別の油を作る」とありこの場合の香料は油であり、液体である。香料師は粉の香料だけを扱っていたのではない。
第二は出エジプト記30-35で「香料師の混ぜ合わせ方に従い聖なる香を作る」とある。香料師が全て製造に携わったのではなく、それを模倣する人々も多かったことが此処から読み取ることが可能である。
第三は出エジプト記37-29である。「香料師の混ぜ合わせ方に従い純粋な香草の香を作った」とある。分かりにくいのは「純粋な香草の香」である。純粋でなければ不純な香草の香が存在していたのであろうか。偽物の香草の香があったのだろうか。翻訳は「純粋な」であるが、「芳醇な」とすべきではないのだろうか。
香料師は職業として存在していたものと推定出来る。現代社会では、それに近い職業は「調香師」がある。香りに対しては今も昔も敏感である。香りの生産者は職業として昔も今も存在価値がある。職業として香を生産する人々があるという点では古代も現代も同じである。
<6>香料名称
聖書には多数の香料の名前が出てくる。出エジプト記30-34には「ナタフ、シェヘレト、へルベナ、乳香の四つの香料名称があるが、そのほかに香料で気がついたものを全て拾い上げてみた。聖書に記載されている香料の数は少なくとも22以上はあることが判明した。見落としもあるので22以上の香料名称があるのは確実である。
(1)没薬、(2)乳香、(3)ヘルベナ、(4)沈香またはアロエ、(5)菖蒲または菖蒲香、(6)肉桂またはシナモンまたは桂皮、(7)月桂樹、(8)ヒソプ、(9)芸香またはヘンルーダ、(10)薄荷、(11)いのんど、(12)とうごま、(13)コエンドロ、(14)ニガヨモギ、(15)ムラサキゴジアオイ、(16)恋なすび、(17)ドクニンジン、(18)コロシントウリ、(19)鳩のくそ、(20)コフェル、(21)ナタフ、(22)シェヘルト
<7>菖蒲も香水萱も同じもの
聖書には菖蒲と香水萱と分けているが、これらはいずれも同じもの。サトイモ目、ショウブ科、菖蒲属の菖蒲のことである。菖蒲は強い香を放つので香水萱とも呼ばれた。理由は不明だが、出エジプト記30-23と雅歌4-14の二箇所は香料としての「菖蒲」と翻訳している。一方、イザヤ書43-24とエレミヤ書6-20とエゼキエル書27-19の三箇所は「香水萱」としている。香水であるので、既に精製して液体化させてしまったものである。
菖蒲の原産地は現在のイランであるペルシャから北インドにかけてであると推定されている。聖書が描かれた中東地方にも古くから分布していた。また東アジアでは中国でも古代から分布していた。日本には奈良時代に中国から移入された。菖蒲はキリスト教圏にも仏教圏にも古代から分布普及していた。
中国では漢方薬として活用されている。日本でも神経痛や痛風治療の医薬品として扱われていたが、古代から蒸し風呂(窯風呂)などで風呂でも菖蒲が盛んに使われていた。菖蒲を蒸し風呂の床に敷き詰めて皮膚呼吸を通じても体内に取り入れた。菖蒲が発する香りテレピンは鎮痛効果があった。庶民に菖蒲風呂が普及し一般化したのは江戸時代に入ってからである。京都洛北に古代の窯風呂を模した窯風呂があった。比叡山登山口がある八瀬に窯風呂があった。その始まりは壬申の乱で大海人皇子が矢を受けてそれを癒したのが始まりと言う言い伝えがある。古代中東地方にも古代日本にも菖蒲を使っていた可能性が高い。今はそのかま風呂も姿を消してしまった。
現代の若い人々は古いものを忌避する傾向が強い。若人が窯風呂を排除したのであろう。次々と京都では古いものが消滅して市街地が規制緩和で高層ビル街と化してしまった。巨大資本とそれを受容する若者が京都を急速に変貌させている。勿体無い事である。これではどんなに自治体が声を嗄らして京都の良さを訴えても人々は寄り付かなくなる。規制緩和で市街地が殺伐とした高層マンションばかりになってしまった。京都御所の周りがその変化の中でも顕著である。天皇陛下の私生活を覗き見下ろすかの如く京都御所を包囲するホテルや高層マンションが激増している。それは天皇陛下の居所でなくとも他人の居所の中を覗き込むような建造物を作るものではない。マナー違反以前の問題だ。何処かは指摘しないが、某宗教法人の本部まで御所のそばに高いホテルを経営しているのには驚いた。儲かりさえすれば良いという拝金主義が京都の景観に拡がっているのは残念なことだ。
文化都市・観光都市としての京都は衰えるスピードが急加速しているのは確実だ。古都に於ける新旧のバランスは大切である。開発かまたは保全か、この適切な均衡をとるのが大切であるが、このバランスが完璧に崩れていると思うのは私だけではない。多くの市民が口を揃えて訴えている。昔は京都には沢山の銭湯があった。五月には菖蒲湯も楽しめた。今はそのような京都の風情は消滅した。資産家の東京人であるのか、それとも京都人であるのか知らないが、価値あるものを次々と溝に捨てている姿が見えてならない。この数年間で京都から昔ながらの銭湯そのものまで無くなっている。井戸端をはじめとして良き共同社会のインフラが次々と消滅している。祭の運営までが困難になってきた。目には見えにくい地域生存力も劇的に衰えているであろう。
<8>43回の宥めの香
聖書には「宥めの香」が目立った。聖書には全部で43回もの「宥めの香」が発見された。聖書では「宥めの香」は目立つ句である。念のために聖書に出てくる漢字「宥」を全て拾い上げるとこれも43回発見された。「宥」と「香」とが全て一対になっていることが判明した。
その箇所は以下であった。
創世記:1箇所
出エジプト記:3箇所
レビ記:17箇所
民数記:18箇所
エゼキエル記:4箇所
エゼキエル書以外は全てがモーセ五書に集中していた。モーセ五書に於ける「宥めの香」が際立つ。その原因は何であるか不明。何か理由はあると思うが見当がつかない。今回の調査では「宥」と「香」とが全て一対になっていること。43組みの対が発見されたこと。そして、それらが全てがモーセ五書に集中していることだ。勿論、新約聖書には「宥めの香」は一切発見されない。
モーセ五書は創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五巻を指摘している。ユダヤ教ではこの五書のことをトーラーと呼んでいる。または、ペンタークと呼ばれている。米軍中央本部は五角形であり通称ペンタゴンと呼ばれる。五角形であるのは海軍、陸軍、空軍、海兵隊、沿岸警備隊の五軍由来であるとの説もある。一方、ペンタークの名称からもペンタゴン由来が推察されている。聖書原理主義者が世界支配即ち「蜜と乳とが滴る国」を再現するため、一部のユダヤ教徒が米軍本部を建設支配していると言われている。彼らにとっては蜜と乳が滴る国は今やカナンではなく世界征服であると指摘されている。そして、これら五書はユダヤ教の根幹を成すもので、モーセ五書はユダヤ教の律法でもある。
米軍とユダヤ教徒そしてキリスト教徒は密接な関係があるとの指摘もある。第二次世界大戦後世界各地で紛争や戦争が勃発したが、その混乱のたびにキリスト教やユダヤ教がそれぞれ勢力を拡大した。戦争を通じて布教活動を展開した。日本や韓国においてそれが如実に現れているとのことである。宥めるとは怒りを鎮める行為である。神の怒りを香で宥めることが出来ると考えられていた。神は人間にとっては怒りなのである。神即ち怒りであるがゆえに宥めの香りが不可欠となる。日本等東アジア諸国でも宗教行為は香を焚くのが一般的で聖書とも共通している。但し、日本語では聖書の如く「香を焚く」とは言わないで「焼香」の名詞一語である。
<9>牛や羊等の家畜は焼き尽くすまで香りを発し続ける
漢字「香」を調査していて、気がつくことは香の発生方法である。聖書には家畜等の生贄を焼き尽くして香りを発し続けていることだ。漢字「香」の前後には必ず焼き尽くす」というフレーズが付随しているのが特徴的である。聖書全体でも「焼き尽くす」は極めて高頻度で検出される。
以下がその巻別の「焼き尽くす」の回数である。全部で276回もの焼き尽くすと言うフレーズが聖書に発見される。中頻度語である。但し、聖書と言っても旧約聖書であり、なかんずくモーセ五書に集中的に分布している。新約聖書には乏しい。新約聖書には僅か6回しかない。キリスト時代には焼き尽くすは余り意識されなくなった。
このことは、ユダヤ教とキリスト教徒の大きな違いである。ユダヤ教では焼き尽くすことが強い意識でもって実行されたことを物語っている。律法集とも言われるモーセ五書(ペンターク)に集中していることもそのことを物語っている。旧約聖書時代は農業技術も原始的であり、焼き尽くすは焼畑農業とのかかわりも推定される。但し、我々日本人として気になるのは原爆の父と呼ばれているオッペンハイマー氏の脳裏には焼き尽くすのイメージが払拭出来なかったのではないかと言う疑念である。広島や長崎を一瞬にして焼き尽くしたい願望は無かったのだろうかと言う疑念だ。
日本では家畜を焦げるまでそしてなくなるまで焼き尽くすことは習慣上皆無である。古代にも現代にもそのような現象はなかった。誰かがそのようなことを実施すれば悪臭に対する苦情と指弾で其処には居ることができない。日本と全く異質な文化の一つだ。日本では魚を焼くのは当たり前であるが、キリスト教文化圏では魚を焼くことは非常識の極みである。焼き尽くすは日本とそれほどの大きな距離がある。文化を区分する場合、香りは五感の中で最も際立つ指標となる。匂いは原始的な感覚であるだけに文化のエッセンスである。それだけに聖書に出てくる「香」や「焼き尽くす」は今後注目されることであろう。
創世記:6回
出エジプト記:17回
レビ記:53回
民数記:53回
申命記:9回
ヨシュア記:6回
士師記:6回
サムエル記上:9回
サムエル記下:5回
列王記上:6回
列王記下:8回
歴代誌上:11回
歴代誌下:26回
エズラ記:7回
ネヘミヤ記:1回
ヨブ記:1回
詩編:4回
イザヤ書:10回
エレミヤ書:8回
エゼキエル書:17回
ホセア書:2回
アモス書:1回
オバディア書:1回
ミカ書:1回
ゼカリヤ書:2回
マルコ伝:1回
ヘブライ人への手紙:4回
ヨハネの黙示録:1回
合計:276回
<10>恋茄子は香でもあるが麻薬に近い媚薬
恋茄子は聖書に全部で4回発見される。それは、創世記30-14、創世記30-15、創世記30-16、雅歌7-4で発見される。雅歌7-4には「恋なすびの香」とあり、恋茄子は香料の一種でもあった。「恋茄子」は回数が少ないものの、聖書の中では目立つ存在である。恋茄子の正式名称はマンドレイク。ナス科マンドラゴラ属の植物。地中海沿岸から中国にかけて分布する。
恋茄子は、聖書には媚薬としての位置づけが明瞭であり、恋茄子は近親相姦の受胎効果のある植物として描写されているからである。昔は鎮痛剤、鎮静剤、下剤、便秘薬として薬剤として利用されたこともあるが、反面毒性の強い植物でもある。幻聴、幻覚、嘔吐、瞳孔拡大を伴い死に至ることもある毒物でもある。
宗教はアヘンであると言われた時代があるが、聖書に媚薬として扱われていたことが原因であろう。唯物論者が宗教は麻薬であり阿片であると主張したと言われている。しかし、唯物論者だけではなく、聖書の恋ナスの描写を読んだことがあれば、近親相姦や麻薬を肯定するかのごとき描写であり誰もがなるほど宗教は反社会的であり危険なものであると考えるのが当然であろう。仏典でも同じであるが、現代とは時代が異なると言えども、現代人にはショックであり聖典らしからぬ箇所と感じるのは当然である。
アメリカ合衆国の西海岸の多くの州では麻薬が合法化しているそうだ。そのような国との交易で関税撤廃を目指すTPPに加盟しても良いのであろうか。Pは環太平洋のPでもあり太平洋を囲む諸国が麻薬で汚染された地域になるのは真っ平御免である。多くの日本人もそれを恐れていることであろう。拝金主義や市場原理主義に土台をおく麻薬や覚醒剤の普及は人類の滅亡への近道である事は間違いないだろう。