青い日記帳

彼氏持ちリーマンの独り言

恋愛下手男の恋愛事情‐初恋の男(その2)

2009-01-28 19:02:39 | Weblog
中学三年生、受験間際になると、公立を受験する生徒たちを集めて志望レベルごとに分けたグループを作り、グループごとの指導やら、対策が行われた。

俺が参加したのは二番目のレベルのグループであり、そこにはO君がいた。始めてO君と一緒になった俺はすぐO君と仲良くなった。
一応ライバルではあるが、共通の目標を持っているんで、大好きなO君と仲良くなれて、少々舞い上がっていたかもしれない。もし同じ学校へ行ければ、高校でも同級生になれるかもしれないと思っていたし。

ここで何を指導されたとか、勉強したとかはあんまり覚えてなかったりする(;^_^A

そして受験シーズン。
俺はこの公立高校以外にいくつかの私立をうけていた。まあ自分のレベルに合った高校に混じって、偏差値がかなり高い某付属高校も・・

この某付属高校、当時通っていた塾の先生が是非受けてみればと勧めてくれた高校だったけど、とにかく俺にしてみればレベルが高くて記念受験的なつもりだったはずだったが、受かってしまった。

この高校、100%大学に行けるエスカレーター校で、ここに行けば某有名大学に受験なしで入れるけど、授業料は公立はおろか、普通の私立高校に比べても高い。

ウチはそんなに裕福な家庭ではなかったから両親は悩んだけど、最終的には、俺のことを考えて、この高校へ行くことを許してくれた。

そして、公立高校の受験日の前日、俺は電話でO君に公立高校は受験しないことを伝えた。

O君は「そう・・・おめでとう」と言って電話を切った。


続く・・・

感染列島

2009-01-25 23:13:39 | Weblog
先週なんだけど、妻夫木聡主演の「感染列島」を見に行った。

俺と相方の趣味は【映画】なので、良く見に行くんだけど、特にこの映画は俺の好きなブッキーの映画だからね。

映画自体は、期待以上に面白かったね。
むしろ、昨今のインフルエンザの流行で、マスコミが新型インフルエンザ発生の脅威を煽り立てている分、本当にありそうな話で、ちょっと怖かった。

主演のブッキーも自分の力が及ばずに、人々が死んでいく医師の苦悩を好演していたよ。本当にブッキーって、いつまでも若くて、カッコいいよな。


この映画を見ていて、数年前にSARSが流行った時に中国へ出張した時のことをちょっと思い出した。あの時はSARSが流行ったため、中国への出張は禁止されていたんだけど、ちょうど流行が落ち着いたために出張が解禁になったばかり。

新製品の中国工場の立ち上げを控えており、誰かが支援に行かなければいけない状況、でも組合員はできるだけ行かせたくないので、白羽の矢が立ったのは当時管理職になったばかりの俺。

人の命に優劣はないでしょうと心の中で思ったけど、部下は結婚して奥さんや、子供もいたんで、なにかあったら困るから行くことは快諾した。

行く前には会社の保険医から、どっさりとマスクと除菌スプレーをもらって、外を移動する時には絶対マスクを外さない事といい含められて出張へ出発した。

ところが、現地に着くと現地人はおろか、日本人スタッフまでマスクなんてしてやしない。最初の頃はちゃんとマスクを着けて仕事していたものの、だんだん馬鹿らしくなってマスクをしなくなった。

SARSについては現地ではすでに沈静化されており、その情報があまり日本に伝わっていないということだった。


今年はインフルエンザの予防接種をするのを忘れてしまった割には、俺も相方も幸運にもインフルエンザにかからずに済んだ。このまま、乗り切れるといいな。

恋愛下手男の恋愛事情‐初恋の男(その1)

2009-01-22 21:52:06 | Weblog
俺自身、自分の人付き合いが苦手なこともあって、常に恋愛をしていないとダメという人間ではない。むしろ、一人でいた方が落ち着くとか考えていた、悪く言えば人嫌い、とか対人恐怖症的な面がある。


そんな俺でも、片手で足りるぐらいに過去には胸がドキドキするような人との出会いがあったんで、思い出しながら書いてみようかと思う。

単純に
「あなたの初恋はいつですか?」
と聞かれたら、

「小学校生の時に、同じ団地に住んでいた理恵子ちゃん」

と答えます。でもこれって恋というより、単なる仲の良かった女の子感覚なんですよね。
「大きくなったら、理恵子ちゃんと結婚する!」ぐらいは言っていた気はしますが。


実際に男に恋をしたことを自覚したのは、高校一年生の時に中学の同級生だったO君。

O君との出会いは、俺が中学一年の時に転校したクラスで、仲良くなったグループの中の一人。
O君はクラスは違うんだけど、同じクラスの世話好きなS君の親友と言うことで紹介され、仲良くなった。

O君はとにかく笑顔が似合う、童顔な男で、山崎邦正みたないな感じだった気がする。もっといい男だったけど、何故かおかっぱ頭だった。

中学一年の時は、S君、O君を含んだ四人ぐらいで良く遊んだ。O君は手先が器用で美術の成績が良かった。俺も絵はからっきしなんだけど、工芸的なものはちょっと得意だったんで、よくO君と放課後美術室に残って作業してたりした。

当時は消しゴムを彫刻刀でレーシングカーの形に削って、机をコースに見立てて、ボールペンで消しゴムの車を弾いて進めるレースが流行っていて、O君の家に行って一生懸命作っていたのは覚えている。

ただO君は同じ友達のS君の小学校時代からの親友であり、俺とは単なる友達の友達の域は出ていなかった。当時は俺もO君のことは意識してなかったしね。

中学二年になると、S君ともクラスが分かれ離ればなれになり、自然とO君と遊ぶこともなくなった。

中学二年の年は、俺の人生の中でも最も不遇な時代。

一年の時の友達の一人であるK君とはクラスは一緒になったものの、K君はいわゆるいじめっ子タイプで、大人しく自己主張をあまりしない俺はかっこうのターゲットにされた。

まずしょっぱなK君に学級委員に推薦されて当選してしまう。転校当初のテストがたまたま良かっただけで、頭が良いとかなんとかで推薦された。クラス替えしたばかりで誰が誰かもわからないクラスでは他の立候補も推薦もないので、そのまま学級委員をやる羽目に。さんざんやりたくないと担任に詰め寄るも無駄でした。

学級委員なんてやれる人徳も、度胸もない自分は、このまま自殺でもしたら楽になれるのだろうか、なんて良く窓から下を見てたりする。

中学二年生をまとめあげるなんて、よっぽどの人気者か、クラスから一目でも置かれなければ、上手く出来るわけでもなく、副委員長の女の子に何かと助けられていた。
そんな感じだから、次の学期には別の子が学級委員に収まった。
俺自身はホッとしたが、あいつにするんじゃなかった的な言葉を言われて、結構傷ついた。

Kくんはその後もいろいろ絡んできては、俺を悩ました。本人は俺がいないと他に友達いないだろうと上から目線的な態度でせっしてくるが、俺からすれば、ほっておいてほしかった。

あくまでK君の問題であり、他のクラスの人間がK君に同調しなかったのは幸いだった。昨今のイジメのようにクラス全体でハブされていたら、耐えられなかったかもしれない。もっとも俺がK君にからかわれていた時に、助けてくれるような友達もいなかったけど・・・・

まあK君は身体も態度も大きかったが、勉強はあまりできないので、そこだけは見返すことはできたけど。

3年になると、ようやくK君とクラスが離れ、また新しい友達ができて平穏な日々を送るようになった。それでもK君はたまに俺のクラスに来ては嫌がらせをすることは止めなかったけど。


やがて高校受験もまもなくという時期になって、都立校を受ける生徒での対策クラスが編成されて、O君と再開を果たし、接近することになる


続く・・・

未来の二つの顔

2009-01-20 13:24:20 | Weblog
「未来の二つの顔」とは、俺が学生の頃、夢中で読んでいたSF小説の中で、一際大好きだった作家のJ・Pホーガンの代表作の一つ。

近未来、人工知能による管理の大規模実験のために一つの宇宙コロニー全体を人工知能「ヤヌス」の管理下に置いた状態で、人間を住まわせ、人間が「ヤヌス」にとって障害となる行動を取った場合にどのような危険となるかをシミュレーションするというもの。

最初は管理に障害となる人間を排除するべく敵対行動をする「ヤヌス」であるが、コロニー自身の崩壊を防ごうとする人間の行動を監視し、学習することで、人間との共存が必要なことと理解して、敵対行動を納めるという物語です。
何にでも二面性があり、それは状況や判断により、良い方向へ導びくことができるという教訓でもあるけど、コンピュータが反乱するという似たような物語がある中、明るい未来を指し示す話で好きでしたね。当時は理工学部の学生だったから、こういう人工知能の研究もしてみたいと思ったけど、ちょっと実力的に無理でしたね。

何せ俺が学生当時は、パソコンと言えば、PC8801とか、PC9801とかが全盛の時代で、学生の身にとってはなかなかに高価な代物。パソコンを実際に使い始めたのは、大学四年生で、ソフトウェアの研究室に所属してからですから(笑)


まあとにかく人には二面性どころか色んな顔を持っていて、状況に合わせて使い分ける「モード」を持っているというのは、かの脳科学者、茂木健一郎氏の著書にも書いてありましたね。


かくいう俺自身、ゲイであることから、ノンケの振りをした職場、ジムや英会話教室での自分と、主にプライベートを過ごすゲイの自分がいる。そして多分大多数の人が何らかに参加しているSNSが、更に別に顔作りを冗長している。
あるSNSでは、相方との生活をネタにほのぼのとした生活を日記に書き、相方込みでリアルに接している友達と繋がっている自分。

あるSNSではジムで鍛えた身体を曝して、俺のタイプの鍛えた男と知り合い、上手くいけばエッチに持ち込もうと初めては見たものの、いつの間にか映画に詳しくて料理ができる自分。あんまり過激なことを書けないのは相方も同じSNSをやっているから、もともとエロい関係を求めるのは無理があったんだけどね。

一度、限定でエロ日記を書いたことはあるんだけど、繋がっているマイハグさんからは「どうしちゃったの?」とすこぶる評判が悪かった・・・


また別のSNSでは、もっとエロくして割り切って身体の関係を作れる友達を作ろうと、もう少し露出の多い画像を載っけたりしたけど、無修正OKな過激なメンツに少々引き気味で、もっぱら見るだけだったりする自分。


まるでそれぞれが異なる人間のようになり、キャラを演じているようになっている訳だけど、根底は自分という一人の人間。

ただそれぞれの場所でキャラを使い分けるのに少々疲れてしまって、自分の思うことを好き勝手書いて何らかの形で残したいと思ったのが、このブログを始めた理由。
まだブログに書いていない自分の思いはあるけど、それは追々ね。

相方の就職活動

2009-01-15 00:40:56 | Weblog
現在、彼氏は無職でいわゆるニートっていうやつ。前は契約派遣でいろんな所で働いていたんだけど、一年前に結構長く働いていた場所をリストラの名目で首になってから働くのをやめてしまった。

これは当時から派遣の立場は弱いってことで、正社員になれるような職につきたいと思っているうちに、某大手派遣会社の不正問題が明るみになって、派遣で働くのも厳しい状況になって来ていた。

というのは表向きの理由であって、本人があまり働く気がなかったことと、俺がそれを黙認したのが最大の理由と言えよう。俺自身、彼ももう30過ぎだし、これから日雇い派遣的な職に就いたところで一生働ける訳じゃないから、きちっとこれからの人生をきちっと勤められる所に就職して欲しいと思ってた。でも相方にとってみれば自分に自由になるお金はないけど、寝る場所と食べるものが提供されているので、贅沢さえ言わなければ快適な生活環境が保証されたようなものだから、そこに浸っていたかったに違いない。

普通、人にはこれが欲しい、どこかへ出かけたいとかの物欲があって、欲しいものを手に入れるためにもっとお金が欲しいから頑張ろうとかのモチベーションが働くんだけど、彼の場合、子供の頃にあまり裕福な家庭で育っていなかったらしく、この辺の執着がないのという理由もある。こういう家庭で育った場合、親を反面教師として人生の勝ち組になる人もいるけど、彼の場合そうは働かなかったようだ。

実際問題、人が1人で生きていくには、生きていくのに必要な家賃、光熱費、食費だけでなく、税金、年金、健康保険料、雇用保険等々社会で生きていくためのお金を稼がないといけない。彼は俺と付き合い始める前は実家住まいだったから、1人で生きていくための苦労をしていないからこその、甘えという人もいるし、俺も正論だと思う。

去年の10月ぐらいには、流石に俺も業を煮やして、「このまま働く気がないんだったら、ウチを出て一人暮らしして、社会の厳しさの中で生きていけ」と言ったことがあり、彼は一日頭痛くなるほど考えた結果、「ちゃんと就職活動するから、しばらく置かせてください」とお願いしてきた。キチンとやるという条件でしばらく置かせてあげることにした・・・俺もいい加減甘いよね。


まず彼はハローワークへ行って相談するものの、学歴も手に職もないので当然、良い職はない。

相談員の職業訓練校に行って手に職を付けるとその後の就職に有利というアドバイスに従って、見つけてきたのは「軽食喫茶課」だった。

職業訓練と言えば普通、機械加工や、CADオペレーターやパソコンを思い浮かべるんだけど、なんで「軽食喫茶課」なんだ?と頭はよぎるし、そこを出たからと言って喫茶店でずっと働きつづけられるイメージが沸かなかったんだけど、珍しく顔を好調させてここに行きたいと言うので、本人の意志を尊重することにした。

正直言えば、他のカリキュラムが彼に勤まるとは思えなかった。興味のないことに集中力が発揮できないので、他の学校へ行ってもドロップアウトするのが関の山だろうと思っていたのは否めない。

そんなこんなで面接も無事通過して「軽食喫茶課」に通い初めたんだけど、これが意外と厳しいらしい。たかがコーヒー入れる勉強と高をくくると大変らしい。講師はこの道では知らない人はいないっていう有名な先生の厳しい指導、参加者も将来真面目に喫茶店経営を目指すために職を辞めて参加したような熱心な生徒たち。

そんな環境で勉強を始めた相方は、他の生徒との関係もあまり良くないらしい。俺と似て人見知りが激しいたちであり、3分の2は女性ということもあってかなかなか打ち解けられないそうだ。昼休みともなれば、女性陣はいくつかのグループに分かれて食事とおしゃべりに花を咲かせ、少ない男性メンバーはというと、別行動で外に飯を食べに行くため、相方は1人で買ってきた弁当を屋上で食べているそうだ・・・

そんな学校も楽しい訳もなく、学校行きたくないな・・と泣き言を言い始めた。しかし世の中は派遣切りされた人たちがハローワークに溢れ、正社員であっても雇用を心配する時。ここで諦めてしまったら、今まで費やした時間が無駄になるし、なによりここでドロップアウトしてしまったら、他の職を探す人たちとの競争になってしまう。また何かを始めるにしてもお金は必要であり、仮に喫茶の道が自分の将来の姿でないにしても、資金づくりとしてでも就職することが必要。

学校の授業は2月末まで。そこで試験が行われ、試験を通った人だけが、OJTと言って実際に指導を受けながら喫茶店で働くことになる。

なんでもすぐに諦めてしまう相方には、何かを成し遂げて評価されると言う成功体験が不足しているのではないかと思う。来月末の試験に合格して、次へ続くことを祈っている。

ゴーストハウス

2009-01-08 12:50:02 | Weblog
俺の住んでいるマンションって、出るらしいんですよ、あれが。

俺は鈍い(霊感がない)から、あんまり気が付かないんだけど、相方は見えやすく、しかも憑かれやすいたちらしいので、時々見えちゃうそうだ。
廊下の隅にじっとうずくまる人とか、玄関に二人子供を連れた髪の長い人とか・・・

かくいう自分も、越してきた当初に相方と布団を並べて寝ていた時に、何かが頭の上を飛び越して、ドタドタと足音を聞いたことがある。

あんまり見えるんで、相方はトイレに塩盛りをしたんだけど、一時は良くなったらしいんだけど、まだ気配を感じるらしい。

そんで、相方が友達に相談した結果、見える人を紹介してもらって家の様子を見てもらったところ、ひどい状態だったらしい。
その人は家に入るなり、強烈な吐き気に襲われてゲーゲーやる始末。

その人曰く、ウチの半分が霊の通り道になっていて、このままほおっておくとだんだんひどいことになるとのこと。なんでも平行に走る電車の間に立っているマンションで、しかも点在する高いマンションのひとつということ。夜になると死んだ人が線路沿いを歩くのが見えるんで悪影響があるらしい。
そしてバルコニーからは箱根山が見えるんで、昔から曰くありの箱根の山から降りてくる悪い気が家の半分を通っているとのこと。

俺自身にさほど悪い影響がなかったのは、悪い気が相方の方へ憑いていたかららしい。相方はそういう負の気を引き付けやすいらしい。

この話を聞いた時、にわかには信じたくなかったけど、心あたりがないわけじゃなかったのも事実。確かに相方は就職が決まらないこともあるし、やること上手くいった試しもないから、確かに運気が下がっているんだろうね。

しかし、決して少なくないローンを支払っている買ったばかりのマンションにダメ出しされたから、それはショックだった。

対処としては、バルコニーと玄関に魔除けの札を貼るのが、良いらしい。

早速、近くのお寺に行ったけど、魔除けの札は扱っていなかったので、お寺の人に相談して、諸災消除の祈祷札をもらったので、それを魔除けの札替わりにした。でもこれって、明らかに用途が違うだろうから、別に魔除けの札も手配中。相方には厄除けのストラップを買ってあげたので、少しでも運気が上がるといいなあ。

今度はシーサーが欲しいなとか思い初めてる自分がいて、人はこうして霊感商法にはまっていくんでしょうね・・・

2009年の抱負とか・・・

2009-01-07 18:44:50 | Weblog
先日遊びに来た友人Tから、俺のコミュニケーション力の低さを指摘されて結構へこんだ。

前も書いたように俺は人見知りで、人とコミュニケーションを上手に取ることは苦手。

この前の飲み会でも、ほとんど聞き役に徹してしまったので、気を使って話を振ってもらったりしているのは、年上の男としてはイケてないってこと。

こと仕事に関することであれば、いくらでも饒舌になるくせに、プライベートのことになると、とたんに貝のように口を閉ざす。まだ一対一の状況であれば、会話は盛り上がらないまでも、なんとか共通の話題を見つけようと努力するけど、人数が多くなるととたんに安心して聞き役に徹してしまう。
でもこれって、これからゲイの友人を増やそうとすることに対しては致命的だったりする。初対面で会話も盛り上がらず、自分に対して興味がないって感じられてしまえば、その次に会おうとは思わないだろうし・・・

友人に指摘された夜は、ろくに眠れないほど本気で悩んでしまった。

という訳で、2009年の抱負です。
今まで新年の目標って、あまり考えたことなく過ごして来たけど、目標を立てるってことは、達成するためにはどんな施策が必要で、何をいつまでにやるかというのを具体的に考える良い機会だったりするよね。仕事では期の始めに目標と施策を立てて、期末に結果を評価するってことを当たり前のようにやってたんだけど。

とりあえず、こんな感じかな。


1. 相方の就職

こればっかりは、本人のやる気とチャンスの問題だけど、就職するまではある程度のサポートは継続するつもり。

あんまり現実を見ない、甘いこと吐かしているもんだから、手切れ金でもあげて、追い出そうかと思ったこともあったけど、4年も付き合った相手だし、なんだかんだ言ってもかわいいんだろうな。

ただし、甘やかしはほどほどに、自分でできることは自分でするのを基本に、教育していかないとね。


2.ゲイの知り合いを増やす

積極的にゲイの知り合いを増やそうと、ネットで知り合った人たちに会い初めたのは、去年の夏以降だったりします。その中には友人と言えるほど深く付き合える人もできたので、今年はもっとそれを広げていきたい。去年会った人は、9人だから、少なくともその倍とは知り合いになりたいな。

最も継続的な関係を求めるには先に述べたコミュニケーションスキルの改善が必須なんだけど・・・

3.ビジネス本・自己啓発本を読む。

今年は仕事面でも、プライベート面でも人間的に魅力のある人になるために、本屋に平積みしてあるようなビジネス本や自己啓発本を週一程度は読もうかと。もちろん、書いてあることを鵜呑みはできないだろうけど、もしかしたら目からウロコみたいに、自分が変わることが出会える本に会えるかもしれない。

当然、コミュニケーション力を磨くための本も読むつもり。


4.TOEIC 800を目指す

仕事柄、英語を使うということで週一で英会話教室に通っているんだけど、3年くらい前に当初の目標TOEIC 700を達成してしまってから、レベルを落とさないぐらいの惰性で勉強しているのは否めない。ここらでちょっと勉強して800目指すべきかな。700から800って結構な壁があるけど、TOEIC対策の勉強を計画的にやればなんとかなるんじゃないかな。後は同じように英語勉強したいっていう友人を焚き付けてライバル心を刺激するとかね。


5.自転車を始める

今、定期的なやっている運動としてはジム通いと、ジムのエアロビクス。エアロビクスは上級クラスで最前列で踊ってたりするんだけど、いいオヤジがいつまでも目立つ場所で踊るのはみっともないから、どこかで引き際を考えないといけない。それが体力的なものなのか、コリオの物覚えが悪くなるからなのか、あるいは外見的なものかもしれない。

そうなった時、次にできる運動としては自転車は結構有力。乗ろうと思えばすぐ乗れるし、近くにサイクリングコースもある。慣れてくれば箱根や江ノ島方面まで遠征もできるしね。ゲイの自転車サークルもあると聞くし、そこでも交流が増えるかもしれない。

ロードにするか、マウンテンにするかはまだ決めてないから、これから勉強する。どっちにしても花粉の季節が終わるまでは、自転車乗れないしね。


後は今年の目標という訳ではないけど、そろそろセカンドライフの準備を始めないと。このまま60の定年まで今の会社で働けるとは限らないし、セカンドライフを始めるなら早いうちに転身を計った方が良いはず。今、転身をしたとしても、俺にはどれだけの市場価値があるのか。そろそろ先を見据えて準備しないといけないかなあと思う。

こんなところかな・・・

2008-2009年末年始忘備録〓

2009-01-04 15:00:41 | Weblog
12月31日

今日は相方の誕生日ということで、お気に入りの和食の店に懐石料理を食べに行った。

さすがに普段使いするには敷居が高く、値段も張るんだけど、まあ一年に一度のことだからね。

誕生日ということを伝えていたら、一口サイズではあるけど、赤飯を付けてもらった。
全10種のメニュー、先付、椀物、、刺身、煮物、焼き物、揚げ物、鯛飯、デザートは結構な量で腹一杯になる。

ご飯食べた後は、相方は友達と初詣に行くと出かけて行く。
去年はアウトレットの福袋を買うために朝四時起きで出かけて行ったものだが、今年は相方とゆっくりしようと思っていたんだけどな。これも、28日~30日まで相方を放っておいたことの復讐でしょうか・・・

あんまり、こういうお互いをないがしろにするようなことが続くと、何のために一緒にいるのかわからなくなるから、気を付けないといけないね。

という訳で、予期しないで一人で年末を過ごすことになってしまった。昔だったら、これをチャンスとしてハッテンバにでも繰り出すところなんだろうけど、それってあんまりにも寂しいし、虚しい・・・

と言うわけで、帰りにPS3のゲーム「ガンダム無双2」と「オブリビオン」を買って、相方がいぬ間にゲーム三昧するとする。
ま、実際は明日食べる分の雑煮を作ったりしてたから、正味四時間もゲームできなかったけど。


1月1日~1月2日

朝早く目が覚めたんで、1人で虚しく雑煮と出来合いのおせちで腹を満たしてから、実家に出かけた。

途中、地元のデパートに寄って見たけど、福袋目当ての人でごった返していた。俺もちょうどコーヒーが切れかかっていたので、スタバとタリーズの福袋、計八千円を購入。豆は五千円分入っていたから、しばらく困らなそうだ。

実家は車で二時間程のところなんだけど、帰るのは一年ぶり。
帰るなり、実家で飼っているパピヨンに熱烈歓迎されるし、既に来ていた弟の家族も来ていたんで、今朝の1人の時とは一転、にぎやかな正月を過ごすことになった。
弟には姪甥がいて、一応うちの血筋を絶やさないでいてくれるもんだから、ちょっと遅めのクリスマスプレゼントとお年玉の大盤振る舞いをした。
姪にはDSのソフト、甥にはWALL・Eのアクションフィギュアをあげた。俺的にはタイムリーで考えたんだけど、甥には親父があげた仮面ライダーキバのザンバットソードの方がお気に入りだったらしい。なんかちょっと負けた気分だけど、子供なんてそんなものだよね。
しかし今の少子化時代の子供たちってうらやましいよね。両親だけでなく、祖父母や叔父伯母から、ちょっと過保護気味にプレゼントや、小遣いもらえるしね。
最も成人した暁には、彼らの肩に老人となった大人たちの生活を支えてもらわなきゃいけないからね。

60を越えて働き続けた親父も、今年、いよいよ会社を退職、定年ぐらしになるらしい。
やることがなくなることで、一気に老け込むことがないように年寄りでもできるボランティアや、趣味を持って欲しいんだけどね。

後は、いよいよ暇になるんで、俺のウチに遊びにきたいとか言いだしかねない。両親には2LDKの賃貸で狭いからって言ってるけど、実際は元3LDKの家族向けの分譲マンションだからね。遊びに来たら相方との生活まるわかりだし。

同じような同居ゲイの人は、どうやって乗り気っているんだろう・・・

2008-2009年末年始忘備録〓

2009-01-02 14:50:41 | Weblog
ここ二年ばかり、仕事がらみで年末落ち着いて休んだことはなかったんだけど、去年はなんとか予定通り休むことができた。

実は仕事は100%スッキリ解決した訳ではないんで、年明けに人波乱あるかもしれない・・・


12月29日~30日

大阪から友達が遊びに来たので、箱根と横浜を案内した。この友達Tには、俺が大阪に遊びに行った時、京都を案内してもらったり、良くして貰ったんで、その恩返しも兼ねて俺の地元を案内した。

Tとはネットで知り合ったんだけど、お互い相方持ちでしかも、両方の相方とも癒し系ということもあって、ちょっと戦友的な感覚で意気投合して仲良くしてます。俺よりずっと年下なんだけど、バイタリティや、人生は楽しまなきゃ損という姿勢が凄くて、会っていて勉強になります。もちろん相当苦労したし、仕事も大変だからこその説得力なんだけど、尊敬できる人です。

実はT、前日に風邪を引いて38℃の熱が出たんで、来れるかどうか危ぶまれてたんだけど、点滴と薬で微熱レベルまで下げてなんとか来てもらった。とは言っても喉のリンパ腺は腫れて喉が痛いと言って、マスクしている姿は痛々しかったけど。

Tが本調子ではないので、さっさと箱根のホテルにチェックイン。観光ガイドにも載っているような歴史あるホテルで、スタッフの応対も良いんだけど、なにぶん建物、設備が古い。ガイドが正しければ120年ものらしい。

建物は古いが部屋は広いし、温泉が部屋の風呂まで引けるっていうのはポイントが高い。天井も4Mぐらいあるんじゃないかというほど高い。また泊まりたいかと言われると返事に困るけど、なかなか興味深いホテルだった。

ただ部屋が乾燥しているのは困りものだったけど。Tは喉がやられていて乾燥に弱かったから、共同浴場からバスタオルを失敬しては、濡らしてスチームヒーターに載せたりして対策したけど、効き目はいまいちだったけど。

Tはというと、薬飲んでドリンク剤飲んだせいか、ひたすら寝ていた。まあ12月は激務だったそうだし、リラックスしてもらうのが目的の一つだから、良かったけどね。

夕飯はメインダイニングで伝統的なフランス料理のフルコース。ダイニングの雰囲気と、ウェイターの対応は心地良かったけど、味は普通かな。ワインが高くてびっくりしたけど。食事中は、俺と相方の関係について、チクチクといじめられたけどね。

夕飯の後は、Tがお土産で持ってきてくれた練梅の梅酒で晩酌しながら、お互いの相方と歩む将来の夢なんかを話ながら、夜を明かした。

次の日は、箱根から横浜へ移動。でもせっかく箱根まで来て、それっぽい場所に行かないのももったいないから、大涌谷へ行って黒玉子食べて寿命を延ばしたり、食い切れない程の料理が付いた昼飯プラン付き温泉なんぞに立ち寄りながら、横浜へ向かった。

車で移動の間は、Tは助手席で、ご就寝。昨日、あれだけ寝たのに良く寝るね。なんでも車に酔いやすくて、酔うと寝ちゃうそうだ。初めて聞いたけど、そんなことあるんだね。

29日の宿は、昨日の古いホテルと、一転、近代的なみなとみらいの高層ホテルの最上階にした。なまじ地元だから、このホテルに泊まる機会はなかったんだけど、一度泊まってみたかったんだよね。

最上階のせいかしらないけど、ホテルのポーターの長々とした説明の後、リモコンでカーテンを開けると眼下には横浜の市街が一望。ちょうど、夕日が沈むタイミングだったから、しばらく無言で見入ってしまった。
本当は恋人同士で来るところかも(;^_^A

夕飯はTの友達と忘年会の予定だったけど、時間があったのでショッピング。俺があんまりイケていないカバンで来たもんだから、カバンを見に。俺は出張用のビジネスバックは結構持ってるんだけど、国内旅行ように持っていけるようなカジュアルなカバンは持っていなかったんだよね。

結局、Tオススメのモノグラムパターンで有名なブランドのボストンを買うことにした。いろいろ見て回ったけど、値段とモノのバランスも良いし、使いやすそうなのが決めて。本当はTが買おうと思っていたらしい。そんなに気に行ってるんだったら、人に勧めるなよ(笑)
Tの方は別ブランドで、名刺入れを購入。
07年末は散財し過ぎて後が大変だったから、今回は無駄遣いしないつもりだったのにいきなりの出費が痛い・・・ま、気に入ったからいいけどね。

夕飯は、Tの友達のMと、その彼氏と、TとMの友達のYの5人で、流行りの蒸し料理の店に行った。店のセッティングを頼まれたんだけど、横浜の店とか知らないし、ましてやちょっと人には聞かれないような話ができる個室が取れる店ってことで悩んだけど、皆にも気に入ってもらったし、なかなか良い店だった。今度は相方と食べに来ようかな。

今回の夕飯のセッティングの最大の目的は、TがMの彼氏をチェックすることだった。Mは長く一人だったから、Tは心配していたんだけど、お眼鏡にかなったみたいだ。実際、いい人だし、Mのことを大事にしてるしね。

夕飯の後は、眺めの良いホテルで続きの飲みをしようと言うことで、つまみを買ってホテルの部屋へ。すっかり暗くなった街並みは星屑のように見えて綺麗だった。まさにロマンチック。実際、窓から他の部屋のカップルがバスローブを着て、外を眺めているのが見えた。でもそれって、向こうからも男五人が酒盛りしてるのが、見えたってことなんだよね(;^_^A

30日は、Tが午後から人に会うってことなので、食べたことがないっていうコールド・ストーン・クリーマリーでアイスを食べて、中華街に行って豚まんを食って、マンゴープリンを買ってから、別れた。

離れているから、そんなに会うチャンスはないけど、お互い自分の立場での仕事を頑張った上で、たまに会って刺激し合える関係でいたいな。

ちなみにTはイビキがうるさいので、夜中に目が覚めることがしばしば。それでもいつの間にか寝てたから大丈夫だと思っていたら、家に帰って、夕方から寝て、飯食べてうたた寝し、さらに普通に寝てしまったから、寝不足が貯まっていたのかも(笑)