移日々之事物

気になったこととかに関する戯言とか

あえて

2005-08-28 23:07:35 | Weblog
多分これは言っちゃいけないことなんだろうな、とは思うけどそれをぶちまけるもまた一興。

今までいろいろと政治家をコケにするようなことを言ってきましたが、私は政治家が悪いとは言いたくありません。確かに政治家として問題がある人たちもいて、そういった人たちが『悪』であるということは確信しています。

しかしながら政治家が悪いといいたくないというのは、その政治家を選んだのは国民であるからです。はっきり言うならばそんな人間を政治家に選んだ国民に見る目がないということです。

まぁ詐欺師に騙されて騙されるほうが悪い、というのと同じ理屈ですが現実においては騙される人の無用心さも良くないというのは否定しがたいことなわけですからあえて言いました。

そして国会議員を選ぶという観点においては見る目がどうとかいうことに限りません。私は現在の選挙において大衆の側は人を選ぶということに対する認識の甘さと近い未来しか見ないという傾向があると思っています。

認識の甘さというのは先に言った見る目という部分にかかってきます。今まで無難にやってきた人だから、という理由のようにその人が政治家としてどうなのかということを考えずに安易に投票するようなことです。仮に政治家が悪いことをしてもそれは政治家だけの問題ではないということを認識すべきなのです。そういったことも含めて国会議員を選ぶということは重いことなのだと認識すべきなのです。

近い未来しか見ないというのは自分の生活が悪化するようなことは極度に嫌うということです。これは当たり前のことですが、それが長い目で見ると利子をつけて返ってくることならば支持すべきだと私は思います。当面の生活が脅かされては長い目も何もない、というのもわかりますがそれでも無責任にいいことばかり言って結局何もできない、しない政治家を支持していたのではどうにもなりません。何も考えずに当面の安定を望むだけの人は時がたって生活できなくなり、その時になって自分には責任がないかのように政治家を糾弾するのではないかとすら思います。

こういったことを言う私は今回の郵政民営化でたとえるなら郵便局が減っても痛くもない人間だからだ、というような謗りを受けることでしょう。実際その通りなのでそれについては反論できません。

しかしながらこれは考えるべきことだと思います。国会議員は私たちが選んだ人間であり、彼らの行為の責任は私たちにもあるということを。病気を治すときには苦しい思いをしなければならず、その先の未来を考えるからそれを乗り越えられるのだということを。







いろいろ言ってますがなんかイタイ人間であることを公表しただけのような気がします。