世の中にはあいまいなものと言うのはたくさんあります。
世の中のいろいろなものが数値化されていくのに、絶対にそれができないあいまいなものとか、数値化されてるのにあいまいなものというのは多いです。
今日触れたいのは後者に関することで、時間の概念のあいまいさということをふと思いました。
1日は24時間なわけですが、それを決めたのは人が区切っただけのことで、実際に24時間たつと劇的な変化がおきて知覚するわけではありません。言葉においても「今日」という日は、日付が変わった0時以降でも使われます。表記上でも25時とかいう書き方をしたりもしますね。
そうやって考えると、果たしてどこまでが「今日」なのだろうかとか、「今」という時間は果たしてこの瞬間からどの程度のずれまで許容するのだろうかとかちょっと考えたりしてしまいます。人によっては午前4時とかでも暦上の前日と同様な「今日」だったりするのかなとか思うとちょっと不思議です。
前回の書き込みが遅かったことに対する言い訳にここまで風呂敷を広げる自分がちょっと素敵です
世の中のいろいろなものが数値化されていくのに、絶対にそれができないあいまいなものとか、数値化されてるのにあいまいなものというのは多いです。
今日触れたいのは後者に関することで、時間の概念のあいまいさということをふと思いました。
1日は24時間なわけですが、それを決めたのは人が区切っただけのことで、実際に24時間たつと劇的な変化がおきて知覚するわけではありません。言葉においても「今日」という日は、日付が変わった0時以降でも使われます。表記上でも25時とかいう書き方をしたりもしますね。
そうやって考えると、果たしてどこまでが「今日」なのだろうかとか、「今」という時間は果たしてこの瞬間からどの程度のずれまで許容するのだろうかとかちょっと考えたりしてしまいます。人によっては午前4時とかでも暦上の前日と同様な「今日」だったりするのかなとか思うとちょっと不思議です。
前回の書き込みが遅かったことに対する言い訳にここまで風呂敷を広げる自分がちょっと素敵です