goo blog サービス終了のお知らせ 

ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

たった一人の見えないお客様

2010-05-04 20:55:13 | 日記

ゴールデンウィークは 連日晴天が続き
行きかう車の数が多くて どこもかしこも賑やかだ。

昨日 僅かな庭のスペースを整理して 
ようやく苗を植えつけた。
重い腰を上げて店を午後から再開しながらの苗植えだった。

そこへ予告なしに息子が現れた。
やっぱりあの子は 何かを察する力があるようだ。

色々とお互いの近況を話しながら 息子はデッキの修理(?)をしてくれて
帰る時に 大学いもを買っていった。
「気を使わなくていいのに・・お金はいいよ」

「少しは売上に貢献するよ。久し振りに食べたいし・・」

遠慮なく好意を受け取った。お金の価値ではなく 
その気持ちが嬉しかった。

その日はうちの看板を見て 「やっと再開してくれたんですね!」
そう云って 90歳のお母上を連れて 歩きづらい階段を登り
わざわざ買ってくださった。
これから楽しみが増えましたと 云ってくださった!
嬉しかった。

わたしがこの店を再開する決心をした理由は
この二年間 当初からのお客様が わざわざ階段を上り
声をかけてくださる方が多いのに 改めて知った事がその理由でもある。
再開を待ち望んでいる人が居るにもかかわらず
二年前削ぎ落とした時に 全てを封印しようとした。

でも もう一つの大きな理由は
眼に見えない大切なお客様のために再開しようと思ったのだ。

それは去年の6月頃の事だった。

店を始めて16年来のお客様・・
甲府の方で いつもご家族でお芋を食べに来てくださってた。
特に 当時中学生ぐらいの息子さんがうちのお芋の大ファンだった。

その息子さんが うちからそう遠くない所で事故死された事を聞いたのだった。
事故前日まで うちのお芋を食べたいと話してたという。
だから是非、再開を楽しみにしてますと云われた。
 
それからお父様がお仕事で道を通ると
うちに立ち寄られ 激励をいただいた。
不思議に そんな時のわたしは 再開するのをためらっている時だった。

その度に 亡くなられた息子さんの為にも頑張ってみようかと思いながら
1年が過ぎてしまった。

そして昨日 無理のないペースで始めたのだった。
たった一人の 見えないお客様のために始めようと決心した。

たとえ一人も来なくても その息子さんだけは
喜んでるに違いないと思いながら・・・

彼の24歳の姿は判らないけど 
今でも別の次元に居る彼との会話を通して知ったから・・
幾度かお父さんが来られた時に
息子さんは何かを伝えようとしてた。
その時 息子さんに名前を聞いていた。
半信半疑だった。

そして今日 お父さんに再開を知らせたいなと
デッキで思っていたら いらっしゃった。

お父さんは嬉しそうに上がって来られ
わたしは お芋をご仏前に差し上げる為に造りながら
もう一度名前を確認した。

わたしは手渡しながら お名前を聞いてみた。
間違いなかった・・・
息子さんの話をお父さんは話した。
息子さんが高校生の時 
電車に乗ってうちの店に行きたいけど駅はどこで降りればよいか、
駅から歩けば小一時間かかるのに 来たかも知れないと言う。

そこまでしても うちに来たがってた事を聞いて
胸が熱くなった。

お父さんは「あきらめるしかないんです・・」そうつぶやいた。

わたしは
「息子さんが わたしのやる勇気を繋げてくれたんですよ」
そう伝え 
たった一人の見えない彼のために 
再開の決心をして良かったと思った。

わたしは お父さんに簡単に息子さんの意思を伝えた。
彼は とてもお父さんのことを心配してると・・・

お父さんは下を向いて 黙ってうなずいてた。
彼のご仏壇には うちの店やこの通りの写真を供えていると言ってた。
今日は一緒にお芋を供えますとお礼を云われた。

わたしこそ 感謝をしたい気持ちだ。

彼の命日は 5月28日 ちょうど一年前の事だ。


この世の事とはかけ離れてるかも知れないけど
誰もが通る死の道は 
この世で何をしてきたか
どう生きたか 心に留める行ないをしたか

見えない世界の導きは 無関係でも
良くも悪くも 今を生きてる人の行いに反映すると思った。

むやみに霊の世界を恐れず
まずは 自分の今の生き方を 
胸を張って 云えますか?

導きは 色々な所から色々な形で訪れると思います。

これは まぎれもない本当の出来事なんです。 

わたしが店を再開する理由・・ありがとうございます!












 


つながった!

2010-04-30 19:35:23 | 日記

いよいよゴールデンウィークが訪れる

都会の人たちが 自然に親しむため こころを癒すため
車を飛ばし 訪れる・・・
特に神頼みに拍車をかけてるから 神社・仏閣が荒らされてる

そして去っていくと 無法なゴミや 荒らされた山の姿
日本人はいつからこんな心無いおこないをするようになったのだろうか・・

恵まれた生活をしてれば 心無い行ない
苦しい生活であれば 心無い行ない

わたしは店を長くしていたので 日本人らしからぬ行ないを
嫌というほど見てきた
それも年を追うごとに 荒れている

その逆に 最近都会に行くと 秩序のある若者の姿や
礼を尽くす人たちが多くなっている

なのに 都会を離れると やりたい放題になるのは何故か?

どこにいても 地はつながっているんですよ
どこにいても 見られてるんですよ

同じ日本 同じ地球上 宇宙も みな繋がってるんですよ

そりゃあ 神様、龍神、精霊みな避難しちゃいますって。

じゃあ どこに避難してるのか・・
宇宙? 地底? 別のお社?

三島大社に行ってから 今までの私なりに上の受けた事や
探究心が総合的に見えてきた気がする

人が人として幸せになるための方法
それも お陰様で兄が実証検分対象だった

昨晩の兄からの電話
わたしはすかさず尋ねた

兄は笑いながら 
「あれ以降、不思議に水で悩まされてたのが 
水関係の仕事が 立て続けに入ってきた」という
「判らないけど いい方向に行く気がするんだ」とも云ってた

声は元気な音を出してる
あとは何が必要か・・わたしはよく探求する事に決めた

なぜなら 人のエネルギーを活性化させる7つの法則を見つけたからだ
7つのエネルギーの中で その人により
足りてない、弱ってるエネルギーを活性化させれば
人として生まれたエネルギーの完成によって
幸せな生き方が出来ると確信した

説明するのはとても難しいけど 今までの日記に書いた内容に則してる。 

わたしの勝手な表現をすると
「新説 七福神パワー」かな

人は生まれてきたからには
みな 幸せにならねばならないと思う

人の尺度は違っても それぞれが幸せでありたいと
願っているのだけは間違いじゃないと思う
たとえ 悪魔でも 魔界の住人でも 不浄佛界、悪い宇宙人?でも・・・

わたしの新説は 7つのエネルギーが揃えば
道を外すことは出来ないだろう

決して心無い行ないはしなくなると思う
自信を持った人としての 悟った存在に成れるんじゃないだろうか

そう願いたい!
そうあって欲しい!

もっともっと 探求しようと思う
私に足りない部分を 探り 充満させ
7つの次の 8個目のエネルギーを手に入れるために
  




涙腺が緩んでる

2010-04-25 15:50:18 | 日記



ふと 自分の人生を辿る時が多くなった・・・

いろいろな旅立ちと出会いを経験してきた
今 振り返ると 沢山の喜びや感動を頂いた
幸せな涙が出てくる・・・
決して豊かではないが 心は人に自慢できるほど豊かだ
そんな時が多くなって 頭によぎる歌・・

いい歌だなぁ 
心からそう思う歌詞

つい先だって 2年前に越してきた友人3人が
ひとりは埼玉へ
二人は沖縄へ それぞれ旅立った

3人とも 幸せな顔をして旅立った
最後の日 私たちは 出会えた喜びと 教えられた感謝の気持ちで
涙が出てしまった
泣きそうにないダンナと旅立つ二人
声をつまらせ 涙がにじんでた

わたしは当然ながら 泣くまいと思ってたのに
涙が止まらない

長い月日を生きてると 
出会いと別れの涙は 
父母・兄弟であったり 息子であったり
友人であったり 愛犬であったり・・・

決して忘れたくない 感謝の涙

そして なんて自分は幸せなんだろうと
しみじみ思う

こころの豊かさを いつまでも経験できる様
限られた時間を 一生懸命生きていたい

感動を 喜びを ありがとう!
     

三島大社

2010-04-22 16:42:50 | 日記

昨日の初夏日和から 今日は冬日の寒い雨が降っている。

毎週のように出かける先々は 霊能的者的な意味合いに
基づいて動いてるわけでもない。
大まかに言えば上と下、宇宙と地球の私たち、
地球内外の周波数圏が その分野によって言い方が違うだけで
同じ事だと思っている。

大本の親神様であったり 集合意識の元であったり
エネルギー磁場であったり 太古のご先祖様や
ハイヤーセルフかも知れない所と私たちそれぞれが
繋がっているにもかかわらず 判らないでいる魂が
正常に繋がればと思っているだけのこと。

今、直面している事が何を指し示してるのか
単純に 素直に そうかも知れないと探求する糸口であれば
必然的に シンクロや導かれる直感に反応し
各々がどう判断して動くか・・・
そう出来れば 同じ繰り返しをせず 前へ進むことが出来るとおもう。   

その謎解きは 迷路のようであり 単純であるのが判る。
みるみる見えてくる絡んだ糸が解けると
状況が少しずつよい方向に変わり始めると
他人事ながら嬉しくなる。

霊能力的要素は そこそこにして 人としての愛を持っていれば
そのエネルギーが増幅し 知らぬ間に紐解けると感じた。

今回は実兄と私たちにも多少関連してると
幾度となく念入りに探求して 間違いのない様探り 
これでひと括りの気持ち、「この世のゲームは終わり」の心境だった。

前日の雨で いささか気がかりだったけど
見事に晴天 さすがの雨男の実兄が
繋がる意欲が出てきたか・・・

かなりの時間を要すると思い 気合も入って
朝4時ごろ起き 5時半にはスタート

事前に調べたけど 三島大社、富士山、八ヶ岳は一直線だ。
また、三島大社と静岡最古の神社・白濱神社(本当はここへ行きたかったけど)も南北一直線

これはワープしたい気分だなと願った。
途中の景色は 桜と桃の花が咲き乱れ
春の訪れを満喫した。

結構早かったので  途中河口湖側富士山近くで
仮眠しようと道の駅に行ったら 
二人とも めまいと頭部の重たい鈍痛・・
ここは辞めようと そそくさ出た。

三島に程近く着いた時間は3時間だった。
それでも待ち合わせ時間に余裕があるので
沼津の海<千本松公園>でゆったり・・

そうこうしていると、実兄からの電話・・あちらもかなり速いペースで着いた。

三島大社は市街地にあり にぎやかな所。
早速境内に入ると、やはりそこそこの人出。
兄がおもむろに「おまえここに来て懐かしくないか?」と言う。
えっ、どういうこと?と思ったら
「幼稚園の遠足で三島大社に来てるそうだよ」だそうで
わたしが幼稚園の時に 記憶に残る一番強烈な不思議体験をした

御殿場に住んでた頃だ。

拝殿前に 神楽殿が中央にあり3人で見てると
お年寄りの方が声をかけてきて
「はじめてですか?私が案内しましょう」
その方はボランティアで前日予約で説明をしてくれる方だったが
たまたま用事で来たので 普通は予約以外はしないそうだ。
親切にも ひとつひとつ詳しく なるほどお話をしてくださった。

こういった経験は初めてで これは兄が居たせいだと感じた。
兄はスピ系や宇宙系には いまいち信じていないけど
知らぬ間に結構導かれてるのに気付かないで来た。

兄は土木設計を若い頃していて
数十年前 瀬戸大橋プロジェクトに関わって設計した。
昨年 私が「忌部族」のネット・コミュで知った事は
四国忌部族に関連してる人たちの間では
瀬戸大橋開通で 隠された忌部がいよいよ動き出すと
噂されたそうだ。

また、兄は九州、出雲や塩釜、宮城、沖縄等に縁がある。
あまり知らなかったけど 結構神社に出向いてるらしい。
釣り好きで 言葉少なく 正義感に富んで
曲がった事は嫌いな 古いタイプの人だ。
気性が激しいけど 人の為に何でもしてしまうのが
だまされる欠点でもある。
昔から腰が悪く また水や蛇系に悩まされてきた。
それは今でも続いてるので ただ事ではないのだ。
幾度となく海や水に引き込まれそうになり
危うい経験もしているのに 釣りや船が好きらしい。

自分を見つめ 過去を見つめ 未来を変える・・
御祓いと言うことも必要だろうけど
よく自分を探求、理解して なだめなければ
くっついたエネルギーは剥がせないだろう。 
自分を上と繋がせ 強化する・・
本来の強いエネルギーを身体に循環させる。
なにせ、人間の身体は磁石のようなものだから
それを考えれば解るとおもう。

説明はをしてくださるその方は 
片時も離れず 参拝もゆっくり出来ないほどだったが
説明の内容は 私が気になってた人物以外にも
沢山の腑に落ちる話だった。
あまりにボリュームある内容で書ききれない。

中国までさかのぼり 通常の定説を覆す内容もあった。

ひときわ境内の立派な古木が眼に入った。
日本一の金木犀
樹齢1200年以上
高さ4mはあるか
年に2回花を咲かせる
花の香りは 10kmにも及ぶ・・・
す、すごい!!

ここ三島大社は 4つの街道の中心地
東海道、鎌倉古道など
その中心の場所に 大昔大きな石があったとさ。
その石は 「たたり石」と云われた。
今ならそれを聞くとオッカナイイメージだけど
「たたり」とは 「絡み」と云い
糸が絡むように 主要街道を交通整理する意味だそうだ。
聞かなければ解らなかった・・
その石は 鳥居直ぐそばに移動され 鎮座してる。
金属的な ねっとりした肌触りだった。

その後 「三島暦」という発祥地という事で
「三島暦の館」を紹介された。

長い話になりそうなので 次回つづきをUPしようと思う。
これも興味深かった・・・






 

  


今日は何の日

2010-04-12 21:54:39 | 日記

昨晩は 友人の送別会が行われた

前から何故か友人夫婦を誘いたくて
奥さんは遠方の仕事がありダメで
波動の絵を描くご主人をお誘いしたら
なんと送別会会場を提供してくれた友人と
とても不思議な場で 昔、面識があったのだった!
お二人とも ビックリしていた。

総勢12人だったが とても和やかで 楽しく過ごした。

そして 今日私の誕生日だ
55歳のゾロメ・・合計10

ふとネットで「今日は何の日?」を覗いた

そこにあった九州・福岡の「志賀島」が気になって覗いた
両親とも九州の流れだけれど 自身は住んだことがない。
それで開いてみたのだ

そうしたら 卑弥呼の倭奴国印が出土したのがこの日だそうだ。
その地が福岡県の博多湾北部の志賀島
「海の中道」と言い 今は島と陸続きに道があるが
昔は繋がる時がまれだったそうだ。
まるでモーゼの海が割れる伝説のよう・・・

ここは 「綿津見神三神」を古代からお祀りしてるそう。
その神社が「綿津見海神社」で 海ノ神さまだ。
若い頃 数少ない読書したひとつが「聞け わだつみの声」
そのタイトルは この神様から引用らしい

何より驚いたのは その神社「君が代」を大切に重んじる
日本でも数少ない 珍しい神社と書いてあった。

私の名は 君が代から引用の「八千代」である。

前から両親の由来だから とても行ってみたい地域ではあったが
貧乏暮らしでは遠すぎるし 暇がないなぁと神様検索したら
信州の「穂高神社」がその神様をお祀りしているという。

大昔 安曇氏が志賀島から 信州へ移り住んで
海の神様「綿津見神」を奉ったイワレ
実は 友人の他界された父上が穂高出身で
ご本人も数年間、小さい時住んで そばだった事を聞いてた。
友人も私も いつか行こうと思ってたところだった。

海の神は 「海部氏」とも関係があるらしい

明日は本来なら三島大社へ行くつもりだったが
兄が都合が付かず 明日晴れたら穂高へ行ってみようと思う
家から1時間ほどだろう
友人の交通安全も兼ねて・・・

そのあと「今日は何の日?」検索で目をひいたのは
「過ぎ越し祭」だった・・・
まただぁ・・・

過ぎ越し祭は イエスの最後の晩餐前の日から
イエスの復活までの事で
主の啓示で イエスの民の御印を戸につけて
難を逃れ その後ヨダの裏切りからイエスが処刑され
3日後に復活するだったかな?

これは日本でも「過越し祭」的なしきたりがあるのを
最近知ったのだ。

それは 「事代主」蛭子とも恵比寿とも言われる場所の
三保の地・・
最近友人夫婦が無意識に訪れた地でもあったが
時を同じくして私も 兄や私達夫婦との関わりがあると
察して どうしても最後に行こうと思った場所

私たちは静岡の三保は幾度か行ったので
事代主が三宅島で三島明神になったと書いてあったので
三島大社で繋ぐつもりだった。

友人達は 島根県の三保周辺に行った。
彼女等が行く場所は 最近シンクロしっぱなしだ。

島根の三保の「事代主」の神事が
「青柴垣」神事で 「死と再生」神事過越し祭みたいなのだ。

その供物は 「酉の供物」を奉納するという

「酉」がでたぁ・・・以前気になって行った「大鳥神社」の後で
知ったのだった。

皆が皆 霊性に眼を覚まし
事の善し悪しや 何が大切かを
「よく見て、よく聞く」ことが
これからは必要であり

決して特別な存在ではなく 
それぞれが上と下と繋がり

迷ったり 不安になったりしたら
「そうであるかもしれないが そうでないかもしれない」と思い
考える事を 停止したり 過ぎ越せば
いつか解ってくるんじゃないかと思う

ただ 冷静に探求することは
未来への繰り返しを起こさない為にも必要ではないだろうか

私が書いた事柄も
「そうであるかもしれないが
そうでないかもしれない」

それを 冷静に 経験し 深く探求することで
わたしは 未来への進化の糸口を 見つけたい

わたしは
鳥のようによく見る眼を持ち
うさぎのようによく聞く耳を持ちたい

今日は 4月12日 わたしの誕生日
両親に 御先祖様に 感謝します



 




シンクロが目白押し

2010-04-09 20:47:45 | 日記

昨日は わたしのおじいさんの誕生日だった(たしか・・・?)
そして「お釈迦様」の誕生日だそうだ。

4月4日に「クオンタム・ゼイライト」の事を簡単に書いたけど
4月5日に 友人に薦められてたあるヒーリングを 
だいぶ前に予約して受けた。
私はヒーリングというものをいまだ受けたことがなかったので
薦めてくれた友人の体験談とヒーラーの方が気になり
初体験をしようと思い立った。

特別悪いところがあったわけではないけど
昔から 人に乗せられてホイホイいくタイプではないけど
最近のわたしの体験意欲は 素晴らしい人たちに出会う体験でもあった。

この二つの体験2~3日前は 初めての針治療で
「はじめてのおつかい」を連想する。

経絡を刺激したせいか 目覚めたかも・・・
それ以来 ふしぎなものを視るし
チャンネルの的を得る内容は かなり高度な(難解?)事柄だ。
それに増して シンクロの意味まで明快になってる。

「クオンタム・ゼイライド」と「ヒーリング」は 
「ホメオパシー」の導き方を基本で シンクロ!

「クオンタム」の測定結果、「H2O2」つまり「過酸化水素」が80%足りないと出た!
先生は「なんのことやら?めずらしいなぁ」と云ってたが
わたしは知っていた。

以前書いたと思うけど だいぶ前、夢でケンさんとわたしが何かを研究してて
わたしが「過酸化水素を重合すれば・・・」を見てるのだ。
それでネットで検索してたから知っているんだなぁ。

その意味もなんとなく判ってたが 断言できずにいて
すっかり通り過ぎてて 
最近の課題は <どうしてもぬぐえない前世からの癖を持つ人たちの
簡単で効率的な除去方法>と
<肉体を持って次元上昇するための細胞変化方法>だ。

なぜか、「自分は知っている」気持ちが強く(笑っちゃうね)
それを呼び起こそうとおバカな信じ込みを持ってた。

そんなたくらみが 「過酸化水素」と「ヒーリング」の不思議な体験
2連発で シンクロ!&理解!

これを説明するには どう伝えれば解りやすいか、
また色々な人が言い わたしも知らずにチャネリングで教わった
「水2ℓ」は共通だが
わたしが聞いた「果物」と「蜂蜜」、「白銀」、「ポカリ」の理屈が
結びついたのだ。

説明はともかく、肉食、喫煙、飲酒、葉物(根の浅い野菜)を
多く食べる方は 極力「果物」特に柑橘系と「蜂蜜」を適度に
摂るとよいと思います。
身体に溜まった鉄分(つまり血です)のサビを除去するとおもいます。

それに加えてミネラルの多く含んだ食品は
「ポカリ」と同じで イオンバランスを保つ(白銀的要素かな?)から
いいと思います。
わたしは海藻をあまり摂取できないので
免疫不足の数値「過酸化水素」が出たんですね。
「過酸化水素」は人間の白血球の中にあって
この性質は 漂白や殺菌の効果があり、鉄と重合すると溶かして
さびが出るのと 光と重合すると色素が無くなる。そう・・

それの要因は「酸素」空気に触れるとらしいです。
血液は血管があり空気にさらされずにいる
わたしが勝手に思うのは 赤血球も白血球もバランスを取っていれば
害を及ぼさないけど 
それ以外に酸素がはたして人間の粗い細胞を通らないのか・・・

これを考えると 頭パンクしちゃうので止めますが
今宇宙からのエネルギーが降り注いで
別の光があるのは確かだ。
だとすると 「過酸化水素」と未知の光が重合すると・・
細胞は変容するのは想像できるとおもう。

これが半物質化の糸口にならないだろうか

通常の光と重合すると 色素が無くなる効果は髪などの脱色だ。
そこに未知の光ですよ。

7つの光子以外の光のつぶ(色でもいいけど・・)

わたしはこの色が 「白金」だとおもう。
以前みた夢の 目を覆う光は 「白金」だった。
それも 想像を絶する光だった。

そして2日前 友人夫婦と遅くまで夢中で懇談した夜
その後でコンビニへ行く道すがら視たモノは
不思議なイキモノ
それを通り過ぎてすぐ、そう大きくない「次元の扉」らしきモノ
その扉の光は まさに「白金」で不規則に点滅してた。

ダンナは2日前から 変な夢を見てる。
そして今日 とうとうダンナは
仕事場の壁下部の「次元の扉」らしきモノを見たという。

それは 横に60cm、高さ20cmのブラインドのようで
白と黒の横模様が回転しながら 光を放ってたそうで
目線をそちらに合わせたら消えたそうだ。

「次元の扉」の話が ちかほさんのブログで シンクロ!!

そのちかほさんが昨日訪れた時に
「最近たくさんUFOが居るわよ」「それも今までとは違う球体だった」と言ってた。

そういえば、八つコンの急遽打ち合わせ中
ダンナが「あれっ、何だ!?」で一斉に見たけど何も無いので
彼は黙してたが 後から聞いたが
直径1m位の球体が ガラスドア外に浮いてたそうだ。
なぜ すぐ言わないのぉ~
こんなことも シンクロした!!!

そうそう、2日前訪れた友人夫婦の旅話も
彼らが行っている間に 家では三島大社がらみの事柄と完全にシンクロ!!!!
それで時間も忘れて いや、ワープしたかも・・話し込んだのだ。

あれこれ飛んでしまった話で
みなさんは「なんのこっちゃ!」と呆れるかも知れませんが
本人、ほか理解し共有した人にとっては
これは とても意味深く
決して作り事や迷走ではなく
実際に起こったことなので ネゴトを通り越してしまう。

もちろん今までのことは すべて空想の世界ではないんです。

伝えられないのが はがゆくて
直接打ち込むのが わたし流なんで
どう文面にすればよいか ブログ書き込めないのが悔しいです

これからどんな展開になるか
すこしワクワクしてる自分が居る
  





 





 


 


 

 


3,4日前の言葉の意味

2010-04-04 22:51:53 | 日記

久し振りの「八つコン」打ち合わせを今日した。

昨日は 元精神科医の方で「クオンタム・ゼイロイド」という
生体微弱エネルギー測定修正システム・・う~ん
現在の生体反応を膨大な項目から測定して
調べる近代的なシステム・・・
体験した。

穏やかな このようなお医者さんがいらっしゃるとは
知らなかった。
そしてお医者さんの中に 不可思議な事を
真剣に信じていて それを医学に活用し
患者さんと向き合うグループがある事を教えてもらった。

久々に 運転中ある言葉を上から聞いた
というより、話が長いので書かないが 
ある事を見えない存在に調べてもらったら
教えてくれた名前

それは「ティモン」
何?それっ、て感じで知らなかったけど
家に帰って試しに検索したら
「古代ギリシャの詩人であり、懐疑主義者であり、人間嫌いのティモン」が
ヒットした。
その人物は 紀元前325年位~230年の時代
不可思議な人物らしく、記録が乏しいらしい。
シェークスピアの戯曲「アテネのタイモン」がその人物を取り上げてるという。

「懐疑主義」は小難しく書いてあったが
物事や眼に見える物質は
そうであるかもしれないが
そうでないかもしれない
物事を決め付けないで 探求する思想のようだ・・・
ちゃんと理解してないかもしれないから
説明できない

でも なんとなく感じる事は
懐疑主義の事より 
人間嫌いになり 人間に呪いをかけた
「ティモン」の元を読み解くことにする

その言葉が出た時 もうひとつ長めの言葉が出たんだけど
忘れてしまった・・・なんだったんだろう・・・・・

4月になってから やたら忙しい気分
だけど 前と違う経験を試みてる兆しがある
気も変わったよう

ふしぎだなぁ・・・





 

 

 

 


3月16・17日大鳥神社と御岳神社

2010-03-22 19:12:33 | 日記

どこから書けばよいか迷うほど じっくり思い出すと前からはじまってた。

画像を載せようとするとフリーズするので、いずれUPします。

2年近く前の犬神→昨年の合鴨騒動に開かれ・・
いや、ひょっとしたらダンナはとんでもない昔からはじまってたのか・・

とりあえず、昨年から「鳥」にはじまり
今年節分以来頻繁に「鳥」がまとわりついた。
頂くお菓子が鳥デザインや鳥がらみばかり
ダンナの仕事が鳥関係
脳裏には 「おおとり神社」の言葉が妙にひっかかってた。

とどめは 出かける前日、買い物帰り道にバサバサと白い鳥
鷺か?いや昼間なのにどうもフクロウみたいだ。始めて見た。
また鳥だぁ、やっぱり「大鳥神社」を検索して行く事に決めた。

検索すると、ギョッな事が・・・
目黒の「大鳥神社」は
ヤマトタケルノミコトが東夷征伐の折 成功祈願と部下の目の病祈願を
「盲神」に願ったところ、目の病は治り
東夷征伐が実った。
その後 ヤマトタケルは最期の時白鳥になったという場所ということらしい。

ここでは 「盲神」、「日本武尊」、「オトタチバナ姫」がお司りしてる。
そればかりか「十束の剣」があるという。
なんと、前回書いた「盲神」めくらがみが居られるなんてビックリですよ!
前に検索した時はまったく出てこなかったから諦めてた。

出かけるその日は しつこくも道路に50mおきにキジが幾羽も横断するし
カラスや鷺やトンビが飛び回るし
分かりましたから!って言いながら
東京へ向かった。

目黒には父や祖父の墓が親戚の寺にあるし
大鳥神社交差点から程遠くないので、彼岸前の事もあり
母を途中乗せて向かった。
その寺は 「アトランティア」という雑誌に不思議スポットで掲載された。

墓参りを済ませ 「大鳥神社」へ
周りは騒がしいが 境内を見ると区内では最古の寺
古木「楠木」があった場所近くに面白いイワレの灯篭
キリシタン大名「大村氏」のキリシタン灯篭で
秘かにキリストを模写したデザインだそうだ。
へぇ~、なるほど。とその場ではその程度だったが
実家に戻ってからの流れに関係するとは思わなかった。
この話は 次回にします。

「大鳥神社」で不思議に思ったのが
寺掃除してた若者に「盲神」さんの事を聞いたら知らなかった。
あれ?違ったのかなと、とりあえずスルーした。

その日のルートは東京ど真ん中なのに 
往復メチャクチャ早く駆け巡った。
母もビックリの1日だった。やっぱり動かされたな・・

翌日、帰るルートを海沿いの1号線と云ってたが
ギリギリで何故か青梅街道(このルートは初)一直線になった。
実家を出る前にダンナがつぶやいた。
「また不思議な所に出くわすかもしれません」だって!

その通りになったよ!
奥多摩湖手前の街道沿いに「武蔵国御岳神社」が在るではないかぁ。
ここは2年前からの八ヶ岳とのイワクつきの所だと知ってて
それとは別で ダンナの事をチャネリングした時に
岐阜の「御岳神社」と考えてた。
「大鳥神社」の次に とりあえず近場の「武蔵国御岳」に行くかと
思ってたのだ!
それが、2日目に行かされるなんて 
正直うわぁ~って感じですね。

ここはケーブルで登り それから45分細い道を登る。
頂上には本殿があり、「大口眞神」狼眷属様がおられる。
狼眷属は 神と直接関わる眷属神で
狐や蛇などの邪気神の天敵であるとする。
日本武尊が狼に守られたそうだ
それでおまつりしたイワレだそうだ。

その時ふと想ったのが
「桃太郎伝説」・・キジや犬、サルを従え鬼退治

前日訪れたのが「鳥」「酉」
次の日は「犬」「狼」
そしてダンナの干支は「サル」・・・笑っちゃいます
えっ、まさか「猿田神社」じゃないでしょうね・・

「御岳神社」のその場では感じる事は少なかったけど
帰ってきてから 2人とも脱力感というか、魂飛んじゃったって感じ。

次の日からだったかな、右肩から頭まで非常に痛い
首があまり回らないし、辛いのだ。
それで直ぐにUPできなかった。
なんだろうと想ってたが、どうやら私だけではない事が解った。
幾人かの人が同じ症状らしい。
何かが動き出したかもしれない・・

「盲神」をふるい立たせよの意味は
日本人あまりにも盲目であり
本当のことを知る 見る 探る事をしなくなった。
盲目の日本人を 目覚めさせなくては
変わらないだろう

そのためかどうかは わたし的な観点だから
合ってるかは別として わたしは「つなげる」事をしただけだ。
別段、使命とも想わないし ただおもむくままに
夢遊病者のように素直に動くだけだ。

望んでいるわけでもない動きが
チャネリングが
想わぬ結果にたどり着く不思議さは
否定できない

日本のオドロオドロしい霊界のイメージは拭い去り
別の視点で見れば 未来のきっかけになるポジティブ性を
見出す事に勤めている。
だから 私は上と下をつなげるコンセントのようなものだ。
イメージはイメージを創りあげるので気をつけたい。

過去と未来は つながってる
地球磁場内の記憶と宇宙磁場の記憶は別物ではない
そして 現在も・・・・


 


「草の乱」と「盲神」のチャネリング

2010-03-18 21:17:43 | 日記

今週火・水曜日東京へ行ってきた
これに関しては 近いうちに書こうと思う

たった今 秩父事件を取り上げた「草の乱」を観た。
国家と弱者の溝は 今でも続いている
たとえ声を揚げたとしても 闇に葬られるのだろうか

私たちは 何のために働き 何のために生きてるのか・・

多くの人たちは お金のためや食べるために働き
お金がなければ 生きてゆけないのがこの世の中になってしまった

喜びは おまけや余禄 ストレス解消の薬になってしまった・・

本来は 喜びや楽しいことを得るために働き
幸せな人生 後悔のない人生を全うするために生きるのが望みのはずだ
その目的のために 頑張ったり 我慢したり 励んだり出来るのだ

今も昔も 弱者は喜びはおろか 税金や生活に追われ苦しい人がいる
だからお金を得るために働き 身体を酷使し
病にかかり 医者にかかる為に またお金を稼ぐ

PCを打ってるうちはまだ余裕があるほうだ
情報を得る事すら出来ない人がいる
働く事ができない人もいる
医者に行く事も出来ない人がいる

国が変わらなければ 負のスパイラルは変わらないのか・・
国を動かすのに ひとりひとりが共時性を持ち
「おかしい」と声を揚げなければいけないんじゃないだろうか

「草の乱」みてほしい!考えてほしい!
歴史や伝説は身近に繰り返されるから
同じ道を歩むのではなく
進化しなくてはならない!

3月1日 あるチャネリングを受けた

「つれづれの草のごとく 花のごとく咲き乱れし
盲神ふるいたたせよ!
とこしえの道ふさがらんとすべく
見果てぬ世を 追い求めし イワレの主
<神の名は>つゆの明神」

これが意味するチャネリングは
1週間前私たちが訪れた場所の「秩父事件」に繋がったようで
思いもよらなかった

そして今週行った 東京のある場所で
「盲神」に出会うとは 想像もつかなかった

次の日の帰り道に出会った場所は 
より強烈なエネルギーの場所だった

今日も私たちの脳裏から離れないまま
まるで 魂がどこか遠くへ導かれる気がする 

それでもひとつひとつキーを打ち
伝えるべき事を書こうとしてる








 


 








秩父事件

2010-03-12 19:31:25 | 日記
1884年、明治17年11月悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起。秩父困民党軍は西南戦争で西郷軍が押したてた「新政厚徳」の旗をかかげて行進したという。
もともと秩父郡一帯は、養蚕製糸が盛んでゆたかな生活を楽しんでいたが、明治15年ごろから深刻な不況に直面し、多くの農家が高利の借金の返済不納におちいり、破産に瀕した。17年2月、秩父に自由党が結成されると前年から運動していた上吉田村の高岸善吉・坂本宗作・落合寅市らがそれに加わって、解決の道をさぐった。

彼らは、貧民を救うために借金の10年据置き、40年々賦、学校の一時休校、諸税の減免を嘆願して農民らと運動をつづけた。
だが、官側はこれを受けつけず、金主らもこれらの要請を拒否して、いっそう苛酷な取立てを行った。そのため、高岸はじめ井上伝蔵ら吉田村の有志は17年8月、田代栄助を首領に仰いで盟約をかわし、ひそかに武装蜂起の準備をはじめた。

組織は秩父の村々から上州にまで及んだ。
彼らは11月1日、椋神社で困民軍二大隊を編成、五ヵ条の軍律を定め、一般の住民に危害を加えることを厳しく戒めた。11月2日、大宮郷に入って郡役所を占拠、3日荒川河畔で憲兵隊と交戦して撃退、4日・5日上州金屋と粥仁田峠で鎮台兵と交戦したが破れ、本隊は解散した。だが、一隊は十石峠をこえて信州に転戦、9日の東馬流の戦闘を最後に潰走した。

蜂起参加者は最盛時8,000人とも10,000人ともいわれるが、有罪判決を受けた者3,390余人(最高幹部は死刑ないし無期懲役〉官憲の調書に名を残した者4,200余人、その内の約4分の1が吉田町の人間だった。

明治政府は、この戦闘で死亡したり負傷したりした軍人や警察官の処遇にあたって、これを西南の役に準ずる「戦争」として扱い、その戦況や結末の報告は大政大臣から明治天皇のもとにまで届けられている。

歴史に弱い私なので 吉田町「秩父事件概要」資料から
抜粋した。

Wikipediaでは 次のような事が書かれてた。

明治維新の開国により 農家は輸出用養蚕農家転用し始めた。
1884年ヨーロッパの大不況 デフレ・スパイラルにおちいり
養蚕農家は生糸の大暴落のため 貧困にあえいだ。

当時日本は 富国強兵のため 国民に重税を課した。
農家は生活が立ち入らなくなり 高利貸しから借金をするしかなかった。

そこで秩父から信州、遠州の首謀者たちが
政府に対し自由民権運動を起こし「困民党」を設立した。
政府、高利貸しに対して 請願活動を行ったが却下され
貧困にあえぐ農民たちと共に 実力行使に出た。

その情報をすばやく察知した政府は 
鎮圧の為 政府軍、警察隊を向かわせた。

最後の場所「東馬流」で終焉した。
首謀者達の中に 長野県北相木郡の「菊池貫平」という人物がいる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ざっとこの様な概要だと思うけど 間違えてはいけないので
皆さんが ご自分で検索してもらえると有難いです。
映画「草の乱」はこの事件を取り上げた作品です。
また、大河ドラマ「獅子の時代」もそうらしい。

私たちが行った先々が 不思議な事にその場所を巡ったのでした。
ヨーロッパの大不況が発端ですが
その裏では 膨大な富を得た一族が居たと「ヨーロッパ大不況」検索で
書いてありました。
それが かの有名な「ロス○○ド」だそうです。

鎖国から開国の明治時代 日本政府は外国の脅威に怯え
国民の苦しみを富国強兵の旗印の下に
重い税を課した事で 2重にも3重にも苦しんだ。

自給自足を止め 農民はまんまと乗せられたその代償は大きい。

おりしも 今日のニュースで
ギリシャの大規模デモは 今囁かれてるヨーロッパの国々の危機を匂わし
日本もひと事ではなく 日本国危機の発端と考えなければいけない。

「秩父事件」は最終的に 政府の武力行使により鎮圧されたけれど
力と力でぶつかれば 弱者は一溜りもないのは当然だが
あの時代の背景では その方法しかなかったのかもしれない。

今の時代なら どの様な方法をとるだろうか・・・
歴史の繰り返しは 個人のカルマと同じだと感じる。
ここにも フラクタル的な要素が隠されてる。

国も外ばかり見て恐れていては 過ちを犯すだろう。
堂々とした態度、恐れず、国そのものである私達平民の事を考えるべきだ。

私達も力や怒りではなく 国に働きかけなければならない。
輸入品に頼らず より多くの欲を求めず
目先の救済の裏や メディアで言われてる景気回復を鵜呑みにせず 
海外の情報を他人事に済まさない
自給自足できる事は 力を合わせてやれたらいいだろうな・・

私たちが辿った9日の道が 
まるでこれから起こるかもしれない
世界の社会情勢予言に感じるのは
考えすぎだろうか
あまりにも現況とリンクしてて 不思議でならない

そうでないとしたら 何を伝えてるのか・・
首謀者であった「菊池貫平」の死刑から
一転して終身刑から10年で出所、生かされた・・
私たちがその日経験した最後の難関で
大型トラックに危機一髪で潰されずにすり抜けた・・生かされた

まるで 疑似体験したみたいだった
前世ではないのは確実だ

世の中の不穏な動きが感じられるけど
何が起きても動じない強さを身に付けるべきでしょうね。




 


 










 




秩父事件と9日の体験

2010-03-10 20:26:24 | 日記
やっと日記が書ける
幾度もUPしようとしたけどフリーズした・・

先週からめずらしく ダンナが小さい時家族旅行した高崎へ
行こうと云ってた高崎へ9日行った。
朝から雲行きが悪かったけど
今日行こうとまた云うのは珍しいので
早くに出かけた

ルートは 小海辺りから山越え
その前のルートで別荘地に迷い込み、国道に出る(1時間のロス)

小海大橋から下仁田方面を目指したが
どんどん吹雪のような雪が続く
途中 すずめの大群を危うく引きそうになりビックリ
この場所を見ると辺ぴな土地だが 「御座山」と書いてある
そう話してたら ダンナの髪を誰かが引っ張るという・・?

峠の下り途中 大型トラックが連なって立ち往生
親切な群馬なまりのお兄ちゃんが わざわざ降りてきて
「1時間以上もいるけど事故で動かないから迂回したほうがいいよ」
仕方なく 佐久市へUターン

途中龍岡城・五稜郭をサッと見て
国道へは出ず、一般道を走る
「馬流」マナガリと言う1台ようやく通れる道すがら
「秩父事件本陣跡」?
お粗末ながら知らない
でも気になるから帰ったら調べることにした

別ルート256号線を目指したが またもやダメ
ダンナが昔よく通った18号線へ・・・
またまたアクシデントが・・ワイパーの不良で変な音
雪はますます視界を閉ざす
このルートがダメなら行くなという事だねと行ったら大丈夫

軽井沢を抜けて ようやく群馬県に・・非常にハラハラした
18号線からそれて 別の道

「夕焼け小焼けの宿」「舌切り雀発祥」磯部温泉・・へぇ~
「少林山達磨寺」・・へぇ~
高崎市街だ・・「君が代橋」「八千代町」・・うっそ~知らなかったぁ
何とか高崎白衣観音に到着!
高崎も雪と濃霧で景色は見えない
着いた時間は2時過ぎてた
とりあえずダンナは懐かしがって??帰りは別ルートで

南に少し下り 吉井から秩父方面140号線を目指す
あの恐ろしいルートを避けたつもりが・・

大滝温泉辺りはすっかり暗闇で
当然ながら雁坂トンネルを通る おバカな私達以外の車はない
雪は風を伴ってつぶの大きな吹雪のよう・・前が見えないよ・・
側面は 湖水にダムの光だけを映した異様な怖さ
さすがに見る気がしない
このルートの横道が「三峰神社」だった

ようやく料金所に辿り着く・・料金所の人が「気をつけてね」有難い言葉

山梨の道路は大変な事になってる・・ノーマルに履き替えた車のノロノロ運転で渋滞

竜王・韮崎付近の坂はスリップなどで立ち往生の車
その端をゲームのように潜り抜け141号線へ・・

大渋滞と大型トラック轍でハンドルが効かない
須玉ICがす、すごい事に・・

高速を降ろされた大型バスや大型トラックなどでマヒしてる
まったく動かない様子で とっさの判断でUターンしたが
この時後続の大型トラックが斜めに滑り始め
その脇を間一髪で通り抜けた・・・ひゃ~!
ダンナが横目で運転手の顔を見たらしいが
運転手は動揺して凄い形相で私たちを見てたらしい
そりゃぁそうでしょ、 あと10秒遅かったら私たちはペシャンコは確実だ
通り過ぎてる最中 トラックは私たちの車10センチに迫って滑ってたからなぁ

役場方面の裏道を抜け なんとか我が家近くの上り坂へ
健気な愛車を励ましながら キツイ登りを上がり
家の前の道に入ったら・・な、なんと!
最後の試練だ!

画像の通り 木が道を占領してた
2人で押したり引っ張ったり・・雪が視界をさえぎる
ダンナは家まで歩き のこぎりを取りに
時間はもうすぐ日を越す

不思議にそんな時 後ろから車
降りてきたのは 知り合いのホテルマン
少し頑張ってくれたけど Uターンでおやすみなさい!
だんなが戻り やっとの事で我が家だ!

休むまもなく デッキの雪下ろしを・・
明日は手が上がらないだろうと思いながら
ハイテンションで 2人で頑張ったぞ

雪だらけの 疲れで目が回りながら
床に就く

朝起きて 昨日は試練か 何を意味するのか・・・心をめぐらし
ダンナが「秩父事件」を検索

皆さんは知ってますか?
明治時代 全国的な養蚕農家の自由民権運動事件

これを聞いてビックリしたのは
9日の前日 仕事場での話題は「蚕農家」だったのだ!

そして あの9日の苦戦旅ルートは
まさに 「秩父事件」の歴史的事実に沿って動いてたのだ

この事件は 今私たちが抱えてる社会問題の状況にリンクする
明治維新から始まった流れのひとコマで
これから起こる可能性が ヒントとして隠されてる

決して養蚕農家たちの事件だけで片付けられない事実だ
それを 深く読み解き どうすればよいか
現代の発想で対処する
さもなくば 同じ歴史の繰り返しに終わってしまうのだ

今回は とても深い意味を考えるなぞなぞを 与えられた気がする
正直、うゎ~って感じだけれど
やはり何か予言じみて感じたのは 私たちだけだろうか

近いうちに 「秩父事件」と現在の社会を見比べて
検証してみるつもりだ

もし他人事ではないと感じた方は
「秩父事件」を検索してみてください
何か感じるかもしれません・・どう覚悟すべきかを、何をすべきかを
  
 





 


サニワとミコ

2010-03-07 20:56:37 | 日記

今日はまた雪が降った。
今まで妙な気候で気持ち悪かったけれど
いつも通りの寒さに震えるなぁ。

数日間 木々や山のエネルギーに目を向け
別の見方をしている。
今頃の木々は 子を産む喜びに
ポッと頬を染める ほんのり赤い母性的な色をしてる気がした。
木の枝の先が それぞれの木により色が違う。
それを遠目で見ると なんともあでやかな景色だろう。
山も春が近いんだなぁ・・心が浮き立つ。

ふと思い立った様に ある本を読みたくなった。

それは 1年以上も前夢の中に 恰幅のよい外人男性が
様変わりした私の家の外に現れたのだ。
当時その人が誰なのか気にはなったけど
知る術も無い。

今年に入り、ネットのある動画を見てビックリしたのだ。
夢の中に現れた外人男性の動画が・・・
その人の名はニール・ドナルド・ウォルッシュだ。
チャネラーで「神との対話」を書いた人だそうだ。
読んでみようかと思ったが、その時は読む気がしなくて
暫く忘れてた。

そしておととい なぜかネット上を開くたびに
「神との対話」のコメントが目に入る。
昨日思い立って 図書館で借りた・・まさか在るとは・・
夜少し読んで、神も私達人間を子供の様な思いで見守る対話の所で寝た。

夢を見た・・・
私は景色の全くない宇宙空間の中にでも居るような場所にいる
景色のない宇宙闇は確かだと思うが 星もないのを覚えてる
その空間の中、私の背後から なんとも爽やかな男性の声だけが聞こえて
私は色々質問して その答えを聞いている

目を覚ます前に彼は 不思議なことを云ったので
しっかり記憶に留めようと夢で考え それから目覚めたのだった。

「多くの人間のDNAの中に プサノという惑星の記憶を持っている」
<プサノ?起きたら忘れるから・・そうだ、草野(アナウンサー)で覚えよう>
目覚めてから直ぐに ダンナに話して記憶に留めようとしたら
ダンナはダンナで 面白い夢を見たという。

<部屋の中いっぱいのおもちゃに子供たちが沢山居た。
収拾がつかなく、これを3次元的なシステムにと考えたら
一人の女の子が皆に
(これは大事なお城で私が綺麗にするから
触っちゃダメ!)と言ってるのを見て
そういう子に任せればいいんだと思った。
それから寝床に一人の子供が枕元に立ってた>

ヘンな夢だが、私と話しながら
楽しむのに3次元的システムを取り入れるのではなく
子供のように楽しみながら 自然に決まり事が成り立つ
それが一番よいのだろうという結論

本の中の内容もシンクロすると感じた。

そこで気付いた別の事は 私とダンナの役割だ。
「サニワ」とは チャネラーであり 別次元の意識を聞くアンテナ役で
「ミコ」とは リーディングのリーダーであり アンテナ役から受信し
現次元に反映する役

「サニワ」と「ミコ」の間には信頼がないと繋がらないし
テレパシーで共有できないだろう
時折ダンナとは このような現象が起こってたが
単純にシンクロとしか 理解してなかった。

いくら現次元の人たちに「サニワ」が伝えても
無視されたり 記憶に留めてもらえないのは当然で
伝える役目は「ミコ」の役割の人だろう。

確かにダンナの話す事は皆、耳を傾けて
記憶に残って居るみたい。
私の話す事は 素通りされるな。

ようやく納得した
私はリーダーである「ミコ」に
上からの波動を言葉ではない伝えかたをする「サニワ」的役目なんだ。

遠い昔は「サニワ」と「ミコ」の役割分担が
成立してたが 今は個になり 信頼が思うように成り立たない。

なるほど、ケンさんが言ってた
<夫婦やカップルは どちらかが宇宙人でもう一人は地球人でなければいけないんだよ>の意味が判った。

地球のDNA<現次元の人>=「ミコ」・リーダー
宇宙のDNA<別次元の人>=「サニワ」・チャネラー
それで 宇宙とのやり取りが成立か?

あれ?書いていて ふと思ったけど
私の夢の内容と関わってるのか?・・・

もう少し様子を見ることにしよう・・・・・・
なんだか オ・モ・シ・ロ・イ
  

 

 

 


細胞の記憶除去と楽しい記憶造り

2010-03-03 20:55:42 | 日記

ここ数日の悪天候で
長年の職業病とも言える腕の腱鞘炎が痛んでた。
お風呂に入っても揉んでも 急場しのぎと解ってる。

そこで 直接腕の中の 沢山の細胞一つ一つに言い聞かせるように
優しく撫でながら 昔の頑張った記憶に労をねぎらった。
今はすっかり治ってしまった。
毎日包丁や重い鍋を つい利き手の左手に負担をかけてた。
よく頑張ったね!これからは無理しないようにするね!と・・・

そうしたら、後日私事チャネリングで
これから善いかもしれないアイデアを貰った。
そして その日の晩に久し振りの知人の℡で
またまた別の話があった。(これが決まるかは上に委ねるけど)
ふたつの事柄は 2人にとって身体を酷使しないで澄む。
まさに望んでた余生だ 

今朝はダンナがいつもの指の痛みが・・・
試しに言い聞かせてみたら?一つ一つの細胞には意識が在り
そりゃあ 頑固な細胞もいるけどね。

その場で治ったぁ!
効き目ありますねぇ。
私たちの体の中にも 壮大な宇宙が在り
その一つ一つに意識が在るのは当然で
天の大本が 私たちの身体
宇宙の中の私たちが 私たちの体の中の細胞
まさに フラクタルですね。

そう考えてたら 身体のチャクラを司るエネルギーは
言うなれば 如来界、明王界だったり 天使界だったり・・・?
そこの所に 楽しい記憶や感動の記憶を
刷り込ませるよう これからいっぱい造ればいい。
長い間のお役目に労をねぎらい
より進化するよう細胞を励ます。

これっていいかも・・・・

私たちがこの世に生まれた目的は
より多くのポジティブな記憶を身体に刷り込ませ
次の進化と共に 次の次元上昇の世界に持っていくためだと
最近強く想う
その目的のための 辛抱や苦難を乗り越えて得るのだから
辛いのはスルー記憶状態に仕向ける。

そんな時は 感情を無感情にしたらネガティブ記憶を消せるかも
人によってはやり方は色々なので
あらゆる事を試すといい

自分に合った方法がきっと見つかるだろう。

いずれにせよ、喜びや感動は自分で勝ち取ったほうがよいと思う。



まぁ とにかく今を楽しむ事に集中しようっと。


 


 


ふと浮かんだ意識

2010-02-27 13:53:16 | 日記

我が家のサボテン君
今、花を4つ付けてるが また花のつぼみが4つ出てきた
今回もやはり同じく つぼみのそばの大きな葉が枯れようとしている
ひとつの生命の木の中で
小さな生命の終焉と生誕
きっと人の体の中でも 同じ営みを繰り返してるのだろう

昨日 仕事の帰り道に意識や思考を持ってなかったのに
ふと浮かんだ意識が在った

「何故に 多くの人間は人という存在を特別に考えるのか」
「この世界の生命<植物、動物など>となんら変わりない存在なのに
自分は特別な生き物で 木々や動物とは営みも思考も違うと
無意識に傲慢な部分がある」
「木々を大切に考えながらも 人が決めた枠の中で間引きしたり
次の木々の為に 勝手に決めた寿命を作り、伐採する」
「人は個々を尊重すべきではあるけれど 宇宙の法則に法って
生きているのだから なぜ他の生命と同じ思考を学ばないのか」
「人が風や木々と同化することで はじめて宇宙の法則が
理解できるのではないだろうか」・・・

確かに 人それぞれの生き方や思考があり
それを尊重し 個々の力を発揮するのは素晴らしい事だ
木々や動物も 違う種の特徴を発揮してる
だが違うところは 木々はそれぞれを主張せず
善いも悪いも共に並んで生きている
時には1つの木に別の生命を宿す事もある
動物は 感情が領域を保ちながらも共存してる
人間はというと 感情に脅かされてる部分が強いか
同じ思考同志で事を営む傾向がある
それが意識や感覚で判断し
違う存在に対して攻撃的であったり 自己の特別性を出したり・・

なぜ特別な立場に成りたいのか
自己を優勢化したいのか・・・

私もそうであった時があるけれど
特別な立場には興味がないし
やっかいな立場をとる辛さはもうごめんだ

ましてや現代の思考の複雑さに巻き込まれるのには
嫌気が差している
言葉や行動で簡単に判断する方法が 
取られてるうちは 何をしても無駄かもしれない
だから 自分に栄養を与える意識が必要だと想った

昨日の私の意識はこんな内容だったが
不思議に ダンナも仕事場で同じ意識の疑問を持ったそうだ

そして今日 kazuさんとの話の中で
「ラムサ」のアセンションや隠されたチャレンジ方法など・・・
現実にチャレンジを宣言してる人たちがいる事をシンクロ的に知った

何かが近づいてるのかも知れない感覚は否めない

胸のモヤモヤが 何かを見つけ出そうとしている
エネルギー増産器なる もっとシンプルで
チャレンジできるモノか?方法を知ってる気がする・・・

おかしいかな?わたしって

 


今週のおでかけ場所

2010-02-24 20:47:24 | 日記

最近は色々な所に毎週1回は出かける事にした

今週はOffの日が1日なので 近場と考えたが
思い当たらなかった・・・が、ダンナが一言
「甲府の善光寺に行ってみよう」決定!

穏やかな春の気配を感じる日だった
人もなくゆっくり出来そう 

長野の善光寺さんは昔幾度か行ったが ここは初めて訪れる
なかなか立派な構えでしたね
境内には梅がほころび 気持ちがよい
なぜか大仏さんが境内に鎮座
ダンナと顔を見合わせて「大仏さんと縁があるわね(笑)」
以前ダンナが見た夢で
上野公園のとある場所に首だけの大仏さんの夢を見て
そんなのあるのかな?と調べたらヒットしたので
それ以来大仏さんとの関わりを否めないのだ

本堂に入ると またもやヒット!
法然和尚だ!(最近の私的チャネリングでの関わり)
奥へ入ると 鳴き龍が天井からにらみをきかせてる
なかなか善い音だが 私の胸を射す音で細胞が動く

奥に行くと長野と同じで 体内巡りがあった
薄暗い階段を9段降りて
左手で壁をさぐりながら2周した
丁度半分ぐらいの所に 自在鍵があり
それを触って幸せの扉を開けるのだ
わたしはいつもkazuさん製「記憶の鍵」を持ち歩いてるので
それをおもむろに差し込む・・当然合う訳ないけどね
ダンナと私はいい気分で後にした

わたしは最近自分を大切にし、喜ばせる事にしたのだ
解ってはいるものの つい色々な事があると憂いを覚えてたが
私の癖の犠牲的精神・・カッコよさそうだけど単なる余計なお世話
それがいけないのだ!
特に顔が見えなかったり 声がわからない相手に
文字だけで理解してもらう事がおこがましいのだろう
このブログも 理解できるのは
私の声や顔が見える私を知ってる人しか理解できないかもしれない

たとえこのブログや書き込みで
エールを送ったつもりでも
届かぬ事もある
それはそれで 仕方のない事だと思って
淡々と素通りする事しかないような気がする
私の周りの友人知人に導かれ 
多くの事を再確認できるのは 私の宝物だ
どれだけ自分を大切に思い
喜びを得て 成長するか
文字の羅列だけで 人を測る事は出来ないし
まして音や顔や容姿でも測れないのが 「人」であると思う

このブログは ネゴトであり 本心です

これからは 私のペースで書き綴っていこうと思います

風や空気のように 漂って
時折 激しい嵐にもなり 
時折 頬をなでて くすぐったい位のユーモアも混ぜて・・・

私を支えてくれる家族や友人知人 多くの方々に
ありがとうございます!!!