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ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

日本の貧困

2015-07-07 19:11:21 | 日記

久しぶりの投稿なのに、なんか気の重い事を書くけれど

ある友人の話で、貧困の話が出た。

 

で、色々ディスカッションしたけれど
どれだけの貧困家庭もしくは貧困独者が居るのか把握できない。

戦後間もない頃、国民のほとんどが何も無くなってしまった
国民総貧困時代が有ったと思う。
子供たちは飢えに苦しみ物乞い、女性たちは身を売り生計を立てた。
老人は?

 生痕逞しい人は必死に生きる知恵を働かせた。
では弱者は?

何もない総社会からのどん底と
何でもある総社会からのどん底では苦しみも桁が違うのではないだろうか。

「2012年1月27日公表の2008年現在データでは、ひとり親無職の相対的貧困率は52.5%で、有業では54.6%と働いているほうが貧困率が高くなっている[8][9]。このため、ケネディ駐日アメリカ合衆国大使(第29代)からは「日本は、仕事をすることが貧困率を下げることにならない唯一の国」と評されている」

そうなのかどうかは定かではないけれど、そんな文言が有った。

どういう事だろう??
国の問題なのか?
日本人の意識の問題なのか?

難しい国になってしまったよなぁ。。

ただ、一つだけ戦後と現代での同じ意識を持たなければならないのは
プライドを持つ事でも
すがる事でもない。

生きるという心のチカラを持つという事ではないだろうか。
生きてこそ何ぼのもん。
生きてればイイ事がある。

声をかけ、来る人はまだいい。
情報もコミュニケーションも何も得られない人が居るのは確かだ。
どれだけ居るの?
混沌とした何でも有る豊かな国ニッポン。


模索中!

2015-04-19 10:51:45 | 日記

年には勝てない事ってあると思うんです。

物忘れがひどくなったり
動きが緩慢だったり
やる気が起きなかったり。。。

それは人それぞれなので、
頑張ろうとしても本人は悔しいでしょう。
周りが頑張れといっても
みんなと同じようにはいかない苦しさもあるでしょう。

現在70歳を過ぎた方が他の方と働いています。
明らかに頑張ってるけど、抜け落ちた行動が目立ってきてます。
でも諸事情なのでしょうが、頑張ってます!

どうしたら、そのような方が無理せず働ける仕事を見つけられるか
また、同じ働く方々がフォローできるか、気持ちが有るかです。
その方は車を運転して通勤するわけなので
危険性が有るのは間違いありません。
先日も通勤途中に溝に落ちて来られませんでした。
ケガもなく大丈夫でしたが、これからは判りません。

たぶんこの事を上に報告すれば、その方は職を失うでしょう。
でも、今後どこまで続けられるか
また無理される諸事情の区切りをご自分でするか。
雇用側もどこまで社会貢献として
受け入れられるのか。

いずれ私たちも同じような問題にぶち当たります。
働きたいけど、働けない。
頑張りたいけど、頑張れない。

資本主義社会が、たとえ豊かになったとしても
理解して助け合う事ができるとは言い切れない日本。

今どのような仕事をしてもらうか
また、本人の危険性を知る上で働いてもらうのがベストなのか
身近に起こった、模索せざるを得ない大切な問題です。







明けましておめでとうございます

2015-01-07 17:08:36 | 日記

なんやかんやで 七草粥の日になってから

新年のご挨拶になってしまいました。m(__)m

 

去年もいろんな事が重なり
たくさんの学びができました。

人は、多くの事に必死になって
乗り越えて成長すると思いますが
苦しみを修行とし、中心に置く方も居ます。
これはあくまで
目的のための過程だと考えたほうがいいかと思います。

なぜなら、人は苦しみを多く記憶に残し
人によっては、素直さが失われかねないからです。
人はさまざまで
強い人もいれば、怖がりな人や臆病な人もいるから。
また記憶の容量が多い人もいます。
それを理解した上で
立ち向かったり、頑張ればいい事で
他の人に合せることもないと思います。

何よりも大切なのは
その人らしく素直に聞く耳や知る事や
自分らしく話せるかだと思うんです。

年を追えば、多くのハードル、考える事が出てきます。
周囲の助言や智慧を素直に聞き入れて
自分の善き記憶として残せるかで
将来役に立つものだと思います。
へたをすると、おへそが曲がったり
素直に受け入れる事ができない理由も
ひょっとしたら
修行の様な我慢や苦しさの記憶が
勝ってるからかもしれません。
また当たり前だと思ってて
癖になることも有ると思います。

人はけっこう柔軟であって
馴れるものです。
ならば、善い記憶である目的達成した事や
今おかれてる解放の悦びや愉しさを
味わってもいい事だと思います。

なによりも、怯えたり
要らぬ想像を膨らませず
今年は 大いに笑いましょう!





タワゴト

2014-11-05 10:59:02 | 日記

身の引き締まる思い

 

生きてる間、一度くらいはそんな時が有ったとおもう。

あまりに幸せでうまくいってる時は、人の言葉をすり抜けてしまうのも仕方のない事ではある。

 

幸せでうまくいってる時こそ、身を引き締めて大切な事を大切にしているか

自分の足跡を振り返るのが「愛」という漢字 だと知った。


「愛」は
ゆっくり歩いて振り返る姿・・・これが本来象形文字から成り立っている。
感謝や悦びや慈しむ心の表れを表現するのが言葉の「愛拶」


忘れがちな現代の文化でも
簡素に表現できるのに、一方通行の表現では
単なる自己満足でしかない。

人と人が必ず関わる。
家族、友人、グループ、仕事。
人を介さない環境は存在していない。
たとえ、相手の顔を見る事がなくても。

見える人、見えるモノ、見える幸せだけに囚われてはいないだろうか。
眼を閉じて、見えない人、見えない環境やモノ、
そして、見えない自分を振り返り
ゆっくりと歩み、見えない「愛」の言葉に
怖がらず、身を引き締めて進めたら
見える世界も見えてくるんじゃないだろうか。

ある映画で盲目の母親が周りの反対を押し切って子供を宇産んで育てた。
小学校の入学前に「目の見えないお母さんは嫌いだ!」という場面。
同じ盲目のお父さんに
「お母さんは心の眼でお前の事は何でも見えてるんだよ」と云った。
「眼を閉じてごらん。お前のために今ご飯を作ってる匂いがする。何を作ってるか判るかい?
そこは台所だね。目を瞑っても見えるだろ?」
入学式、子供は盲導犬を引いた母の事を話す。
「僕のお母さんは目が見えません。盲導犬はお母さんの眼です。
僕は、お母さんに心の眼で育ててもらいました」

わかるだろうか?(笑)
 

 

 


あららら~~!

2014-09-26 16:43:03 | 日記

ブランクがずいぶん空いちゃいました~。

人生の中で節目と云うか、そんな出来事が有ったので
また再開してみようかと。。。
まぁ、こんな調子のイイ加減

を楽しむところが有りますが
書く事は少々真面目な事も、本音もここだから言えるとおもってます。

まずは再開一発目として
「生」と「死」について、こんなんなっちゃった頃から・・
いえいえ、もっと前からかもしれません・・・
人生は生と死の最初と最後という考えに
人がいかに向かい合うかで、
自分にとって最善な人生が送れるかが決まると
思ってるんです。

心が喜べば、苦しい事も悲しい事も立ち向かえるんじゃないかと。
心が喜ぶって何だろう。

本音と建て前みたいに、心で思っても
世の中に置かれてる体の一部の思考は
こう有るべきだの、常識だのと今まで学んできた知識に則って
行動しなければならないと不安や恐怖、勇気が出ない。

それは最も楽で、波風を立てないでいられる。
でも、心の中ではこうしたい、ああすべきと思っている。
目の前に突き付けられた物事に
自分がどれを選び、何が最善か。
どちらを選ぼうと、後悔をしない事。
選んだ物事をあとで周りに何を云われようと
自分に自信を持つ。

どれをとっても自分にとって正解だと思う事。
確実性だの、不確実性だの計り知れない事でもある。
ようは、自分が納得し自分なりの最善を尽くしたことに
堂々と胸を張って生きる事だと思う。

もっと言い足せば、相手の思いも理解しながら
自分の本音を表に出すといいとおもう。
自分の置かれてる立場も考慮しなければならない。

もし、トップで有ったりリーダーで有ったり
決めなければならない立場であるなら
自分なりの道をしっかり決める。
どうしたいのか
どうありたいのか
本音は?

建て前で物事を決めたとしても
それも自分の責任なんだから。
他は何も責任を負ってはくれない。

人生の生きてる間
後悔だけはしない生き方を。
死ぬ間際、幸せだったといえる生き方を。

周りの生き方ではなく
自分の生き方が人生なんじゃないかな。



 


あの時の事を思い出した・・・

2013-09-01 21:04:30 | 日記

昨日のつぶやきのような事を書いて
今朝、道が開かれた。

おもしろいんだな、このブログ書くと
そのあと必ず答えが導かれる。

ソラネゴトを書いてかなり経つけど
こういうことが起きるから ついつい変な話をしてしまう。

という事で、2010年4月13日(おっ!私の誕生日の次の日だ)
におもむろに書いた日記を。。。笑

 

昨日は一日中雨だった
兄からの電話で明日の予定は一週間延びた
・・なので 明日晴れたら「穂高神社」に行こうと思った

今日はお天気が良い
それでは長野に行くかと お弁当を作り花見気分で出かけた

久し振りの晴天は 予想以上に暑い日だ
白樺湖付近から 上田方面を通り
途中寄り道しながら 穂高へ向かう

穂高神社は 駅のそばだった
境内には 樹齢500年ほどの木々があった
本堂は新しく ヒノキか杉の香りを漂わせてた

本堂に手を合わせようとしたら 
後ろで 真っ白なニワトリが本堂真正面にあった
神楽舞台の上で コケコッコー!と2度鳴いた
突然なのでこちらはビックリ!
また鳥だね(笑)と 有難く本堂に2人手を合わせ終わり
後ろを振り向くと 姿形もない状態
眼で探したが どこに隠れてるのか解らない
少し散策しながら車へ戻ると
駐車場にある工事トラックの荷台に
お出迎えしてくれた雄鶏と雌鶏がなにくわぬ顔で
こちらを見てた
おもわず「ありがとう」と礼を言って 帰ろうとしたら
コケコッコーと鳴いてくれた

穂高を後にし 別ルートで帰ることにした

塩尻方面に向かい りんご畑の間を通り
道に迷いながら ふと見た場所に目が留まった

車を降りて停めた場所は 「本宮 熱田神社」と書いてあった
なんとも静かで おごそかで 空気が違うのを感じた
それもそのはず、鳥居の脇の「樅の木」だ

樹齢1000年以上の日本一の樅の古木とある
圧倒されるが 境内も含めとてもいい気持ちの場所だった
デジカメで撮ったが 画像をUPできないので残念だ
ここのご祭神は「梓水大神」様だそうで
梓川の守護神という
樅の木の古木に巡りあえただけで嬉しい日だった

我が家へ着いて 夜空を見ると
満天の星空・・・少し疲れたけど気持ちの良い夜風に星

食事を済ませて 何故かふと思い出したあの日の事
つい最近 夜コンビニへ行く途中の
あの物体は何だったのか・・
思い出しても不思議な物体の様子は
地球上の生き物ではない気がする
さまよえる霊でもない

道路直ぐ脇の林に入ろうとする所を目撃した
横から背中にかけてを見たのだけれど
背中は真ん丸く 全身ねずみ色で首辺りと背中ラインが黒い
2足歩行をして 林に入っていった
当初 15mほど離れた道でライトに浮かんだ姿を発見した時は
人かと思ったが やけに不恰好だなと感じた

だんだん近づき 動く姿が妙で
背丈は1m30位と思う
大人じゃないと思い 動物かなと考えたがシッポがないし
2本足でゆっくり歩いていた

直ぐ脇を通ると まったく姿がない
その間の時間は数分だろうか

通り過ぎて 「何を見たのか」見当もつかず
初めて遭遇した 得体の知れない生き物だった

それから2~30m行った電柱そばの林に
大きさは 思い出すと縦50cm、横30cm位の
白光を放つ まるで次元の扉のようなモノ
それは不規則にパッシングするような状況だった
わたしはとっさに 木にぶら下がってる金属が
ライトに反射して 風にゆられているんだろうと思った

そこをゆっくり走り確かめたけど そんな物は無く
単なる木々の林しかなかった
地面から人の胸辺りぐらいの高さにあったはずの光の物体は
今から思うと何だったのか
いまだに解らない・・・

なぜこんな事をふと思い出したんだろうか

 



 
 




 


なぜ恐れる⁉

2013-08-27 11:45:22 | 日記

人は未来に恐れる。。。

まだ見えぬ事柄や 先の見えぬ未来に。

自分自身で想像を膨らまし 自分で恐れる。

もしかしたら・・・
きっと・・・
そうかもしれない・・・

いつまで自分の想像の世界に浸り
恐れをなすのか・・・

なぜ・・・
こう在りたい!
そうしたい!
きっとそうだ!
・・・と 自分自身で善い創造をしないのか。

過去に振り回され 未来を見ず
ただ恐れおののいて 闇雲にしがみつき
狭い 暗い穴の中に隠れてる自分すら見失い
自分を肯定し 他を否定し 自らの運命を
恐れの中に 閉じ込め 
身動きの取れない自分を責め

そこに何が生まれてるのかも見えない盲目の人よ!

恐れるモノは自分で作り 自分を追いつめてるだけにすぎない事を知りなさい!

だれも創造を拒む者などいないのだから
すべてを自分に任せ 愛する者に任せ
まわりを見なさい!

恐れる自分から変わろうと目覚める事ができるなら 
いつでも導火線に火をつけよう!
人にとって 嫌な者になろう!

自分を鏡に映しなさい!
逆に映ってる自分を 見つめなさい!

自分をさらけ出す事の出来る人ほど
美しいものはないのだから。

そう信じて 恐れないで!

私はいつも愛してるのだから!
たとえあなたを愛する者が たった一人でも 
愛される重さは変わらないのだから!

 

 

 


もうひとつの詩

2013-08-26 22:09:30 | 日記

さっき書いた詩と同時に書いた詩があります

翼を持ってるのに 飛べない天使たち

光指す道は 目の前にあるというのに

飛べない天使たちは なにをためらうのか

きらきらと舞い降りる 雨の雫さえ 愛せないのか

闇に光る稲妻さえ いとおしくないのか

目の前にある 光指す道は

天使たちの翼に 潤いを与え

風と共に 飛びたつことができるというのに

天使たちよ あなたの翼をみてごらん

水鏡に映る あなたの翼は

光よりも 崇高であるのだから

すべてを受けいれ

ソラへと飛びたて!



2つの詩には なんの意味も含まれていません
読んだ人が それぞれ感じればいいので
人のとらえ方は 人の数だけあると思います

ただ窓越しに 小鳥たちのやりとりに耳を傾けて
浮かんだ詩です。

むし暑さの中だからこそ 一時でも心地よい空間を
自分で作る努力は 心を穏やかにしてくれます。

 


あるがまま

2013-08-22 07:30:37 | 日記

いつもこんな感じで 日記を書いています。

本当に 間が空いてしまった・・・・
このブログを立ち上げて かれこれ4~5年は経っているのかな。

気まぐれに思うまま、不思議な話や体験談、結構過激な話も書きましたけど
もっと過激に? もっと伝えたい事を
あるがまま、また書き始めようと思っています。

道に迷いながら 傷ついたり 泣き叫んだり 

それでも一歩一歩あゆんでいる人生が

「ああ~、幸せだった」と思う事ができるために

強い力で 応援するブログにしたい。

色々な感じ方の温度差があると想いますが
このブログは おばちゃんのソラ寝言なので
腑に落ちた話だけ 記憶にとどめていただければ幸いです。

さあ、今日から 改めて

はじまりはじまり!!

 

 

 


ヒマなんだけど駆けずり回って・・・

2013-02-25 11:17:03 | 日記

今年に入り いろんな方々に巡り合ったりいろんな場所に行ったりで
自分的には充実しつつ、加速度的に見えてきています。

わが家の周辺ならず 若い人たちの傾向は気づきながらもどうして良いか判らず
虚無状態で、もがき苦しみ道しるべを探っているようだ。

私らのようなものは 余計なことはあまり言わず、元気づけてあげ
道しるべの場所に誘導してあげるほんの一押しをして
暗闇に明かりを灯して見守るが一番。

そんな今日この頃だ。
親の献身的な見えないサポートは 無償の愛であり、木々のような役割を果たしているんだなぁと
つくづく感じ居るのです。

時には子供の代わりに毒素を吸い、時にはチカラを与える栄養素でもある。

話は変わって 先日「龍サミット」的お楽しみ会を知人たちが企画してくれました。
時間はいつもながらあっという間に時間が過ぎ
おもしろい食事会でした。

この場を借りてありがとうございました!

みなさんから 多くの力あるエネルギーをいただき
私自身の細胞が活発に働き 有意義なひと時でした。

まだまだ伝えたい人たちも居ましたが、また人と人、龍神と人が結び
力強いネットワークが出来上がればと希望に満ちています。

これから春めいてきたら、取り掛かりたい目標は
水源の浄化を計画しています。
たくさんの人たちが協力してくれそうなので
これもまた、「お祭り気分」で楽しみです。

まず始めの一歩の選定場所を模索中ですが
おおよそのめどがついてきました。
このブログを借りて 声掛けしますのでよろしくお願いします。

楽しいことをいっぱい記憶に残したいですね。 

 

 


キ・ツ・ヲ・サ・ネ

2012-09-30 17:09:33 | 日記

今日は満月で 中秋の名月

台風17号の清めが日本列島を横断するのか・・・

明日10月1日から私達の生活パターンが変わります。
十と一・・・膨張と収縮を繰り返す宇宙の法則は
万物形成の仕組みでもあります。

トホカミエヒタメとアイフヘモオスシの八神・八神は陰陽であり
その中心は一神が鎮座してる仕組みが今までで
本来中心は二神でエネルギーを発動していたのです。

二神は螺旋状に回転しながらエネルギーを創り
まるで一つの綱のような二神が創り出したエネルギーこそが
「天御中主」という偶像化された造化神です。
この神は創造主・・いわゆる視えないエネルギーで
私達も含めた万物形成の大元・・種を含んでるのです。

創られたエネルギーは直線上に進み ある時点で二方向に分かれます。
左右に分かれたエネルギーが回転して渦を発生し
正反対のエネルギー2つが摩擦して 物質形成の仕組みを作ります。

一つのエネルギーだと偏ったバランスが悪い状態が出来てしまいます。
今がそのような状態といったほうがいいかもしれませんね。

本来、水の形成・・亀甲の中心には
2つの核のようなエネルギーの種がなくてはなりません。

かごめ歌は、亀甲の中のエネルギー神が今は一つで
もうひとつのエネルギー神を指して
「鶴と亀が統べた、後ろに隠されたもう一つの神は誰だ」
と言ってるのかもしれません。

事実、ひとつの方ばかりに脚光が当たってる状況で
神事が長くなされてきています。
もう一つの隠された神のご神殿は 
歴史上の事柄を知っているのか、いまだ脚光を浴びた側の祝詞を挙げ
本筋の人たちを退けているように思います。

このようなバランスの悪い状態で居れば
多くの過ちで塗られた場所は 清めが起こるのではないでしょうか。

また、現代になると人々の体に残る
訳の解からないカルマに苦しんでいるのではないでしょうか。

自然、宇宙は自ら調整を行い 修正能力を持っています。
私達も本来は在るのですが・・・

それが膨張→収縮→膨張・・・でバランスを取るんです。

でも、あなどれないのが人間が発する多くの集合想念が
仕組みをゆがめてしまう事です。

私は人が大好きですが 人間がこの世界で
一番大切という傲慢である事は 控えなければいけない。
生かされている、他の生命と同じ場に居るのだと
思わなければ 知恵があるだけに破壊しかねないと
考えなければいけないのではないしょうか。 

自然災害はやむを得ない現象でも有り
問題はどう付き合うか、どうやって身を守るかを
それぞれが考えるべきです。
「備えあれば 憂い無し」
先人の名言を思い出すべきでしょう。

 

 


本日は年の始まり

2012-07-26 11:26:10 | 日記

昨日 元仕事場の人から電話があり
お昼を一緒に食べる事になった。
悩みを聞いて欲しくて私を思い出したそう・・
ふと思い出した知人の店へ・・
しばらくぶりに行ったはいいが、クローズの看板
ちょっとのぞくと、来客と一緒だった。
「友人が来たから閉めてたの。ランチ用意するけどなんでもいい?」
お言葉に甘えて同席させてもらった。

気にはなってたけど声もかけず
それぞれの話で盛り上がってた?

途中、若い2人組が元気良く入ってきて
よくよく聞くと これからその店で働くであろう若者だった。
エネルギッシュで 希望に満ち溢れ
こちら側が元気になりそうな良い気を持っていた。

そこから急に店内が変わり 
みな溶け込み話し始めた。

<すごいチカラだなぁ>

色々話すうちに、その日は13の月だそう・・
後から知ったが、時間・空間の無い特別な日だそうで・・

最初から居た彼ら(若い女の子と一緒)は
昨今 私が出会った人たちとこれから目指すコミュニティと同じ事を目指してた。
彼らは「自給自足芸術村」でコンセプトは「縄文」

これからはネットワークで繋がっていこうよと話すと
すぐ理解してくれた。

若い彼らも 勢いを増し尋ねてくれるそうだ。

みな一同に ここに来ようと思った意味が判ったと
後の再会を約束して別れた。

ゼロの日に出会い
前から予定してた今日の夜明け前の神事に
大きなスタートを見たようだ。

本来大きな意味を担ってた知人は
予想通りココロとカラダの分離で
細胞のストップが入り、来る事が出来なかったけど
数名と精一杯のココロで 神事をした。

夜が開け、空一面に広がる雲は
とてつもない大きさの龍が
渦を巻き 爪とおぼしき両手を
何かを救い上げるかのように
覆いかぶさっていた。
同じく重要な担い手の知人が
写メールに写すと 彼女だけ
素晴らしい風景を映し出していた。
彼女もまた 想定外の邪魔があったものの
ココロが優先し 物質界の映しを見せてくれたのだろう。

彼女が言うには 前日の「13の月」で過去が終わり
今日「ゼロ」から始まるのだそう・・
そして前日 彼女が2年半頑張ってきた仕事を
一時取りやめになってそうだ。

彼女の過去は もうここには無い。
今の彼女が全て「ゼロ」からスタートする。
変容が行なわれる今日からのスタートは
過去に振り回される事なく
未来に向けて 生まれ変わるだろう。

しばらくみんなで見とれてると
真上に開いてる空は
まるで次元の扉が開いたように見えた。
私達の周りは 巨大な龍の渦に囲まれ
包まれているようだった。

朝日が彩光を帯び 光り輝く空だった。

あとは上に任せる姿勢で ココロから感謝したい。


生きるとは・・

2012-04-09 21:07:14 | 日記

いつからだろうか

日記を書く気になれなかった

しばらくぶりでブログをのぞいたら
みなさんが訪問してくださっている
書き続けようと なんか・・力をもらった気持ちでした

昨年暮れから気になってた妹のような友人の事で
こころが苦しかった

ようやく連絡がとれたのに
電話口の悲痛な声が頭から離れなくて
彼女の苦しみを少しでも私が受け入れようと
一緒に戦っていた

どうしようもない苦しみを ただ見守るしかなかった
つらかった
悲しかった

でもそれではダメだと判り 
彼女との過ごした楽しかった記憶と
私自身が強くなることで
彼女の苦しみを受けるのではなく
注ぎ込み 脳裏から切り離す事も必要だと理解した

それは冷たいかのようだけど 
感情を合い入れることなく エネルギーを注ぎ込むことが
奇跡を起こすと信じた

しばらくしてから 彼女にメールをしたら
少しずつ心がほどけ 恐怖から這い上がるきざしの返信をくれた

心さえ恐怖から解き放たれれば
肉体もついてきてくれるでしょう

生きるという事は
肉体を持ってると負けてしまいそうになる

そんなときに恐怖は間髪いれず心の中に進入してくる

わたしはいつも皆に 中道の気持ちを持ってと
伝えてきたけど 次に必要な事は
強さと愛を身に着けてほしい

強さはゆるぎない自分自身を信じる
そして愛は 
風や水や火 土 木々のような自然と同化する
自分自身が ただそこに存在するだけで
風のように通り過ぎ
水のように癒し
火のようにぬくもりを感じ
土のように育み
木々のようにだまって居る

今わたしは 中道でいながら
ある時は風のように透明な空気を
イメージして物事を過ぎ去ろうとする練習をしている

まだまだ愚かな私だけれど
いつかきっと 飛び立っていきたいと
願っている

 


 


いまや日本は日本ではない

2012-01-22 12:46:09 | 日記

今年に入り 関東のある場所へと行ってきた。

その時から日を追うごとに強くなってきたのが
「いまや日本は日本ではない」

以前から日本独特の善き面が損なわれてたと
感じてはいたが 心まで汚染されてるとは思えず
私なりにすべてを受け入れ愛そうと
このブログで伝えようとしてきたつもりだった。

そして今日 東海アマさんの中のツイートを
詳細に視ない私を揺り動かし 
ダメ押しのように襲いかかった。
ダンナと昨日話した「この世界は落語の世界だ」目線を
決めたのに それもすべて抹消された気分で
涙が止まらない

この世界はだんだん良くなってきてるという人もいるけれど
前から私は 何をどのように見ればそう思えるのかと疑問におもっていた。

わずかな善い方向を見て 善かった善かったなどと手放しには喜べなかった。
裏に隠された真実の人々を目の当たりに否が応でも見せ付けられてる私にとって
耐え難かたく それでも理解し 中道を持ってこの世のエネルギーのリセットを
望み あきらめなかった。

何も見ようとせず 何も理解できる叡智がなくなってしまった日本人は・・・
  「見殺しの殺人」
http://www.facebook.com/note.php?note_id=368020853214711

是非皆さんは 目をそむけず真実の有り様を考え
「光」ばかりに目を囚われないで欲しい。
どうすべきなのか どうあるべきなのか
この世界は まやかしの謀られたモノに動かされてるのも
事実であると。
それを怒りばかりの闇に囚われるのでもなく

この世界を変えたいと願ってほしいとつくづく想います。