ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

究極の愛

2010-08-10 10:02:19 | 日記

数日前 いえ、もっと前からでしょうか

わたしの古いパターンが出そうな
そんな感覚が有りました。
わたしは昔から自分にも人にも厳しい面があり
「それは人の道から言えばおかしいでしょう」というような事があると
率直に表現するところがありました。

4年前からの出来事や不思議な人たちに出会い
それを私流に咀嚼して 探求して学びました。
学んだつもりだったのが それは軽い考えだったと
この数日間に気づきました。

日記でも「無」というのは「全てを受け入れる」と書きました。

「全てを受け入れる」は「全てを愛する」
これは間違いなさそうですが
それほど奥深い事とは 思っても見ませんでした。
モノを愛したり、たとえ何があろうとその人を愛するのに
努力すればできると思いました。
いつの日からか 同じパターン、同じ繰り返しはしないと
心に決めたのに 周りが古いパターンの渦があると感じた時
自分もその渦に引き戻されそうになったんです。

その渦は畳み込むように 連動的に訪れるので
意識を変えて 穏やかなモノを見ようとすればするほど
自分の肉体や 目にするニュースなどに憤りや悲しみを感じて
涙する事が多かったんです。

また同じ繰り返しを自分がしてると感じ
昨日から ひたすらお菓子を作ることに専念しようと
ペットショップに行き、子犬を抱き 気を静めると
また守護の息子から電話がありました。
ほんとに救われます。

家に帰り 泣くだけ泣いて切り替えようと
お菓子をがむしゃらに作りながらボロボロでした。

焼き上がり時間のあいだ もう一度「愛」ということを考えてたんです。

その時 自分なりに判った事は

人は「究極の愛」に少しでも理解して、近づく為に
輪廻転生してチャレンジしてるんじゃないでしょうか。

「究極の愛」とは まさに「すべてを受け入れる」事ですが

それは物質の体や感情がある私たちには
とても難しいのがわかりました。

例えば もし蛇にかまれたら
とっさにそのへびに恐怖や怒りを感じるでしょう。

例えば もしあなたを裏切り 傷つけることをしたら
とてつもない恐怖が襲い 自己防衛など起こすのは当たり前でしょう。

人は物事に囚われて 余計な知識に左右されやすいものですよね。

へびが噛んだとき そのへびを許し
何故噛んだのか、自分を噛んだへびを愛せるか・・

傷つける者の気持ちを知り、許せるか 恐れないでいられるか
そして愛せるか・・

もっと究極をいえば
自分を殺そうとしてるモノを許せるか・・・
凶器を突きつけられて 平気で身を任せられるか・・・
わたし自身は無理だと思いました。
許せることは出来ても それを受け入れて
身を任せる事はできない。
殆どの人が無理でしょう。

「無」という「究極の愛」を達成することは難しすぎますが
1%に満たなくても ほんの少しでも
理解して 自分を近づけるために
この世に何回もチャレンジしてるんじゃないでしょうか。

だから、次から次に 少しづつ高度な難問が来る
そんな気がしました。
それが「御魂磨き」でもあると思います。

物質界じゃなければ恐れがないから
究極の愛が出来るじゃないかとも考えますが
なんでも思い通りの世界で
何も判らない魂では その世界のバランスが崩れてしまい
宇宙も崩れるようですね。

それと同時に チョットかけ離れた話ですが
宇宙人・・例えばグレイなどは
私たちからすれば 未来の自分達なんじゃないか

宇宙人にすれば 私たちは過去の自分達
宇宙人は タイムトラベラーで
未来にあった過ちを教え
過去を変えようとしてるんじゃないだろうか。
観察かもしれない。

そんな日々でした。
勿論そればかりに集中してるわけではないので
いつも何があっても バランスを崩さないよう
心がけてますが
もう少し 勇御魂を元気づけたいですね。

「究極の愛」は 「無」であり
「すべてを受け入れる」

これが 今のわたしが生きながら
ほんのすこしでも知るべき課題かもしれません。


 




 

 


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1 コメント

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Unknown (rico)
2010-08-18 01:01:42
おねえさん、こんばんは。私もそうなので、うなづけました。自分が正しいと思う事を、自分だけでなく他の人に要求してしまいます。そうなりそうな度に、「罪と言う罪はあらじ」という声が聞こえます。人を何処まで愛で包めるか、自分が愛になれるか、その為に生まれてきたんだなあと思います。
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