ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

龍神

2010-09-27 21:00:52 | 日記

急に寒くなってきました。

これから書くことは ちょっと異様におもう方が多いでしょうが
私だけではなく 龍神の存在を
まるで目に見えない生き物として
捉えてる人も居ます。

実は私のところには ペットチビ龍神が居ます。
このチビ龍は人工的に創られた存在ですが
意識を持って動きます。
ただ自分の意思では動かないそうです。
このチビちゃんは ある人が創った龍です。

それで半信半疑で思っていて
少し斜に構えていました。

つい先日 そのチビちゃんについて
コミニュケイションがとれる人に
私のチビちゃんの気持ちを聞いてくれたんです。

そしたら チビちゃんが言うには
硬い、自分を肩先から斜に見てると言ってるんです。

動揺しました、当たってたんで・・・

それから、私の様子を見てると。

それで納得したんです。
私はチビちゃんの存在を半分も信用してなかったし
自分がチビちゃんを使いこなす事に自信が無かったんですね。

それから その友だちに練習だよと言われて
今 交流と使い方を練習してます。

変な話、私は龍神というと基から居る龍神達しか
交流した事が無くて
また、前に話したとおり
自分で創造した龍神を信頼してたんです。

地龍も自分で創った龍も意思と意識を持ち
私の自由にはなりませんでしたので
より信じてたんです。

でも友だちの通訳とチビちゃんを創った人に聞いてた
可愛がってあげるようにの言葉が
胸に刺さりました。

それ以来 チビちゃんの存在を感じるように勤め
今までの龍神同様の気持ちを持つことにしてます。
それからというもの、会話だけはできる様になりました。

そして、自分の手足となるように練習してます。

これが視えない存在のひとつで
それは 判らない人には信じがたい話です。

目で視る事が出来れば・・・
わたしは このときほど視えない自分がはがゆく思ったことはありませんでした。

感じたり イメージや声は聞けても
ちゃんと視えないんです。

チビちゃん、今までごめんねって感じです。




 

 

 


大きなわっか

2010-09-25 20:31:06 | 日記

9月23・24日に開催した
八ヶ岳UFOコンベンション2010

初日の雷雨を誰かが「大禊ぎ」と言ってました。

おかげさまで 盛り上がりのひとときは
雨もあがり みんなで手を繋ぎ
夜空に向かって 願いはひとつ

「ベントラ、ベントラ」

ちゃんと聞いてくれたのか
ポ~ンと浮いてる夜空のUFO雲?
ある方は 円形UFOが出たり入ったりしてたそうです。
かなりの数が来てたと視える人は言ってました。
私も数機は視えた

その晩その地に宿泊
携帯を見ると 満タンに充電したのに
「充電切れ・・・ピー」
なんてこと!

朝起きたら 一部の人も同じ現象
電気盗られた~

大盛り上がりで締めくくられたイベントは
その後の繋がりを深くしたものでした。

昨年からの参加者の方たちが片付けをしてくださり
「ぼくたちは スタッフのようなものです」と
なんとうれしい言葉をかけてくださり
大きなわっかでした!

応援してくださった方々に 心から感謝です!!!

そして 大きなわっかは
どんどん大きくなりそうで
大切な人たちが復活して
大きなエネルギーを創ろうとしています。

今 剣を天に向け 宇宙のエネルギーと
同化しようと想います。

勇と愛と智でしょうか

ちょっとカッコつけすぎでした・・・

 

ありがとうございます~!






動き回る渦

2010-09-12 16:34:24 | 日記

私の周りだけではないかもしれませんが
「渦」が動き回っているように感じられます。

善し悪しはそれぞれですが
たしかに動き回っている

それから たぶんですが
宗教や団体は自殺行為となり
崩れる方向に向かっているのかもしれません。

全てに当てはまるとは思いませんが・・・

始まりはすばらしい方の教えや導きだったでしょう。
でもある所から 間違えた線路に乗ってしまったことさえ
気づかず進んでしまっています。

この様な時代 宗教や団体は躍起になって
活動を盛んにします。
また求める人も多くなってるのでしょうか。

これが私の感覚の「自殺行為」に感じられるのです。

よ~く考えてください。
導きは その人がどのような状況であれ
考える方向性を導くことで
ああしなさい、こうしなければいけないなどと
操作するものではなく
こうかもしれないけど あなたが決めるべき事と導くものではないでしょうか?

もともとその様な役目を授かって
活動していると その結果がありありと表われる時になってきたかもしれません。

隙間があればあるほど
その隙に入ろうとするエネルギーは素早く
間髪居れず訪れるものです。
恐れの隙間ある人にはそれがチャンスのように見えるかもしれません。

そんな時こそ しっかと見つめ直さなければいけなくて
本当にチャンスなのか
自殺行為となってしまうのか
見極めなくてはいけない時だと想います。

自分を修復するチャンスでもあるのですから
あせらずじっくり視る事をお勧めします。

わたしは なによりもご自分の足元を固める「勇気」を持ったほうが善いと思います。

まずは親子、兄弟、家族の問題を修復する
修復する「勇気」を持っていただきたいと
前からお伝えしています。

たとえどんな状況であろうと
基礎を修復しなければ
成就しないと思っています。

ご自分の思いを勇気を出して伝える
相手の気持ちをよく考え 理解しようと勇気を出す

目線が違うだけかもしれません。
相手が間違いでも ご自分が相手を心から「愛」してる事を伝える

簡単にはいかないかもしれませんが
それに努力を惜しまない
どんな相手でも 理解しようと努める

これって 昔から当たり前な基礎造りではないでしょうか。

一生懸命 人様やおつとめをしていても
想うようにことが運ばないのは
もしかしたら 基礎の修復がなされていないのでは。

「渦」の中心は 現世でも同じ「基礎」です。
現世で成し得なければ 現世での成就達成は?

魂の基礎はその映しでもあると想います。

善い機会を逃さず 「準備」をなさったら
未来は「想う渦」の廻り方をするのではないでしょうか。

ご自分を どこかへ追いやらず
ご自分に素直に ご自分に思いやりを持って
「勇気」を持っていきませんか。



梓さんのブログ

2010-09-07 10:38:22 | 日記

しばらく書くのを止めようと想っていましたが
梓さんが直近で書いたブログを見て
背筋がピリッとしてしまいました。
それで書くことに決めました。

それはだいぶ前から始まっていた事を最近知りました。
ちょうど123便墜落事故当日
私たちは夜 中央道を八ヶ岳を目指し車を走らせていました。
ラジオで御巣鷹山墜落事故を知り
私たちの隣車線を黒い車が幾台も走り抜け
まるで追走するかのように走った記憶があります。
当時その事故のご家族関係者のお車と判り
いたく心が動揺した記憶があります。

そして今年に入り 色々な場所へ連れて行かれるような
私たちの行動のひとつに 今でも気がかりな場所があります。
それは通りすがりの場所でしたが ある山沿いの道を
走っていると
ダンナは髪の毛を引っ張られるような感覚
わたしもやけに胸が騒ぎ 右側の山々を見上げていました。

二人でなんなんだ?どうしたんだ?などと話し
その場所に停車させられそうな感じでした。

それでも感覚を払いのけ走らせて
わたしはこの山の何かがとどまる様に仕向けてる事を感じ
ダンナが「この山の裏手が御巣鷹山だなぁ」と
事故当時の高速道の事を思い出しました。

二人で何気ない会話の中
この山には何か重要なものが隠されてると話してたんです。
帰り道も同じ現象になり
確信を得てましたが 今停まって散策するには
早すぎる感じがしてました。

帰ってからそのルートが「三国峠」から「三国山」を
望む道でした。

またいつか行ける日が来たら行こうと思い
現在に至ってしまった場所が
あずささんのブログの話でその場所が出てきたので
とても衝撃的でした。

そしてその場所がどういうことだったのか知る事が出来て
それもまたダブルで衝撃になりました。

前の日記で「何かを感じてる」ので
とりあえずブログを休む行為は
今だから話しますが
「準備をする」・・・これはネガティブではなく
それぞれ関わりの人や物事がかかえてる繋がりを
また修復する「準備」の意味

私のことでもあり 私たちに関わる人にもその準備の行為や思考をする必要があるのかと思います。

ひふみでいうならば 「立て直し」の前の準備をしなければならない人や物事の心根

不思議な事に それが腑に落ちた瞬間
流れるように 今まで遠のいていた人たちが
続けざまに我が家に訪れ
それぞれの心根の準備(御魂磨き)を気づき
勇気を持って 準備に入ろうとしてるのにビックリでした。

あらゆる物事が噴出し
魂のおもむくまま準備を着々としてるのを感じると
とても嬉しくて その「勇気」にエールを送ります。
シンプルな人ほど それはスムーズに進んでいる気もしました。

精神世界の知識や実践家の人は
むしろ それが垣根となり
悩み、迷い、今一歩その渦から抜け出せないで
苦しそうです。
知っているのに 解っているのに
どうしても人間の傲慢さが顔を覗かせてる気がします。

「御魂磨き」は 特別な能力を持って
「魔」を祓い 浄化して廻る事ではなくて
そのお役目の元々の存在に
帰依してもらう
私たちは 傲慢であってはならず
たとえその能力があっても
神々の役目を代わりにするなどと大それた事を行うことが
傲慢だと思います。

わたしたちは そのお役目の存在に
感謝や私たちの傲慢さでしてしまった事をお詫びする
そして いま在る木々や動物や自然に敬意をはらう(感謝する)

道理を理解してるのにもかかわらず
どこかで自分の課せられた役目だと
邪気を一刀両断祓ったり
掃除して廻ってるという方が堂々と胸を張って言われます。

そうじゃない事が解っているのにもかかわらず
どんどん傲慢さが先走ってる気がしてなりません。

能力が特別ではなく みんな持ってるエネルギーだから
ただひたすら 謙虚に 感謝し
少なくとも この地に住んでる事で
乱してしまった物事にお詫びし
「どうぞお戻りください」と願えばいいと思います。

そうすれば場や彷徨えるものは浄化される
それがみんな持ってる能力だとおもいます。

神様や龍神様、精霊達が居ない、弱ってるから
自分が代わりにさせて頂くという
思い上がった行為こそ
失礼で 宇宙源とつながる事を拒否し
私の言うところの「傲慢」さではないでしょうか。

わたしは 人を癒す能力や見える能力は持ち合わせていません。

でも 人に心から感謝し 
忌み嫌うものをむやみに排除することはしません。
どうしてそうなったか知ろうとします。

荒れ果てた神社や仏閣に行っても
その場の木々や水に感謝とお詫びの言霊を
言うようにしています。
憑いてきた想念には「もういいんじゃないですか?」
「私は何も出来ませんよ」と心で想います。

シンプルにそれでいいと思いますが・・
この話も 全てを受け入れないで
ご自分の中で咀嚼して それぞれが考えてください。

モノの見方は 人の数以上にありますので