吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

思いついたら・ラベル探偵

2014年04月11日 | Weblog

今日もラベル探偵をしていて、たまたまネットサーフィンで

              面白い記事を発見した

       長野日報の2007年の記事だった。

                  それはこんな表題だった。

         諏訪花柳界を語り継ぐ 「まぼろしの花街 大手」

かつて諏訪花柳界の中心として栄えた、諏訪市大手町。その大手町にあった老舗割烹(かっぽう)「宗藤本」の女将(おかみ)、波瀾万丈の人生を歩んだ藤森弘子さん(86)=同市湖岸通り五=が、自叙伝的回想録「まぼろしの花街 大手」を長野日報社から発刊した。製糸産業の全盛時代より諏訪の町を花柳界から見つめ、その華やぎを語り継いだ交友録。関係者は「大手町の往時を後世に伝える貴重な資料」と出版を祝福している。

 藤森さんは「宗藤本」の4代目。大手町で生まれ育ち、結婚して夫の故邦守さんとともに諏訪の花柳界を担った。今となっては残された大手見番の看板と、ごくわずかとなった芸者に名残を留めるに過ぎないが、昭和の初めは200人を超える芸者が芸を磨き、界隈は毎晩三味線の音が響いた。元日には稲穂を挿した島田姿で、あいさつ回りする光景があった。

 戦争を節目に時代は変遷、宗藤本も激動の時を乗り越えた。が1959年、料亭を閉じて諏訪湖畔にホテル宗藤を創業。五木寛之、瀬戸内寂聴、阿川弘之の各氏ら多くの文化人も宿泊したが、2000年には後継者がいないことなどから、惜しまれつつ廃業した。

    そのマッチのラベルが

料亭【宗藤本】        そして

ホテル宗藤のラベル。

  根気よく調べてみるものだと思いました。

あの文から考えるに、【宗藤本】は1959年に廃業しているので

     ラベルの年代は昭和30年前後になるのだろうと思います。

 そして、ホテル宗藤のラベルは開業当時に作られたものだろうと

考えていいのだろうと思います。

      ということは、昭和34・35年からの物ということでしょうか。

なかなか奥が深い・楽しい・はまってしまいましたね。ラベル探偵