吾が見る先に(agamirusakini)

自分が見る先には何があるのだろうと思う事が多くなってきた。振り返りながら、自分の道を探しながら歩いていきたいと思う。

桔梗屋あたりの事と蛇足

2015年11月17日 | Weblog

桔梗屋さんの事を聞いた覚えがあり、上社の地図を見たところありました。

http://www.mapfan.com/m.cgi?MAP=E138.7.27.8N35.59.39.9  これを1/1562に拡大してください。

                              *矢印の家が(桔梗屋さん)です。

茅野から上社に向かうと上社の駐車場手前に、黒縄神社があり・

その下あたり上社に向かい、右手に桔梗屋さんがあります。

その辺りを八幡坂と呼んでいたようです。

父のとった写真に、幾分時代は新しいものの今とは違い

交互通行になっている昭和の時代のものがありました。

写真の中ほどで下りの道が緩やかな昇りになる場所がわかります?

そこが桔梗屋さんがある場所になるようです。正面が上社の鳥居になります。

しかしこの写真に写っている車も、珍しいんでしょうね。

蛇足ですが、鳥居に突き当たる手前左に上がる道があり、その先に法華寺があります。

その道の脇で祖父の時代に、滝沢商店という店を営んでいたそうです。

  看板に(上社土産には楽焼)とありますが、この文字は祖父の字です。

左が祖母・父・岩男(弟)。祖父はここに窯を据え、自ら楽焼を焼いていたそうです。

信楽・九谷などの窯元で焼き方を教わったりして、本格派だったらしいっす。

いまでも作ったものが残っている。趣味を生活に生かした人なんだろうな・・・。

一つを調べると、またほかの事が出てきて   おもしろい!!

            まあお付き合いくださいm(__)m

 


中洲村の昔々

2015年11月14日 | Weblog

前列右から五番目が祖父。後ろの看板が中洲しか読めない。

ただ、祖父と二列目右から二人が着ている法被に書いてあるのは中洲村農會市場

その隣の人の着ている法被には下金子農會市場・後列の右から六番目の人の法被には中洲久美愛。

前列右から二番目の人は㊥市場という法被をそれぞれ着ている。

今で言うところの農協のようなものだろうか・・・。

この写真は何処かはわからない。桔梗屋あたりというコメントが書いてあった。

祖父と祖母が餅つきをしている。この臼も杵もまだ残っている。

場所は不明だが、僕の伯父や叔母大叔母。曽祖父が写っている。

しかし驚くのが傘。いまこの傘骨の多いタイプが人気である。

たぶん70年以上前の写真ではないだろうか。流行りは繰り返すのだろう!


僕の育った中洲の昔々

2015年11月11日 | Weblog

僕の育った長野県諏訪市中洲。

前にも書いた通り、祖父と祖母はアメリカで結婚。

オレゴン州ポートランドで父を生み、関東大震災の起きた年に日本に帰国。

中洲に住んだ。

新聞記者をやっていた祖父なので、写真は結構豊富にあったが

一度整理をしてしまいあまり残ってはいない。

父のコレクションも、東京で働いている間にだいぶ捨てられてしまったようだ。

ここに紹介する写真は、戦時中のもの。当時の様子がわかる。

上社の社殿前。前列右端が祖父自由也。

八ヶ岳修練農場にてと書いてある。前から3列目左から2番目に祖母がいる。

紀元二千六百年賜饌記念だろうか?片倉館の前のような気がするが・・・・?

上社の鳥居前。右手前がきよめ茶屋(今はない。金子茶寮という店になっている)

これは中洲小学校の校舎前。うしろは教務室や校長室などがあったような・・。

何処かはわからないが結構広い場所である。しかし中ほどにいる白衣の男性がちょっと違和感あり。

これも場所はわからない。洒落た椅子や窓があるが、畳の部屋である。

これも上の写真と一緒の場所のようだ。慰問袋を作っているところだと思われる。

こうした縁の下の力持ち達が、出征した家族を思い・村を思い・日本を思って

支えていたんだろうなと感じる風景。