信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

人事異動内示にみる村井県政

2006-10-26 00:08:20 | Weblog
長野県庁と県組織では、10月18日に係長級以下職員、25日に課長補佐級以上職員の人事異動内示が出された。18日の係長級以下の内示は、その殆どが組織改編とチーム・ユニット制度廃止に伴うものであり、実質的な異動はごく僅かであったが、25日の課長補佐級以上内示は4月1日の定例人事異動ほどではないにせよ、ある程度の実質的な異動があった。
前日から新聞報道のあったものもあれば、やや驚きをもって迎えられたものもある。このたび衛生部長に内定した渡辺氏は女性初の部長であり、今だからこその話として、先の知事選で田中康夫知事(当時)が三選するようであれば辞職すると主張していたと噂される女傑である。企画局長に内定した元人事課長の和田氏の登用など、人事の傾向として吉村県政時代の3階筋の人達がおおむね復権したという印象が少なからず見受けられ、一方で田中県政時代に幅を利かせていた幹部の多くは閑職へと追いやられた。県職員の間で噂が出ているように、村井知事は人事に当たって県職員OBらの意見を相当に参考にしているのだろう。

個人的に注目していた土木部長・河川課長人事は、土木部長が留任で、河川チームリーダーであった北原技監が飯田建設事務所長へ異動となり、後任の河川課長にはオリンピック招致前に土木部で活躍を見せた木曽建設事務所長の北沢陽二郎氏が内定した。ここにも村井知事による人事の特徴が見えている。
土木部長が留任したのは浅川治水の問題がこれから本格化するためとされているが、実際には2002年の田中康夫知事再選以降、土木部長職は立場上はともかく実務面では本格的に浅川治水に関わっていない。であるのに浅川治水を理由にしているのは、恐らく村井知事ら首脳は、これまでの土木部の混乱の責任を現在の河川チームリーダーである北原技監に取らせ、今の原土木部長には生半可には進まない今後の浅川治水の全責任を取らせ、場合によってはトカゲのしっぽ切りにするつもりなのだろうか。明確な懲罰人事ではないが、田中県政で知事に媚を売って不当に抜擢された者や自己保身に走った者に対しては、顔をニコニコとしていながら相応の重いものを背負わせるというのが村井流人事のようだ。
そして別の意味で土木部内で注目されていた野崎技術幹であるが、東信会計センターへの異動が内定した。会計センターでは県が発注する工事等の検査を行っており、東信地区における筆頭検査担当となる。野崎氏はこれまで、勤務先が長野にしろ諏訪にしろ住居のある松本から通っていたが、有料区間のある国道254号を使っての上田通いはさすがに厳しいだろう。もう一人の注目人物で、例外措置で30歳で主任になったY氏は災害で混乱を極めているとされる諏訪建設事務所への異動が決まっている。

なお、代表監査委員だった丸山氏が、県が与えた公用携帯電話を私物化していたことが県議会で発覚し、辞任に追い込まれた。その際に丸山氏は、田中色の排除だというようなことを述べていたが、この丸山氏の言葉じたいが代表監査委員を勤めていた丸山氏の勤務実態を示している。政権交代が起こったのだから田中色の排除は当然起こりうるものだろうが、丸山氏が排除されたのはそれ以前の監査委員としての質や適性の問題であり、いわば公費盗人の分際でありながら、公職辞任の理由に政治闘争をこじつけるのは文字通り盗人猛々しいとしか言いようが無い。