信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

どこに道路を建設するのか

2007-03-24 21:25:30 | Weblog
3月24日の信濃毎日新聞朝刊に、この4月1日付け長野県職員の人事異動内示が掲載されていた。
新聞等に掲載されるのは、いわゆる課長級、つまり県の幹部職員と呼んで相応しい立場以上の職員のみであり、課長補佐級以下の職員についても内示は出されている。11月1日に異動があったとはいえ、村井知事就任後初の人事異動とあって、いちおうは注目をしていた。
県庁の部長にこそ大きな異動は無かったが、定期異動の名に相応しい大規模な異動であったようだ。注目をしていたのは渦中の人である岡部英則氏、そしてやはり渦中の職場である浅川改良事務所であったが、岡部氏の名は無かった。そして浅川の所長には交代があり、浅川流域に住まいを構える土木部課長級職員が所長に転任となっていた。

他の人事をざっと見ていると、田中県政時代に県庁で幅を利かせていた幹部の多くが外郭団体や地方の閑職へと飛ばされ、吉村池田時代の主流3階筋にいた職員らがおおむね復権を果たしている。象徴的なのはこのたび諏訪地方事務所長になった山田氏で、田中康夫知事就任当時は秘書課長をしていたのが、田中時代はずっと地方の閑職に追いやられていて、このたび部長級の主要ポストで復活した。

そして課長補佐級、係長級の人事内示メモも入手したので目を通してみて、あることに気づいた。
かつて土木部には道路を所管する課が2つあり、維持管理を担う道路維持課、計画的な道路整備(新築・改築)を担う道路建設課であったのだが、昨年に両者は統合し、更に農政部の農道、林務部の林道を合わせて道路課という巨大組織を形成していた。それが知事交代で農道林道が元に戻され、この4月で道路管理課と道路建設課に再度分けられるようだ。簡単に言えば1年前に戻ることになる。
気になったのは、道路建設課長に加えて部長級の土木技監を兼ねるようになったのが河川課長であった北沢氏で、更にその下の技術幹、課長補佐、係長と、今度の異動で転任する顔ぶれは、土木部の幹部候補生いや将来の部長候補とされる人材ばかりが名を連ねている。
いわゆる吉村池田時代、土木部の道路建設課と長野建設事務所計画調査係は花形と呼ばれ、代々の幹部を輩出してきた。今の原部長だけでなく、歴代の生え抜き土木部長のほとんどが道路建設課長を経験している。その時代はオリンピック招致を実現させようと騒いでいた時代から実際に開催までこぎつけた時代、長野県がバブルに踊っていた頃のことだ。しかし財政の紐がきつくなると道路建設とばかりも言っていられない。更には2000年の県知事選、パソコン問題などで道路建設課は大きな打撃を受け、田中県政のもとではダムが話題になったこともあり、あまり目立たない存在であった。
オリンピックバブルの頃から、これからは造る時代から維持管理の時代だと口では言いつつも、長野県は道路をしっかり造ってきて、一方で維持管理のほうには大きな力を注いでこなかった。脱ダム宣言で自然保護を謳い上げた田中康夫知事にしても、大規模開発である木曽川の右岸道路や高速道路の建設は推進をしてきた。

しかし、今の長野県は誰もが知るように財政難にあえいでいる。オリンピックバブルの時代に比べれば予算そのものの枠が大きく減少している。
おまけに、地方部ではまだまだ道は狭い所があるものの、昭和後期に比べれば道路整備事情は格段に良くなっており、国道・県道でアスファルトの舗装が施されていない区間もほとんど無くなってきた。
そして話は戻る。長野県はこれから、道路をどこに造るつもりなのか。県内には、道路を欲しいところ、整備が必要なところは実際たくさんあるだろうが、欲を言い出してはきりが無いし、第一いまの長野県は財布の口が絞られている。
高度成長期からオリンピックバブル期にかけて増産した道路構造物が年数を経てそろそろ本格的修繕を必要とし始めており、その維持管理に力を投じるというのならまだ分かる。今までは自動車社会で車道優先で道路整備を行ってきたものが、これからは歩行者等も重視しなければならないとして歩道を設置したり、あるいは交差点を改良したりというのもまだ分かる。これらに力を投資するのであれば、道路管理課に力を入れればいいだけのことだ。
バブルに踊ってイケイケドンドンだった時代であれば、道路の建設に力を注ぐのも必要だったかもしれない。しかしなぜ、今のご時世に、道路建設課にそこまで力を注ぐのだろうか。更に奇怪なことは、橋梁係が消滅したことを除けば道路建設課のスタッフ数はオリンピックバブルの頃とあまり変わっていないのだ。
土木部の人事案は知事に形式的に回されるだけで、実際には部長と技監とで決められている。技監は現在空席だから、この人事案を作成したのは原土木部長以外にありえない。では原土木部長は、これ以上どこに道路を造るつもりなのだろうか。
今度の道路建設課長がオリンピックバブル時代にイケイケドンドンの象徴であった人物の一人であるゆえに、尚更そう感じてしまう。村井仁知事は確かに財政投資を否定こそしていないものの、それは吉村池田時代に戻るという意味ではない。まさか本気で吉村池田時代よ再びなどと考えてはいないだろうが、この布陣を見る限りでは疑問を持たざるを得ない。