信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

災害現場の木製ガードレールに関する考察

2006-07-31 01:06:55 | Weblog
前に触れた徳本水の被災現場は、25日の夕方に完成して一般開放となった。まずは現場に携わった関係者各位にお疲れ様と言いたい。そして物議を醸しているのが、災害仮復旧の現地に木製ガードレールが設置されていて、「最徐行」の看板と、木製ガードレールの道路側に折りたたみのバリケードが置かれているということ。
現地を見た清水洋県議が
>余分なお金はかけず、もし余れば他の災害箇所にお金を回す事が最優先事項
http://www.21styles.jp/diary/next1/index.html#7_26
としてこれに異議を唱えているが、その主張は尤もであり、災害復旧は原型復旧が大原則である。

工事現場を見ていないので何とも言えないが、一般の道路工事においては、路床の上に路盤材(一般には下部にクラッシャーラン、上部に粒度調整砕石)を敷き、その上に舗装をかけるが、延長約60m、幅約6mの車道がすっぽりと抜け落ちたのであるから、そこを一週間足らずで完成させるには、どうしても締め固め、転圧が通常に比べて不足している可能性が大きい。増して路床も抜け落ちたのだから、恐らくトンパック(大型土嚢)で河川との締切をして、その施工性から、おおかた締まりのよい砂を路床材に、あるいは路盤材にも用いているのだろう。
現地に「最徐行」の看板が出されているのは、路盤路床が通常の所よりも締め固めが弱く脆いためであろうし、ガードレールの車道側にバリケードが出されているのは基礎が弱いためであろう。あくまで通行の確保を目的とした仮復旧ゆえに本来の道路に求められる品質を満たしていない点があるのはやむを得ない面があり、それを杓子定規に咎めるのはかえって野暮である。
しかしそれが許されるのは、あくまで応急の仮復旧だからという前提であり、そこに木製ガードレールが設置されるとなると、話はまた変わってくる。それは単に、車窓からの景観ありきの木製ガードレールの手前にバリケードが置かれているという滑稽な図によるものだけではない。
今の長野県土木部のNo.1である原部長は、かつて国土交通省に出向して災害査定官を務めていた。No.2の北原技監は災害事業を総括する河川チームリーダーでもある。木製ガードレールが災害仮復旧の場に適切か否かは現地入りするであろう災害査定官が判断してくれるだろうが、適切でないと判断を下した時、その差額分は県が出費することになり、災害査定官を経験している原土木部長は、ひいては県は面目を潰すのではないだろうか。

長野県は田中康夫知事の肝いりで木製ガードレールの設置計画を作っているが、なかなか進捗が思わしくない。木製ガードレールが似合う風景が案外と限定されているという点があるが、それ以上に木製ガードレール設置が上からのお仕着せでしかなく、現地機関側が木製ガードレールを基本的に歓迎していないという点が大きい。
理由はいくつかあるが、いずれも維持管理上での実務上のものだ。かつて飯山市の国道の事故で木製ガードレールが破損した時、木製ガードレールが保険の対象にならないということが問題になったことがある。単価が高いということは、当然ながら修理代も高くなり、維持修繕の予算枠が限られている現状において、できるだけ設置そのものを避けたくなる。駒ヶ根市の県道の歩道には十年ほど前に設置された今のものとは別タイプの木製の手すり(転落防止柵)があるが、今では腐敗と破損が進み、その手すりには「触らないでください」と書かれた貼り紙がしてあるという笑えない冗談のような話もある。

日本において、公を官だけで担い賄う時代は終わったのであり、その時流をはっきりと読んだ小泉内閣が郵政民営化を打ち出してイギリス的手法で昨年の衆院選に大勝したことがそれを実証した。田中康夫知事もそれを感覚的に読みとっていたであろう一人であり、小泉内閣が衆院解散すると同時に小泉自民の大勝を予言した。しかしその後の合理性のない行動が田中康夫知事の行動心理を物語っている。
長野県では道路や河川で地元の人たちに通常の草刈り等の管理を委ねるアダプト制度が積極的に推進されている。そこには道路や河川の維持管理のコストが大きくなりすぎてしまい、一方でお役所の財布が小さくなり、道路管理者や河川管理者だけでメンテナンスを賄いきれなくなっていることが背景にある。
コストパフォーマンスにおいてCALSという考え方が一般化し、製造建築だけでなくメンテナンスまでトータルでコストと見なすのが当たり前の御時世で、木製ガードレールはメンテナンス面の評価が非常に弱い商品である。おまけに同種の木製ガードレールに比べて倍以上の割高という市場面での問題点があり、市場原理を適用できない商品でもある。
県では折角の知事の肝いりの木製ガードレールが、なかなか設置されずに在庫がだぶついていた。そこへきて今度の災害、田中康夫知事の覚えめでたい北原技監が木製ガードレールを担当する道路チームの担当を動かし、災害現場に木製ガードレールを設置するよう強く求めたのだとされている。そこに経営戦略局、更には田中康夫知事の意思が介在したかは不明だが、意思が介在したとするよりも、上のポストを狙う立場にある北原技監サイドが田中康夫知事や県幹部の歓心を得ようとして取ったスタンドプレイだとする方が無理がない。そうしたスタンドプレイを行う人物はどこにでもいるし、実際そうして出世していく者も多い。

辰野町は同じく被害を受けた岡谷市・諏訪市・下諏訪町と異なり被災の特別措置認定を受けておらず、それでいて施設の被災が多い。つまり今の辰野町は、災害復旧のためのお金がいくらでも必要なのにそのお金が無い状態で、辰野町長は地元の災害対策に追われる中で休む間もなく地元出身の首相秘書官である飯島勲氏などに辰野町への援助の働きかけを行っているという。寸断されている道路がある中で、幹線道路ゆえに急いで復旧した形だけあつらえた国道に不相応な木製ガードレールが設置されていたらどう思うだろうか。地元感情を害するのはもちろん、わざわざ徐行して通過するトラック運転手にとっても失笑のネタでしかない。そして木製ガードレールが田中康夫知事の肝いりの事業であることは県民の多くが知っている。これが、選挙戦さなかの田中康夫知事にとってマイナス効果になることはあってもプラスにはならないことは言うまでもなかろう。
田中康夫知事は7月19日付けの夕刊ゲンダイで尤もらしく木製ガードレールをPRしていた。しかし用途を間違えれば、本来ならば景観を彩るものが却って逆効果になる。想像力さえ働けば難しいことではない。あるいは、そこまで想定の上で木製ガードレールを設置させたのだろうか。

平成18年7月災害に見る県の責任のゆくえ

2006-07-23 19:37:04 | Weblog
平成18年7月17日からの降雨により、長野県のとりわけ諏訪から上伊那北部・木曽にかけて大きな被害が生じた。土石流に呑まれた犠牲者もあり、改めて自然災害の恐ろしさを見せ付けることになった。現在、全国単位で土砂災害防止法に基づく危険箇所指定作業が進んでおり、土砂災害があった諏訪地域、上伊那地域は県内でも指定作業が早く進んでいた地域でもあった。
この災害が、知事選告示から知事選本番へと移行する時期とちょうど重なったことで、奇妙なことが幾つか起こり、そして発覚している。

22日と23日の土日、県は急遽、職員のべ4000人以上を諏訪地域と上伊那地域へ派遣させた。実際には20日頃から土木部などで職員派遣が行われていたようだが、今回の派遣は目的を特に定めずの派遣、いやいつもの、ボランティアという名の動員である。同じようなことを中越震災の時にやっているが、その時に反省すべき点を反省していなかったのだろう、今回もまた同じ過ちを犯している。

現地入りした人からこんな話を聞いた。
交通パニックの中で自家用車でやってこいという合理性のなさ、そして集合場所へ行ったもののやることが無いという虚脱感。
岡谷市の土石流災害で田中康夫知事が上流のゴルフ場が原因と吹聴しているが、土石流被害場所の上流にゴルフ場は無いという嘘のような話。
辰野の道路陥没現場には道路バイパス計画があったのが、地主一人だけがごねて建設事務所の頭越しに田中康夫知事に訴え、知事のチェックのもと計画が何度か変わり、結局バイパス計画が消えてしまったということ。

辰野町の国道153号線、徳本水という現場は横に横川川が流れ、道路が大きくカーブし、西から南にかけて山の陰になってしまい冬場の凍結等事故が多かったため、以前から改良要望が強く5年以上前から道路バイパス計画が立てられて測量や設計が行われ、地元への計画説明も一人を除いて同意が得られていたという。数年前にようやく国庫補助事業枠に認められたものの、上述のようなことがあり事業は中断してしまったとのこと。予算のつきが良かったらしいので、順調に事業化していれば今頃は完成していたかもしれない、そして完成していれば今度の災害で国道が遮断されることは無かっただろうとされている。
今回、高速道、善知鳥峠、横の県道なども軒並み被害を受けたため、塩尻市北小野から辰野町小野・横川・川島の一帯は孤立した。

上伊那においては天竜川や桑沢川などが氾濫を起こしたが、これらの河川では県の改修事業が中断ないしは事業費縮小されていたという。宮田村で土砂が押し出して高速道や広域農道を止めてしまったところには、前から砂防事業の要望が出されていたが、知事サイドで事業化を蹴られたという話もあるらしい。

その徳本水の現場、現在は仮復旧工事の真っ最中である。復旧見込みは今月の28日だったが、工事が順調であったこともあり、田中康夫知事は26日に開通できると明言し、それを受けて経営戦略局は例のキャラクター入りの開通ビラを道路チームに作らせ、地元の店舗等に配布するとともに25日中には現場を完成させるよう指示した。しかし今日23日から明日にかけて当の上伊那では100ミリ以上の雨が降るとされている。奇怪なことに、恐らく地元店舗で掲示されているであろうビラは経営戦略局で作成していながら、土木部名義になっている。つまりその開通が予定通りにいかなかったときは土木部の責任になるというわけだ。
現場の横には濁流の横川川が流れている。現場にはトンパックと呼ばれる仮設の袋が設置されているが、コンクリート護岸を壊した濁流を仮設中のトンパックで守れるとは言い切れない。ただでさえ混乱する現場に知事の立場で負担を強いて経営戦略局を私物化しつつ知事候補者としての点を稼ごうとしているのではないか、という思惑がそこには容易に見えるが、この雨で工事が遅れることになるとかえって逆効果で、徳本水の道路計画が駄目になった話が蒸し返されるかもしれない。

これらは一体、誰が責任を取るのだろうか。天災は避けられない部分があるが、今度の被災に限っては天災だからと割り切れない点が少なくない。
打つべき手は打たず、予め先人が打っていた手は止め、責任は他者へなすりつける、それを改革と呼ぶのであれば、そのような改革などいらない。