信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

どこに道路を建設するのか

2007-03-24 21:25:30 | Weblog
3月24日の信濃毎日新聞朝刊に、この4月1日付け長野県職員の人事異動内示が掲載されていた。
新聞等に掲載されるのは、いわゆる課長級、つまり県の幹部職員と呼んで相応しい立場以上の職員のみであり、課長補佐級以下の職員についても内示は出されている。11月1日に異動があったとはいえ、村井知事就任後初の人事異動とあって、いちおうは注目をしていた。
県庁の部長にこそ大きな異動は無かったが、定期異動の名に相応しい大規模な異動であったようだ。注目をしていたのは渦中の人である岡部英則氏、そしてやはり渦中の職場である浅川改良事務所であったが、岡部氏の名は無かった。そして浅川の所長には交代があり、浅川流域に住まいを構える土木部課長級職員が所長に転任となっていた。

他の人事をざっと見ていると、田中県政時代に県庁で幅を利かせていた幹部の多くが外郭団体や地方の閑職へと飛ばされ、吉村池田時代の主流3階筋にいた職員らがおおむね復権を果たしている。象徴的なのはこのたび諏訪地方事務所長になった山田氏で、田中康夫知事就任当時は秘書課長をしていたのが、田中時代はずっと地方の閑職に追いやられていて、このたび部長級の主要ポストで復活した。

そして課長補佐級、係長級の人事内示メモも入手したので目を通してみて、あることに気づいた。
かつて土木部には道路を所管する課が2つあり、維持管理を担う道路維持課、計画的な道路整備(新築・改築)を担う道路建設課であったのだが、昨年に両者は統合し、更に農政部の農道、林務部の林道を合わせて道路課という巨大組織を形成していた。それが知事交代で農道林道が元に戻され、この4月で道路管理課と道路建設課に再度分けられるようだ。簡単に言えば1年前に戻ることになる。
気になったのは、道路建設課長に加えて部長級の土木技監を兼ねるようになったのが河川課長であった北沢氏で、更にその下の技術幹、課長補佐、係長と、今度の異動で転任する顔ぶれは、土木部の幹部候補生いや将来の部長候補とされる人材ばかりが名を連ねている。
いわゆる吉村池田時代、土木部の道路建設課と長野建設事務所計画調査係は花形と呼ばれ、代々の幹部を輩出してきた。今の原部長だけでなく、歴代の生え抜き土木部長のほとんどが道路建設課長を経験している。その時代はオリンピック招致を実現させようと騒いでいた時代から実際に開催までこぎつけた時代、長野県がバブルに踊っていた頃のことだ。しかし財政の紐がきつくなると道路建設とばかりも言っていられない。更には2000年の県知事選、パソコン問題などで道路建設課は大きな打撃を受け、田中県政のもとではダムが話題になったこともあり、あまり目立たない存在であった。
オリンピックバブルの頃から、これからは造る時代から維持管理の時代だと口では言いつつも、長野県は道路をしっかり造ってきて、一方で維持管理のほうには大きな力を注いでこなかった。脱ダム宣言で自然保護を謳い上げた田中康夫知事にしても、大規模開発である木曽川の右岸道路や高速道路の建設は推進をしてきた。

しかし、今の長野県は誰もが知るように財政難にあえいでいる。オリンピックバブルの時代に比べれば予算そのものの枠が大きく減少している。
おまけに、地方部ではまだまだ道は狭い所があるものの、昭和後期に比べれば道路整備事情は格段に良くなっており、国道・県道でアスファルトの舗装が施されていない区間もほとんど無くなってきた。
そして話は戻る。長野県はこれから、道路をどこに造るつもりなのか。県内には、道路を欲しいところ、整備が必要なところは実際たくさんあるだろうが、欲を言い出してはきりが無いし、第一いまの長野県は財布の口が絞られている。
高度成長期からオリンピックバブル期にかけて増産した道路構造物が年数を経てそろそろ本格的修繕を必要とし始めており、その維持管理に力を投じるというのならまだ分かる。今までは自動車社会で車道優先で道路整備を行ってきたものが、これからは歩行者等も重視しなければならないとして歩道を設置したり、あるいは交差点を改良したりというのもまだ分かる。これらに力を投資するのであれば、道路管理課に力を入れればいいだけのことだ。
バブルに踊ってイケイケドンドンだった時代であれば、道路の建設に力を注ぐのも必要だったかもしれない。しかしなぜ、今のご時世に、道路建設課にそこまで力を注ぐのだろうか。更に奇怪なことは、橋梁係が消滅したことを除けば道路建設課のスタッフ数はオリンピックバブルの頃とあまり変わっていないのだ。
土木部の人事案は知事に形式的に回されるだけで、実際には部長と技監とで決められている。技監は現在空席だから、この人事案を作成したのは原土木部長以外にありえない。では原土木部長は、これ以上どこに道路を造るつもりなのだろうか。
今度の道路建設課長がオリンピックバブル時代にイケイケドンドンの象徴であった人物の一人であるゆえに、尚更そう感じてしまう。村井仁知事は確かに財政投資を否定こそしていないものの、それは吉村池田時代に戻るという意味ではない。まさか本気で吉村池田時代よ再びなどと考えてはいないだろうが、この布陣を見る限りでは疑問を持たざるを得ない。

日銀松本支店レポートと日経新聞記事

2007-03-10 14:10:54 | Weblog
日銀松本支店が長野の経済状況について公表した。3月7日の新聞に掲載されており、それを読んで悄然とした。
これによると、長野県内の建設業は五輪特需の恩恵を未だ受け続けているそうだ。それでいて、除雪作業や兼業農家で生計をなんとか支えているという。

五輪特需のピークは平成7年頃とされ、オリンピック開催は平成10年のはじめであった。その特需が終わったのは10年以上前のことである。長野県は五輪特需の下支えで他で起こっていたバブル崩壊が3~5年遅れてやってきた。しかも五輪特需にわいたのは会場等が設営された県の北部方面だけであり、中部南部はその手伝い等で参加はしたが、特需の恩恵を蒙ったというには程遠い。むしろ北ばかり整備を進めて県内に格差が出るとして、南部の南箕輪村に子ども未来センター計画が立ち上がった経緯があるほどだ。県全体に投資されるべき予算の多くが五輪特需の時に北へ投資されただけであって、業界全体を潤わせた上に今に至るまでその貯金が残っているかのような論調は常識知らずの愚論である。
しかもここ数年は、入札制度改革に連動して起こった相次ぐダンピングで、県発注の公共工事は儲けにならないというのが定説化した。市町村においてもそれに追従する動向だ。

除雪作業についても実態を知らない者の愚昧な推論としか言いようが無い。道路管理者である国、県、市町村などは、確かに土建業者へ除雪を委託している。しかし、業者全体に行っているわけではなく、しかも除雪は勤務形態が不規則な上に人件費と材料費が主体なので業者にとってうまみが無いものとして知られており、入札制度改革の時にもそれが話題に出たことがある。なかなかなり手がいないので、道路管理者の方が頭を下げて除雪作業を依頼しているとする話すらある。
兼業農家説も、県内の田畑が耕作されないまま放置されている所が多い現状を見れば、調査をするまでもなく荒唐無稽なものだと分かる。

上記に示すように、この日銀松本支店レポートにある県内土建業に関する記載は県内土建業の環境や実態を知らない者の机上論としか言いようが無いほどの、まれに見る愚論である。仮にも日銀がこのようなレベルのものを公表して恥ずかしくないのだろうか。

とはいえ、同報告が指摘する、建設業者数がバブル期に比べて大きく減っていないのも一方では事実である。その理由はどこにあるのかと言えば、これだという答えは無いものの、幾つかの要素が考えられる。
建設業者自体が零細が多く、不況の波が影響するほど最初から儲けが多くないこと。大手がつぶれても小さい所が会社を興しているという点もあるので、数としては大きく変わっていないとする見方。
他業種へ手を広げていること。県が進めていた木こり推進は頓挫したが、建設業者はそれぞれの営業努力等により手を広げている。
大掛かりな施設災害が数年に一回の割合で各地に来ていたこと。これこそは特需に近く、やや弱い。
最近まで下水道整備の工事が県内各地で大々的に行われていたこと。長野県においては、前の前の吉村知事が県による下水道事業に消極的であったことから、流域下水道などの広域的なものを除き市町村が下水道整備の工事を行っている。そうした事情もあって長野県は元々下水道整備が遅れていて、ここ数年でようやく整備が完了した市町村が増えてきた。
これまで建設業界が大きな淘汰をされずにいたのは、実はこの下水道工事による下支えが一番大きな要素ではないかと思っている。工事自体は特殊な資格を要さず、工法の難易度は高くなく、それでいてそこそこの工期と工費を取り、道路の掘り返しを伴うため舗装等の関連工事も発生する。つまり下水道整備がピークを超えたこれからが、長野県の建設業界は第二次の淘汰が始まるのではなかろうか。


3月8日の日経新聞1面で、都市部における公図のズレが大きいとする記事があった。
記事の詳細と解説については以下の「泥酔論説委員の日経の読み方」
http://www3.diary.ne.jp/user/329372/
の3月8日記事に詳細を譲るが、そこに指摘されている通り、現実には地籍測量がなかなか進捗していない。これは都市部としているが、山間部にしても事情は同じである。それを敢えて都市部と断っているのには理由がある。
それをこの記事では書き切れていないが、都市部ではとりわけ地価単価が高いことの他に、国土交通省が最近になって世界座標での共通基準点設置を全国の都市部人口密集地域で進めている。こうした基準点の整備により、これまでのローカルな座標系による土地境界でなく、普遍的な世界座標上での境界の位置づけを図ろうという趣旨だ。なぜそれを必要とするかといえば、境界確定作業において近隣のローカルな測地系同士が不整合のままぶつかるケースが多く生じていて、とりわけ土地単価が高い都会部で境界が決まりにくく、それがインフラ整備などの開発行為の足を引っ張り、記事にあるように六本木の開発で4年を要したとするような結果になっている。

今の日本において、いや奈良時代の墾田永年私財法や鎌倉時代の「一所懸命」の語源をみるまでもなく、土地は経済活動の大きな基礎になっている。
現在、地籍境界を確定するには、隣接者全員との立会いによる同意が必須になっている。その測量費用は普通でも数十万、個人レベルで気軽にできるものではなくなっている。本来であれば市町村主導の国土調査等による整理を待てばいいのだろうが、そうした地籍調査は予算がなかなかつかないため、これまた進捗は非常に遅い。普通の広さを持つ市町村において国土調査を行おうとする時、測量の総額だけで億単位の費用がかかるとされているので、市町村だけで取り組めるものでもない。
更に問題なのは、国土調査や土地改良・区画整理などによる調査をかつて行った場所においても、公図と現状が合致していないことが生じていることがある。測量技術の精度が変わったことや、測量の基準点が変化したことや、災害等で旧資料が損失してしまって復元できないこと、更には単純なヒューマンエラーなど、幾つかの理由がある。
これまでの公図は明治時代に作成されたものを参考資料として扱い、その後に順に整備を進めているが、なかなか進んでいないのが実状だ。豊臣秀吉が行った太閤検地のような、土地境界の確定作業をこれまで国策で進めてこなかったことのツケは小さくない。それにようやく国が本格的に取り組み始めたのがこの記事の内容である。折角の1面であるのだから、日経新聞にはそこまで踏み込んで記事にしてもらいたかったと思う。

彷徨う信濃毎日新聞

2007-03-10 11:36:34 | Weblog
信濃毎日新聞で都市計画税のことが記事になっていた。
http://www.shinmai.co.jp/news/20070304/KT070303GAI090013000022.htm

正直な感想としては、この記事が訴えたいことがわからない。
都市計画区域の考え方や税金についての事実はその記事に引用されている関係者の説明どおりであるし、事実と愚痴を並べている以外の何もない。都市計画区域のことを広く知らせるようにと都市計画の関係者に頼まれたのかというくらいである。
あるいは何らかの意図があって、都市計画税を口実として、市町村合併へのアンチテーゼとして提示したかっただけなのか。
しかし、都市計画区域とそうでない場所が設定されているのは合併の有無に関係のないことであって、同記事の解説には無いものの、一般には都市計画区域と行政境とが一致しないのが当たり前である。同一市町村において都市計画税を負担している住民と負担していない住民がいるのは珍しいことでもなく、むしろ都市計画法の趣旨からいえば、山あいの平地が無い或いは少ない地域が都市計画区域に指定されていることのほうが合理性に欠けている。

信濃毎日新聞は長野県を代表する地方紙であり、県内で60万以上の発行部数を誇っていて他を圧している。一方で、同記者の取材姿勢や記事への批判が出ることが多い。掘り下げた事情を知っているくせに一部関係者に媚びて表面的なことしか記事にしないとか、記者の態度が傲慢であるとか、他の新聞と違って取材に来ないで後から電話をかけてきて電話応答だけで記事を書くとか、果ては取材された側が言ってもいないことをでっち上げて記事にするとする批判も時々出てくる。
田中康夫知事不信任が出るまでは、特にそれがひどく、2003年秋に信濃毎日新聞が田中康夫知事と対立の様相を見せ始めてからは、今度は田中康夫知事とその支持者による信濃毎日新聞攻撃が目につくようになり、信濃毎日新聞のそうした態度は下火傾向になっていた。

問題になったものとしては、5年ほど前の入札に関する信濃毎日新聞の同額落札に関する記事で、当時の県庁担当者が言ってもいないことを言った、そして測量会社関係者が誰も言っていないことが同測量会社の関係者が述べたコメントとして記事になっているのはおかしいとして、関係者が厳重抗議をしたことがある。
後で聞いた話によると、この時は測量会社が弁護士を入れて、この記事に関わっていないとする全社員の誓約書を取り付けて時の田中康夫記事に提出し、合わせて信濃毎日新聞を訴える準備をしていたという。この時は信濃毎日新聞側が五十嵐敬喜教授の「神業」発言などを持ち出すなど連日の特集記事で印象操作につとめるものの、抗議への反論反証をすることができず、それを表面化させないまま、少し間をおいた後に同測量会社社長の対談記事を載せてお茶を濁して終わらせた。あの時、なぜこの対談記事が載っているのだろうと疑問に思ったものの、後日その事情を知って合点した覚えがある。一時は告訴をしようとしたとされるくらいだから、裏では相当な駆け引きがあったのだろう。
この時、言ってもいないことを記事にされたとする県の担当者は、関係機関に信濃毎日新聞記事は虚偽であるという趣旨のファックスを送信していたとされている。この担当者の名前は実は知られているのだが、ここではあえて伏せておく。
この顛末は、当時のヤフー掲示板にも掲載され、県政ウォッチャーの間では当時から比較的知られていた。

上記例示以外にも幾つかの事例がある。同社の新人記者が書く記事にこうした事実関係と関連事項を調べないまま記事にしてしまうというパターンが多く、いったん記事にしてしまえば、よほどのことが無い限り信濃毎日新聞は抗議をしても訂正記事を出すことがない。
詳細を書かないが、信濃毎日新聞があまり調べもせずに記事を書いたがために、県や市町村の担当者が掲載された記事に関する大掛かりな調査を行わされる羽目になり、よくよく聞いてみれば新人記者が書いたその記事自体が関係者への取材内容を裏取りしないまま勝手に膨らませて誇張して書かれていて、それが後日になって分かって関係者を激怒させたとする話は複数知っている。

やはりこれは、信濃毎日新聞が売り上げ部数で圧倒的な強さを持っている故の傲慢さと緊張感欠如が出ているのではないかと思う。強力なライバルが存在していれば、記事自体にもっと緊張感が生じるだろう。とはいえ、売り上げ数だけを見ても、他の県内地方紙や、全国区の中日新聞や読売新聞は遠く及ばない。今のまま信濃毎日新聞の圧倒的優位状態を続けることは県民にとっても信濃毎日新聞にとっても不幸である。
とはいえ市井の者には現実として如何ともしがたい。憂慮すべきことであるゆえに歯痒さばかりを感じる。

田中時代の後遺症

2007-03-01 21:35:43 | Weblog
暫く日が開いてしまいました。

2月、収賄罪で起訴されていた野崎氏は罪状を認め、県職員を懲戒免職になった。未だ信じがたく、非常に残念なことであるが、野崎氏が認めている以上は事実であろう。社会的立場や退職金を失うことになったが、野崎氏はまだ若い。しっかりと罪を償い、また社会の別の場に復活をしていただきたいと思う。
野崎氏の今度の事件に関して不審に思ったのは2点。銀行や労働金庫からいくらでも誘いの声がありそうなものを、どうして消費者金融から借金をするようになったのかという点と、設計書の内部審査がそこまで甘いのかという点である。これらはいずれも今の公務員が抱えがちな問題であり、専門機関において公務員が陥りがちな落とし穴として事例研究をしてもらいたいと思う。それは公務員個人のためというよりも、税金を扱っている公務員が落とし穴に落ちないようにすることが必要であるためだ。彼らの知識技術技能の育成は職務を通じて培われ、いわば公務員は国や地方の財産でもある。

今日の新聞で、奇しくも野崎氏と共に百条委員会等で名を知られるようになった岡部英則氏が、百条委員会での証言が嘘であったと自白したと伝えられた。
岡部氏については百条委員会開催当時にここで触れたことがある。当時から、その証言については信憑性が怪しいという話が出ており、岡部氏本人が自分のgooブログにその主張を一時掲載していたものの後になってブログごと閉じてしまったことで、岡部氏の主張への信頼感は低下しており、百条委員会の席でも偽証への対応の難しさが話題にのぼった。
なお百条委員会当時、岡部氏がgooブログに記載していた文面は、ヤフー掲示板に転記されているものを見かけたことがある。ここではそれを紹介しないが、興味のある方はそれぞれ探していただきたい。

その岡部氏の偽証を早速も自身のブログに取り上げて百条委員会の告発を疑問視しているのが青山貞一氏である。青山氏は所沢ダイオキシン問題でその名を知られるようになった。田中康夫前知事と親しく、田中氏の要請で当時の衛生部現地機関の所長になり、非常勤ながら部長待遇を受けていた。後にそれを県議会で咎められ、その座を去ってからは親田中の立場で自身のブログに投稿を続けている。
その青山貞一氏には、県庁内で別の疑惑が持ち上がっている。
以前に触れたように、田中氏が知事に在任中の頃から、長野県職労はいわゆる「はるさめ問題」についての調査を進めていた。その調査結果がほぼまとまったらしく、永田弁護士立会いのもと県議会の主要会派に長野県職労から報告がされたという情報が流れている。
その報告によると、はるさめ問題が起こった時に青山氏の所属下にあった一研究員と、職務上は直接の責任が無い当時の県庁課長が、それぞれ上司に恐喝まがいの脅しをされて罪を被ることを強要されたとし、冤罪なすりつけを直接に強要した人物として、青山貞一氏や当時の衛生部長など数人の名前が挙げられているという。そこに名前が挙げられた人物はいずれも田中康夫前知事によって重用された幹部ばかりである。はるさめ問題で責任を負わされた当時一研究員と県庁課長の2職員はそれぞれ停職等の厳罰が下されていたが、強要による自白で罪を被されていたとするならば、これは大きな問題になる。
県議選を控える中、今開催されている県議会でこの話題が出るかどうかは微妙であるが、いずれ表に出ることになろう。

浅川問題

2006-12-11 07:10:32 | Weblog
ここのところ、浅川問題をめぐる報道が多くなっている。高校再編と並ぶ、村井県政最初の大きな課題でもあり、新幹線建設とも関連しているために後回しにはできない懸案でもある・

以前から
http://blog.goo.ne.jp/sonatinet/e/6af72c1b15f362316a9b23ffa56cc168
他でも触れている浅川問題だが、野崎氏の問題で出てきたほか、そろそろヤマ場を迎えるということもあり、確認をしておきたい。
河川で治水を行うには、基本高水と呼ばれる想定される洪水流量に対応できる対策を求められる。これは上下流の治水対策のバランス、河川規模での横並び(つまり公平感)という点で必要である。かつて長野県治水利水ダム等検討委員会(以降「検討委員会」とする)の席で委員であった五十嵐敬喜教授が脱ダムの立場から「基本高水によらない治水を」と唱えて「無計画な治水をしろというのか」と失笑を買ったことがある。検討委員会での脱ダム委員は浅川での基本高水を下げるように提唱し、カバー率という係数を用いたり、あるいは既往最大流量をと言い出したり、とりわけ後半はとにかく現状の450トンという基本高水の数値を下げることにのみ腐心していた。その一方で長野市が出してきた昭和前期の410トンという既往の洪水実績を特段の理由もなく意図的に無視し、330トンという数字を既往最大として示すなど、まさに脱ダム委員の一方の筆頭格である石坂千穂県議の言葉を借りれば「アンフェア」なものであった。

基本高水の問題とは別に、浅川においては地質の問題も取り上げられている。検討委員会開催当時は断層が盛んに取り上げられていたが、昨今は地滑りばかりが取り上げられているようだ。検討委員会当時には石坂千穂県議らが現地で確認された第四紀断層を活断層であると意図的に主張して、それを委員である松岡教授が批判する一幕もあった。浅川一帯に善光寺断層が走っているが、200年ほど前に活動をしているので、次に動くのは800年以上後だとされている。一方で断層によるダムの危険性を唱え、一方でダムへの土砂堆積で数十年しかもたず土砂堆積してしまえば撤去しなければならないと主張していたので、当時はそのおかしさに苦笑したものだ。
検討委員会当時も地滑りが話題になったことはある。何しろあの大規模地滑りを起こした地附山が浅川の南側にあり、どうしてもその関連をしてしまうところだ。しかしそれは、第14回の検討委員会の席で地質の専門家として現地入りした脱ダム委員の松島信幸氏の発言で大きくトーンダウンした。当時の記録を見れば分かるように、松島氏は「山さし」という言葉を用いてそれを説明している。つまり地附山の地層は北から南へ沈み込むような構造をしており、南側斜面では構造的な地滑りを起こしやすい反面、北側では構造的な地滑りは起こりにくいというものだ。その直後には、浅川ダム計画地点が地滑り防止区域に指定されていないことまで確認されている。折しも2002年の出直し知事選の直前であったが、そうした議論をぼかしたまま、不信任直後の写真週刊誌フラッシュ等当時の週刊誌記事を見ればわかるように、田中康夫氏や石坂千穂県議は浅川ダム予定地が地滑りの危険があると吹聴していた。政治家として非常に誠意の無い態度である。ともあれ、地滑りが起こりうるといっても構造的な地滑りが生じないのであれば、あとは工法だけの問題だ。

民主党が唱える「緑のダム構想」が持て囃されたことがあり、検討委員会においても緑のダム構想に基づく発想がいくつか出された。とりあえずダム代替案が出されなかった浅川等で流域対策なる言葉が出たのもこれを敷衍したものだとされている。しかし、流域全体の水の流れを構造的に捉えての緑のダム構想も浅川では頓挫してしまった。一時期は森林整備こそダム代替案だとの意見すら出ていたが、森林からの流出を検証したところダム計画の流出計算と合致し、むしろ浅川ダム計画の妥当性を立証してしまうという皮肉な事態になって、それ以降は森林整備は大きく語られなくなった。

浅川問題はそもそも、行政不信の発露の面があり、それはダム反対派の代表格である内山卓郎氏が地附山地滑りで行政不信になったと自ら述べていることにも現れている。この内山氏は週刊金曜日の投稿者である等謎めいた経歴の持ち主であるがそれは改めて触れるとして、行政側の説明不足が地附山地滑りをきっかけに行政不信を加速させたことに間違いはない。オリンピック開催準備と平行して浅川ダム関連工事が進められ、ダム建設に伴う真光寺のループ橋による県道付け替え工事においては“他”目的ダムだと揶揄されたこともある。
そうしたこともあって浅川ダム計画はとりわけ多くの批判を浴び、田中康夫氏が知事になってダム工事中止以降も様々な検証が行われてきた。田中県政6年弱を通じて結果として明らかになったことは、浅川で設定された基本高水は100年確率として出されている前提でおかしな操作等をしたものでなく森林データ等からみても客観性があること、その基本高水に対応する治水対策にはダム等が必要なことであった。それゆえにダム反対派の人たちは基本高水の引き下げに拘った。

村井知事は先般、浅川の基本高水を下げるのは困難だと述べた。じっさい一度出した基本高水を下げることは困難であり、国土交通省よりも流域の人たちや市が納得しない。長野市は市長が反田中で知られているが、市長だけでなく議会の大半も反田中だった。それもずっと洪水が起こっていないのならまだしも、最近に至るまで浅川は洪水氾濫を起こしていて、合理的説明をしようともとりわけ洪水氾濫に苦しむ地域は拒絶反応を示すであろう。それでも2年前の洪水が起きる前ならまだ可能だったかもしれない。
基本高水を下げることが困難とあれば、その基本高水を掲げる以上、どうしてもダムを含めた巨大構造物が想定に入ってくる。前任の田中康夫氏が最近Livedoorの取材に答えているが、その応答を見ていても田中康夫氏は早晩今の村井知事の立場になって決断を迫られることを予見しており、そうなってしまえば脱ダムの看板を降ろさざるを得なくなることを承知していたゆえに、結論を出すことを意図的にペンディングしていたのだろう。

先週の野崎氏逮捕から、その話題ばかりが優先してきて、中には野崎氏が浅川の治水対策をリードしていたとする解説もあるが、これは誤解がある。なぜならば、当時の経営戦略局にはそれを専門に担当するチームがあり、そのチームリーダーは以前にも触れた、かつて河川課で野崎氏と共に河川計画を担当していた鎌田氏であって、野崎氏は知事の意向を代弁したであろうがそこでの作業に関わっていないからだ。前に引用した毎日新聞の記事にもその点で明らかな事実誤認がある。同チームは元々、検討委員会の事務局がチームに昇格して知事直轄になったもので、そのチームと浅川改良事務所によって浅川の治水代替案が検討されていた。
ともかく、6年に亘った浅川の治水議論は間もなく、いやようやく結論が出る。ダム中断がされていなければ既にダムが完成していたであろうことを考えれば、非常に長い時間が経過していたのだ。