信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

浅川問題

2006-12-11 07:10:32 | Weblog
ここのところ、浅川問題をめぐる報道が多くなっている。高校再編と並ぶ、村井県政最初の大きな課題でもあり、新幹線建設とも関連しているために後回しにはできない懸案でもある・

以前から
http://blog.goo.ne.jp/sonatinet/e/6af72c1b15f362316a9b23ffa56cc168
他でも触れている浅川問題だが、野崎氏の問題で出てきたほか、そろそろヤマ場を迎えるということもあり、確認をしておきたい。
河川で治水を行うには、基本高水と呼ばれる想定される洪水流量に対応できる対策を求められる。これは上下流の治水対策のバランス、河川規模での横並び(つまり公平感)という点で必要である。かつて長野県治水利水ダム等検討委員会(以降「検討委員会」とする)の席で委員であった五十嵐敬喜教授が脱ダムの立場から「基本高水によらない治水を」と唱えて「無計画な治水をしろというのか」と失笑を買ったことがある。検討委員会での脱ダム委員は浅川での基本高水を下げるように提唱し、カバー率という係数を用いたり、あるいは既往最大流量をと言い出したり、とりわけ後半はとにかく現状の450トンという基本高水の数値を下げることにのみ腐心していた。その一方で長野市が出してきた昭和前期の410トンという既往の洪水実績を特段の理由もなく意図的に無視し、330トンという数字を既往最大として示すなど、まさに脱ダム委員の一方の筆頭格である石坂千穂県議の言葉を借りれば「アンフェア」なものであった。

基本高水の問題とは別に、浅川においては地質の問題も取り上げられている。検討委員会開催当時は断層が盛んに取り上げられていたが、昨今は地滑りばかりが取り上げられているようだ。検討委員会当時には石坂千穂県議らが現地で確認された第四紀断層を活断層であると意図的に主張して、それを委員である松岡教授が批判する一幕もあった。浅川一帯に善光寺断層が走っているが、200年ほど前に活動をしているので、次に動くのは800年以上後だとされている。一方で断層によるダムの危険性を唱え、一方でダムへの土砂堆積で数十年しかもたず土砂堆積してしまえば撤去しなければならないと主張していたので、当時はそのおかしさに苦笑したものだ。
検討委員会当時も地滑りが話題になったことはある。何しろあの大規模地滑りを起こした地附山が浅川の南側にあり、どうしてもその関連をしてしまうところだ。しかしそれは、第14回の検討委員会の席で地質の専門家として現地入りした脱ダム委員の松島信幸氏の発言で大きくトーンダウンした。当時の記録を見れば分かるように、松島氏は「山さし」という言葉を用いてそれを説明している。つまり地附山の地層は北から南へ沈み込むような構造をしており、南側斜面では構造的な地滑りを起こしやすい反面、北側では構造的な地滑りは起こりにくいというものだ。その直後には、浅川ダム計画地点が地滑り防止区域に指定されていないことまで確認されている。折しも2002年の出直し知事選の直前であったが、そうした議論をぼかしたまま、不信任直後の写真週刊誌フラッシュ等当時の週刊誌記事を見ればわかるように、田中康夫氏や石坂千穂県議は浅川ダム予定地が地滑りの危険があると吹聴していた。政治家として非常に誠意の無い態度である。ともあれ、地滑りが起こりうるといっても構造的な地滑りが生じないのであれば、あとは工法だけの問題だ。

民主党が唱える「緑のダム構想」が持て囃されたことがあり、検討委員会においても緑のダム構想に基づく発想がいくつか出された。とりあえずダム代替案が出されなかった浅川等で流域対策なる言葉が出たのもこれを敷衍したものだとされている。しかし、流域全体の水の流れを構造的に捉えての緑のダム構想も浅川では頓挫してしまった。一時期は森林整備こそダム代替案だとの意見すら出ていたが、森林からの流出を検証したところダム計画の流出計算と合致し、むしろ浅川ダム計画の妥当性を立証してしまうという皮肉な事態になって、それ以降は森林整備は大きく語られなくなった。

浅川問題はそもそも、行政不信の発露の面があり、それはダム反対派の代表格である内山卓郎氏が地附山地滑りで行政不信になったと自ら述べていることにも現れている。この内山氏は週刊金曜日の投稿者である等謎めいた経歴の持ち主であるがそれは改めて触れるとして、行政側の説明不足が地附山地滑りをきっかけに行政不信を加速させたことに間違いはない。オリンピック開催準備と平行して浅川ダム関連工事が進められ、ダム建設に伴う真光寺のループ橋による県道付け替え工事においては“他”目的ダムだと揶揄されたこともある。
そうしたこともあって浅川ダム計画はとりわけ多くの批判を浴び、田中康夫氏が知事になってダム工事中止以降も様々な検証が行われてきた。田中県政6年弱を通じて結果として明らかになったことは、浅川で設定された基本高水は100年確率として出されている前提でおかしな操作等をしたものでなく森林データ等からみても客観性があること、その基本高水に対応する治水対策にはダム等が必要なことであった。それゆえにダム反対派の人たちは基本高水の引き下げに拘った。

村井知事は先般、浅川の基本高水を下げるのは困難だと述べた。じっさい一度出した基本高水を下げることは困難であり、国土交通省よりも流域の人たちや市が納得しない。長野市は市長が反田中で知られているが、市長だけでなく議会の大半も反田中だった。それもずっと洪水が起こっていないのならまだしも、最近に至るまで浅川は洪水氾濫を起こしていて、合理的説明をしようともとりわけ洪水氾濫に苦しむ地域は拒絶反応を示すであろう。それでも2年前の洪水が起きる前ならまだ可能だったかもしれない。
基本高水を下げることが困難とあれば、その基本高水を掲げる以上、どうしてもダムを含めた巨大構造物が想定に入ってくる。前任の田中康夫氏が最近Livedoorの取材に答えているが、その応答を見ていても田中康夫氏は早晩今の村井知事の立場になって決断を迫られることを予見しており、そうなってしまえば脱ダムの看板を降ろさざるを得なくなることを承知していたゆえに、結論を出すことを意図的にペンディングしていたのだろう。

先週の野崎氏逮捕から、その話題ばかりが優先してきて、中には野崎氏が浅川の治水対策をリードしていたとする解説もあるが、これは誤解がある。なぜならば、当時の経営戦略局にはそれを専門に担当するチームがあり、そのチームリーダーは以前にも触れた、かつて河川課で野崎氏と共に河川計画を担当していた鎌田氏であって、野崎氏は知事の意向を代弁したであろうがそこでの作業に関わっていないからだ。前に引用した毎日新聞の記事にもその点で明らかな事実誤認がある。同チームは元々、検討委員会の事務局がチームに昇格して知事直轄になったもので、そのチームと浅川改良事務所によって浅川の治水代替案が検討されていた。
ともかく、6年に亘った浅川の治水議論は間もなく、いやようやく結論が出る。ダム中断がされていなければ既にダムが完成していたであろうことを考えれば、非常に長い時間が経過していたのだ。

野崎氏逮捕

2006-12-04 22:27:46 | Weblog
野崎氏は今晩、積算価格を漏らした見返りに賄賂200万円超を受け取ったとする疑惑で逮捕された。
報道によると野崎氏は疑惑をおおむね認めているとのことだが、正直なところ未だに信じがたいうえ、細かな事情もまだ明らかにされていない。そう思わざるを得ないのは、くどくなるが今回の疑惑の構成が太田多久治氏の冤罪の時と似ている所があるからだ。
ただ、それが事実であるならば、私腹を肥やしたものであれば勿論のこと、そうと疑われても已む無きものであったにしても、野崎氏には潔く法罰に服していただくと共に、県民へのせめての償いとして、百条委員会での野崎氏の証言がもたらしたモヤモヤな部分をすっきりとさせていただきたい。