信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

若貴問題

2005-06-26 22:55:28 | Weblog
二子山親方が逝去してからこちら、この話題が芸能記事から尽きることはない。週刊誌でも必ずどこかで触れており、遺産争いで揉めているのであれば週刊誌等の出版社がもうけた分のうちの相当額を彼ら兄弟に分けて与えてはどうかとすら思う。

この問題を見ていて思ったことは、閉鎖的な匂いがするものの社会を守ることを選んでそれを忠実に実行してきた弟と、兄という通常社会面での立場でそれを否定する兄という位置づけだ。一般であれば通常社会の通念が優先するのだろうが、この兄弟の場合は閉鎖的な社会を背景に、そしてそこでの成功で世間に知られるようになったという事情があるので、話は単純ではない。兄弟関係を狂わせたのはマスコミであり、兄弟の母親であり、身内である伯父・初代若乃花であり、あるいは・・といくらでも出てくるが、兄弟は共に30代で家庭を持つ身でもあり、いつまでも他者のせいという年齢でもなかろう。とはいえこの兄弟の母親は異常と呼ばれても仕方がないだろう。

この兄と弟の関係で、特に兄は、今の長野県知事の姿と重なるところがある。多くの週刊誌が兄の側の主張を一方的に流して弟側に悪者というレッテル貼りをしている様子や、閉鎖性を嫌うとの感覚だけで支持をしている兄の支持者の主張などは、長野県知事を未だ支持する人達の論調と似通っており、実際に調査をしてみれば支持層も重なるのではないかと思う。
一社会人として現在与えられた情報の範囲内でこの騒動を見ている分には、正直なところどっちもどっちだが、身内を敵に回して多くのマスコミによる悪質なバッシングを浴びつつも何かを守ろうと闘っている弟の側に同情を感じる。逆に兄の側には全く同情を感じない。

靖国問題と小泉バッシング、中曽根元首相

2005-06-26 22:26:21 | Weblog
国会議員を辞めた、正確に言えば辞めさせられたはずの老人が政治に容喙をする。自民党だけでも中曽根康弘、宮沢喜一、野中広務の3名はいずれも小泉首相によって政界の場を去ることになった人物であるが、自己顕示欲なのか小泉首相への逆恨みなのか、老いてもまだ盛んで未だに政治の場に口を挟んでくる。一方でそれを小泉バッシングのネタにしようと歓迎するマスコミがいる。
マスコミの間では一様に小泉総理大臣への批判論調が主流となっている。そのこと自体に問題はないが、バランスを欠いた批判や、中には捏造や誹謗中傷までもが少なからず混じっており、そうしたいわゆる小泉バッシングが正常の政治批判を却って歪める結果をもたらしている。
これは非常に不幸なことだ。

散々騒がれている小泉首相の靖国参拝については、正直思考がうまく整理されていない。しかし一国の総理大臣が靖国神社を公式参拝することについて、感情的な抵抗は無い。政教分離に反するとの議論は正直ナンセンスだ。日本国における神道の存在は欧米におけるキリスト教、西アジアにおけるイスラム教と同等であり、単なる宗教を超えて生活や思考や社会習慣に染み込んでしまっている。
一方で政治的効果としては、小泉首相の対中国強硬路線により、中国政府側が音を上げ始めている。中国国内の反日デモがそのまま反政府デモに発展する恐れが多分に出てきてしまい、農村一揆が王朝を滅ぼした経験を何度か持つ中国としても苦しい立場になっている。そもそもで言えば反日デモは中国政府が煽ったところが少なからずあり、まるで絵で見るようなマッチポンプの図式だ。中国韓国などによる内政干渉、そしてそれを手引きする国内の売国勢力、それらを悔しい思いで見ていた者としては、ひとまずの評価を送りたいと思うが、一方で靖国をあまり政治的に使わないでもらいたいとの思いもある。

さて中曽根元首相。靖国問題を外交問題にしてしまった張本人でもある。
私事だが祖父が靖国神社に祀られている者として、いわば一人の関係者として言わせて頂ければ、この老人に靖国の問題を一切論じていただきたくないというのが偽らざる気持ちだ。これまた、そもそもで言えば、A級戦犯などという言葉をこの老人がいけしゃあしゃあと使うことじたいに強い怒りを感じる。それは極東裁判と呼ばれるものに対する史観の問題でもあり、レッドパージを潜り抜けた中曽根康弘という人物の生き様に関する問題でもある。かつて昭和天皇が中曽根康弘という人物を非常に嫌っていたとの有名な話があるが、わかる気がする。

中途半端に話題になる人

2005-06-23 22:52:31 | Weblog
長野ローカルではあるものの、時々名前が出て話題になる人がいる。そんな一人がこの人。

 浅川・千曲川治水対策会議:公開質問状回答めぐり市に抗議文 /長野
  長野市浅川のダム建設に反対する流域住民約50人でつくる「浅川・千曲川治水対策会議」
  (山岸堅磐代表)のメンバー6人が22日、4月に鷲沢正一長野市長へ提出した公開質問状
  の回答内容について「説明責任がなされていない」などとする抗議文を市に提出した。
   山岸代表は、質問状に提示したダム建設計画による災害誘発の危険性や、基本高水のピー
  ク流量を柱とする治水安全度などについての市側の回答を「回答になっていない」と批判。
  また、県が基本高水の検討委員会を設置したことに疑問を呈した鷲沢市長に、改めて説明を
  求めた。【川口健史】毎日新聞 2005年6月23日

この代表の人の名前は「かきわ」という。日本共産党長野県議団の石坂県議の地元後援会関係者らしく、実際のところ長野県治水・利水ダム等検討委員会の浅川部会(石坂県議が座長)の委員にも名を連ね、長野市では比較的名を知られた方で、最近の言葉で言うところの「プロ市民」の方だ。ひょろっと背が高く、目につきやすい。教育関係の仕事をしていたらしく、弁もたつ。
ダム建設を例にすれば、今までの行政が理屈をつけて何がなんでもダム建設ありき、というスタンスであったのと全く対照的に、何がなんでもダム反対ありきという立場でもある。これは日本共産党に共通する考え方らしく、個別の大規模道路や砂防ダムや新幹線については建設整備促進を唱える日本共産党の政治家がいる中で、ダムだけは賛成をする人物がない。数多の公共事業の中で、ダムだけを毛嫌いしている理由について合理的な説明を聴かせてほしいものだ。

長野市長へ公開質問状を送ったとされているが、その質問状がどこに公開されているのか、あいにくと知らない。赤旗などには掲載されたかもしれないが、あいにくと赤旗は購読していない。中身を見ずともおよその内容は想像できるとはいえ、こうした記事を取り上げるのであれば、新聞記者は公開質問状がどこに公開されているのかくらいは付記しておくべきではないかと思う。
でないと、「ああ、またあの山岸堅磐が鷲沢にクレームつけたのか」だけで見過ごしてしまう市民が多いだろう。
長野市長の名前が出てきたが、そろそろ長野市では市長選を迎える。現職が続投表明をする一方で、日本共産党は独自候補の擁立を目指している。長野市長への質問状は、こうした市長選へ向けての政治活動の一環に違いないし、それであれば公開質問状の公開場所を明示するか、あるいはこの記事じたいを報じないか、どちらかにすべきではなかっただろうか。

県議会はじまる

2005-06-23 22:23:43 | Weblog
6月の定例県会が始まった。
しなやか会によるさまざまな問題、浅川治水問題、仕事放棄の監査委員、任期満了の公安委員など、話題には尽きないがどれもこれも県政の本道とはあまり関係のないことばかり、しかも県議会は付き合わされた側。
県民はしっかりと、自分達の目で、県政でどのような茶番が行われているのかを見ておくべきであり、それこそ県民としての責務。

信州の南北問題と朝鮮半島

2005-06-19 01:58:31 | Weblog
南信州サイバーニュースより
 なぜ、北信と南信は、歴史的にことあるごとに対立し、いがみあうのか。しかし、その同じ
 信州人がいったん県外に出ると、肩を組んで高らかに「信濃国」をうたい、「こんな県歌を
 持った県民は全国にもない」と対立を忘れたように、わが信州のお国自慢を始めるのか▼け
 わしい山で隔てられ、それぞれが小天地に住むための山国根性が原因と考えられてきた。い
 や、その背景には、遠大な東アジア史が横たわっているかも知れないと本日、一つの仮説を
 提出したい。「集まりの席で小笠原氏の話をしてほしい」と、読者から依頼されたことが発
 端だった▼小笠原氏は飯田(伊賀良庄)と松本を本拠として信濃一国を支配し、さらに全国
 に分派した中世武家の名門である。家伝の弓馬術、礼法はあまりにも有名だ。飯田市伊豆木
 には旧小笠原書院(重要文化財)もある。今から605年前、信濃国の守護(今なら県知事
 か)に任命された小笠原長秀は一党を率い、南信から北信に乗り込んだ▼しかし、豪族・村
 上氏を中核とした北信の在地勢力は「古くからの敵は今も敵である」と反発し、小笠原氏を
 守護と認めず、両勢力は善光寺平の川中島で激突した。南信勢は壊滅し、小笠原長秀は敗死
 寸前で逃走した。激突した村上氏の先祖は、朝鮮半島の高句麗(こうくり=今の北朝鮮)か
 ら来た渡来人であると見られている▼一方の南信は、古墳出土遺物などから同じ朝鮮半島の
 南部・新羅(しらぎ)加耶(かや)との関わりが注目されてきた。今も朝鮮半島の北と南で
 、ことあるごとに対立し、朝鮮民族の威信や誇りとなると、とたんに大同団結する人びとが
 いる。私たちの北信・南信問題となんとも似ている。

信濃国と朝鮮半島との関係は以前から古代史研究の場でも論じられてきている。村上氏の系図上の先祖は小笠原氏と同じく清和源氏になっているが、清和源氏は地方豪族へ婿入りすることで勢力を各地に広げたという経過があり、棟梁の系譜だけは清和源氏であっても地盤勢力は高句麗系だったとする説はかなり有力であると聞いている。
しかしそれと、朝鮮半島のこととは全く別の話である。もちろんこの記者もそこまでの学術的考察ではなく、感覚的な発想上での言及であろうが、村上氏と小笠原氏との争いはもっと単純に、先住者と侵略者との戦いであるということではないだろうか。
朝鮮半島にも地域間対立があり、それもいわゆる朝鮮三国時代(高句麗・百済・新羅)のうち旧百済地域の出身者は高麗王朝樹立時のくだらない遺言がもとで、激しい差別のため約1000年間朝鮮半島で出世できず、それを打破した最初の人物は金大中まで下るというからすさまじい。
さらに言えば、平安期までの日本で主要な地位を占めているのは百済系の人達がもっとも多く、有名どころでは桓武天皇の母親である高野新笠が百済系貴族であり、数年前に物議をかもしたことがあることを覚えている人もいるだろう。清和源氏は桓武天皇の末裔でもあるから、棟梁は共に百済系の血を引き、地盤は高句麗系と新羅系ということになる。南信州記事の発想は面白いが、こじつけの感が否めない。
村上氏も小笠原氏もともに戦国期に武田氏に攻められ、最終的には地盤をすべて失うことになるのだが、それはまた別の話。