信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

人事異動内示にみる村井県政(2)

2006-10-26 23:16:22 | Weblog
先に述べたように、村井県政最初の大規模人事は、簡単に言ってしまえば吉村県政時代の3階筋である人事財政経験者重用への回帰だった。誤解を恐れずに言えば、今の村井県政の姿は“毒の無い池田体制”なのかもしれない。吉村・池田時代と田中県政時代とは背反する要素があるとはいえ、共通項も多く、両者が必ずしも二項対立的な関係にあるわけではない。吉村・池田の否定としての田中が駄目だったから、吉村・池田が見直されたという単純なものではないのだ。

2000年春まで県庁を牛耳っていた当時の池田副知事。当時の県庁は組織としては回っていたが、たとえ計画的とはいえ膨大な借金を抱え、加えて五輪招致疑惑に伴う帳簿焼却問題で、県民の多くは県庁組織に対する不信感を抱き、それが田中康夫知事誕生への大きな原動力になった。田中県政では様々な実験のようなことが行われ、旧3階筋の幹部や幹部候補生は、時には登用されることもあったものの、多くは出先や外郭団体へ飛ばされた。田中県政の県組織に関するスタンスは池田イズムへの反発が出発点にあったものの、時間の経過と共にそれは薄れてくる。
池田副知事までの時代、一度県庁に勤めるとそのまま県庁近辺に居座ってハコから出たことが無い職員がたくさんいた。田中康夫知事はそれを批判し、県庁と現地機関の職員を交流させると公言していたが、現地機関のいわゆるメル友を抜擢し、意見が対立あるいはもっと単純に気にくわない県庁職員を現地に飛ばしただけで“交流”は終わり、県庁に居座る職員の大半は相変わらず居続けた。もっとも田中県政2期目になると、そうした県庁のヌシのような職員達の間にも“脱北”が目立ち始める。
吉村池田時代の末期に県民の間では閉塞感があったとされているが、それは県民だけでなく県庁組織でも同じであった。一部の人達だけで非公開のまま決められる県政やその方針への不満、あるいは強権的な池田氏への反発は、県民よりもむしろ県職員のほうが強かったかもしれず、土木部幹部やOBや職労の動きとは裏腹に、田中康夫知事が登場した時は現地機関の県職員の多くが田中康夫知事に投票をした。この人なら変えてくれるかもしれないとの期待を、県民同様に県職員も抱いた。しかし田中康夫知事はそうした県職員の期待をあっさりと裏切っていく。そして県庁は頻繁な人事とは裏腹に体質がよりいっそう硬直化し、組織として回ることすら滞るようになってしまった。

村井知事は登場と同時に、県職員の意識改革という言葉を掲げ、経営戦略局の解体等に着手をした。経営戦略局は田中県政の弊害の象徴的存在であり、これの解体は誰の目にも当然のことだったが、今度の人事を見る県職員の目は醒めている。
実務者重視といえば聞こえがいいが、要は吉村池田時代への回帰ではないかとする声が所々から聞こえてくる。田中県政時代の松林局長という悪しき事例が引き合いに出され、人事財政の経験者でないと県の主要幹部は勤まらないと村井知事のそばで唱えた人がいるのだろうが、権力闘争の匂いが漂うその主張は詭弁である。オリンピックバブルがあったとはいえ、また巨額の借金は仕方が無かった面があるとはいえ、吉村池田時代の県政の閉塞感をもたらしたのは一体誰なのか。具体的な名前は出さないが、その責任を追求されるべき者が田中県政時代を反面教師に自己弁護と正当化を図るのは勘弁してもらいたいものだ。
もっと言えば、人事財政の玄人(アーキテクチャー)でないと県の主要幹部が務まらないという考えはただの身勝手な、しかも時代遅れの傲慢でしかない。県政の主役は役人ではなく県民である。玄人は要所を押さえることが一義的に求められるのであって、主導的立場に居なければならないとする積極的理由は無い。
そして今回の人事異動では、田中県政時代に始められた所属先だけ指示の異動というスタイルが廃止され、従来の課・係・役職まで人事で指定する形で発令され、形だけとはいえ現場の意向主導型だった人事が、従来の県庁全統括の定員型人事に戻った。残念ながら、村井知事が目標とする県職員の意識改革は、今のままでは達成が非常に難しいだろう。

こうした姿を見ていれば、田中県政以前の“閉鎖的な県庁”に戻ってしまうのではないかと県民が心配するのは当然かもしれない。もちろん田中県政時代がオープンであったというのは田中康夫知事らによる幻想、演出でしかなく、県民の多くがそれに気づいてきたために政権交代が起こったのだが、県民は田中県政の詐欺的体質を嫌っただけであり、昔の閉鎖的な吉村池田時代を求めているのではない。
選挙で村井知事を支援した県議は数多くいるが、そうした村井県政の回帰型志向にある程度でも警鐘を鳴らしているのは柳田県議くらいで、他の多くの県議は批判の意向を持っているいないにかかわらず矛をむき出しにしていない。選挙が近いので自分のほうが手一杯だとする人もいるのだろうが、態度としてはまったく頂けない。それではまさに、田中康夫知事を未だ支持する人たちが吹聴する“大政翼賛会復活”の虚構図式そのものではないか。
信濃毎日新聞が9月定例県会で全案が可決されたことを揶揄するような記事を出し、一方で、県政への意見で昔に戻ってほしくないとする意見が多く出されているらしく、一部の県議がそれらをおかしいと批判している。彼らの批判は主張としては間違ってはいないだろうが、一方で村井県政が県民やマスメディアにそのように見られても仕方がないことを続けていることもまた事実であり、マスメディアへの批判をする県議が村井県政に対して沈黙を続けているのもおかしなものだ。そして事あるごとに田中県政時代と比較して現状を慰めるような姿も一部の県議の日記等で見られるが、知事就任直後ならまだしも、就任して数ヶ月が過ぎる中でそろそろそうした誤魔化しも卒業していただきたいものだ。