信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

県庁のアーキテクト達よ、誇りを持て

2006-01-09 08:43:19 | Weblog
プロとアマの違いは何か。碁やゴルフでは、プロはそれを職業として金儲けをしている人、アマはそれを職業としていない人という使い分けをしている。野球では12球団だけをプロと呼んでおり、それ以外の職業選手はセミプロ等と呼ばれる。
それを職業にしている以上、技術は上達するに違いないが、アマのほうがプロよりも強いということもしばしば起こる。
そうしたことから、プロとアマ、玄人と素人、この2組は似て非なるものだということがよくわかる。

姉歯元設計士による建築偽造問題は大きな波紋を広げている。姉歯元設計士はプロであったことは間違いないが、玄人だったのか素人だったのか。少なくても誇りは無かったのだろう。
長野県は構造計算の再チェックを行うとしているが、長野県庁には対応可能な職員が1人しかいないことが明らかになっている。
長野県住宅部の技術者である川島聡氏。昨年の秋から、この問題でひっぱりだこになり、人事異動もあって連日超過勤務で休日も返上の日々を送っているらしい。
川島氏はまだ40代、係長級の職員で、柔和さを漂わせる温厚な人物。くれぐれも無理をしないようにしてもらいたい。
県の住宅部には他にも技術職がたくさんいるが、今回の偽造に関する構造計算に通じているのは彼ひとりだけ。建築は、農政・林務・土木の3公共に比べて存在感が薄く、あまりスポットが当たらない。分野による専門性もあるだろうとはいえ、玄人である他の技術職員はそうした現状を情けないとは思わないのか。

建築の玄人とくれば連想する言葉がある。
アーキテクト。(Architect)
20世紀を代表する建築家、フランク・ロイド・ライトは日本にもなじみが深い。1970年に発表されたサイモン&ガーファンクルの名盤「明日に架ける橋」のA面のトリに入っている曲「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」には、
 Architects may come and
Architects may go and
Never change your point of view.
という、フランク・ロイド・ライトの口癖とされる言葉が引用されている。

建築にしろ治水にしろ、専門性のあることはどうしても玄人の目で判断しなければならない部分がある。玄人が物事を進めると発想が限定されてしまいがちということで、素人的発想を重んじる風潮がある。それは構わないが、素人的発想だけで進めば落とし穴にはまってしまうため、玄人による最低限の誘導は必要になる。子育てと同じだ。社会において、子供は素人で大人は玄人であり、子供のことを考えて自由きままに子供を育てようとしても、社会性を養うためには大人による最低限の誘導は欠かせない。

田中康夫知事は、浅川の治水案の地元説明会で、浅川ダムが計画されていた時に携わっていた担当者が今ではダム無し案を担当しているという趣旨の発言をしていた。これは、当時河川課や浅川ダム建設事務所に勤務しており、現在は経営戦略局にいる鎌田朝秀氏を指すものだろう。鎌田氏はまじめな人物である。
産経新聞では、田中康夫知事が去ってダムに理解のある知事になればその職員は再びダム建設を担当するのだろう、というような知事への皮肉を込めてその記事を掲載していた。

とはいえ、プロとして、いや玄人としての技術屋の誇りを捨ててしまえば、そこに何が残るのか。昨年末に出された出来損ないの浅川の治水案の概要を知るにつけそう感じざるを得ない。
数年前の長野県治水利水検討委員会では、名だたる学者が曲学阿世を演じていたことで話題になり、一方で県の土木部が議論への積極的な参加を封じられていたことが問題視された。技術職としての誇りを示した当時の光家土木部長、そして大口河川課長は知事に嫌われて飛ばされ、中には忸怩たる思いで見ていた人も多いのではないか。
田中康夫知事のようなトップのもとでは、非常に窮屈かもしれない。しかし、県庁の技術職員よ、「プロ」としてでなく「玄人」のアーキテクトとしての誇りを持て。県はあなた方を積算屋として雇っているのではないのだから。