数日前のこと、東京スター銀行が手数料を取らないことにメガバンクが反発し、提携打ち切りを打診したとするニュースが流れていた。
ATMでお金をおろす時、取引銀行以外でおろせば、お金をおろした客と取引銀行とからATM管理銀行へそれぞれ105円ずつが入ることになるが、東京スター銀行はお客からの105円徴収を廃止した。そうなれば当然、ATMで手数料が取られないほうへ客はなびき、逆に手数料を取る方としてはATMでの収入が減り支出が増えることになるために対策を求められる。
一般の市場感覚では、じゃあ東京スター銀行に合わせてATMの手数料をお客から取らないようにしようとする移行が起こりそうなものだが、メガバンクの場合は違い、勝手に手数料を取らないサービスを導入するとはけしからん、と言うばかりに東京スター銀行に圧力をかけたのだった。
集英社のビジネスジャンプという漫画雑誌に「頭取・野崎修平」という漫画が連載されている。単行本も今年の8月に最新の7巻が発売された。野崎修平シリーズは監査役編12巻、監査役編の続編に当たる銀行大合併編4巻、そして頭取編が最新7巻で、単行本にしてシリーズ23冊目になる。
漫画のストーリーは名門銀行の元エリート行員で一支店長だった野崎修平が監査役に抜擢され、若き監査役として銀行内の不正・悪事と戦うところから始まる。部下の不始末の責任を負わされて黙って出向した元エリートが銀行に戻り、奇しくもその元部下と対等の役員となる中で、総会屋という闇との戦いが監査役編の中心になる。やがて理想を求めて独裁者の頭取権力と戦い、ついには有志の力を募って頭取を失脚させるが、銀行自体が国営化されてしまうという所までが監査役編及び銀行大合併編である。そして2年後に野崎修平は頭取として国営化された銀行に戻ってきて、財政再建に向けて銀行内の改革に取り組み始める。
銀行を舞台としているだけあって、派閥争いや政治家や総会屋なども頻繁に出てくる。見所は、監査役編の前半にある専務失脚までの不祥事対応、最後から銀行大合併編の冒頭に出てくるデパートグループの再建問題と、銀行大合併編の後半に出てくる予知されたシステムトラブルへの対応など。頭取編になれば、監査役編時代の詰めの甘さが消えて一層ドラスティックになり、1巻冒頭から話がとぎれないまま現在まで至っている。
この漫画、とりわけ頭取編では金融庁幹部が悪役になっているが、そこまで深く読む必要もない。作家が優れているのだろう、若手行員の坂本、和田、石原、春日らをはじめ、京極とその息子、かつて行員でありながら総会屋となった沖田、そして野崎修平の敵となった総会屋の松崎や海藤、大物政治家の鷹山(森前首相がモデルか?)、野崎修平を敵視する旧型エリート行員の西條、したたかに生きる橘など、登場人物が生き生きと描かれていて、漫画としても優れている。
とりわけ現代において、この漫画から得られる教訓は少なくない。銀行大合併編で、システムトラブルが予見されたときの野崎修平らによる危機管理対応などは圧巻で、思惑や面子で動く周囲の登場人物がまったくの小物に見える。
野崎修平が監査役だった頃からの同志であった森島は、決して私利私欲のためでなく組織のため取引先のためと思いながら、金融庁の検査を忌避するために資料隠蔽を図ってそれが露見し、副頭取ながら懲戒免職に追い込まれた。
見栄やメンツや思惑だけで利点もサービス精神もないメガバンク志向や当局指導。強い信念を持ち、それらを否定してぶれることのない野崎修平とは対照的に、正義のありかを見失い、自信を失い、サービスの本質を見失っている銀行員達の姿は、けっして例外的なものでも、漫画の世界の中だけのものでもない。
作者がこの漫画を通じて訴えようとするところの真意は別にして、野崎修平という主人公は、胆力があり逃げずに自ら責任を負い、正々堂々としてぶれず、積極的に情報公開を行い、打つべき手は打つ戦略性を持ち、それでいて姑息なことをしない。毅然とした態度を常に保ち、口先だけの現場主義でなく実際に現場を飛び回り、そして成果も出し、とりわけ組織内の若手からの支持が強い。そして家に戻ればファミリーマンで家族の関係が非常に良好。
サラリーマンものの人気漫画では「島耕作」「山口六平太」「釣りバカ日誌」などがあるが、それらが最近マンネリズムに陥ってかつての面白みを失っている中、野崎修平シリーズがマンネリズムに陥らずに長続きしているのは、今の激動の社会をリアルタイムで表現していることのほかに、こうした野崎修平という人物像が現代のサラリーマンに受けているのではないだろうか。またこの漫画では、姑息な生き方をする者が因果応報で哀れな結末を迎えることが多いのも特徴の一つだ。
野崎修平が監査役として仕えた京極頭取は、頭取をトップとする独裁的中央集権体制を作り上げつつ、体力があった頃に対応できた筈の不良債権処理を行わずに見過ごしていた。言葉巧みで外面が良く、頭が良く狡猾で部下に責任をなすりつけて切り捨てるなど、いくつかの点で田中康夫知事を彷彿とさせるところがある。しかし長野県庁には、能吏の野崎真は出てきても、独裁者に臆せず物申す憂える侍の野崎修平は出てこなかった。
独裁者の京極頭取が強引に進めてきた銀行合併路線、それへの反発がシステムトラブルを契機に行内に強まり、そして最後には、役員、部長、支店長、若手など千人単位の行員が支店長会議で頭取への造反を意思表示して京極頭取は失脚する。
最後に野崎修平が頭取として就任する前日、主要な役員や退任する頭取へ挨拶に来た時に述べた言葉を引用する。
「自信を失った企業を建て直す時、深刻な顔をしても何一ついい事はありません」
「必要な事は・・・明るさであり自信です」
「そして現場の行員と一緒になって汗をかけるリーダーです」
ATMでお金をおろす時、取引銀行以外でおろせば、お金をおろした客と取引銀行とからATM管理銀行へそれぞれ105円ずつが入ることになるが、東京スター銀行はお客からの105円徴収を廃止した。そうなれば当然、ATMで手数料が取られないほうへ客はなびき、逆に手数料を取る方としてはATMでの収入が減り支出が増えることになるために対策を求められる。
一般の市場感覚では、じゃあ東京スター銀行に合わせてATMの手数料をお客から取らないようにしようとする移行が起こりそうなものだが、メガバンクの場合は違い、勝手に手数料を取らないサービスを導入するとはけしからん、と言うばかりに東京スター銀行に圧力をかけたのだった。
集英社のビジネスジャンプという漫画雑誌に「頭取・野崎修平」という漫画が連載されている。単行本も今年の8月に最新の7巻が発売された。野崎修平シリーズは監査役編12巻、監査役編の続編に当たる銀行大合併編4巻、そして頭取編が最新7巻で、単行本にしてシリーズ23冊目になる。
漫画のストーリーは名門銀行の元エリート行員で一支店長だった野崎修平が監査役に抜擢され、若き監査役として銀行内の不正・悪事と戦うところから始まる。部下の不始末の責任を負わされて黙って出向した元エリートが銀行に戻り、奇しくもその元部下と対等の役員となる中で、総会屋という闇との戦いが監査役編の中心になる。やがて理想を求めて独裁者の頭取権力と戦い、ついには有志の力を募って頭取を失脚させるが、銀行自体が国営化されてしまうという所までが監査役編及び銀行大合併編である。そして2年後に野崎修平は頭取として国営化された銀行に戻ってきて、財政再建に向けて銀行内の改革に取り組み始める。
銀行を舞台としているだけあって、派閥争いや政治家や総会屋なども頻繁に出てくる。見所は、監査役編の前半にある専務失脚までの不祥事対応、最後から銀行大合併編の冒頭に出てくるデパートグループの再建問題と、銀行大合併編の後半に出てくる予知されたシステムトラブルへの対応など。頭取編になれば、監査役編時代の詰めの甘さが消えて一層ドラスティックになり、1巻冒頭から話がとぎれないまま現在まで至っている。
この漫画、とりわけ頭取編では金融庁幹部が悪役になっているが、そこまで深く読む必要もない。作家が優れているのだろう、若手行員の坂本、和田、石原、春日らをはじめ、京極とその息子、かつて行員でありながら総会屋となった沖田、そして野崎修平の敵となった総会屋の松崎や海藤、大物政治家の鷹山(森前首相がモデルか?)、野崎修平を敵視する旧型エリート行員の西條、したたかに生きる橘など、登場人物が生き生きと描かれていて、漫画としても優れている。
とりわけ現代において、この漫画から得られる教訓は少なくない。銀行大合併編で、システムトラブルが予見されたときの野崎修平らによる危機管理対応などは圧巻で、思惑や面子で動く周囲の登場人物がまったくの小物に見える。
野崎修平が監査役だった頃からの同志であった森島は、決して私利私欲のためでなく組織のため取引先のためと思いながら、金融庁の検査を忌避するために資料隠蔽を図ってそれが露見し、副頭取ながら懲戒免職に追い込まれた。
見栄やメンツや思惑だけで利点もサービス精神もないメガバンク志向や当局指導。強い信念を持ち、それらを否定してぶれることのない野崎修平とは対照的に、正義のありかを見失い、自信を失い、サービスの本質を見失っている銀行員達の姿は、けっして例外的なものでも、漫画の世界の中だけのものでもない。
作者がこの漫画を通じて訴えようとするところの真意は別にして、野崎修平という主人公は、胆力があり逃げずに自ら責任を負い、正々堂々としてぶれず、積極的に情報公開を行い、打つべき手は打つ戦略性を持ち、それでいて姑息なことをしない。毅然とした態度を常に保ち、口先だけの現場主義でなく実際に現場を飛び回り、そして成果も出し、とりわけ組織内の若手からの支持が強い。そして家に戻ればファミリーマンで家族の関係が非常に良好。
サラリーマンものの人気漫画では「島耕作」「山口六平太」「釣りバカ日誌」などがあるが、それらが最近マンネリズムに陥ってかつての面白みを失っている中、野崎修平シリーズがマンネリズムに陥らずに長続きしているのは、今の激動の社会をリアルタイムで表現していることのほかに、こうした野崎修平という人物像が現代のサラリーマンに受けているのではないだろうか。またこの漫画では、姑息な生き方をする者が因果応報で哀れな結末を迎えることが多いのも特徴の一つだ。
野崎修平が監査役として仕えた京極頭取は、頭取をトップとする独裁的中央集権体制を作り上げつつ、体力があった頃に対応できた筈の不良債権処理を行わずに見過ごしていた。言葉巧みで外面が良く、頭が良く狡猾で部下に責任をなすりつけて切り捨てるなど、いくつかの点で田中康夫知事を彷彿とさせるところがある。しかし長野県庁には、能吏の野崎真は出てきても、独裁者に臆せず物申す憂える侍の野崎修平は出てこなかった。
独裁者の京極頭取が強引に進めてきた銀行合併路線、それへの反発がシステムトラブルを契機に行内に強まり、そして最後には、役員、部長、支店長、若手など千人単位の行員が支店長会議で頭取への造反を意思表示して京極頭取は失脚する。
最後に野崎修平が頭取として就任する前日、主要な役員や退任する頭取へ挨拶に来た時に述べた言葉を引用する。
「自信を失った企業を建て直す時、深刻な顔をしても何一ついい事はありません」
「必要な事は・・・明るさであり自信です」
「そして現場の行員と一緒になって汗をかけるリーダーです」