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政治・経済に関する雑記

なるべく独自の視点で、簡潔・公平に書きたいと思っています。

混合診療の問題点

2007-11-28 13:10:19 | 税制・補助金
先日、混合診療を解禁すべきだと当然のことのように書いたが、その後インターネット上の意見を見ていると、意外に解禁に反対の意見が多いので驚いた。賛否半々くらいだろうか。混合診療の何が問題なのか、改めて考えてみた。

論点は、保険適用外の医療を行うことの安全性と、貧富による医療格差の2つにほぼ集約されるようだ。

たしかに安全性の問題はあるが、これは「どっちもどっち」だろう。保険機構が認可したからといって安全が保証されるわけではない。日進月歩の医療において政府や保険機構が現場の医師より常に優れた判断を行えるとは思えない。仮に保険機構が時間をかけて認可した医療のほうが安全性が高いとしても、そのような医療しか受けたくない人はそうすればよいのであって、まだ認可されていない医療でも受けたいという人の望みまで断たなくてよいのではないか。

もう1つは格差の問題だ。こちらのほうが圧倒的に多く議論されている。

素直に考えれば、混合診療を解禁するほうが誰にとってもありがたい。解禁によって保険適用の診療が減るわけではないのだから、医療の選択肢は広がりこそすれ、狭まることはない。それなのになぜ反対が多いのか。

混合診療を解禁すると、国民皆保険制度の崩壊につながるとの意見がある。だが保険で受けられる医療の質と量は、基本的に、保険の掛け金と医療の値段によって決まるものだろう。どうして混合診療を関連付けようとするのか。

混合診療が解禁されると、薬などの保険適用の認可が遅れるのではないかとの懸念がある。だが現在でも高額な医療の中には、有効とわかっていても保険が適用されないものがある。ない袖は振れないからだ。結局、保険の適用範囲を広げるには、保険料を上げるか診療報酬を下げるしかない。軽い病気でむやみに医者にかからないとか、薬漬け医療などの無駄を省くなど、いろいろな工夫も考えられるが、いずれにしても混合診療とは関係ない。医薬品の量産効果がどうのといった細かい話もあるが、為にする議論になっていないか。

そこまで考えるならむしろ、保険外診療が増えれば医療機関の経験と収入が増え、保険で受けられる医療の質に好影響を及ぼす可能性も考慮すべきだろう。また保険外診療によって新しい医療や薬の効果が明らかになれば、そうした医療が保険で認可される時期がむしろ早まるかもしれない。

自分が病気になったとき、「ここから先は保険外なので20万円かかります」などと言われたくない、という人がいる。気持ちはわかるが、しかし混合診療が禁止されていれば20万円ではなく50万円必要になるだろう。家を売らないと医療が受けられなくなるなどと恐れる意見もあるが、現在なら家を2軒売らないとその医療は受けられないのである。

病気になっているときにお金と医療をはかりにかけるのは苦痛だという人がいる。これもわかるが、自由の代償というものだ。選択肢が増えることを恐れるのか。何も考えない国民を国家に管理する社会ではなく、個々人が自ら考えて行動する自由な社会を我々は目指していたのではなかったか。

おかしな医療がはびこらないかとの懸念もある。怪しい健康食品がたくさん売られている現状からしてもっともな心配ではある。だがそれを理由に混合診療を禁止するのでは角を矯めて牛を殺すようなものだ。情報の公開と個々人の意識向上、それに極端なケースへの罰則によって対応すべき問題だろう。

医療関係者には混合診療解禁に対する反対意見が多い。医師会は断固反対している。何でそこまで反対なのかよくわからないのだが、業界団体が熱心に反対するときは大概利害が絡んでいるものだ。良心的な医者はたくさんいるが、良心的な業界団体というのは見たことがない。

混合医療の解禁が診療報酬の改訂方向に影響することは考えられる。保険料と診療報酬が変わらなければ、混合診療で保険外の医療費が増えると日本全体の医療費も増えることになる。それなら保険の診療報酬を少し下げても大丈夫でしょう、という話が出る可能性はある。だが当然これは混合医療禁止の理由にはならない。

(ちなみに現在、日本の医療費は他の先進国より安い。それはよいことに思えるが、しかしそのために医療従事者が減ってしまうようであれば考え直さねばならないと私は思う。GDPに対する医療費の比率を一定に保とうという意見があるが、無理がある。国民がお金を(つまり自分達の労働力を)何にかけたいかは、時代とともに変わる。今後、医療に対する要求は対GDP比で見ても増えていくのではないか。それを無理に固定化して、たとえば「物が豊かに溢れているが必要な医療は不足している」ような社会を作っても、誰も嬉しくはないだろう。現在は医師の数が不足してきているという話も聞く。)

保険外診療は各医療機関が自己の責任で行う面があるから、外部からの医療機関の評価につながるだろう。仕事する側はどうしても評価されることを嫌う傾向があるが(その気持ちはよくわかる)、もちろんこれも解禁反対の正当な理由にはならない。

混合診療の解禁を求める理由ははっきりしている。そうした医療を一日も早く望んでいる人達がいるという現実である。自分もいつそういう立場になるかわからない。それに対して反対論は抽象的であるか感情的だ。理屈の立たないところに無理やり理屈をつけているように見えることもある。現実に病に苦しんでいる人々の希望を、第三者の思弁や感情、そして利権によって排除しはならない。

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混合医療を解禁せよ

2007-11-09 20:28:09 | 税制・補助金
昨日、東京地裁が混合医療を禁止することを認めない判決を下したが、よい方向だ。現在は、健康保険で診察を受けているとき、一部でも保険適用外の診察を混ぜると、すべての診察について保険が支払われないことになっている。単純に考えてただけでも作為的でおかしな制度である。なぜこのようなことになっているのか。

よく挙げられる第一の理由は、保険適用外の診察では認可されていない危険な医療が行われるかもしれないというものだ。だがそんなにお医者さんを信用できないのか。保険適用外の新薬でこそ助かる可能性がある人も多い現実を考えると、患者を無視した独善的な主張と言わざるを得ない。

第二の理由は、お金があるかどうかで受けられる医療が決まるようになるというものである。これもまたおかしな理由だ。保険外診療を受けても他の保険は貰えるようにしたほうが、お金がなくても多くの医療を受けられるようになると考えるのが自然ではないか。

医師会は混合医療に強く反対している。主に上の2つの理由を挙げているようだが、詭弁である。人の命にかかわる事柄について、業界団体が自分の利益を優先して策を弄しているとしたら、恐ろしいことである。

関連記事:混合診療の問題点

相続税(事業承継税制)

2007-10-19 20:45:33 | 税制・補助金
10月16日の朝刊に事業承継税制の拡充を目指す政府案が載っていた。中小企業後継者が非公開株を相続する際、その評価額を8割減額したいという。たいへん問題のある政策だ。中小企業で働く人を保護し、技術を継承するという名目のもとに、富裕層を援助する政策である。

自民党は昔から相続税の低減に積極的だから仕方ない感もあるが、野党の民主党まで同様の案を考えているというのだから困ったことだ。現在でもすでに事業用地の相続課税価格は8割(つまりその相続税は8~10割)減額されているのにである。

このように従業員を保護するために企業を保護するという論法はしばしば見られるが、基本的におかしな話だ。それでは支援した金額のおそらく過半が従業員ではなく企業や株主に流れてしまうだろう。働く人の保護は、失業保険など個人を直接支援する方法で行われるべきだし、また根本的には、転職してもハンディを負わない世の中になることで企業の浮沈が従業員に過度に影響しないような社会を構築していくのが理想だと思う。

そもそも会社を存続させるためにオーナー一族が株を持ち続ける必要はない。継承されるべき重要な技術や、皆に喜ばれる商品を持っている会社であれば、株を買い受ける人が必ず現れるから、遺族は一部の株を売って相続税を払うことができるだろう。コーポレートガバナンスの上からも、同族会社を続けるよりそのほうがよいかもしれない。また、本当に雇用を守りたいのであれば、長年の従業員に安く株を分けるのもよい方法だ。そのような場合に株分与にかかる所得税や贈与税を減額するというならよい政策である。雇用状況の激変を緩和するため、相続税の支払いに数年程度の猶予を持たせることも考えられる。そうした工夫をせずに、オーナーの相続税を8~10割も軽減してしまうのは乱暴で筋違いな話だ。

保護すべきは個人であって企業ではない。企業の保護は、貧富の格差を拡げるとともに、産業構造を固定化して社会全体を貧しくするだろう。企業のオーナーは基本的に裕福なのだから、公共の支援を受けてはならない。極論すれば、そのようなことをすると本来支援されるべき人の分を取ってしまうことになる。企業やそのオーナーには、国に頼らずに生きていく覚悟とプライドが求められているのではないだろうか。

関連記事:低すぎる相続税
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農産物の関税と農家への直接補助(所得補償)

2007-08-20 20:59:55 | 税制・補助金
農家への直接補助について先日、大規模農家だけを補助するより全農家を補助するべきではないかと書いたが、それなら関税によって保護するほうが簡単ではないかと思えてくる。実際これまで日本の農業保護は主に関税によっていたのだが、WTO(世界貿易機関)が直接補助への切り替えを推進しているので、日本もそれに従わざるを得ないということのようである。なぜ関税がいけないのか。

WTOは、貿易を歪めない「よい補助金」(グリーンボックス=緑の政策 等)と、貿易歪曲的な「悪い補助金」(イエローボックス=黄の政策 等)、およびやはり貿易歪曲的な「関税」を区別している。どのような補助金がグリーンボックスなのかというと「農産物の生産量と価格に影響しないような補助」ということらしい。

私が理解した限りで簡単に書くと、関税は農産物の価格を高めて消費を減らし、輸入を減らすから貿易歪曲的である、ということになる。農家への直接補助は農産物の価格にそれほど影響しないが、作れば作っただけ補助金が増えるような補助金や、政府が一定価格で米を買い上げるような価格支持政策は、農家の生産拡大意欲を刺激して生産量を増やすという「弊害」があるので悪い補助金であり、農地の面積や過去の生産量に比例して固定的な額を払う補助金なら生産量を増やす圧力が少ないのでよい補助金である、ということである。

これは考え方は正しいのだろうか。この点について論じたものは、少なくとも一般国民の目に触れるようなマスメディアではあまり見かけない。現在日本の農業政策の方向を決める上で土台になっている考え方なのだから、もっと議論されてもよさそうなものだと思うのだが。

素人ながら考えてみると疑問は多い。まず「生産量に影響を与えない直接補助」というのは可能なのか。生産量に比例しない補助金であっても、多少は生産量の増大圧力になるはずだ。実際WTOも「ない」とは言い切れないようで「影響がないかごくわずか」という表現にしているが、結局そのようにあいまいなので、どのようなものが「影響がわずか」な「よい補助金」なのか、欧米間でも論争が絶えない。

補助の方法によって生産量への影響力が違うとしても、そもそも生産量をなるべく増やさないような補助金が本当に望ましいのか。そのような補助金は、農家が生産性を上げて収穫を増やそうとする意欲をそぎ、農業から夢や活力を奪うのではないか。十年一日のごとく同じ量を生産し続けるのをよしとするのは、まるで「生かさず殺さず」政策のように見える。

また関税や価格支持政策では小規模農家も含めて全農家を支援してしまうことになるが、農家への直接補助なら支援を大規模農家に限ることができる、という点を直接補助の利点に数えることもあるようだ。しかし先日も書いたが、このような選択的・恣意的な補助がよい制度だとは私には思えない。

さらに、日本のような農業コストの高い国で農産物の価格を高くすることが悪いことなのかどうか。WTOは値段を安くして農産物をどんどん輸入し、どんどん消費しろと言っているように思えるが、それでよいのか。そうなれば日本では今でさえ無駄にしがちな食料をもっと無駄にするようになるだろうし、世界の農産物価格には上昇圧力が働くだろう。豊かな日本国民が農産物を不自然な低価格で大量消費し、そのあおりで発展途上国の食糧事情が悪化する、といったセンセーショナルな文句も浮かんでこようというものである。ちなみに消費者としては安いほうがいいと思いがちだが、その分税金の投入が必要になるため、負担する者が消費者から納税者に変わるだけで、都市住民の観点からは結局どちらも同じようなものである。

農産物の価格が上がると輸入が減る、というのもまた場合によっては疑問である。小麦のように大半を輸入に頼っている農産物の価格が上がると、その消費が米など別の農産物に流れて、たしかに輸入が減る可能性があるが、米のように大半を自給している農産物の価格が上がった場合は、これと逆の現象が起きて、むしろ農産物全体の輸入量は増えるだろう。だとしたら自給率の高い農産物は関税でもよいということにはならないか(少なくとも輸出国の都合では)。

直接補助は幾多の農家の生産基盤や生産量を把握する必要があるので大変そうだが(そして政治による裁量の入り込む余地も大きそうだが)、それに比べると関税は海外との水際だけおさえればよいので、わかりやすく平等で単純だ。農業の活力を殺ぎかねない複雑で硬直的な直接補助より、関税による農業保護を柱にすると同時に国内は原則自由競争にする、という簡素なやり方を指向したほうが農業の将来にとってよいのではないかと思えるのだが、どうだろうか。

(なおWTOでは棚田のような文化を保護するための補助金もグリーンボックスとしており、これはこれで別途考えねばならない問題だが、生産量から考えてもこれが農業問題の中心ではないから、ここでは考えていない。)

WTOでは「農業のコストが高い国で多くの農産物を生産するのは無駄だから、高コスト国での農業生産はできるだけ縮小し、低コスト国に集中していくのが望ましい」と考えているのだと思われるが、それなら全世界で自由競争にすればよいだけの話である。食料安全保障などの見地から食料は自国で生産したいという要望が各国で強いことを前提にしたとき、果たして本当に直接補助が最善の方法なのだろうか。

不勉強なまま書いてしまったが、ちょうど「農政転換と価格・所得政策」という書籍を見つけたので読んでみようと思う。

関連項目 農業補助金
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農業補助金

2007-07-31 21:10:40 | 税制・補助金
先日の参院選では農業補助金が1つの焦点だったようだ。民主党の主張する「全農家への補助金」はバラマキの感もあって評判がよくないが、しかし自民党や多くの専門家が主張する「大規模農家だけに補助金を払う」というのも素朴に考えて違和感がある。弱い小規模農家を補助して強い大規模農家は補助しないというならまだわかるが(それもよいことではないかもしれないが)、逆に強いほうをさらに援助しようというのだから意外なことだ。

もっともこれは世界的にも珍しい考えではないようで、農地を集約させて農業生産性を向上させることを目指したものである。ついでに当面の補助金の対象を減らして財源を節約できる点もメリットなのかもしれない。それらも無意味ではないだろうが、しかし恣意的に大規模農家を優遇することまで行うべきなのか。工業やサービス業でも一般に大企業のほうが中小企業より生産性が高いが、だからといって大企業だけに補助を与え、中小企業を大企業に吸収させよう、などという政策は聞いたことがない。

そもそも自由競争の下では、大規模なほうが生産性が高いのであれば、自然に大規模な生産主体が増える力が働く。一方、小規模でいいから自分でできる範囲で生産したいとか、小さいほうがリスクに対して安心だとか、小さな畑しかない山間部で暮らしたいとか、生産者のさまざまな気持ちも重要なのだから、必ずしも生産性が高ければよいというものでもない。政策的に大規模農家を増やそうとするのは、そのような各農家の事情を捨象することになり、結局、国民全体の福利にとってマイナスにならないだろうか。

農業の問題はむしろ、多くの規制や税制で自由な取引が制限されていることにあるのではないか。たとえば今の税制では農地を貸すと税金が上がってしまうために貸したくても貸せないとか、なぜか農業は会社組織による運営が原則禁止されているなどの問題がある。米の減反と価格統制は何十年も続いている。そのような歪みを徐々にでも取り除いていけば、政策で不自然な優遇をしなくとも、大規模農家と小規模農家が適正なバランスで共存するようになるはずだ。

日本国内の農業は複雑な規制や税制のために歪められているが、その歪みを正そうとして、また別の歪みを持ち込もうとしているのが現在検討されている大規模農家優遇措置ではないだろうか。

英会話学習への国庫補助

2007-06-18 21:19:53 | 税制・補助金
先日、大手の英会話学校の強引な運営方法が問題になって業務停止命令が出されたが、この英会話学校には厚生省の教育訓練給付金が累計で160億円も支払われていたとのことである。

以前から思うのだが、なぜ英語の学習を税金で補助する必要があるのだろうか。それは国のやるべきことなのか。そんなお金があるのなら、介護や医療など、ほかにもっと必要としているところがたくさんあるだろう。そうでなければ減税すればよい。

これは英会話に限ったことではない。私の関係する分野でも「起業した人に家賃を補助する」とか「優秀なソフトウェアを作った人に数百万円を支払う」などといった補助政策がある。貰う側としてはありがたいものだが、しかし本来税金を使ってやるべきこととは思われない。こうした政策は本来税金を必要としているところに回るお金を消費してしまうだけでなく、補助を受けた個人や会社の産業競争力を殺ぐものであるとさえ私は感じることがある。

補助を受けるには通常、申請書を書いたりプレゼンテーションをしたりして審査を受けることになるが、これには結構時間がかかる。このとき重要なことは、審査に通るプレゼンテーションをすることであって、必ずしも売れる商品やお客が喜ぶサービスを発案することではない。つまりお客が何を望むかよりも、国や自治体の審査員に顔を向けて仕事することになってしまうのだ。そもそも国や自治体の審査員に何が「優れた」商品であるかを決めることなどできるはずはない(それができるなら民間企業より優秀な独立採算公営企業が続出するだろう)。

「国や自治体のお金を簡単に貰える方法を教えます」などという広告を見たことがある人もいると思う。おかしなことではある。だが利益を追求する民間会社にとってはこうしたビジネスも自然なものであるから、悪いのは必ずしも彼らではない。そのような仕組みを作っている公的部門が一番問題なのである。

公的部門が税金を投入してお得な仕事や補助金を提供すれば、それを欲しがる民間会社が群がってくるのは自然なことだ。それはその施策が優れているからではない。税金を投入しているのだからそれくらいは当然である。それによって税金が消費され、またその施策の考案や実施のために公的部門の人件費がかかることを考えに入れてもなおプラスになるような施策は、果たしてどれほどあるだろうか。

税金を使って産業競争力を殺ぐ二重に愚かな政策を繰り返さないでほしいと私は思っている。

給与所得者控除の損金不算入

2007-01-17 22:45:03 | 税制・補助金
昨年法律が改正され、特殊支配同族会社については(2006年4月1日以降に開始される事業年度から)業務主宰役員の給与所得控除が損金不算入になった。適用された場合は通常年間50~100万円ほどの増税になるので大きな影響がある。例外規定があるので該当しない場合が多いとはいえ、この法律の考え方はきわめて不適切だと思う。

この法律ができた理由は、節税を目的として個人事業主が「法人成り」する場合があるので、そのような節税をできなくしようというものである。法人成りした個人事業主は、仕事に関係する書籍代、電話代、自動車関連費用などを法人の経費として損金算入できると同時に、自らの給与からも(通常200万円前後)を給与所得控除として控除できていた。

たしかにこれは普通のサラリーマンに比べると少し「得」だ。法人成りした自営業者は、仕事関連の本・雑誌の代金やパソコン購入費、携帯電話代などを経費で落とすことができる。仕事で使う自家用車の維持費は経費で落とせるし、仕事半分・遊び半分のような飲み代も、しようと思えば交際費にできる。サラリーマンでも一部の書籍代などは会社に請求できるかもしれないが、多くの人が法人成りした自営業者ほどの経費を使えないのは明らかだ。

ただ、こういった経費は、多くの場合せいぜい年間20~30万円程度だろう。給与所得控除の根拠には背広・ネクタイ・革靴などの購入費や散髪料も含まれているようだから、自営業者はこういったものも経費にしてよいのだろうが、それを入れても多くの人はたいした金額にならないだろう。

これに対してサラリーマンの給与所得控除は年収600万円の場合で174万円になる。多くの自営業者は、毎晩のように交際費で飲んだり、毎年高級車を買い換えたりでもしない限り、これほどの経費を出すことはできない。

自営業者は税金で得しているイメージがあるが、実はサラリーマンより税金が重い。年収600万円のサラリーマンは174万円の給与所得控除が受けられるが、自営業者(個人事業主)は経費が30万円なら30万円しか控除できない。これによる税金の差は、扶養家族等によっても異なるだろうが20~30万円ほどになるだろう。所得が多いもの同士を比べるとこの差はもっと大きくなり、年収1500万同士なら60万円ほどだろう。

これに対して、法人成りした自営業者は、たしかに一番得をしていた。上の年収600万円の例では給与所得控除174万円に30万円の経費が加わるので、法人と個人を合わせて204万円を控除できることになる。サラリーマンより少し(税額にしておそらく6万円ほど)得である。

つまり、従来は個人事業主よりサラリーマンがかなり得で、そのサラリーマンより法人成りした自営業者(特殊支配同族会社は通常これに相当する)がさらに少しだけ得であった。

ところが今回の法律改正を適用された会社は税金上個人事業主と同じ扱いになるので、勤労者の大多数を占めるサラリーマンより少しだけ有利であったものが、大きく不利になることになる。したがって、今回の法律改正は税負担の公平性を高めるものではなく、むしろ不公平を増大させるものであると言える。

ちなみに、法人成りしていない個人事業主は、今回の法律改正と関係なく、以前から不公平に重税を課されている。なぜこういうことがまかり通っているのか不思議だが、従来は法人成りという手段があったから、税金に聡い人はそちらに逃げて不満が表面化しなかったのかもしれない(実は私もその1人)。しかし、いずれにせよ課税がこのように不平等であってよいはずはない。

「クロヨン」「トーゴーサン」という言葉がある。農家や自営業者の所得はサラリーマンに比べて捕捉率が低いという意味だ。今回の法律改正でも、だから法人成りした自営業者には重い税金を課さないと不公平だという感覚も散見される。だがこれは違法行為を前提としたとんでもない考え方だと思う。私の見るところ、多くの自営業者は真面目に所得を申告している。真面目に申告すると人並み以上の重税を課されるようでは正直者がバカを見る。意地悪く言えば、自営業者に所得隠しなどの脱税行為を推奨もしくは強制しているようなものだ。そうしないと人並みの税金にならないのだから。

たしかにいい加減な申告をしている自営業者もまた多い。これは大きな問題だが、それを上のような税制で相殺しようというのでは社会のモラルを低下させるだけだ。所得の把握向上については、納税者番号制度の導入や直間比率の是正など、別の方角から対応すべきだろう。

結局どうなればよいのか。私は給与所得控除を縮小して、たとえば30万円程度にすべきだと思う。そうすればこの面におけるサラリーマン、自営業者、法人成りの間で課税がより公平になるからだ。もちろん給与所得控除を縮小しただけでは増税になってしまうが、その分は万人に適用される基礎控除を拡大して相殺すればよい。

給与所得控除の縮小は以前から各方面で提言されていることだが、いまだに実現していない。今回の法律改正は、もしかすると不公平感を煽って給与所得控除の縮小につなげようとする当局の深謀遠慮なのかもしれないと思ったほどだ。いずれにせよ近いうちに再改正されることを願っている。