この本は
しばしば本屋で立ち読みしていた重要著作であります。
やはり
司馬遼太郎氏の尋常ならざる慧眼が発揮されている傑作である。
武田信玄や上杉謙信の欠点を家康は次のように指摘する。
「信玄がその一族であり家臣である海野頼平や望月幸義をほろぼし、また謙信が長尾義景を討った。これらのことはみな疑心より生じたことで、生かしておけばかならず股肱になるべきだのに、まずいことをしたものである」
家康は
「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり、勇功を顕はしたり」
という茫洋たる大器であったのだ。
そして
やはり三河の気風は質実であり
尾張のきらびやかで派手な感じとは異質である。
結局は
軽佻浮薄で才気ばしった人々は
その鋭角さがあだとなるのであり
はっきりとしない茫漠たる器こそが
安堵と感心の基となるのだ。
才気と華美の人々には
先に行ってもらい
後から
実務と実際を所管するというのが
本会の経営戦略である。
家康公こそが
ベンチマーキングターゲットとして最適であることを
再確認した著作であった。
おわり
高橋記(ベンチマーキングターゲット:司馬懿仲達)
しばしば本屋で立ち読みしていた重要著作であります。
やはり
司馬遼太郎氏の尋常ならざる慧眼が発揮されている傑作である。
武田信玄や上杉謙信の欠点を家康は次のように指摘する。
「信玄がその一族であり家臣である海野頼平や望月幸義をほろぼし、また謙信が長尾義景を討った。これらのことはみな疑心より生じたことで、生かしておけばかならず股肱になるべきだのに、まずいことをしたものである」
家康は
「われ、素知らぬ体をし、能く使ひしかば、みな股肱となり、勇功を顕はしたり」
という茫洋たる大器であったのだ。
そして
やはり三河の気風は質実であり
尾張のきらびやかで派手な感じとは異質である。
結局は
軽佻浮薄で才気ばしった人々は
その鋭角さがあだとなるのであり
はっきりとしない茫漠たる器こそが
安堵と感心の基となるのだ。
才気と華美の人々には
先に行ってもらい
後から
実務と実際を所管するというのが
本会の経営戦略である。
家康公こそが
ベンチマーキングターゲットとして最適であることを
再確認した著作であった。
おわり
高橋記(ベンチマーキングターゲット:司馬懿仲達)