NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

歴史の総括について。

2018-06-30 | コラム
大東亜戦争
明治維新
フランス革命やロシア革命
近代社会

そして
サッカーの
ドーハの悲劇と先日の日本とポーランド戦などの

歴史の総括が
十全に為されていません。


よって
その総括を今
改めて為すべきです。


まず
ドーハの悲劇は
単にその時の日本チームが
その実力で負けた試合であり
悲劇ではないです。

よって
武田さんには
何の非もないです。

そこで
非難するメディアやファンが
悪いだけです。

城さんに水を掛けた人は
犯罪者ですので
現行犯逮捕すべきでした。


つまり
アスリート自身が
堂々とし
スポーツの本義を述べるべきです。


アスリートは
国民と国家の威信を背負う必要など
ないです。


スポーツにおいて
偏狭なナショナリズムの
入る余地はないです。


スポーツは
神の前に捧げる舞踊と同じ
ハレの日のエンターテイメントであり
民の楽しみです。


お客
国民
顧客の一人である私は

先日のサッカーワールドカップ
日本・ポーランド戦が

ひとつもおもしなかった
です。


それは
個人のスポーツ観、感想、嗜好であり
批判ではないです。


何れにしましても
ドーハの闘いは
悲劇でも何でもなく

今の日本チームを
作り上げた原動力です。


ペテロ氏も
キリスト様を否む弱さを持ちました。


西野監督と
日本チームは

必ずや
日本国民に
感動と希望を与えて下さると
信じます。


アーメン


高橋記(これは私の言葉です)


2018年上半期 -回顧と展望- 社会的な三大事件

2018-06-29 | コラム
私的分析によれば
上半期の三大事件は

米朝首脳会談
FIFAワールドカップの日本の活躍とポーランド戦
富山市の交番襲撃事件

であります。


この3つの大事件や
その分析
感想により

現代日本の本質
論者の思索の次元
各人の人生観などの

真実
本物力
眼力などが
露わになりました。


私は
現代日本の病根と堕落、絶望を
自分の身近な地域で
交番襲撃事件として
見せつけられ

社会貢献事業を目指していた
自らの志と事業の無力感に
苛まれ

未だ
やらんなん業務に
身が入りません。


サッカーワールドカップの日本チームには
前評判をひっくり返し
頑張る姿に
勇気と感動を得ました。


トランプ大統領と金委員長の会談も
史上初の快挙であることは
事実です。


何れも
第三者の評価は
あてにならないことがはっきりしました。


そして
サッカーワールドカップの日本対ポーランド戦は
世界の人々に

人生観やスポーツ観の
再考を促すことになりました。


優勝劣敗を露にするための
社会ダーウィニズム的な
スポーツ観は
破綻すべきものであり

スポーツを
世界平和の重要ツールに捉えるべきです。


何れにしましても
サッカーワールドカップの
日本チームにおかれましては

ベルギー戦において
いんちきなイメージを
ひっくり返し
正々堂々と競技してほしいです。


そして
日本国民は
選手の皆さんを
誉め称え
感謝の意を伝える必要があります。


おわり


高橋記





私がスポーツを愛する理由。

2018-06-29 | コラム
私は
アルペンスキー大回転の
市民大会に一度だけ
参加したことがあります(粟巣野スキー場)。

結果は
びりでした。


しかし
私は正々堂々とし
たいへん満足でした。


今回のサッカーワールドカップの
ポーランドとの日本の戦い方は
私のポリシーに合いません。


私がスポーツに期待するのは
戦略とか勝利至上主義ではなく

純粋に
手抜きをせず
頑張る姿を
天下に示す

ある種
道徳的なものです。


学者やインテリの欺瞞や
いんちきや
戦略などを
スポーツに求めていないです。


私が
中田英寿氏をリスペクトするのは
手抜きをせず
全力で頑張る人だからです。


スポーツは
戦争ではなく
遊びです。

よって
全力で遊んで頂ければ
充分です。


スポーツは
世界平和の鍵になり得ます。


そうなるためには
戦略とかいんちきな勝利至上主義は
要りません。


金メダルでも
予選敗退でも
良いです。


コロンビアのハンドをした選手を
守らねば
スポーツの存在理由はないです。


今回の日本ナショナルチームの
ポーランド戦は
スポーツの本質を
原点から再考する契機となります。


生涯スポーツの広い概念のなかに
競技スポーツが含まれており
勝敗に拘るメディアや
国民のあり様は

やはり
おかしいです。


私は
そのような偏ったスポーツ観を変えるために
日本体育協会の
スポーツプログラマーを取りました。

日体協は
なぜか
単なるスポーツ協会へ
名称変更されましたが
それは
失敗であります。


ヒクソン氏が
船木氏をリスペクトするのは
ギブアップしなかった
その精神性にあります。


日本国民と世界の人々が
日本のサッカーに期待するのは

正々堂々と
手抜きをしない戦い方であり

結果はどうでも良いです。


先ず
神の国とその義を求めよ
とは
真面目で
誠実な生き方を
最優先せねばならぬ事を意味します。



日本国民やメディアは
スポーツ選手が全力で頑張ったことを誉め称え
メダルの色や結果については
不問にせねばなりません。


やはり
スポーツにも
人間性や国民性が表れ
人生観の全てが
露わになることが
分かりました。


おわり


高橋記(日本体育協会公認スポーツプログラマー、富山県生涯スポーツ指導員)








スポーツにおける勝利至上主義の誤り。

2018-06-29 | コラム
ぼくは
サッカーは
全く素人です。

しかし
今回の
ポーランドと日本の試合の
戦略という名の時間潰しは

ぼくが
一番嫌いなパフォーマンスでした。


スポーツの勝敗は
どちらでも良いです。


ぼくが好きなのは
負けても全力で闘う
極真魂です。


人を感動させる事が出来るのは
純粋さであり

いんちきくさい戦略など
スポーツに期待していません。


西野監督は
国民に感動と希望を与えたいと申されましたが

ポーランド戦に関しては
失敗だと思います。


そして
あざとい感じの戦い方を
世界は
日本に期待していないです。


世界が
日本に期待するのは

ごみ拾いをする
真面目で
誠実な

欧米のキリスト教徒が
大切だと思いながら出来なかった

善行を為す
日本国民であり
ナショナルチームです。



もう一度
スポーツの本義について
考えて頂きたく存じます。


おわり


高橋

2018年上半期 -回顧と展望-

2018-06-28 | コラム
先般の富山市における
交番襲撃事件は
たいへんなショックでありました。

ある意味
真面目でおとなしい人々が
生きやすい世の中を
創りたいと頑張っているつもりでしたが

それが
全く無力で
善人が苦しみの後に葬られてしまいました。


私は
何となく
最近の若者の生真面目さや
繊細さが心配でした。

羽生氏や大谷氏のように
何らかの特別な才覚がある若者は
良いですが

普通の若者は
生きずらい社会だと思います。


先進国で
若者の死亡要因で
自殺が一番多いのが
日本です。


アピタ東店も
奥田商店街も
よく行く場所でしたので
恐ろしい感じがすごいです。


やはり
人心の荒廃を止めるには
トイレ清掃や
宗教的な修行のような
鍛練が必要な気がします。

また
社会不適合な人々(私も)や
気性が激しいタイプが

自ら生きる場を創るか
何らかのメンターに繋ぐ方法を
編み出さねばなりません。


地域包括支援センター等において
児童、高齢者、ハンデ者だけでなく
どもこもならん人々に
清掃業等を紹介するシステムを創りたいです。


もし
今般の交番襲撃事件の容疑者を
ケンタッキーでなく
本会の清掃事業に紹介して頂ければ
私は
彼を聖人君子に出来たのではないかと
思います。

昔は
治外法権的な
アジール、余白、自由空間としての
市場、河原、仕事、職業が存在していました。

NPO的なるものは
新たなアジールとなるべきです。


私は
静かなる熱い思いで
下半期を迎え

サッカーワールドカップの日本の如く

悲観的な人生観を
ひっくり返す決意を

新たに致しました。





高橋記



滑川行田公園



富山市の事件について。

2018-06-27 | コラム
昨日
富山市にて発生した
交番襲撃事件は
たいへんな衝撃でありました。

先ずは
殉職された警察官と
警備員の方の
慰霊の祈りを捧げます。


当該箇所は
私が
富山市に行くとき
よく通る道にある交番でありました。


テレビで
いろんな事件を見聞しても
富山県人は真面目なので
ひどい事件は起こらないだろうと
思っていました。


しかし
一部の若い人の心が
壊れていることを
思い知らされました。


よって
私は
墓まで持っていくつもりだった事を
告白します。


私は
京都の仏教大学生の時に(20歳頃)
児童相談所の夜勤バイトをしておりました。

鍵の開閉や電話番です。


その際
10代の不良少年から
電話が来て
仲好くなってしまいました(言うまでもなくあってはならぬ事です)。


その後
争いとなり
河原町付近の川辺で刺されてしまいました(果物ナイフ)。

私は
奇跡的に助かりました。

その時マリア様の紐ロザリオを
首に掛けていました。

その事件は
京都新聞等に載ってしまいました。


そして
その事件は
私の人生観を決定しました。


すなわち
道を外れた迷える子羊
社会的弱者
社会正義のために
頑張らんなんということです。


あるいは
愛と正義のために
命を掛けたという自信のような
ものが出来ました。


その時
警察の方や
病院の方にお世話になり
児相の方には
たいへんなご迷惑を掛けてしまいました。


社会正義の実現に至る道は
回り道をし
時間を掛けていかねばならぬことは
もちろんです。

しかし
この世には
真実の愛や正義が存在する
ことを識る

非日常な出来事も
大切なことかも知れません。


塩狩峠のような
犠牲的な行動は
稀に
この世で顕在します。


私は
若気の至りで
不良少年の改心に命を掛けたという自負と
なぜか奇跡的に助かったエビデンスがあります。


その上で
この世は
生きるに値し

地味な活動、仕事こそが
深く静かな喜びの源泉であることを

苦悩する日本国民に
お伝え致したく存じます。


サッカーワールドカップの
日本の活躍を
心より祈念致します。





高橋記