第二次大戦、太平洋戦争、大東亜戦争等
様々な呼称があれど
要するに
しなくても良い戦争をして
惨敗し
アメリカの属国となった日本であります。
小国は
軍事国家
いきり国家のポジションを取ると
その時点で破滅するものです。
大東亜戦争は
日本が欧米列強の覇道侵略に抗い
アジアを解放せんとした聖戦であった
という論理は
現代のカルト原理主義テロ団体の思想と行動と
何ら変わらない屁理屈であり
負け惜しみであります。
昔から
林房雄のしょぼくれ理論と軌を一にする
日本文化論が存在し
和辻哲郎の気候論
丸山眞男の近代崇拝論
三島由紀夫の文化防衛論といったものは
戦争で負けて
アイデンティティを喪失した日本を
こじつけのにわか理論で再建しようとした
哀しい試みです。
しかし
そのような大げさな理論など
総括に必要ありません。
昔ながらの
キリスト教倫理、仏教倫理、孔子と老子の格言と歴史のパターンを考えれば
事足りるのです。
倫理の歴史相対主義は
誤謬ですので
歴史を超えた倫理は
汎用性があります。
よって
暴力と戦争は悪であり
社会正義の実現には
不要かつ有害です。
アジアを欧米列強の悪行から救いたいなら
欧米人と対話し
善の模範を示し
キリストに倣いての道を説くべきでした。
すなわち
アジアの解放と連帯は
純粋に文化的交流によって成し遂げるべきものであり
いきなり満州国を創ることでは
ありません。
つまり
第二次大戦において
アメリカや中国と戦をする大義名分は
何もなかったということです。
近代の国民国家は
領土の拡張を図り
総力戦を繰り返してきましたが
何の意味もありませんでした。
正直
民にとって
雲上の豊臣秀吉や徳川家康の
どちらが天下人になったとて
大した違いはなく
個人の頑張りが
人生の本質であったはずです。
日本は
アメリカになりましたが
結局は
個の力であります。
ウクライナは
ソ連時代はソ連でした。
最低
宗教活動の自由が担保されれば
ウクライナは
ロシア帝国でもキエフ公国でも
何でも良いのではありますまいか。
私が
ウクライナのトップなら
家康がそうであったように
プーチン氏の軍門に降り
臣下の礼をとって
戦争を終わらせます。
それが
耐え難きを耐えられた
昭和天皇の
平和の道であります。
終
高橋記