神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.79 津軽と渡島

2024-02-13 18:31:30 | 余録

     葉かげの朴

 北海道や東北だけでなく、全国的に地名でも姓名でもアイヌ語で読み解けるものがあります。  
 たとえば、東京の西の方に福生〔フッサ〕市があります。この名前の由来として「福が生まれるからフッサ」とついたいう説明もありますが、じつはアイヌ語です。
 アイヌは、祭りの時に、我々が「ワッショイ、ワッショイ」というところを「フッサ、フッサ」というそうで、それを記録映画を見たことがあります。
 ほかのフッサの例を知りませんが、フサやウサの例はあります。

 それから、昨日の「向こうとこっち」というような対比で使われた例としては「津軽と渡島」があります。
 津軽はツカリ:tukari〔=の手前、の此方}です。
 渡島はオシマ:osmak〔=うしろ、背後〕です。わたしの「読み込み」では「渡った先の向こう」です。だから、漢字を充てる時に「渡った先の島」これを「渡島」とかいて「おしま」と読ませたのだろう・・・と。そして、これは本州側の人がつけた呼称だろう・・・と。
 なお、津軽海峡は海ですが、これが「流れの速い海」として現れるか、「ほんの川程度の海」として頻繁に往復するようになるかは、本州の方の政治事情と、北海道アイヌと樺太アイヌの関係や、大陸との交易関係などで大きく変わったという研究を読みました。東北研究もずいぶん進んでいます。
 *『東北史講義 古代・中世篇』ちくま新書

 脱線しますが、「大島」という地名があります。
 ふつう「大島」というと「伊豆大島」や「奄美大島」などの海にある「島」を思い浮かべますが、そうでない「大島」という地名をよく見かけます。
  私が知っている例では、群馬県の富岡市の西に大島があります。
 この富岡市は富岡製糸場(中央の川べり付近)で知られたところです。

 下の地図の左下を見てください。「大島」があります。川に挟まれていますから半島のようにもみえますが、島ではありません。
 私は、これも上のosmakと見ました。
 では、どこから見た呼称でしょうか。左上に「上州一ノ宮」があります。ここはいわば聖地です。ですから、「この付近から見ての対岸」ということでどうでしょうか。

 それから、市街の北に「別保(ペッポ)」があります。これをアイヌ語で解すると、ペッ〔pet〕=川、ポ〔po〕=小さいです。つまり、「ペッポ」は「小川」となります。これはそれほどムリはありませんね。


 最後に、もう一つ書いておきます。
 上に述べたように、ここは富岡市です。富岡という地名は全国にけっこうあります。東日本大震災で被害を受けたところにもありました。
 私の疑問は、「富岡」とはどういう意味か、なぜ付けられたのかです。

 それから、市街地の東部に「曽木(ソギ)」があります。曽木はこれをアイヌ語地名で解すると「sotki」となり、その意味は「ねどこ;神々の住む所;山中でクマなど多くいる地帯;沖ではカジキマグロなど多くいる地帯」です。
 これは、おそらく「神々の住む所」でしょう。

 では「富岡と曽木」はどんな関係にあるでしょうか。
 その関心をもって見ていたところ、ひとつほかの例がありました。
 次の地図を見てください。
 最寄り駅は青梅線の東青梅駅です。駅北口から循環バスに乗ると、右上の岩倉温泉を通過します。地図にありませんが、南に塩舟観音があります。
 ここに「富岡と(小)曽木(コソギ)」が並んでいました。
 ここに気付いて、富岡市の曽木に関心が深まりました。しかし、残念ながら、まだ納得できる解明ができていません。


 こうやって書くと、「思い付きばかりで、非学問的で、有害」となりかねませんが、黙って飲んでいる限りは楽しいものです。
 みなさんもどうぞ。
 だいぶいろいろと調べましたから、これならいくらでもお話もできます。
 コエをかけてください。

 なお、神足勝記はこういうことを考える人ではありませんでした。


 





 



 



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