神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.190 晴れ間に

2024-06-03 23:51:57 | 余録
(1)きょうは、家の付近は夕方頃から降り始めましたが、そのころ、西の雲の切れ間から陽が差し込み始めたので、夕焼け楽しみに待ちました。
 「チャンチャチャ・チャ~ン」で始まる「20世紀FOX」社の映画の場面を期待しましたが、ムリな注文でした・・・。


(2)これより前、少し散歩に出ました。
 きれいな青空が見えたのでしばらく見上げていると、ピーピーという鳴き声がして、小鳥が1羽飛んできました。そして、もう1羽が来ました。


    いいですねえ。
    〽空の広さを~ 雲の行くヘを~ 知りた~い~

(3)帰ると、庭のテッポウユリが咲き始めてました。
   
   きれい、きれい

(4)もちろん、赤いユリも元気です。
 と言いたいところでしたが、花弁が1枚落ちてしまいました。
   
    「花の色は移りにけりな・・・」

(5)「あっけなかったな」と見ていると、サッと何かが通り過ぎました。チョウでした。見ると、向こうへ行って、こっちへ来て、また向こうへ行きました。
 「こっちへ来てどこかに泊まらないかな」と思いながら見ていると、向こうへ行ってどこかにとまっまましばらく姿をみせませんでした。それで、写真に撮れるかと、近づいてみました。すると、いました。
 ブレないようにとだけ注意しながら、サッと3回シャッターを切りました。
 チョウが飛び立ったのを見て、「もっとそおっとやったらよかったかもしれない」と思い返しながら、画像を拡大してみました。
    
    「ムシの恋路を邪魔するやつは・・・」でした。

(6)それから、「バイデン」をやりながら近所を回ると、いろいろと見えました。
 注:バイデンは大澤の造語。意味は、バイデン大統領が出て来るニュースで想像してください。ヒントは、バイデン大統領が若ぶって?ときどきやっていることです。健康に良い。
   
    くちなし

(7)それから、
   
    かしわばあじさい

(8)それから、
   
    ホタルブクロ

(9)それにそれから、やっぱりいま元気なのは・・・。逞しい。
   
    清楚    

 きょうは、昨日の続きを書くつもりでしたが、脱線してしまいました。
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No.189 手を貸さないと終われない

2024-06-02 20:35:02 | 余録

       ミツバの花:見えますか?

(1)私的所有は歴史的には2つありました。ひとつは「自分の労働に基づく私的所有」、もう一つは「他人の労働に基づく私的所有」です。
 この両者の関係は、前者が解体して初めて後者が成り立つという関係にあります。

(2)では、どうして「自分の労働にもとずく私的所有」は解体したのでしょうか。
 「自分の労働に基づく私的所有」は、生産能力が小さく、自分や自分の家族くらいの範囲で自給自足の生活をおくる「自然経済」時代に、狭く小さい範囲での生産の時代に、存在できる程度の小規模経営でした。

    

(3)ちょっと歴史がさかのぼりますが、戦国時代を経て、秀吉の時代に国家統一に向かいます。
 ふつう、封建社会は自給自足経済といわれますが、封建社会が発展した結果、兵農分離が行われ、武士は、土地耕作から引き離されて、都市生活者になります。つまり、扶持(給料)をもらうサラリーマンとなりますが、このことが自給自足を崩し、貨幣経済化を促進する大きな要因になります。

 さらに、江戸時代に入って、各藩は大名の参勤交代で多額の貨幣が必要となります。そのほか、幕府から命じられる治水・治山などの土木事業のために、各藩とも資材や人夫の賃銀などのために多額の貨幣資金を必要とするようになります。そうすると、こんどは、各藩自体がその対策として率先して特産物の開発・専売を目指すなど、貨幣獲得のために商人と一緒になって奔走するようになります。

(4)ここまでで注目したいのは、「封建制の発展が封建制を崩壊させる条件を生み出す」というところです。封建制だからそうなのではなく、現在の資本主義もそうだということです。
 「あるものの発展は、そのもの自体の存在を否定する条件を生み出す、みずから崩壊の条件を作り出す」ということです。
 でも、自分では「終活」しません。誰かが終らせてあげないと、醜態をさらし続けます。

    

(5)さて、このことは、藩や都市の武士だけでなく、封建社会全体に浸透していきます。つまり、封建経済の発展そのものが、封建制度を突き崩す要因である貨幣経済を促進しだします。そして、この余波は「自分の労働にもとずく私的所有」が支配している農村などの経済にも浸透していきます。そうすると、自給自足が崩れ、ますます農村経済が商品経済とつながりを持つようになります。
 そして、産業の発展の結果、自然経済が支配していた農村経済に都市の製品が普及するようになると、農村経済はますます貨幣経済に巻き込まれていきます。そうなれば、貨幣経済の浮き沈みの中で、没落する人も出てきます。そこには、雇われなければならない人が出てきます。最初はわずかでも、やがて広がって、雇う人と雇われる人の関係が社会全体の問題として出て来るようになります。こうして、二つの私的所有の転換が終わります。
 
(6)商品とか貨幣は古い時代にもありましたが、これが大手を振るうようになるのは、資本主義経済の中でのことです。「自給自足の自然経済が支配していた時代」といいましたが、私の印象では、昭和の30~40年代でもまだそういうところがあったと思いますが、ともかく、自然経済の対極に立つ貨幣・商品経済の発展が社会を資本主義経済社会へと導きました。
 
(7)封建社会崩壊の要因にはいろいろなことがいえますが、ともかく、日本では、通常、明治維新といわれる政治変革を契機としてで終わって行きました。繰り返しますが、その場合、大事なのことは、封建社会が自然に終わったのではないということです。討幕運動などの多大な営為があって実現したということです。漫然と待っていて実現するものではないということです。

 これを現在に引きつけてみるとどうなるでしょうか。
 いまの日本や世界の状況を見て、このままでよいと思っている人はいないでしょう。しかし、 すでに核兵器にまで手がかかっていますから、これを「言葉の力で」解決するにはどうしたらよいかです。
 知恵を発揮しましょう。その行動の時と思います。

    

(8)忘れてはいけないことは、封建社会も資本主義社会も、それぞれ、前の社会の発展の結果として生み出まれてきた矛盾を解決するものとして出来上がったものだということです。
 けっしてあだ花ではありません。人間社会の発展の過程だということです。ですから、汚点を正してきれいに片付けて、少しずつでもよい方向に進めましょう。
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No.187 アメリカの本源的蓄積

2024-05-31 22:01:59 | 余録

    「雨に咲く花」という歌がありましたね。
 
 アサガオも、それからアジサイも、 たしかに雨の日に見ると風情を感じますが、水をたっぷり吸って陽に照らされて咲く姿の方が、やはり見ていて気持ちがいい、映えると思います。
 そもそも、雨の日の庭を部屋の中から眺めているとか、雨の中で傘をさして見るろいうのは、仕方ないとしても、窮屈です。できれば、外に出て、いろいろな咲き方をしている花を見つけ、あっちからこっちから近づいたり遠のいたりして、その花の一番映える姿を探しながら楽しみたいものです。

(1)ところで、きのうの「2つの私的所有」という場合の「私的所有」ですが、これは、経済学的には、「衣食住に関わる様々のものを作り出す生産手段やそれに必要な資産などの所有のこと」であり、同時に「それに拠って生産された生産の成果を受け取る(取得する)権利の所有のこと」です。
 ここで、生産手段や資金の所有者は生産の結果を手に入れる権利を持っています。もし持っていないとすれば、生産したものをむざむざと誰かに取られてしまうのと同じ結果になりますから、つまり、無駄な苦労をしたにすぎなくなりますから、生産などしないでしょう。
 そして、この「私的所有」が歴史的に2つあるということです。

(2)ひとつは「自分の労働に基づく私的所有」、すなわち、「自分や家族といった小規模の人が生産手段などをもって生産し、それに拠って生活を成り立たせているような場合の私的所有」です。
 これは、小規模経営ともいいますが、いまも手を変え品を変えて次々に生まれてきますけれども、だからといって江戸時代のように、社会全体がこれで成り立っているわけではありません。
 逆に、江戸時代にも、丁稚や番頭のように雇われる人がいましたが、現在のように学校の卒業が近づくと就活をするというようなことはまったくありませんでした。

(3)もう一つは「他人の労働に基づく私的所有」でした。
 これは、一つ目の「自分の労働にもとずく私的所有」が解体して社会が分化した結果、社会の一方に大量の生産手段や資金を持つ人(有産者)が現われ、またもう一方に、働くエネルギーを持つけれども、そのエネルギーを発揮する場所・生産手段・資金などを持たない人(無産者)が現われてきます。
 その結果、雇い雇われる関係(資本主義経済)が生まれ、生産手段や資金は「資本」つまり自分の資産を太らせるための手段となります。
 言い換えると、有産者が自分の資産を、雇った人(無産者)に動かしてもらって生産などの経済活動をおこない、生産された生産物を自分のものとして受け取る(取得する)経済、つまり、「他人の労働にもとずく私的所有」、いいかえると「他人の労働に基づく私的(資本主義的)所有」が行われるようになるわけです。
 そして、「自分の労働に基づく私的所有」が解体されて、「他人の労働に基づく私的(資本主義的)所有」へ転嫁する過程、これが(資本の)本源的蓄積といわれるものです。

   

(4)ところで、『資本論』第1巻の最後の章は「近代植民理論」というタイトルになっています。ずいぶん変わったタイトルですが、これを読むと、アメリカでの本源的蓄積のことが書かれているのがわかります。
 アメリカこそ資本主義経済ですから、当然その始まり・「本源的蓄積」の過程があったはずです。ところが、アメリカでは上のようにはいきませんでした。
 どういうことかというと、アメリカには原住民がいましたが、ヨーロッパのような発展をしていませんでしたから、無人地として扱われました。するとそこへ、ヨーロッパから大量の無産者が耕作地を求めて移住してきました。一方、ヨーロッパの資産家が、新天地で一旗揚げるべく、資本として使う資金や資材を持ち込んで経営を始めようとしました。

(5)一方に無産者がいて、他方に有産者がいますから、すぐにも雇い雇われる関係が始まるかと思いきや、それがうまくいきませんでした。
 なぜかというと、アメリカにはまだ「広大なフロンティア」がありましたから、ヨーロッパから大量の人が移住してきても、次々に西へ行ってしまい、雇われる人がいなかったからです。つまり、ヨーロッパから移住してきた無産者が、西へ行ってしまい「自分の労働にもとずく私的所有」者になっていくわけです。これでは、資金も資産も「資本」にはなりませんから、儲かりません。ヨーロッパのような「資本主義経済」にはなりません。 
 そこで、移住者が雇われるように、一定期間は西へ移住することを認めないなどの植民政策が提案されるわけです。
 興味のある人は、どんな苦労があったとマルクスが書いているか、読んでみてください。

(6)本源的蓄積=「自分の労働にもとずく私的所有」の解体があって初めて資本主義=「他人の労働にもとずく私的(資本主義的)所有」が可能となること、しかし、資本主義は、今日の世界を見るとわかるように、いろいろな問題・矛盾を生み出します。したがって、やがて、それを見直すことが行われざるを得ない。そこが要点です。
 「生」は「死」を射程に入れる。
 本源的蓄積の結果、資本主義経済生まれましたが、資本主義は自らを否定する要因を作り出し、とってかわられざるを得ない運命にあります。
 つまり、本源的蓄積は資本主義の終焉を射程に入れる、ここが核心です。
 これをどうするかは、現代人の叡知によるほかありません。皆さん、考えましょう。
 では、ここで。

    

 ・・・そうそう、トランプさん、見苦しいですね。
 結局、あれは、前の選挙でクリントンさんと争っているときに、✕✕がバレたら不利になるから、口封じに金を渡したという構図・・・
 違うというなら、真実を法廷で言ってもらいたいものです。

 それから、あの政治資金規正法の妥協案、大阪万博のガス、・・・日本もひどい。


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No.186 2つの私的所有

2024-05-31 00:30:06 | 余録

    ネモフィラとポピー:昭和記念公園

 きのうの「生と死」の関係、納得できましたか?

(1)生命体の例ような自然科学の問題なら、すぐに納得できますね。
 オスとメスという2つの対立する関係が「否定」されて受精・出産されると個体が生まれます。ところが、この個体が発育・成長を続けると、みずからその生を否定する要因を作り出して死に至らしめるのです。
 つまり、最初の「否定」が起こった結果、「その否定」(「否定の否定」)が視野に入ってくるのです。
 これを否定して、「自分は死ぬのはイヤだ、なんとかしたい」ともがくと、不老長寿の薬を求めて実験したり、旅に出るという珍事になります。

(2)では、社会科学の問題になるとどうでしょうか。
 そこで、きのうの「(資本の)本源的蓄積」についてあらためて取り上げてみます。あまり時間もスペースもないので、ザクッと行きます。
 まず、「本源的」は、元はドイツ語の「ursprünglich」で、意味は「最初の」「根源的な」「当初の」というようなことです。ですから、これを「原始的」と訳した例もありますが、要するに、「(資本の)蓄積」が行われるようになる「始まりの蓄積」ということです。
 上の自然科学の例に合わせて言い直しますと、「始まりの蓄積」は「受精」とか「出産」です。そして、「資本」が生まれると、こんどは成長していくわけですが、それにあたるのが「(資本の)蓄積」ですが、「(資本の)蓄積」が発展すると、自分(資本主義経済)を滅ぼす条件を作って行ってしまいます。
 ですから、マルクスは、『資本論』を書いてその仕組みを解明しようとしたわけです。

   

(3)ところで、私的所有には2種類のものがあります。
 ひとつは、日本でいえば、「つい最近までの農民や職人」のように、「自分で農地や道具をもって、自分で稼いでいる人のような所有」です。「自分の労働に基づく私的所有」です。 これより古い時代になると、もっとそうなります。
 これに対して、明治からあと、とくについ最近のことですが、「土地や資金や工場など」をもっているものの、自分では使いきれない人と、これに対して、働くエネルギーや能力を持っているが、それを発揮する場所を持たない人とがいます。つまり、「雇う人」と「雇われる人」が生まれています。
 もう一つの私的所有とは、この「雇う人の私的所有」です。
 大量にもっている資金や工場などを「雇った他人(従業員、労働者)に動かしてもらい、それによって自分の資産や生活を維持する人の所有、つまり、「他人の労働に基づく私的所有」です。

(4)かいつまんで言いますと、本源的蓄積というのは、「自分の労働に基づく私的所有」によって生活をなりたたせていた経済が解体させられて、「他人の労働に基づく私的所有」に移行する歴史的事件の事をいいます。
 前者の私的所有が解体された結果、いまの日本や世界の資本主義経済が始まったわけですが、そうすると、資本や資本家はお互いに競争してますから、負けて没落しないために、できるだけ自分を大きくしようとする結果、儲け一辺倒になりがちです。
 その結果、勤労者は低賃金のままで、内部留保は積み上がるとか、環境が悪化しても対策がなかなかとられないとか、儲かれば憲法違反の武器輸出までやるようになるとか、資本や有力者に有利な税や福祉政策が取られるなど、様々な問題を引き起こすことになり、新しい社会を求める人々を生んでくるというわけです。

   

(5)もう、いままでのやり方でよいと思っている人はないでしょう。問題は、それをどうやるかです。良い知恵を出し合いましょう。
 パーテイー券、キックバック、政治資金、官房機密費・・・まともな説明はせずに逃げ一方です。都議選も動き出しました。国政選挙もありそうです。

 つまり、マルクスが言おうとしたことは、すでに「新しい歴史の過程(本源的蓄積)」が行われた、やがて「その次の過程(その没落)」が必ず起こるということを弁証法の論理に従って起こることとして予言しているわけです。
 マルクスが、やがてそういう動きが出て来るに違いないことを、『資本論』で科学的に研究したうえで論理的予言をしているわけです。科学的予言です。
 でも、どうするかを決めるのはいまの国民です。

 ちょっと頑張りすぎました。では。

   
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No.185 本源的蓄積

2024-05-29 22:21:08 | 余録
      

(1)つい最近、不在中に、社会学をやっていた知人が久しぶりに電話をくれました。電話を受けたカミさんの話しでは、「聴きたいことがあるといっていた」というので、折り返しメールで、「説明が必要なことなら、メールの方がいい」と送ると、質問メールが届きました。

(2)なにかと思ったら、もう亡くなった法政大経済学部のTO先生の説が面白いといい、若手のKSさんの本が面白かった、と感激まじりのことを書いて、ついてはそれについて教えてほしい、という趣旨でした。
 そこで、私は、「どちらのものも、もう自分からは読まないつもりだけど・・・」と書いて、とくにTO先生の代表的な論文を何点か列挙して送ってあげました。 
   

(3)話の趣旨は、『資本論』第1巻の最後のにある「資本の本源的蓄積」・「近代植民理論」に関することでした。
 この箇所をめぐって、マルクスの弁証法(「否定」・「否定の否定」)はどういうものかとか、資本主義社会の次にはどういう社会が来るといっているのかというようなことで、長く議論があったところです。
 日本では、おもに社会主義経済研究者が、当時のソ連の労働者の無権利状態に触発されて、どうしたら労働者は自由になれるのかと、議論していました。

(4)その中の有名な一人が平田清明さんです。
 平田さんは、『資本論』第1巻の末尾のことだから、前から読んできたことで理解するように努めるべきところを、そうせず、自分の都合の良い結論を引き出すために、マルクス・エンゲルスのあっちの文献こっちの文献と探って推測をめぐらしました。
 それだけでなく、その議論に参加した人も、結局同じ轍を踏んでいましたから、論者が増えるごとに議論が華やかになって行きました。
   
    ナンテン

(5)「なんのことかわかんな~い」といわれそうですから、例を挙げましょう。
 話は簡単なのです。
 たとえば、生命体が発生したとします。受精して出産すると、その生命体は1個の個体として生育します。その後、この生命が事故で死んでしまうことがないとすると、その生命体は成長していき、その結果、老化して死亡します。
 マルクスは、本源的蓄積(=資本主義経済の出生)の結果、資本主義経済が始まるが、それが発展を遂げると、やがて自分を死に至らしめる要因を作り出して、とってかわられると言っているのです。

(6)つまり、生は死を射程に入れるということです。それなくして、生はあり得ない、ということです。
 発生があったということは、「生から死までの過程の一部が始まった」ということ、したがって、死の到来、つまり、「生から死までの過程の残りの一部が必ず起こる」はずだということです。
 そして、大事なことは、マルクスは、タイムマシーンで見てきたといっているのでなく、『資本論』第1巻の研究の結果、弁証法的な論理の過程の問題として、当然起こるはずのことだといってることです。
   

(7)会社の方に内部留保が積み上がり、実質賃金はどんどん目減り、生活環境は悪化、地球環境はにっちもさっちもいかなくなってきています。自由な経済活動はよいとして、その結果が全世界的に見直しを迫っているのに、戦争や紛争があちこちで堪えない。国連もお手上げ状態です。世界的にこれまでのやり方をどうするかの声が上がってます。
 むずかしいところへ来ましたが、言葉の力で解決していきましょう。
 それには、フィーリングではなく、よく見極めることが大事になります。

 では。 



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