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All's Well That ends Well?

ぼちぼちとやっていきましょか。

仁義をきってみろ!!!!!

2006年04月30日 00時24分30秒 | 頭の中身
実はこのことをずっと日記に書きたかったんだけど、なかなか書く機会がなくて(笑)

数週間ほど前に、いきなり友人がボーっと突っ立ってるあたしの前で頭を低くし、腰をさげ、目の前で

「門口にて御免こうむりやす。お頭でござんすか?」

と言ってきたもんだから

「客人、楽におつきなさいまし。」

と言ってしまった。なんじゃこの任侠クサイのは…(笑)

その後の会話がまた違和感満載゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜

「どうか客人からお控えなしておくんなさんし」(意味不明っちゃ意味不明、なんで急にそこに飛ぶんだ?、笑)

「恐れ入りやす。お言葉にしたがって逆意でござんすがお先に控えさしていただきます。」

といってこれまた腰を低くしたもんだから爆笑してしまった(笑)友人も調子に乗って

「さっそくのお控えいたみいりやす。手前、生国は奈良の片田舎でござんす。○○家の次男坊で…」

と言い出すザマ…。
見るに見かねて、仁義を切ってる途中に

「客人お顔をあげなさいまし」

と言い、終了。

二人で「なんでやねんっ」と爆笑しながら、友人の用件を聴いた。たったちょっとしたことをあたしに聴きにきただけなのに、なんか変な方向になってしまった。でもおもしろかったからいいや。

いやぁ、しかし江戸弁は難しいで。。しかも仁義ってのも難しいで…。
仁義ってものすっごくリズムいいし(たぶん江戸弁だから余計そう聞こえるんだろうな)、言葉のゴロ??みたいなんも歯切れがよくなくちゃだめでしょ??
すごい短縮され、洗練された自己紹介でもあるんだと思うしねぇ。
暇人なあたしは時々自分が仁義を切るとして、考えるんだけど中々うまく言えないし。。

「手前生国と発しますは近畿奈良にござんす。この世に生を受けまして、姓をとば、名をちひろと発します。1985年に命授かりまして、今は学生という家業に身をおいておりやす。」

ここまでしか言えねぇ…。てか、あたし才能ないわ。馬鹿丸出しだわ(笑)気の利いた四字熟語も言えず最悪、、、。

これを見てる人…。一回自分の仁義をきってみてください(笑)意外とおもしろいから(そんな理由??)




それぞれ

2006年04月20日 01時10分57秒 | 頭の中身
まぁ、今年の学祭の実行委員しません。みんなそれぞれの動きをしてますね。

あたしは今はそれどころじゃないです。頭の中はキャンプのこととバイトのことでいっぱいです。

さっきもキャンプのことで友人とケンカしてました。ふだん、人に腹が立ってもあまり、言わないのですが今日はだめでした。てなわけで泣きながら思いっきり言ってやりました゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜スッキリ

改めて実行委員長という名のトップはそこらの班長・トップとは違うと思いました。実行委員長が全てなんです。実行委員長を中心に物事が進んでいくのです。実行委員長が小手先のような動きをしただけで、物事が簡単に揺らぎます。簡単にいうとその小さな判断ミスで100人という人の命を奪ってしまうことになるかもしれないんです。すると組織自体の存亡にかかってくるのです。実に重たい…(;´Д`) 一言で言うと全てのものを背負ってるわけです。
だからどしっと構えてないといけないのはわかるんだけど…。
あたし実行委員長だけど、班長クラスの動きの方が自分に、合ってると思ってしまう。
実行委員長になって初めて見えた班長の役割や班長を補佐するその周りの動き。そういうものを生かし、来年班長になったら「絶対こうしよう!!」って今から考えてる自分がいてておかしい(来年班長をするって決まったわけじゃないのに)

とりあえず、実行委員長というものの重さ、改めて感じました。またそれをサポートしてくれる周りの人たちがいないと実行委員長なんてやってられません。これからこのキャンプが終わるまで、ほんとみんなに支えられていくと思う。お願いね(`・ω・´) まぁ、キャンプの知り合いでここのBlog見てる人なんて、一人か二人だけど。

さぁ!!

2006年03月31日 09時18分28秒 | 頭の中身
Trainのアルバム聞きながら通学中☆
そぅ!今日から大学が始まったのさ!└(^▽^)┐====зз

今年度の目標は…
1.単位を真面目に取得する
2.バイトに精を出す
3.キャンプの実行委員長…とりあえず、頑張ってみる。
4.旅行しまくる

以上!

天切り松~人情闇がたり~

2006年02月14日 13時29分10秒 | 頭の中身
てなわけで感想です。超個人的でおおざっぱな感想です。しかも専門的なことまったくわからないから思ったまま書きます。悪しからず。

正直、こんな素敵でおもしろい本をどうやってその魅力を消さずにお芝居にするのかなってめっちゃ思ってました(生意気なこというけど)
闇がたりもどういう風に表現するんだろう?ってめっちゃ思ってました。
でもね、そんな不安?はまったく無用でした。
お芝居を観て泣いたのなんか久しぶりだし(笑)

清水の小政が仁義を切るとことか鳥肌立っちゃったし。最後松蔵に別れをつげるとこで泣いちゃった。
なんだろな。男気があるというかさ、己を貫いてるとことかさめっちゃかっこいいんだぃ。

劇団員がすべて楽しそうに演技をしていたけど、左とん平さんが一番楽しそうに演技をしていたと思う。歌とかそこまでうまかないけど、あの人の持ってる雰囲気や演技力がそれをカバーするどころか反対にうまかないとこがいい感じなの。かっこいおじさんというのはあぁいうのじゃないとね(笑)アドリブもすごく多くて観客を笑わせてくれてとっても楽しい人でした。

井上一馬さんはやっぱりダンスがうまい。前のMr.Zooのときもそうだったけど演技にキレがある。きりっきりっとしてて寅兄の人柄にぴったりだと思った。ちょっと観たかったのが寅兄の背中の彫り物がどんな風に描かれてたのか?ということ。でも見せてくれんかった(笑)

目細の安吉親分の役の人もあたしのイメージぴったりで文句ナシ(笑)常兄ぃも同じ人がやってたけど、これもぴったりだった。

あたしの座ってた席は前から3番目で超!いい席だった。役者さんの顔がはっきりと見えて本当にいい席だった。あぁ、けいちゃんと土屋さんに感謝。

こんなかんじ。言葉にしたいけどできない。したら壊れてしまいそうだからやめときます。まだまだ未熟だな。

我思う故に我あり

2006年01月29日 23時42分23秒 | 頭の中身
この言葉大好きです。
哲学者デカルトの言葉でしたっけね(好きなくせにちゃんと覚えてないとかダメね)
簡単にいえば、「俺がここにいるって思ってるんだから俺という存在はあるんだよ」ということですね(スマ解釈)
大1の時ニーチェというあだ名の先生の哲学の授業でこの言葉を聞いた時に
「うわ、まさにそれ!!!!」
とか思っちゃった。微妙に日本の陰陽道の「呪」(しゅ)の考え方と似てるんよね。「呪」の考え方大好きだし、「呪」のパラドックスにはまると時間を忘れて考えてしまう。
「石」というものがあるのは人が道端に転がっている物体を見て「石」という存在ができて、みんながそれを石ではないない別の何かだとしたら「石」は石ではないのだ。でも何モノでもないという存在はそこに存在している。
難しいけど、考えたら考えた分だけおもしろいね。どうしたらそんな発想・考え方が出てくるんだ!!!
デカルトのことばも結局は同じようなところにたどり着く。

いいわぁ。この妙な不安定さとその不安定さがあるからこそ、保っていられるバランス感覚がすき。