「だからその反対に、「夢」を持ち、生存している風景を思い浮かべます。」
休みたいという思いから勘違いした体が仮病を発病。その仮病は、細胞のがん化を促進してしまった。こんな悪夢のような勘違いは、「休みたい」という思い込みから。だから「夢」を思い込む事でこの悪夢も吹き飛ばせます。
私の子供の頃は意志を持たぬ人形のようでした。特に、「夢」もなく、「やりたい事」もなく、友達にあわせ、親にあわせの子供でした。高校は普通科に進学。親が当たり前に普通科といい、兄達も当たり前に普通科でした。特に私だけ、出来の悪い普通科だったんですが・・・。高校時代も、何を勘違いしたのか「理科」の中でも「生物学」がいい点取れたんです。そこで、なんの意思もない私は「生物学」を専攻し、そのおかげで、大学は農学部と決定されてしまいました。と言っても、大学にしても、試験は、数学Ⅰと生物学の2本柱で、得意分野以外は中学生レベルにも達していない状況の中、試験直前の先生からの宿題がそっくりそのまま試験問題に出るというなんとも運だけで流れてきました。
なんとなく嫌々ながらも仕方がなく農学部に入ったもののやっぱり「やりたい事」には恵まれませんでした。こんなに流され続ける人生でよいのか?少しでも「やりたい事」を見つけようと、研究室選びはさすがに慎重にしました。「植物より動物だな。」たった二つの選択肢から一つを択びました。結果「畜産学」にたどり着きました。とはいえ、当時の畜産学の教授は特に家禽(いわゆる鶏)が専門で実験動物はウズラを使っていました。だから、牛や豚の選択肢は自然になくなり、結局、鶏しか残らなかったのです。そんなこんなで、就職も「鶏」を択びました。当時探すのが面倒だったんだと思います。働かせてくれる所があればそこでよかったんです。就職難のこのご時勢に、学力は低いし、やりたい事も、趣味も特技もない。だから、今のブロイラー会社が決まった時にそれ以上は探しませんでした。
思えば、今までの人生の半分は、自分の意思というより、流れ流れ着くままの人生でした。就職したらしたで、やっぱり、自分の意思で動くと言う事がありませんでした。ただ言われた通りに働き、「やりたい事を見つけて職を変わる」という発想すら許しません。こんなに「夢」のない人生だったから「肺がん」につけ込まれたのだと思います。「夢」もないんで私自身いつ死んでも良かったんです。ただ一つどうしても無念な事が「家族」です。自分の事では涙はでませんが、「家族」を思うと涙がでました。
※あくまでも肺がん治癒のストーリーです。現実の会社では、たくさんの「夢」を頂き、「夢」のある職場でした。
いつしか私にも大事な「夢」が出来てたんです。「家族」です。家族を愛するために。家族を守るために。家族と一緒にいたい為に。家族と暮らしたい為に。家族と笑いたい為に。家族と泣きたい為に。まだ見ぬ家族と会うために。成長した子供の顔が見たい。年を取った自分達の姿が見たい。これが私の最終的な「夢」です。
「家族と共に在れたらそれでいい。」
「家族と共に在る為に」その為には、仕事をしてお金を貯めたいです。ばりばりに仕事をがんばって、自分のスキルアップを上げて、経営のノウハウを学び、会社を大きくして、その分、給与アップも目指して・・。子供が大きくなって一人立ちした頃には、そして、自分に自身がついた頃、夫婦で少し早めの第二の人生です。「養鶏」と「鳥料理」をテーマに鳥飼しながら、おいしい鳥料理を食べられる所がいいです。テーマパークとまでは言いませんが、そんな場所があっても楽しいのかなと思います。
「夢」は一つじゃない。
もちろん、まだまだ、夢はたくさんあります。どんなに狭い分野でもいいから世界で1番日本で1番を取りたいです。今の私でしたらブロイラー用雛の孵卵業界という狭き門で、もっと名を上げたいです。名前は残らなくとも孵卵業界の歴史に残るくらいの事はしたいね。
小さい夢から大きな夢、今日かなった夢もあれば、絶対かなわない夢まで、とにかく、たくさんの具体的な「夢」が生存の確率を上げます。自分の心ががんを育てたように、夢のある自分の心ががんを消滅させてくれます。
休みたいという思いから勘違いした体が仮病を発病。その仮病は、細胞のがん化を促進してしまった。こんな悪夢のような勘違いは、「休みたい」という思い込みから。だから「夢」を思い込む事でこの悪夢も吹き飛ばせます。
私の子供の頃は意志を持たぬ人形のようでした。特に、「夢」もなく、「やりたい事」もなく、友達にあわせ、親にあわせの子供でした。高校は普通科に進学。親が当たり前に普通科といい、兄達も当たり前に普通科でした。特に私だけ、出来の悪い普通科だったんですが・・・。高校時代も、何を勘違いしたのか「理科」の中でも「生物学」がいい点取れたんです。そこで、なんの意思もない私は「生物学」を専攻し、そのおかげで、大学は農学部と決定されてしまいました。と言っても、大学にしても、試験は、数学Ⅰと生物学の2本柱で、得意分野以外は中学生レベルにも達していない状況の中、試験直前の先生からの宿題がそっくりそのまま試験問題に出るというなんとも運だけで流れてきました。
なんとなく嫌々ながらも仕方がなく農学部に入ったもののやっぱり「やりたい事」には恵まれませんでした。こんなに流され続ける人生でよいのか?少しでも「やりたい事」を見つけようと、研究室選びはさすがに慎重にしました。「植物より動物だな。」たった二つの選択肢から一つを択びました。結果「畜産学」にたどり着きました。とはいえ、当時の畜産学の教授は特に家禽(いわゆる鶏)が専門で実験動物はウズラを使っていました。だから、牛や豚の選択肢は自然になくなり、結局、鶏しか残らなかったのです。そんなこんなで、就職も「鶏」を択びました。当時探すのが面倒だったんだと思います。働かせてくれる所があればそこでよかったんです。就職難のこのご時勢に、学力は低いし、やりたい事も、趣味も特技もない。だから、今のブロイラー会社が決まった時にそれ以上は探しませんでした。
思えば、今までの人生の半分は、自分の意思というより、流れ流れ着くままの人生でした。就職したらしたで、やっぱり、自分の意思で動くと言う事がありませんでした。ただ言われた通りに働き、「やりたい事を見つけて職を変わる」という発想すら許しません。こんなに「夢」のない人生だったから「肺がん」につけ込まれたのだと思います。「夢」もないんで私自身いつ死んでも良かったんです。ただ一つどうしても無念な事が「家族」です。自分の事では涙はでませんが、「家族」を思うと涙がでました。
※あくまでも肺がん治癒のストーリーです。現実の会社では、たくさんの「夢」を頂き、「夢」のある職場でした。
いつしか私にも大事な「夢」が出来てたんです。「家族」です。家族を愛するために。家族を守るために。家族と一緒にいたい為に。家族と暮らしたい為に。家族と笑いたい為に。家族と泣きたい為に。まだ見ぬ家族と会うために。成長した子供の顔が見たい。年を取った自分達の姿が見たい。これが私の最終的な「夢」です。
「家族と共に在れたらそれでいい。」
「家族と共に在る為に」その為には、仕事をしてお金を貯めたいです。ばりばりに仕事をがんばって、自分のスキルアップを上げて、経営のノウハウを学び、会社を大きくして、その分、給与アップも目指して・・。子供が大きくなって一人立ちした頃には、そして、自分に自身がついた頃、夫婦で少し早めの第二の人生です。「養鶏」と「鳥料理」をテーマに鳥飼しながら、おいしい鳥料理を食べられる所がいいです。テーマパークとまでは言いませんが、そんな場所があっても楽しいのかなと思います。
「夢」は一つじゃない。
もちろん、まだまだ、夢はたくさんあります。どんなに狭い分野でもいいから世界で1番日本で1番を取りたいです。今の私でしたらブロイラー用雛の孵卵業界という狭き門で、もっと名を上げたいです。名前は残らなくとも孵卵業界の歴史に残るくらいの事はしたいね。
小さい夢から大きな夢、今日かなった夢もあれば、絶対かなわない夢まで、とにかく、たくさんの具体的な「夢」が生存の確率を上げます。自分の心ががんを育てたように、夢のある自分の心ががんを消滅させてくれます。
昨年末に出張帰りに東京駅で占い師さんにみてもらいましたら、今年の2月まで過去2年間は停滞運であって、2月以降の運勢は、例えるなら「春の雪解け」だと言っていました。今年は目標達成の年だと。所詮は占いだけど、運気が良いにこしたことはないですよね。もしあなたが僕と同じS49年生まれの33なら、同じじゃないかな
残念ながら私は早生まれのS50の2月生まれの33ですが、細かい事は無視して、貴方の運勢に乗っからせていただきます。
全く違う大学なのだろうけど、凄く親近感が沸き、大学時代の友人を思い出してしまいました。ちなみに、母校は佐賀大学です。
今は、2歳の長男と上さんのお腹に6か月の女の子がいます。僕の誕生日は10月初旬ですから
5か月違いですね。URLは僕の愛読書「神宮館高島暦」年末にお年寄りがよく買ってるやつです。案外これがあたる気がしてます。これによると、あなたは去年が厄年だったようです。あなたの今年を表す言葉は「堪忍は一生の宝」とありました
「堪忍は一生の宝」ちょうど、副作用で「駄目だ、おりゃ~」て凹む毎日ですが、これを耐えれば、明るい未来が見えてきそうですね。
昨年は病魔が着々と進行してきたとしだから本当に厄年でしたよ。年末にお年寄りがよく買うこれをちょっと嫁さんにでも買ってきてもらいます。
いあ、何度もご訪問ありがとうございました。新しいご家族に会うのが楽しみですね。女の子というのが少しうらやましいです。