だいすき

いろいろありますが
子ども達・友人・そしてみなさんに支えられて 元気に生きてます

感謝!!!

冷たい娘2

2012年03月31日 03時56分27秒 | 日記
とはいえ 母も私に愛情を注いでくれたんだろう とは思う

でもね 私 母に甘えたり なぐさめてもらったりした記憶が・・・ない

だから 未だに甘え方がわからない


弟は溺愛してますがね(未だに)

小さい頃から 

お姉ちゃんのクセに・・○○(父の仕事)の娘のくせに・・

出来たことは当然 褒められはしない

失敗したら 罵られる

そんな格好して 世間様に恥ずかしい(流行の服だったんだけどね)

そんな化粧は 夜の仕事をするひとの化粧だ みっともない(アイシャドウの事ね)

ダメ出しばかりもらって 生活するのがいやだった



どちらかといえば 父に似た私

ディスコ・カラオケなどなど お互い職場の人と行っており

そんな私たちを母は「不良親子」と 呼んで 嫌がった

用は 自分がいいと思うことの 型にはめておきたい人なんだ



そんな窮屈な家が嫌で 早く出たいと思っていた

でも 昔は 女の子の1人暮らしなんて とんでもない・・って時代で

手っ取り早いのが「結婚」

で・・・いいタイミングで 夫と出会い 結婚してしまったのです

勿論 はじめは楽しかったんだよ

でも 色々あるじゃん 夫婦になると

ケンカしたり 不満があったり・・・

ドラマで「実家に帰らせていただきます」なーんてのあるじゃん


私は 一度もしたことない

大体 どういう返事がくるか わかるから 言っても仕方がないなと



実家は 孫を見せに行くところ 

母が苦手な家事をしにいくところ

私がのんびりする場所ではありません


まあ それもよし

30年 そう思って グチも吐かず 相談もせず

孫を連れ せっせと キッチン・風呂・トイレ

汚れている場所をキレイにし  

私なりの親孝行をしてきました




だけど・・

離婚となるとね

「離婚届 出したから」って報告じゃ いくらなんでも 親に失礼かと思い

意を決して 母に電話しましたのよ(メールってわけにもいかんしね)

離婚しますので・・と言ったら




何故?女?  そんなもんがまんしなさいよ

夫の実家には言ったの? なんとかしてもらいなさいよ(こういう考えってどうよ?)

孫達がかわいそうでしょ そんなもんは 妻ががまんすべきでしょ

ダメ 離婚なんか ダメ


気持ちは分かりますがね 矢継ぎばやに ダメ ダメ ダメ





やっぱね  だから言いたくなかったんだよ

私の気持ちを聞くとか 大変だったんだねとか

な~んもなくてね 想像はしていたけど やっぱ がっかり



母も もう年だし 心配もさせたくはない 可哀想とも思う 

けどね 本当のことだし

適当に話を合わせておけばいいって内容でもないので

言いました

私の本音を


「どうして 辛い気持ちの私を なぐさめたり 話をきいてくれないの?
 だから 今まで相談できなかった  ダメと責めるばかり  何も連絡しないで
 離婚しましたじゃ 納得がいかないだろうから 連絡したのに これじゃ
 やっぱり しないほうがよかった」と

「だって 心配するでしょ 孫のこと・・・」

おいおい  私じゃないのかい

「私は 娘がけんかして帰ってきたとき まず話をきくよ 娘がすっきりするまで
 吐き出させるよ 私はしっかり ぐちを聞くよ 口は挟まず そうしたら
 自分で答えだして ちゃんと家に帰っていくよ

 子ども達が「お母さん もうガマンしなくていいよ 幸せになりな」って言ってくれているんだよ」

「でも・・世間体もあるし あなたの暮らしもあるし・・・」とぐずぐず

「世間体はもうしわけないけど 私は実家に頼ろうなんて一切思ってないから
 自分のことは しっかり やっていく!!」

そして

「もう これ以上ムリ  電話切る」

プチ

切っちゃった

おかーさん ごめん  でもね  私もスキップしながら離婚を決めたんじゃないの

今 両足でたっているのがやっと



その後 母から

「もう 何も聞かないから 休みに帰っておいで」とメールがありました

心配をかけているのは 本当に申し訳ないとおもっています

けど・・・

そんな気になれなくて メールに返信はしませんでした



ね  冷たい娘なんだ 私  53にもなったのにね・・・



でも 日本には お彼岸と言うものがあって

どうしようと考えていたら しげるが暇だから 一緒に行けるというので

助っ人として 一緒に行ってもらいました


仏壇に手を合わせ父に報告し

(何も言わないって 書いてあったけど そうは行くまいな 母よ)

やっぱり 聞いてきた

「大阪のお父さんとか お兄さんやお姉さん達に言って 叱ってもらって
 離婚しないってことには ならないの?」って

「ない 私がいやだ 一刻も早く 離れて住みたいんだから」ときっぱり言って

「はい もうこの話はおしまい」




母よ 親だから心配するのは当然で 仕方ない 悪いと思ってるよ

だからこそ 幸せに 楽しく暮らせるよう がんばるからさ




でも あなた  もうすぐ50になるのに 仕事もせず あなたの年金で生活している

弟のことの方が 心配だと思います・・・

私は そっちまで 手は回らないぞ~

超本音・・困ってます  冷たい娘なんです 私o( _ _ )o

2012年03月30日 18時22分48秒 | 日記
先日 お彼岸に 父の仏壇に手を合わせに行って来ましたが・・・

それをするには 結構な勇気が必要だったんです

何故?


それは・・・




もうすぐ78歳

彼女の人生は好んで 心配を拾って歩いたよう

楽しいこと・遊ぶことを

「悪」と思っているふしがあり

私は そんな母に育てられました



父は友人や部下を家に招いては 食事・飲み会がひんぱんだった

必死にもてなしつつ

陰では 私と弟に ぶつぶつ文句を・・・

ひたすら 父の悪口を毎日聞かされている私でした


まぁ 確かに困ったところもあった父でした

世界の中心は自分・・的な部分が大でしたからね



ストレスから 母は狭心症になりました

が・・・

父が亡くなってからは 発作が起きない

相当 気を使っていたのでしょう


けどね


さんざん文句ばかり言っていた父が亡くなり

今度は 自分を責めてばかりいるんだ




さまざまな病気を抱え 呆けて 胃がん発覚


その胃がんを見つけてあげられなかったと  未だに自分を責めていてね

毎週 病院に行ったり しょちゅう入院していたのに DRも見つけられなかったんだから

仕方ないんだよ お母さんのせいじゃないよ


父の最期は 苦しまず だんだん呼吸がゆっくりになり 静かに息を引き取りました

痛いのが嫌いな父 早かったけど いい最期だったと 私は思いました

勿論 悲しかったけどね・・・



実は 父が亡くなってから 

私 ちゃんと泣いてないんだ



さぁ 父が亡くなりました どうする?

病院からは「こちらにお父さんにいていただけるのは2時間です」


母から「あなたがやってちょうだい」

ってことで 葬儀屋さんの手配 段取り 連絡 仕切り

ぜ~んぶ 「あなたが やってちょうだい」


そこで わかった

そっか 母は 全部父に依存して生きてきたんだって

だから 自分で決められない人だったんだ



父の葬儀 喪主は弟でしたが 全部陰で私が動きました

(弟も 母的な性格でね・・)

父の元の同僚などなど お世話になった方々の代表的な人への連絡・相談・挨拶

親族の宿泊などの手配 

もろもろ全部 1人でやりました



だからね


泣いている暇 なかった

棺の中の父(自己中だったけど 私は愛してもらった)

出棺の際も

ここで 泣いたら 先の進行ができないぞ・・・

くちびるを噛んで 涙をこらえました

だからね  未だに ディサービスのワゴン車を 出勤途中に見つけると

涙があふれてくるんだ

救急車もね


父がお世話になったんだなぁって



ココまでは 前置き(なげぇ)


そんな母ですから

私が実家に帰る際に

「横浜で 待ち合わせして ランチでもしない?」

「そんな  自分だけ楽しんじゃ お父さんに申し訳ない」


「ぼちぼち 温泉旅行でもしない?」

「そんな 自分だけ楽しむなんて お父さんに申し訳ない」

って ことごとく 却下


「もう 3回忌もしたんだし 自分のことを 楽しんでも じーちゃんは 文句言わないとおもうけどね」

「いいの  私は 1人がラクなの」ときっぱり


そっか  私は たまに友達と楽しむのが好きだけど

1人の方が楽な人もいるんだね

押し付けるのは止めよう



それ以来  母を誘うのはやめました


新聞も読まず ひたすらひとりで 天気予報を1日中見ているのがすきなんだって


では ひとり篭って 父の最期を自分のせいだと責めてください


どう頑張っても そうしかできなかった



充分尽くしたんだから あとは 自分のことを考えてもいいんじゃない?

通じませんでした

では 自分の思うように生きて下さい

私が決めることではないので・・・






長いけど ここまでは前置きです


続きは 明日にしましょうかね





悪いけど ほっとした・・・

2012年03月29日 19時12分23秒 | 日記
花粉症のみなさん お元気ですか?

ワタクシ この時期 ちょっとだけ 目が・鼻がつらいのです スギでは無いようですが

CMにありますが 本当に鼻に栓したいですよね

おかげで 鼻の下が真っ赤・・トナカイさんじゃないんだから~

鼻炎用の薬 飲んだ方がいいのかしら???


                           



昨日 職場の 歓送迎会がありました

悪いけど ほっとしたのは


今まで みんなの頭を悩ませていた新人

辞めてくれることになりまして 送別の方で 送り出しました やれやれです

次の就職先は決まって

「あんなんじゃ 次ももつかしら?」なんて考えてしまいますが

大きなお世話ですね  次のところで 私たちが指導できなかったことを ちゃんと

教えてくださるかもしれないし・・・

彼女なりの 幸せを祈ります



代わりに入職したのは 2人の新人

「至らないところは びしっと教えてください」って言われました

「え~? いいのぉ 私結構・・・こわいよ~」と 冗談で脅しちゃいましたが

普通の子たちです

よかった

素直 清潔 緊張してるけど笑顔がある   まずは充分です

この子達を どう いい教師に誘導していけるかは 私たちの 腕にかかっています

責任重いですが 普通に日本語は通じそうなので 安心しています


昨日も 宴会場に 先輩教師達が来ると 立って挨拶をしにいき コートをかける場所を

案内したり 2人は 立ちっぱなし・・・

「誰も来ないときは 座ってなよ 疲れちゃうよ」って

「あ はい でも いつ 誰がみえるかわからないし・・・」

「来たら 教えてあげるから」




「ほら 園長がみえたよ」

「ひゃぁ ありがとう ございますぅ」


以前 研修で来ていたときに「目上の人が来たら 立って挨拶するんだよ」って教えたことを

覚えていてくれたんかな?


年は違う2人(短大出と 4大出)ですが  同期がふたりってのは 安心でしょうね

頑張って いい教師に育っていって欲しいと思います

私たちも 油断は出来ません

頑張らないとね

新人よ たくさん 泣くと思うけど  一歩一歩前進しておくれね 期待してるよ

一緒にがんばろうね

すごく 嬉しかった♪♪

2012年03月26日 23時54分18秒 | 日記
なんと


今日は


私の


53回目の誕生日でしたぁ


職場では 若い先生が なぜか覚えていてくれて

「しっぽ センセ 今日お誕生日でしたよね おめでとうございますぅ」って



「え 覚えていてくれてるんだ ありがとう  ハイ53になりましたぁ」って

言ったら

「え??? 53なんですか??  みえない~  10は若く見える」ってお上手な

しかし ありがたい 事務所での皆さんの反響


「そ・そんなぁ  うれしいっす」と帰ってきました






                  

娘夫婦から「おかーさんの誕生日に ご飯or飲み ご招待する」って言われていて


今日 ありがたく 招待されて来ました


すごーく 心配されているんだなぁって実感しました


当然 夫は招待されず・・・

しげるを伴って 行ってきました



朝一番に しげるからは

「おめでとう~」の言葉と一緒に 紙袋を渡されました

中身は私の大好きな「ミッキー柄の水筒」

「使うでしょ?」

はいはい 使いますわよ

今飲んでいる 神経科の薬 副作用で 口が渇く

「センセー 溶けない氷を口の中に入れたい」ってくらいなの

だから 仕事の日は 水筒を持っていくんだけどね

今使っているのは ぼろぼろになって「買い換えたいなぁ」って思ってたの

だから すごく 嬉しかった



そして 夕刻

娘夫婦が 指定してくれた居酒屋さんに


ふたりは「おめでとう~」って 花束を持って登場

嬉しかった



まあ 実の2人の子は 親の事情が変わるので 気を揉むのは当然で(申し訳ないけどね)

でも 若旦那も 私を気遣ってくれるのが 本当にありがたいことで・・・

4人で 約4時間 楽しく しゃべりながら 美味しいものをいただいて 飲んで

嬉しい ひと時を過ごさせていただきました



本当にありがたいなぁって思いました

子育てに関しては 仕事的には 一応プロ

でもね やっぱり 自分の子には 仕事モードでは接するのはムリでして・・・


2人の子は 私のことを どう思っているのか?

不安でした


だから 今回のようなことがあって  すごく嬉しかった

未熟ながら 一生懸命やってきたことは マイナスじゃなかったんだなってね



この 嬉しさを栄養にして 更に前向きに生きて行こうって

改めて思いました



白子の天ぷら クリーミーで 美味しかったぁ

今度 友達と行こうっと


実の子2人&若旦那&にゃんこ

最強の応援団だぜ





ちょっこし 嬉しかった♪

2012年03月25日 12時04分53秒 | 日記
昨日 娘夫婦が 恒例のにゃんこを見る会に やってきました
(会といっても 「暇? 猫に会いに行っていい?」と電話がくるだけですが・・)

若旦那は 用事があり 途中で抜け  娘としげる ふたりでゲームをやっていました

マリオカート・ドンキーコング  懐かしい~

子ども達が小さい頃 よく私も仲間に入れてもらって 負けてたっけ

そんなふたり  小さい頃は 本当に仲が悪くてねぇ 将来を心配したことが

何度もありましたが

もう ふたりとも成人し かたや家庭を持ち  仲良しになりました


そんな2人が ゲームをしながら話してました(私は PCやってました)

「しげるさ どっちと暮らすの?」

「ま 仕事で 遠くにいかされなきゃ おかーさんだよ」

「へぇ エライッ

「だってさ おやじはほっといてもいいけど おかーさんは1人にするのは心配だよ」

 そんな会話でした

PCをしてましたから 2人には背を向けてましたが


私の顔は

にま~

嬉しかったぁ


で・・・


嬉しいと思って にんまり笑った自分に 「おやっ?」と思ったんだ

きっと 1ヶ月前なら うれしくて 涙が出たと思うのよ

でも 今は 笑顔がでた

「きっと 私 安定してきたんだなぁ」ってね 思いました

心療内科の 心理テストの結果もね 

「安定してきましたよ」とDRが 言ってくださいました


結構 強いじゃん 私

それもこれも 子ども達&若旦那が 心配・応援してくれているおかげだなぁって

実感しました


それに グチを聞いてくれた同僚や友人

そして ここで 私を見守ってくださっているみなさん


たくさんの人のおかげで 前を向いて シャンとしていられます

ありがとうございます

一歩一歩 進んでおりまする





                           


5月に やることがあってね  ちょっと やる気を出さなきゃいけないんだ

昨日までは まったりしていたんだけど さきほど 気持ちを入れ替えました

午後から 一つ 取り掛かろうと思います  5月のことは  また後日聞いてね


私の仕事は 今 春休み中

時間がたっぷりあるから そこで一気に集中して やろうと思っていたのですが・・・

来週は ほぼ毎日 病院の予約なんだ・・・


やばいっ

いつも ギリギリにダッシュする女なんですが  今回のことは ダッシュはできないので

ちょっと 自分のお尻叩いて 計画立てないとなぁ





って 書くと 気になるでしょ?

5月に何するのよぉ???


ひひひ

もう少し 秘密ですぅ