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紫苑の部屋      

観劇・絵画と音楽・源氏物語      
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六条御息所と明石の君―源氏物語第18帖松風その2

2013-06-06 23:46:59 | 源氏物語
六条御息所を引き継ぐ明石の君、
といわれる、
それは何気ない記述、
明石の巻の、源氏の
 御息所と似たり、
という第一印象…
が暗示していました。
その程度の似かよりと思っていましたが、
松風の巻になって、作者の明確な意図をもって位置づけられたものであることが、
明かになります。

六条御息所と明石の君を結びつけるもの、それは
松風の歌とそれを詠んだ徽子(きし)親王(↑写真)、であります。

(醍醐天皇の皇孫)徽子親王は、
歌と七弦琴(琴の琴)に優れていたという。

娘の斎宮とともに伊勢に下った史実が御息所に
みずからも入内して(村上帝)斎宮女御となったことが秋好中宮に
重なります
そして松風の歌が明石一族を御息所母子に結びつけます。

斎宮女御徽子女王の歌
  野宮に齋宮の庚申し侍りけるに松風入夜琴といふ題をよみ侍りける

  琴の音に峰の松風かよふらし いづれの緒より調べそめけむ

上京し、大堰の別邸で源氏を待つ明石の君、
明石での別れのとき源氏が残してくれた琴の琴(きんのこと)を引き寄せ、
  かの御形見の琴を掻き鳴らす
  折のいみじう忍びがたければ
  松風はしたなく響きあひたり

また、遡ること賢木巻野宮の条でも
  浅茅が原もかれがれなる虫の音に
  松風すごく吹きあわせて
  そのこととも聞きわかれぬほど

とありました。
松風のこの響き合い、見事といわざるをえませんね。

さらに、徽子女王は
醍醐帝―村上帝の御代を、
桐壷帝―冷泉帝の聖代の準拠として結びつけているわけですね。
 
 


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