アッツ島をご存知でしょうか。
アメリカ、アラスカ州の島です。
氷の世界に覆われたそれはそれは寒い場所です。
昭和18年(1943年)5月12日、米軍がアッツ島に上陸して以来、昭和天皇陛下は
戦況を大変ご心配されていました。
そして、5月29日夕刻、アッツ島から電報が発せられました。
「機密書類全部焼却。是レニテ無線機破壊処分ス。」
アッツ島の玉砕をお聞きになった昭和天皇陛下はしばらく静かに佇んでおられましたが、
「アッツ島の守備隊は、最後までよく戦ったと打電せよ。」とお命じになりました。
上奏した杉山元参謀総長は、天皇陛下がお聞き間違いになったかと思い、
「恐れながら、打電しても受け取る者がおりません。」と申し上げたところ、
すると昭和天皇陛下は
「構わぬ、それでも構わぬから打電せよ」とお命じになったのです。
そして、もう、誰も受け取ることが出来ない天皇陛下のお言葉がアッツ島守備隊に向けて
打電されたのでした。
最後の突撃の時、山崎部隊長は終始、陣頭で指揮を執っており、右手に軍刀
左手に国旗を持っていた姿が両軍によって確認されています。
2,638名の戦死、捕虜27名。
生存率1%の戦いであったという。
山崎部隊長の生家の保寿院の境内には父、山崎玄洞によって「アッツ観音」が
建立されたという。
アメリカ、アラスカ州の島です。
氷の世界に覆われたそれはそれは寒い場所です。
昭和18年(1943年)5月12日、米軍がアッツ島に上陸して以来、昭和天皇陛下は
戦況を大変ご心配されていました。
そして、5月29日夕刻、アッツ島から電報が発せられました。
「機密書類全部焼却。是レニテ無線機破壊処分ス。」
アッツ島の玉砕をお聞きになった昭和天皇陛下はしばらく静かに佇んでおられましたが、
「アッツ島の守備隊は、最後までよく戦ったと打電せよ。」とお命じになりました。
上奏した杉山元参謀総長は、天皇陛下がお聞き間違いになったかと思い、
「恐れながら、打電しても受け取る者がおりません。」と申し上げたところ、
すると昭和天皇陛下は
「構わぬ、それでも構わぬから打電せよ」とお命じになったのです。
そして、もう、誰も受け取ることが出来ない天皇陛下のお言葉がアッツ島守備隊に向けて
打電されたのでした。
最後の突撃の時、山崎部隊長は終始、陣頭で指揮を執っており、右手に軍刀
左手に国旗を持っていた姿が両軍によって確認されています。
2,638名の戦死、捕虜27名。
生存率1%の戦いであったという。
山崎部隊長の生家の保寿院の境内には父、山崎玄洞によって「アッツ観音」が
建立されたという。
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