考えてみたら「チーム・バチスタの栄光」の映画も原作もテレビドラマも全部見たのにどれもレビュー書いてませんでした(笑)←書きかけ放置
今更ですが、追って書いていく…かもしれません。
ちなみに私の中で面白さは
原作>>>(超えられない壁)>>>映画>>>>>>>>>ドラマ
でしたね。見た順番は映画→原作→ドラマでしたけど。
さて、シリーズ一作目についてはまたあらためて、ということで先にこちらを。
私はよっぽど何某かの理由がない限り所謂小説の単行本は買わずに文庫化を待つ方でして(新書版で刊行される京極夏彦の妖怪シリーズは例外)「チーム・バチスタ」も文庫化してから、正確に言うと『映画を見るのを待って』読みました。続くシリーズに関しても文庫化してから読もうと思っていたもので、年末年始に『ナイチンゲールの沈黙』と『螺鈿迷宮』をまとめ読みすることに…。
←これは単行本の方。私が読んだ文庫版は上下巻に分巻されてます。
《あらすじ》
『バチスタ・スキャンダル』から9ヵ月後。
東城大医学部附属病院小児科病棟の看護師・浜田小夜はレティノブラストーマ(網膜芽腫:眼球の癌)患者の子供たちを担当していた。幼くして眼球を摘出するしかない子供たちの運命に心を痛め、不定愁訴外来の田口公平にメンタルサポートを依頼する。
そしてまた小夜は、手術するには保護者の同意が必要だというのに、そして手術しなければ全身に癌が転移して生命の危険すらあるというのに連絡すら取れない親の対応にも苦慮していた。
そんな中、その親がバラバラ遺体で発見される。
警察庁から出向中の切れ者警視正・加納が捜査に乗り出し、厚生労働省の『火喰い鳥』白鳥圭輔まで加わって死因や犯人の割り出しに臨むことになるが───
一方、偶然小夜が居合わせたライブハウスで突然吐血し倒れた伝説の歌姫・冴子と小夜の『歌声』が持つ不思議な力とは───
本作は「チーム・バチスタ」で見せられたようなミステリを期待して読むと肩透かしを食らう作品と言ってしまっていいだろう。
前作では、起こっている術死が単なる(手術が困難である為の)手術失敗なのか、医療ミスなのか、それとも殺人なのか──つまり、これは「事件」なのか「事故」なのかという部分が大半の謎だった。
本作では「バラバラ遺体」「警察」そして「容疑者」が登場する。
つまり、あきらかにこれは「事件」であり、部品としては前作よりよほど「ミステリ」「サスペンス」の筈なのである。
しかし本作にはこれに加え「ファンタジーSF」とでも言うか、医療系ミステリには多少収まりの悪い神秘的な設定が登場する。
結果として、本作は医療現場を舞台にしたファンタジーSFでありヒューマンドラマにサスペンス要素を加えたもの…とでも言ってしまっていいのではないかと思う。
むしろ、田口白鳥シリーズ2作目にしてこの作品を持ってきたというのは「このシリーズにミステリ然としたミステリを要求しないで」という作者の無言の主張にすら思えてくる。
殺人。
バラバラ遺体。
すでに犯人は読者に対して提示されているも同然。
その提示された「犯人」が真犯人なのか、それとも別の「容疑者」なのか。
犯人はどうアリバイを成立させたのか。
そして群がる探偵たちはどうやってその犯行を証明していくのか。
ミステリといえばその部分に絞られるわけで、これではミステリ愛好家には少々物足りないだろう。
だからこれは、人間ドラマとして読んだ方がしっくりくる。
小児病棟の看護師、
幼くして眼球を摘出しなければならない子供たち、
不思議な歌の力で人々から崇拝もしくは畏怖すらされる伝説の歌うたい、
そのマネージャー。
彼らが互いに関わりあい影響を与えあいやがてそれぞれの結末へ向かう様は極彩色の織物のよう。
さしずめ彼らが縦糸、そして田口、白鳥、加納ら「探偵たち」が横糸。
専門分野にもかかわらず素人にも判り易く書かれた文章に魅力的な登場人物たち。
それに加えおそらくは作者が小説を書く最大の目的ではないかと思われる、現代の医療現場の問題点や矛盾点についても手を変え品を変え突いてくる。
この作者は一貫してオートプシー・イメージングの重要性を主張しているわけだが、この作品ではその一方で、人間の持つ未知の神秘な力の前ではデジタルが補助にしかならないことを描いている。
ロジカル・モンスターもデジタル・ハウンドドッグも、犯行現場や残された遺体から犯人を割り出すことは出来てもその深層には踏み込めない。それを詳らかにするのは小夜の不思議な歌の力だったわけだ。
作者はただのデジタル礼賛ではないということをも、このファンタジーSFめいた作品で言いたかったのかもしれない。
この作者の作品群は架空の地方都市「桜宮市」(なんとなく千葉県のイメージで読んでたのだが作者が千葉出身らしいので当たらずとも遠からず…だと思う)を舞台に遠く近く関係し合いながら展開している。
※追記※どうやら静岡県あたりらしい…※追記終わり※
それぞれ単体でも勿論楽しめるが、他出版社から出ている別の作品も合わせて読むと何倍も楽しめると思う。
以下、ネタバレ含みます。未読の方はご遠慮下さい。
冴子や小夜の「歌」が映像を見せる──主観的で非科学的なこの現象を医療の手法で証明するというのは「医療現場を舞台とした」物語として一番自然で、妙な説得力を持っている。
そもそも脳のほとんどは未知の領域なのだから、もしかしたらそういう現象もありなのかも。
最初の段階で小夜が実行犯で瑞人が共犯だというのはおよそ察しがついたしアリバイ作りもたいしたトリックではなかった。
物語冒頭の解剖助手が小夜であることは読み進めていくうちにすぐに気づくことだし、解剖に慣れていたから遺体を解剖の手順でばらばらにするという手段を思いついたのだということも、本編で語られるまでもなく簡単に結びつく。
しかし、小夜のそれまでのキャラクターイメージでは
「過失にせよ人を殺してしまって、しかも遺体を解剖して、あるいは中学生の瑞人に協力させているにもかかわらず、何事も無かったかのように振舞う演技」
だけが妙に自然すぎて、私は逆に不自然に感じていた。
小夜はそんな罪を胸に秘めたまま平然と日常を送れるような女性だったか?と。
しかし、その小夜に「桜宮の闇」が囁いたのだとわかればなるほどと思う。
しかし、「力があれば罪は踏み越えられる」という言葉、その実践と成功が小夜の地盤としてあった。それが判ることでそこまで私が読み取っていた小夜の表層ではなく彼女の深層の闇が彼女の行動に説得力を与えてくれたのだ。
小夜は心の闇を拭うことが出来たのだろうか。
「力があれば罪は踏み越えられる」
小夜を闇へと導いてしまったのは碧翠院桜宮病院の桜宮巖雄院長。
彼から与えられた「闇」は現世では許されないことなのだということを、小夜はちゃんと理解することが出来たのだろうか。
そんな不安は少し残る。
巖雄院長に倣い罪を踏み越えようとした小夜。
そしてそれを覚えてしまった瑞人。
この二人が寄り添って生きていく時、再び彼らに闇が訪れなければ良いのだけれど。
ただ───
冴子の「ラプソディ」を昇華させる音を作ることが出来た城崎が傍にいてくれれば大丈夫なのかもしれない、根拠もなくそう思う。
瑞人の眼となって歌う小夜と、傍らで二人を見守る城崎。
いつか未来のそんな光景を思い浮かべれば、この作品の読後感がほんのりやわらかくなる気がする。
(個人的には小夜にはあまり感情移入できない…ぶっちゃけて言えばあまり好きにはなれない登場人物だったけど)
冴子の最期が哀しくも幸せで良かった。
ここに登場する「翠碧院桜宮病院」、小夜が誤った道筋を通ってしまった元凶を作ったその院長桜宮巖雄、そして白鳥の言う「桜宮の闇」───それらは次の作品(『螺鈿迷宮』(角川文庫刊))にまた絡んでくる。
また、文庫化はまだなので未読だが田口白鳥シリーズの次作『ジェネラル・ルージュの凱旋』(映画化決定済)と本作はどうも表裏一体の作品になっているらしい。
そんなモノは立て続けかもしくは同時に文庫化してくれないものか、とじりじり待っている次第。
↑っと思ったら出てるじゃんジェネラルの文庫!読まなきゃ!!
実は田口はこっちのシリーズでどれだけ重要だったのかを「螺鈿~」を読んで痛感したのだが、そのへんについても「螺鈿迷宮」のレビューを書く時に。
今更ですが、追って書いていく…かもしれません。
ちなみに私の中で面白さは
原作>>>(超えられない壁)>>>映画>>>>>>>>>ドラマ
でしたね。見た順番は映画→原作→ドラマでしたけど。
さて、シリーズ一作目についてはまたあらためて、ということで先にこちらを。
私はよっぽど何某かの理由がない限り所謂小説の単行本は買わずに文庫化を待つ方でして(新書版で刊行される京極夏彦の妖怪シリーズは例外)「チーム・バチスタ」も文庫化してから、正確に言うと『映画を見るのを待って』読みました。続くシリーズに関しても文庫化してから読もうと思っていたもので、年末年始に『ナイチンゲールの沈黙』と『螺鈿迷宮』をまとめ読みすることに…。
←これは単行本の方。私が読んだ文庫版は上下巻に分巻されてます。
《あらすじ》
『バチスタ・スキャンダル』から9ヵ月後。
東城大医学部附属病院小児科病棟の看護師・浜田小夜はレティノブラストーマ(網膜芽腫:眼球の癌)患者の子供たちを担当していた。幼くして眼球を摘出するしかない子供たちの運命に心を痛め、不定愁訴外来の田口公平にメンタルサポートを依頼する。
そしてまた小夜は、手術するには保護者の同意が必要だというのに、そして手術しなければ全身に癌が転移して生命の危険すらあるというのに連絡すら取れない親の対応にも苦慮していた。
そんな中、その親がバラバラ遺体で発見される。
警察庁から出向中の切れ者警視正・加納が捜査に乗り出し、厚生労働省の『火喰い鳥』白鳥圭輔まで加わって死因や犯人の割り出しに臨むことになるが───
一方、偶然小夜が居合わせたライブハウスで突然吐血し倒れた伝説の歌姫・冴子と小夜の『歌声』が持つ不思議な力とは───
本作は「チーム・バチスタ」で見せられたようなミステリを期待して読むと肩透かしを食らう作品と言ってしまっていいだろう。
前作では、起こっている術死が単なる(手術が困難である為の)手術失敗なのか、医療ミスなのか、それとも殺人なのか──つまり、これは「事件」なのか「事故」なのかという部分が大半の謎だった。
本作では「バラバラ遺体」「警察」そして「容疑者」が登場する。
つまり、あきらかにこれは「事件」であり、部品としては前作よりよほど「ミステリ」「サスペンス」の筈なのである。
しかし本作にはこれに加え「ファンタジーSF」とでも言うか、医療系ミステリには多少収まりの悪い神秘的な設定が登場する。
結果として、本作は医療現場を舞台にしたファンタジーSFでありヒューマンドラマにサスペンス要素を加えたもの…とでも言ってしまっていいのではないかと思う。
むしろ、田口白鳥シリーズ2作目にしてこの作品を持ってきたというのは「このシリーズにミステリ然としたミステリを要求しないで」という作者の無言の主張にすら思えてくる。
殺人。
バラバラ遺体。
すでに犯人は読者に対して提示されているも同然。
その提示された「犯人」が真犯人なのか、それとも別の「容疑者」なのか。
犯人はどうアリバイを成立させたのか。
そして群がる探偵たちはどうやってその犯行を証明していくのか。
ミステリといえばその部分に絞られるわけで、これではミステリ愛好家には少々物足りないだろう。
だからこれは、人間ドラマとして読んだ方がしっくりくる。
小児病棟の看護師、
幼くして眼球を摘出しなければならない子供たち、
不思議な歌の力で人々から崇拝もしくは畏怖すらされる伝説の歌うたい、
そのマネージャー。
彼らが互いに関わりあい影響を与えあいやがてそれぞれの結末へ向かう様は極彩色の織物のよう。
さしずめ彼らが縦糸、そして田口、白鳥、加納ら「探偵たち」が横糸。
専門分野にもかかわらず素人にも判り易く書かれた文章に魅力的な登場人物たち。
それに加えおそらくは作者が小説を書く最大の目的ではないかと思われる、現代の医療現場の問題点や矛盾点についても手を変え品を変え突いてくる。
この作者は一貫してオートプシー・イメージングの重要性を主張しているわけだが、この作品ではその一方で、人間の持つ未知の神秘な力の前ではデジタルが補助にしかならないことを描いている。
ロジカル・モンスターもデジタル・ハウンドドッグも、犯行現場や残された遺体から犯人を割り出すことは出来てもその深層には踏み込めない。それを詳らかにするのは小夜の不思議な歌の力だったわけだ。
作者はただのデジタル礼賛ではないということをも、このファンタジーSFめいた作品で言いたかったのかもしれない。
この作者の作品群は架空の地方都市「桜宮市」(なんとなく千葉県のイメージで読んでたのだが作者が千葉出身らしいので当たらずとも遠からず…だと思う)を舞台に遠く近く関係し合いながら展開している。
※追記※どうやら静岡県あたりらしい…※追記終わり※
それぞれ単体でも勿論楽しめるが、他出版社から出ている別の作品も合わせて読むと何倍も楽しめると思う。
以下、ネタバレ含みます。未読の方はご遠慮下さい。
冴子や小夜の「歌」が映像を見せる──主観的で非科学的なこの現象を医療の手法で証明するというのは「医療現場を舞台とした」物語として一番自然で、妙な説得力を持っている。
そもそも脳のほとんどは未知の領域なのだから、もしかしたらそういう現象もありなのかも。
最初の段階で小夜が実行犯で瑞人が共犯だというのはおよそ察しがついたしアリバイ作りもたいしたトリックではなかった。
物語冒頭の解剖助手が小夜であることは読み進めていくうちにすぐに気づくことだし、解剖に慣れていたから遺体を解剖の手順でばらばらにするという手段を思いついたのだということも、本編で語られるまでもなく簡単に結びつく。
しかし、小夜のそれまでのキャラクターイメージでは
「過失にせよ人を殺してしまって、しかも遺体を解剖して、あるいは中学生の瑞人に協力させているにもかかわらず、何事も無かったかのように振舞う演技」
だけが妙に自然すぎて、私は逆に不自然に感じていた。
小夜はそんな罪を胸に秘めたまま平然と日常を送れるような女性だったか?と。
しかし、その小夜に「桜宮の闇」が囁いたのだとわかればなるほどと思う。
しかし、「力があれば罪は踏み越えられる」という言葉、その実践と成功が小夜の地盤としてあった。それが判ることでそこまで私が読み取っていた小夜の表層ではなく彼女の深層の闇が彼女の行動に説得力を与えてくれたのだ。
小夜は心の闇を拭うことが出来たのだろうか。
「力があれば罪は踏み越えられる」
小夜を闇へと導いてしまったのは碧翠院桜宮病院の桜宮巖雄院長。
彼から与えられた「闇」は現世では許されないことなのだということを、小夜はちゃんと理解することが出来たのだろうか。
そんな不安は少し残る。
巖雄院長に倣い罪を踏み越えようとした小夜。
そしてそれを覚えてしまった瑞人。
この二人が寄り添って生きていく時、再び彼らに闇が訪れなければ良いのだけれど。
ただ───
冴子の「ラプソディ」を昇華させる音を作ることが出来た城崎が傍にいてくれれば大丈夫なのかもしれない、根拠もなくそう思う。
瑞人の眼となって歌う小夜と、傍らで二人を見守る城崎。
いつか未来のそんな光景を思い浮かべれば、この作品の読後感がほんのりやわらかくなる気がする。
(個人的には小夜にはあまり感情移入できない…ぶっちゃけて言えばあまり好きにはなれない登場人物だったけど)
冴子の最期が哀しくも幸せで良かった。
ここに登場する「翠碧院桜宮病院」、小夜が誤った道筋を通ってしまった元凶を作ったその院長桜宮巖雄、そして白鳥の言う「桜宮の闇」───それらは次の作品(『螺鈿迷宮』(角川文庫刊))にまた絡んでくる。
また、文庫化はまだなので未読だが田口白鳥シリーズの次作『ジェネラル・ルージュの凱旋』(映画化決定済)と本作はどうも表裏一体の作品になっているらしい。
そんなモノは立て続けかもしくは同時に文庫化してくれないものか、とじりじり待っている次第。
↑っと思ったら出てるじゃんジェネラルの文庫!読まなきゃ!!
実は田口はこっちのシリーズでどれだけ重要だったのかを「螺鈿~」を読んで痛感したのだが、そのへんについても「螺鈿迷宮」のレビューを書く時に。
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