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癒さぬ傷口が 栄光への入口

「チーム・バチスタの栄光」(映画)

2009-01-15 | エイガ。
※この記事の大半は映画を見た直後、約1年前の2008年2月初旬、原作を読む前に書いたものです。
映画を見た直後の感覚を大切にしたいので書きかけの部分を補足したのみで他は手を入れずにアップします。[2009年1月]



「チーム・バチスタの栄光」は現役医師・海堂尊が書いた病院を舞台とする医療ミステリである。
読んでみようかと思っていたところへ映画化の話を聞き、しかも吉川晃司がエリート天才バチスタ医師役で出演するということなのでとにかく映画を見るまでは原作はおあずけとすることにした。
繰り返し書いているように、私は小説などの映像化作品はもし原作を未読であれば極力映像の方を先に見ることにしている為だ。

さて、ようやく映画が公開になり、見に行ってきた。
昨日見てきたばかりなので、まだ原作は未読。
なので感想も原作の影響のない状態のまま書いてみる。


映画館では上映前、EXILEの歌う主題歌が流れていた。
「う~ん、この明るく爽やかな曲がこの作品の最後に流れて合うんだろうか?」
などと他愛もないことを考えながら鑑賞開始。

おお、キッカワがちゃんと医者に見える。<そこか

私は吉川ファンだからどうしても贔屓目に見てしまうので、冷静な第三者の感想も聞いてみたいのだが、個人的には意外なくらい「エリート外科医役」が嵌っていたのに驚いた。
なまじっか演技の達者な「本職」の役者がこの『桐生』という役をやったらむしろくどい感じになってしまったんだろうかと思う。
監督がどういう意図を持ってこの重要な役に吉川晃司をキャスティングしたのかはパンフレットにも書かれていなかったのではっきりしたことはわからない。
一見明朗快活な切れ者で、性格も穏やか、責任感も強く、ただ胸の裡に暗く重たい苦悩を隠し持っている。こうした役をやりこなす役者は日本に山ほどいる筈だ。
が、ここに吉川を配したというのはつまり達者な演技ではなく、所謂『存在感』を求められたのだろうということは何となく察することが出来る。

とはいえ、一流の外科医の役で手術シーンがメイン。
いやー、吉川よく頑張った(笑)。
縫合のシーンがなかなかうまくいかず、指導の『本物のバチスタ医師』(日本で初めてバチスタ手術を成功させた須磨先生)の先生から
「ロックではなくバラードを歌ってるような感じで」
とアドバイスされた途端成功した吉川はやはりミュージシャンだなーと思うわけで。そうアドバイスした先生も凄い。


 映画「チーム・バチスタの栄光」公式
◆監督:中村義洋◆脚本:斉藤ひろし・蒔田光治◆出演:阿部寛・竹内結子・吉川晃司 他

《あらすじ》
東城大学医学部付属病院。
心臓移植の代替手術である「バチスタ手術」。一般的には成功率60%と言われる手術にあって、東城大で米国帰りの外科医・桐生恭一(吉川晃司)を中心に結成された「チーム・バチスタ」は結成から26例を成功させ、「栄光の7人」と賞賛されていた。しかし26例の成功の後、立て続けに3例の術中死が発生。しかも、次の手術は海外のゲリラ少年兵士が患者でマスコミからも注目されている。
そこで病院は内々にこの術死の原因を探るべく、病院長は心療内科に調査を指示する。
教授の代理でこの調査を引き受ける(押し付けられる)ことになったのは、不定愁訴外来の心療内科医・田口公子(竹内結子)。
チーム・バチスタの7人に聞き取り調査を実施するも「特に問題なし」と判断する報告書を提出した田口の前に現れたのは厚生労働省の役人・白鳥圭輔(阿部寛)だった。
白鳥は田口の調査報告書を一笑に付しこれは殺人だと断言、改めて調査を開始するのだが───



全体的な印象としては、テーマの割にはライトな仕上がりになっていたということ。
医療という専門分野の中でのミステリーとなると小難しく作るのが格調高いような錯覚に陥りそうなものだが、いくら専門用語がばんばん飛び出してきても非常にわかりやすいつくりになっている。
難解そうなモノが好きな人には不満だろうが、ここまで敷居を下げて描くのは却って難しいのではないだろうか?と思う。

ただ、原作は『ミステリー』なのだろうがこの映画に関して言えば『ミステリー』よりももっと別のテーマをより強く描くことに腐心しているように見えた。

簡単に一言で言えば、それは『命』。
心臓にメスを入れるために一旦心臓を止めることを、桐生医師は「一旦患者を殺す」と表現する。
「(一旦止めた心臓の)再鼓動が来なかった時の恐怖はその場にいた者にしかわからない」

何度も繰り返される同じような手術のシーン。
その度、その恐怖が再現される。
「術死」と漢字二文字で表現してしまうにはあまりにも重い。
それでも、次の患者は待っている。
そして、また心臓を止めてはメスを入れ、再び動き出すのを身の竦むような緊張感の中で待つ。その繰り返し。

ただその中に、その重みを感じていない者が入り込んでいたとしたら…?


手術室で不審な死───殺人ではなく過失だとしても───があっても、多くの場合解剖されるわけでもなく深く追及されることなく術死として処理される。
現役医師である原作者が、その現実を晒したかったと話すインタビューを見たことがある。
※追記:原作および以降に続くシリーズを読むと、著者はこの点をこそ言いたいらしいことがわかる※

本作品中でも、あるケースで患者の心臓の再鼓動がなく死亡させてしまった後、執刀医の桐生が解剖しようと言うとその場にいるスタッフに一斉に反対されるという場面があった。
助かることを信じて手術に送り出した患者の家族に、その失敗と患者の死を知らせた上解剖までする許可を得るのはあまりに酷だという難しさも確かにあるのだろう。
しかし、この「失敗」に不審な点があるということを公表してしまうのはその病院で行う全ての治療に不信感を抱かせることにも繋がる。それは大学病院の対面だとか病院経営の根幹にも関わる問題だ。
たとえ大半の関係者に後ろめたいことが無かったとしても「それ」を恐れて公表を避けたいというのは「病院」という組織に属する人間としてある意味自然なことなのかもしれない。ただそこには患者の命に対する誠実さは存在しない。


さて、この物語の主人公は、心療内科医・田口公子(竹内結子)。
原作では中年男らしいのだが映画では若い女性に置き換えられている。
白鳥とのおっさんコンビは原作を読んだ時に楽しませてもらうとして、こちらはこちらで妙なコンビになる。いや、実際はコンビですらないのだが。
もう一人の主役・白鳥(阿部寛)はもう映画が中盤にさしかかったあたりでようやく満を持して登場するのだが実はその場面まで『阿部寛がもう一人の主役』ということをすっかり忘れていた(笑)。

巻き込まれてオロオロする田口はチーム・バチスタのメンバーに聞き取り調査をしたり専門用語(医者だが外科では門外漢)を尋ねたり、映画を見ている『こちら側』に近い視線でこの一件に関わっている。
それに対して白鳥は推理に頭を悩ますというよりも最初から判っている手品の種明かしの為に登場したかのよう。白鳥がやったのは、事実の裏づけとなる証拠なり証言を集めてそれを開示することだけだったような気がする。

『推理モノ』っぽく感じないのはそのせいもあるのかもしれない。

田口の勤務する不定愁訴外来は通称「愚痴外来」と揶揄されている。治療中や治療の終わった患者の「なんか調子が悪い」「これ医療ミスじゃないの?」という本来の担当医が「いや、治ってるし。それ気のせい」みたいな訴え=愚痴を丁寧に聞いてやる部署である。
調査などに巻き込まれて、実際の術死にも遭遇したりして、普段はどんな愚痴を聞いていても優しく聞いていた田口がついイライラとして患者にそっけない返事を返してしまう場面がある。
そしてそれに呼応して、事件の終焉を迎えて疲労とやるせなさで落ち込む田口の元へ患者たちがやってきて声をかける場面が用意されている。
普段自分に対して愚痴をぶちまけている患者たちが、「先生も大変だね」「元気だしなよ」「今日は俺たちが先生の愚痴を聞いてやるよ」と励ましてくれたことに思わず涙してしまう田口。

困ったね、うっかりホロリとさせられちゃったじゃないか(笑)。

そんなこんなで、事件の終わりは決してすっきりしたものではないのだけど、意外とEXILEの主題歌は浮いてはいなかった。

【以下ネタバレ含みます。ミステリー作品の為未見・原作未読の方はご遠慮下さい】


そもそも、この26連勝から一転して3連敗という成績が故意による、つまり殺人であるとは当初は誰も思っていなかったのだろう。
聞き取り調査の段階で、桐生の義理の弟・鳴海が「殺人だと思ってるんでしょ」と示唆するまでは関係者はまさか殺人だとは思っていなかっただろう。
その鳴海でさえ、本心ではこれが「殺人」だとは思っていなかったのだから。

そう、鳴海は義兄・桐生が視力の異常を隠して手術を続けていたことを知っていたから。
一連の術死はそのせいだと鳴海は思っている。
だから、調査にミスリードを与えようとしてわざと「殺人」などという言葉を持ち出したのだろう。
桐生は桐生で、術死は自分の視野狭窄によるミスなのではなく、別の要因がある可能性を探りたかった。だから自ら調査を依頼した。それを発見できたなら、騙し騙しでも手術が続けられると───

目を患い視界の多くを失いつつありながら、死に怯えながら手術の順番待ちをする患者を見捨てることが出来ずに手術を続けた桐生。
その桐生に誤って手首を切られ外科医としての道を閉ざされたことで桐生に自分の夢を投影する鳴海。

そして、自分の匙加減で死に行く患者と、蘇生させようと慌てふためくチーム・バチスタの様子を『娯楽』と呼んで楽しんでいた犯人───氷室。

氷室の冷たい狂気は、どうすれば「完全犯罪」が完遂できるかを熟知していた。
「医者の目の前で殺すこと」
手術室で行われた殺人は、詳細な死因を探ることなく処理される。
もし、白鳥が強行手段でオートプシー・イメージングを取ることがなければ、これは桐生の視野狭窄による手術ミスということで片付けられ、桐生が責任を負いメスを置いた後にも静かにその娯楽殺人は継続されていたのだろう。
栄光のチーム・バチスタだからこそ術中死が続いた事に関して疑問を持たれたのであって、他の現場で為された犯行だったなら疑問すら持たれることは無かったのかもしれない。



結果的に、術死は氷室による「殺人」だと明らかにされ、桐生のミスが直接の原因ではないことは判った。けれどそこに本当にミスは無かったのか?
皮肉にも患者を自分の手で救いたいという思いの強い桐生だからこそどうしてもメスを置くことが出来なかった。
(実際は違ったとはいえ)「あなたのしたことは立派な殺人だ」と白鳥に看破されたことでようやく桐生はメスを置く決断を下すことが出来たのだ。
次に術死が起これば、今度こそ自分のミスで患者を殺したことになる。
いくら自分の手術を待ち焦がれている患者が大勢いようと、そんな危険に晒すくらいなら手術の時期が遅れても他の病院を手配してやる方がまだましだと決断することがようやく出来たのだろう。

私は幸い基本的には非常に健康なのだが、日常生活に支障ない程度のちょっとした心臓疾患も持っていて、こういう話はいざとなると自分の身にも降りかかるかもしれないのでやっぱり怖い。
患者にとって桐生のような先生はきっと信頼できるだろうと思えるだけに、彼がメスを置かねばならない結末はなんだか残念だ(笑)。


それにしても
田口のソフトボールのシーンは(白鳥登場時とラスト)別に要らなかったなあ。
それなら、「事件」解決後チームのメンバーがそれぞれどうなったかをちらちらとでいいから見せて欲しかったかも。
垣谷先生が後を継ぐということでいいんでしょうかね。
もとから人手不足だった麻酔科の先生が更に酷いことになってなきゃいいんですが。

※原作読んだらさすがにそのあたりは触れられてましたね。


ちなみに、吉川晃司による撮影後日談。
【1】須磨先生に指導を受けていた吉川。メスを使う時に「そんな切り方じゃ細胞が潰れる!」と散々厳しく指導されていたらしいのだがある日須磨先生のご自宅を訪ねた時、先生自ら魚をさばいて刺身を振舞ってくれたのだそう。
ところが、その出来上がった刺身を見ると、『細胞潰れまくってむっちゃマズそうな刺身』だったのだそうで…
吉川曰く「なんで外科医ってニンゲン以外上手に切れんのじゃろうか…」
【2】撮影に協力して下さった病院の外科医の先生たちから電話。
「き、吉川くん、助けて!」
「何ですか?」
「魚を1匹まるごともらったんだけどさ、どうやって料理していいかわかんないんだよ」
「だってそこ(病院)、切るモノなんかいっぱいあるじゃないですか」
「ニンゲン以外切ったことなんかないもん!助けてよ!」

「なんで外科医って(ry」
そう呟きながらマイ包丁セットを手に病院に向かう吉川晃司なのであった…

以上、吉川FC会報の「K2伝説」というドキュメントまんがに載ってたので多少の脚色はあるかもしれません(笑)
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