day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

仰木彬さん逝く

2005-12-15 | ヤキュウ。
…………って嘘でしょ?


すんません、落ち着いてからまた何か書きます。


前オリックス監督の仰木彬さん死去
仰木彬氏が死去-野茂、イチローを育成
イチロー育てた 仰木彬氏が死去

今、「すぽると」の冒頭を見てて。
まだほんとに何と言っていいかわからずにいます。
整理できないまま、何か書きながらちょっと心を整理していこうと思います。


金村氏が言っていましたが、
昨年の野球殿堂入りのパーティーに、「俺に関わった人間は全部集めろ、費用は全部俺がもったる」といって人を集めこれを『生前葬』にすると仰っていたとのこと。
あのパーティのニュースのことはよく覚えています。
そして、盛大な『生前葬』をやったのだから自分が死んだら密葬にしてくれと、これは亡くなる直前の言葉だったそうです。


私が近鉄ファンになってパをよく見るようになった時には、仰木さんはブルーウェーブの監督でした。10・19も、優勝も、私には歴史上の出来事で、近鉄の仰木さんは歴史上の人物でした。
それでもやっぱり近鉄の話には欠かせない人で、もちろんブルーウェーブの話にも欠かせない人で。
近鉄監督時代の仰木さんの話を聞くにつけ、なんでもっと早く近鉄ファンにならなかったのだろう、ファンとしてリアルタイムでその時代を共有したかったと思ったものでした。


昨年、この2チームが合併ということになって消滅した時
「近鉄にもオリックスにもお世話になった恩返しを」
と、誰にも引き受け手のなかっただろう合併球団の監督を引き受けてくれました。

秋季練習の時、まだ単なる2チームの合同練習のようだったオリバ。
あのチームを、仰木さん以外の誰がここまでまとめることが出来たでしょう?

仰木さんが引き受けてくれていなければ、一年早く中村GMが監督として就任していたかもしれません。だとしたら、あのチームは、ここまでまとまることが出来たでしょうか?シーズン終盤までPO進出を争うチームでいれたでしょうか?

「仰木マジック」なんて言うけど、

今年あなたが見せた一番のマジックは、
合併で疲れきった選手や、あんなことがあったけどそれでもそちらを応援すると決めたファンたちに、『笑顔』を返してあげてくれたことなんじゃないかな───と思います。

私は、結局あなたを「ウチの監督」と呼ぶことは最後までなかったんだけど。



本当におつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。
酔っ払って雲から足を踏み外さないように気をつけて下さいね。



心からご冥福をお祈りします。


たくさんのトラックバックありがとうございます。
本当に沢山のファンに愛された人だったなあと、しみじみと感じます。

この記事をアップしたあと、焼酎のお湯割りを飲んで仰木監督に思いを馳せていました。

グラウンドで死ねたら本望や。

でもきっと遣り残したことも心残りも山ほどあったに違いない。
それを受け継いでゆくのも残された者のつとめであり、魂ってそうやって残されてゆくものなのでしょう。
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11 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
‥‥ (BJ@阪急沿線)
2005-12-15 23:59:49
正直、声もありません‥
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信じられない・・・ (ぷろもはん)
2005-12-16 00:02:50
それしか今は言えないです。

仰木さんがいたから、今もプロ野球が好きでいられた・・・



>さいんさん 無理しないで、書けるお気持ちになったときに書いてくださいね。
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大好きでした・・・ (☆maruko☆)
2005-12-16 01:09:36
ちょっと今、涙が止まりそうにないです。
返信する
速報をみて (katze)
2005-12-16 01:34:12
かなりびっくりしました。

まだ早すぎるよなって。

ご冥福をお祈りいたします。
返信する
まとめレスになりますが (さいん)
2005-12-16 11:57:09
頂いたコメントにどうレスすればよいかも迷うのでまとめさせて頂きます。

本当に魅力的な監督でした。

他にももっと色々言いたいことはあるのだけど、

それは言ってはいけないことのような気もするので

ただただ悼み、感謝するばかりです。
返信する
私も・・ (りさ・ふぇるなんです)
2005-12-16 14:27:59
お悔やみの言葉とか言えないんですよね。。

仰木さんのキャラが・・似合わないんですよね、お悔やみが。。

それに、仰木さん、ドリフのコントみたいに「まだ死んでないのに~」とかいって出てきそうで・・・



>酔っ払って雲から足を踏み外さないように気をつけて下さいね。



仰木さんにぴったりの言葉ですよ。

落ちてきたらまた野球やりましょう。

まだ信じてないですけど。。
返信する
とうとう・・・ (ぼたん)
2005-12-16 14:45:21
逝っちゃいましたね...魔法使いなのに自分には魔法が使えなかったんだ

なんだか今日一日仕事になりません
返信する
ありがとう・・・ (いろは あまね)
2005-12-16 22:51:59
癌だったんですね。

今年一年、それを承知で采配を振るっていたんですね。

最後までカッコよすぎます・・・。

仕事に命を懸けれる・・・

自分もこうなりたいって思いました。

今は口だけだけどいつかはこういう人になりたいって思わされました。



私がこうして普通にオリックスバファローズを応援できるようになったのは仰木さんが監督になってくれたのが非常に大きかったです。

去年あんなことがあったので野球観戦をしなくなってもおかしくなかったんですが仰木監督が球場に引き戻してくれました。

ほんとにありがとうございました。



今年、球場では「仰木さん、寝てるんちゃうんか?」とか行ってごめんなさいです。

球場に化けて出てきて下さいね。



心からのご冥福をお祈りします。

返信する
御疲れ様でした (giants-55)
2005-12-19 16:31:57
書き込み有難うございました。



仰木氏が御亡くなりになったという一報には、唯々驚きでした。2週間程前の週刊誌(週刊ポスト)の対談で、エモやんが「仰木さんが入院されている。」といった事を言われていたのですが、兎に角病気とは無縁なイメージしかない仰木氏でしたので、人間ドッグ程度の事と軽く考えていました。



何でも11年程前から肺癌と闘われていたのだとか。西鉄野武士軍団の生き残りとして、又、パ・リーグの火を絶やさない為にと、自らを鼓舞して豪放磊落さを必要以上に演じていたとしたら・・・凄く切ないです。



球界の危機を口にする野球人は多く居ますが、その多くが自らをアピールしたいが為という匂いを感じてしまいます。そんな中、仰木氏は数少ない、本当に野球を愛した一人ではなかったかと思います。そして、パンチョ伊東氏と並んで、パ・リーグを何とか盛り上げようと尽力していた方だったとも思っています。



合併の経緯から、反発の大きかった新生チーム。その反発を少しでも和らげようと、オリックスが彼を監督に引っ張り出したのは想像に難く在りません。それを判っていながらも、敢えて火中の栗を拾った様に思える彼に、本当の意味の男気を感じましたし、逆にそういった形で彼を”利用”したオリックスという企業に憤りを覚えます。



今は唯、御疲れ様の一言だけです。



P.S. 時代劇って昔は20時位からの放送が多かった気がします。一般的に生活サイクルが遅い時間に移行し、それに伴って19時~21時位の時間帯の番組はなかなか目にする機会が自分もなくなりました。



「必殺シリーズ」の様に完全に娯楽物として割り切って何でも在りという感じの物も面白いのですが、やはり時代考証をしっかり行なった上での、本格派の時代劇が見たいです。
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選手はON、監督は仰木 (ナタデココ)
2006-01-12 04:36:37
故仰木彬監督に国民栄誉賞を。
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