2020年6月21日 清水和恵
ヨハネは、聖霊を「弁護者」と呼んでいます。ここでの弁護者は、いわゆる弁護士と同じような働きをする存在であると、理解してよいと思います。
弁護士は社会の中で起こるさまざまなトラブルを解決するために働き、助けを必要とする人にとって、心強い味方です。弁護士バッジのデザインは、外側がひまわりで、中心に秤が描かれています。ひまわりは正義と自由、秤は公正と平等を追求することを表しているそうです。これまで「人権派弁護士」と言われる弁護士たちにお会いする機会が、何度かありましたが、ほとんど手弁当で骨身を惜しまず、弁護士のバッジに象徴されているとおりに、尽力されている姿に感服を覚えることがありました。
イエスはまさに弟子たちの弁護者でした。ところがイエスが天に帰ったあと、「別の弁護者」である聖霊が弟子たちに降ると、約束されました。
ヨハネ福音書が記された90年代は、イスラエルはローマ帝国の 厳しい支配下にあり、ユダヤ教からもキリスト教徒は激しい迫害に遭っていました。ユダヤ人の会堂からキリスト教徒が追放される事態が起こりました。会堂からの追放は、村八分にあうことを意味しています。何故なら会堂は宗教だけでなく、文化、教育、自治などの総合的な機能をもつ地域センターのような役割をもっていたからです。会堂の出入り禁止は事実上の地域社会からの排除です。
迫害、弾圧の嵐にあったキリスト教徒にとって、聖霊は人権派弁護士のように心強い味方であり、助け手であったのです。最初はユダヤ教の一派にすぎなかったキリスト教は、次第に独自の道を歩むようになります。
さて「弁護者」と訳された言葉(パラクレートス)は、「呼びかけられた者」という意味です。新発寒教会の前の幹線道路である下手稲通にはしょっちゅう、消防車や救急車がサイレンを鳴らし走っていますが、呼ばれたら大至急、現場に到着しなければなりません。「弁護者」である聖霊も、呼ばれたらすぐに駆け付ける存在です。(21日の礼拝メッセージをしている最中に、偶然にも救急車がサイレン鳴らし通りすぎましたね。)
学生時代によく聴いたシンガーソングライターのキャロル・キングやジェームス・テイラーが歌って大ヒットした70年代の作品「君の友達」の歌詞は、聖書に記された弁護者を思わせます。
君の友達(You’ve got a friend) 詩:キャロル・キング
あなたが落ち込み、困り果て 思いやりが必要な時、何もかもうまくいかないときは目を閉じて私を思い出して。そしたらすぐに、あなたのところに行って、暗い夜も明るくしてあげる。ただ、私の名前を呼べばいい。どこにいても、何度でも、あなたのところへ駆けていくよ。冬、春、夏、秋。 呼んでくれたらすぐにいくから。あなたには友達がいる。それは素敵なこと。(1番)
私たちにもこんな素敵な友達がいたら、心強いですね。また、こんな友達になりたいですね。聖霊は、このような心強い友達のようだと、イエスは語るのです。
聖霊に呼びかけるとは祈ることです。1世紀末のクリスチャンは、厳しい迫害の中、聖霊に導きを求めて熱心に祈ったことでしょう。聖霊は祈りに応えて、私たちを導きます。そして、イエスを信じる者の傍らにあって、真理の道を示し、励ましと勇気を与えるのです。