クイズ番組をやっていた。
三枚の絵画が表示され、それぞれの作者は誰でしょう?という問題だった。
「全部ゴッホじゃん」と僕はつぶやいた。
タイムリミットギリギリで、女性の回答者がボタンを押して、答えた。
「ゴッホ・・・ゴッホ・・・ゴッホ」
ピンポーンピンポーン!正解です!
回答者の女性は、出演者たちから感嘆の声を浴びていた。
どうも、こんばんは、絵画問題がそこそこ得意みたいなしんぐです。どうぞよろしくシクヨロ。ミロとピカソも得意です。どうぞよろシクヨロ。
ニューアルバムの中に、こんなタイトルの曲がある・・・「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」。
ん?あってたっけな?そんなんだったかな?違ったかな?「ちょっとした」の箇所は字数の関係で削除したんだったっけかな?忘れたなぁ。ははは。
僕は僕を嘘つきだとは思っていないんだけど、全然思っていないんだけど、周りの人が僕のことを嘘つきだと思っているってことが、僕が僕を嘘つきなんじゃないかと思う大きな要因であるわけで、つまり僕は、もしかしたら嘘つきなのかもしれないなぁ。もしかしたらね。
さっき、パエリアは食べていないと書いたのだけれど、実はバレンシアで食べているわけで、そういうところを切り取って、嘘つきだと思われているのだとしたら、ちょっと心外だなぁ。
だって、実際、マドリッドでは我慢したわけで、本場のバレンシアまで我慢するぞ!と我慢したわけで、バレンシアで食べたパエリアは、完全なツーリストメニューだったみたいで、安かったせいか全然美味しくなかったわけで、それなのに、そこを切り取って嘘つきだと言われちゃうのだとしたら、やっぱりそれはちょっと心外だなぁ。
だって、まだ、本場の美味しいパエリアを食べていない。
つまり、僕は嘘つきではない。というのが、僕のちょっとした考察。
「僕が嘘を・・・」を聴きながら「嘘をつく理由を探しています。
といった主旨のメールをいただいた。
あのね、そんなの、探しても無駄だよ。だってね、そんなの、歌の中に書いてないんだもの。そもそも、おれ、嘘つきじゃないし。
とか、無粋なことは言わないんだよ、僕は。
「自分に嘘はつかないように生きなさい」とか言うでしょう?たまに聞かない?そういう感じのこと。「自分に正直に」というような感じ。
僕はね、それって大事なことだと思うよ。よくわかんないけどね。意味がね。たぶん、おれ、自分に正直だから。心のままだから。
でもね、時々、自分に嘘をつくんだよ。
心が「もうダメだぁ」と弱気になった時とか、「いや、まだ大丈夫」って嘘をつく。
心が「怖いよぉ~」と臆病になった時とか、「えっ?全然怖くないけど?」って嘘をつく。
心が「嫌だよぉ行きたくないよぉ」と弱虫になった時とか、「えっ?全然平気だけど?」って嘘をつく。
自分に嘘をついて言い聞かせると、自分自身が騙されて、なんだかヘッチャラになったような気がする、ような気がする。
そうやって僕は、前に進んで来たような気がする。
そういう意味では、僕は完全な嘘つきだ。
そうでもしなきゃ、こんな世界は泳ぎ切れない。
肝心なのは、自分が何をしたいのか?ってこと。
前に進みたいのに進めないのならば、自分に嘘をついてでも前に進ませる。
何かをやりたいのにやれない自分がいるのならば、自分を騙してでもその何かをやらせる。
肝心なのは、自分が何を望むのかってことだ。
深いなぁ・・・深い唄だなぁ。さすがだなぁ。おれって、さすがだなぁ。
アヤちゃん、そんなわけで、そんなことを考えながら、「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」を聴いてみてください。
たぶん、さっぱりわからないと思います。
でも、それがしんぐの唄の深さ、だったりするのです。はい。よろしくシクヨロ。
三枚の絵画が表示され、それぞれの作者は誰でしょう?という問題だった。
「全部ゴッホじゃん」と僕はつぶやいた。
タイムリミットギリギリで、女性の回答者がボタンを押して、答えた。
「ゴッホ・・・ゴッホ・・・ゴッホ」
ピンポーンピンポーン!正解です!
回答者の女性は、出演者たちから感嘆の声を浴びていた。
どうも、こんばんは、絵画問題がそこそこ得意みたいなしんぐです。どうぞよろしくシクヨロ。ミロとピカソも得意です。どうぞよろシクヨロ。
ニューアルバムの中に、こんなタイトルの曲がある・・・「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」。
ん?あってたっけな?そんなんだったかな?違ったかな?「ちょっとした」の箇所は字数の関係で削除したんだったっけかな?忘れたなぁ。ははは。
僕は僕を嘘つきだとは思っていないんだけど、全然思っていないんだけど、周りの人が僕のことを嘘つきだと思っているってことが、僕が僕を嘘つきなんじゃないかと思う大きな要因であるわけで、つまり僕は、もしかしたら嘘つきなのかもしれないなぁ。もしかしたらね。
さっき、パエリアは食べていないと書いたのだけれど、実はバレンシアで食べているわけで、そういうところを切り取って、嘘つきだと思われているのだとしたら、ちょっと心外だなぁ。
だって、実際、マドリッドでは我慢したわけで、本場のバレンシアまで我慢するぞ!と我慢したわけで、バレンシアで食べたパエリアは、完全なツーリストメニューだったみたいで、安かったせいか全然美味しくなかったわけで、それなのに、そこを切り取って嘘つきだと言われちゃうのだとしたら、やっぱりそれはちょっと心外だなぁ。
だって、まだ、本場の美味しいパエリアを食べていない。
つまり、僕は嘘つきではない。というのが、僕のちょっとした考察。
「僕が嘘を・・・」を聴きながら「嘘をつく理由を探しています。
といった主旨のメールをいただいた。
あのね、そんなの、探しても無駄だよ。だってね、そんなの、歌の中に書いてないんだもの。そもそも、おれ、嘘つきじゃないし。
とか、無粋なことは言わないんだよ、僕は。
「自分に嘘はつかないように生きなさい」とか言うでしょう?たまに聞かない?そういう感じのこと。「自分に正直に」というような感じ。
僕はね、それって大事なことだと思うよ。よくわかんないけどね。意味がね。たぶん、おれ、自分に正直だから。心のままだから。
でもね、時々、自分に嘘をつくんだよ。
心が「もうダメだぁ」と弱気になった時とか、「いや、まだ大丈夫」って嘘をつく。
心が「怖いよぉ~」と臆病になった時とか、「えっ?全然怖くないけど?」って嘘をつく。
心が「嫌だよぉ行きたくないよぉ」と弱虫になった時とか、「えっ?全然平気だけど?」って嘘をつく。
自分に嘘をついて言い聞かせると、自分自身が騙されて、なんだかヘッチャラになったような気がする、ような気がする。
そうやって僕は、前に進んで来たような気がする。
そういう意味では、僕は完全な嘘つきだ。
そうでもしなきゃ、こんな世界は泳ぎ切れない。
肝心なのは、自分が何をしたいのか?ってこと。
前に進みたいのに進めないのならば、自分に嘘をついてでも前に進ませる。
何かをやりたいのにやれない自分がいるのならば、自分を騙してでもその何かをやらせる。
肝心なのは、自分が何を望むのかってことだ。
深いなぁ・・・深い唄だなぁ。さすがだなぁ。おれって、さすがだなぁ。
アヤちゃん、そんなわけで、そんなことを考えながら、「僕が嘘をつく理由についてのちょっとした考察」を聴いてみてください。
たぶん、さっぱりわからないと思います。
でも、それがしんぐの唄の深さ、だったりするのです。はい。よろしくシクヨロ。