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!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

蜜を吸う鳥

2007-02-23 09:41:20 | 生活とその意見
 昔サンディエゴのホテルで庭を眺めていたら、毛糸球のようなものが赤い花の周りに浮遊していた
 実物のハミングバードを観たのは、それが初めてだった
 大きめのセミのような感じで花の蜜を吸っている
 不思議な気分で、その日は、ハミングバード目撃の日として特別な一日になった
 不思議な事もあるものだと思ったものだ
 蜜を吸う鳥はハミングバードに限らない
 庭の白梅に夫婦らしきメジロが忙しく蜜を吸っている
 多分間違いないと思う
 こんな身近で毎年起きていることだとは、意識しなかった
 「鳥といえば、虫でしょう」という固定観念が如何に強固なものか思い知る!!
 とにかく、今日もメジロは蜜を吸うのに忙しい
 なんか羨まし!
 
 

白梅

2007-02-22 09:25:34 | 生活とその意見
 紅梅の次に白梅が咲き、遅咲きの紅梅が咲き始めている
 梅の木は五本あったのだが、一本は塀を生垣に直す時に切ってしまった
 だから今は四本しかない
 どの梅も綺麗だ
 毎年花をつけ、実もなってくれる
 完全に春だと実感する
 

何かいいことないかな?!

2007-02-21 12:21:20 | 生活とその意見
 どう考えても大していい事なぞなさそうなのに、何かしらいいことがないものかと思わずにはいられないものらしい
 この何かしらいいことというものの正体が、何なのかは人にもよるし、時期にもよる
 いづれにしろ、何となく、滑稽
 なぜかわからないが、みっともない
 すがる感じが滑稽感の源にある
 すがってイケナイというのではない
 ただ、すがっているものがワラだから問題なのだ
 この世にいいことなどないと言いたいわけではない
 むしろ、この世は歓びに満ちていると言いたい
 話は逆で、大していい事がないどころか、面白しろくもないことの連続だから、何かいい事がないものかと切実に思うのではある
 しかし、なぜか同情の念が起きない
 多分、ここで問題になっている「いいこと」が多寡が知れすぎていて、「どうでもいいこと」に限りなく近いせいだと思う
 

 

辻占い

2007-02-15 09:46:18 | 生活とその意見
 辻占いは、夕方に辻に立って、通りすがりの人が話す言葉を元に占うものだ
 辻は人通りが多い場所で、いろいろな言葉が飛び交う空間でもある その中から、耳に届く言葉が占いの種になる
 占いの本質はアトランダムにあるということだと思う
 アトランダムが嫌なら自由といってもいい
 占いに従うというのは、自由にするということと同義だ
 もっとも自由といっても「好き勝手をする」という意味ではない
 それはむしろ不自由そのもので、むしろ好き勝手からこそ、自由になって、行動を選択するという自由のことだ
 「人が占いにハマルのが、基本的にいいことである」のはそうした理由による
 大事な事は占いで決めるのだ
 当然だろう
 

お客様は神様です!

2007-02-15 09:34:36 | 生活とその意見
 たかが人間でしかないものを神様と言うのは、ヨイショ以外のものではなかろうう。
 しかるべき場所で「社長」や「先生」が大量生産されるように、「神様」もしかるべき場所で大量生産されるだけのような気がする
 しかし、こうした最初の印象にもかかわらず、結構当たっていると思うことがある
 定義を逆にすると神様はお客であるとなる
 この場合、客を敬い、粗相のないようにもてなす事が求められる
 そうでない場合、タタルのだ
 神は良いものをもたらすと同時に悪しきものをもたらすものでもある
 神の漏らすさりげない言葉に我々の未来の予言が含まれていると思えば、一言たりとも聞き漏らしてはなるまい
 客のささいな仕草が、神秘や予兆に満ちているのだ
 もてなす人にふさしい人だけが客として招かれるというだけのことではある
 
 

 
 

ギフト券

2007-02-14 09:39:45 | 生活とその意見
 絵画が彫刻に対して表現上基本的な優位を保っていられるのは、その次元が彫刻の三次元に対して、二次元である事にある
 同じことは映画にも言えて、演劇に対して優位にある
 だから、立体化しようとする絵や立体化しようとする映画は堕落といえる
 作家の側からするとどのアングルから見せるかの選択を放棄しているわけだから、「もったいない」ことをしていることになる
 贈り物にも同じことが言える
 贈り物としてなにがこの人にふさわしいかを決めるという権利を放棄してギフト券を贈るわけだ
 ギフト券には、何が相手にとって贈り物でありえるかという贈り物の本質への洞察が欠けている
 結局相手にとって必要なものが選択されるのだ
「贈り物」が「商品」になるといってもいい
 贈り物は、必要なものではない
 だから、基本的に邪魔で目障りなものである
 受け取られない場合の方が圧倒的に多い
 それでいいのだ!
 そういうものなのだ!!
 
 

牡蠣フライは揚げすぎがスキ!!

2007-02-13 14:17:55 | 生活とその意見
 何でもそうだと思うが、「ころあい」というものがある
 パスタならアルデンテ
 卵なら半熟
 ステーキならミディアムレア
 どの程度「生」を残すかという所がミソだろう
 桃も腐りかけがうまいというではないか?
 最高のものとは、この危うく狭い範囲でのバランス、境界現象であるということだろう
 ところが、世の中には、はっきり、きっぱりどっちかじゃないと勘弁できないというガキのままの連中が多い
 卵ならハードボイルド
 ステーキはウェルダン
 蜜柑は青いのがいい
 牡蠣フライは、揚げすぎぐらい揚げて欲しい
 などと主張する
 私は、これは趣味の問題として片付けたくない
 繊細さの消滅、鈍感さの蔓延という文化的病だ
 なんとしても成熟を拒否しようということなのだろうか?
 別に成熟を擁護しようと思わない
 だからといって、未熟を擁護する気はさらにない
 確かに、ガキにとって「成熟」は生理的に受け付けがたい、気色の悪いものなのかもしれないと思いつく
 
 

 
 
 
 
 
 

生産が需要に従属する

2007-02-13 09:51:50 | 生活とその意見
 贈り物主義では、問題は、生産したものを如何に売るか?という問いの形態をとらない
 こうした問題は、生産力の過剰が常態化するにしたがって、深刻になる
 結局、戦争を帰結する
 工場を回すために、戦争をするのだ
 高度資本主義では、不可避な現象だ
 「我等の愛すべき時代」とはそういうものだ
 贈り物主義は、むしろ才能(ギフト)の開花をその最大の目標にしている
 才能の開花に必要なのは、適度な試練あるいは逆境である
 そこにある試練に応じて解決法をカスタム生産する
 需要に従属した生産能力こそ才能というものだ
 過剰な生産力が生み出す問題は、偽の問題だ
 従って贈り物主義における根本問題は、適度な課題を適度に配分することだろう
 問題を探せ!!
 計画経済ともトヨタかんばん方式とも違う
 顧客満足とも違う
 需要のでっち上げ、暴力的生産でもない
 贈り物の中で、不確定性が最大化されるというイメージがある
 贈り物としては、一人でも受け取る人がいれば幸運というものだ
 贈り物の不確定性が現実の毒を分解するというイメージだ
 毒をもって毒を制す
 薬学の根本原理
 贈り物は、猛毒でもありえる
 
 
 
 
 
 
 
 

贈り物主義

2007-02-11 12:00:25 | 生活とその意見
 贈り物のことを考えている
 贈り物が基本的な事象だとするなら、問題は贈り物がそれにふさわしい人に届けられないというかたちとして現象する
 贈り物の絶対量が足りない
 贈り物を配達する流通網が整備されていない
 贈り物にふさわしい人が、育っていない
 そういう形で現象する
 必要なものを必要な人に平等に配分するといったこととは、一線を画す考えだ
 結局、贈り物は宙に舞い、ふさわしい人は路頭に迷う
 結構深刻な問題だ
 贈り物主義というのには、私的所有の否定でもあれば、社会的所有の否定でもある
 むしろ所有に無関心なだけかな
 資本主義の後は、贈り物主義になる
 予言しておく
 
 
 
 
 

恩返し

2007-02-10 12:42:22 | 生活とその意見
 贈り物を受け取る人は、また贈り物をする人でもある
 これを恩返しという
 贈り物は、私的所有物ではないし、使用価値に還元できるものでもない
 かといって公共財というのではない
 しいて言えば浮遊物
 贈り物という概念に比べれば、所有というのは、たいした概念ではない
 贈り物にふさわしい人が現れるとそこにしばらく滞在し、やがてこの人は贈り物をその贈り物にふさわしい人へと贈り出すだろう
 ただし、この贈り物がそれにふさわしい人に届くかどうかは、分からない
 上からみれば、贈り物は時折下に沈むこともあるが、基本的には漂っている
 贈与というものを、交換のおまけ、飾りとして解釈するのは悪しき経済主義というものだ 
 お歳暮、お中元の世界だ
 古風な概念を吟味すると別の世界が見えてくるような気がしている
 どうしても宗教的になる
 恩寵、ギフト(才能)、恩返し
 逆境、試練も贈り物の一種だ
 
 

 

 
 
 
 
 

分相応

2007-02-09 11:00:33 | 生活とその意見
 分相応というと身分制を引き摺った考えで、分相応な生活、分不相応な贅沢といういいかたをする
 今となっては、収入に見合った支出という経済的なことしかいっていない
 ここで問題になっているふさわしさというのは、この分相応というものとは関係ない
 かわいがってくれる人が犬を飼うべきだし、物の良さが分かる人がその物の近くにいることが重要ということを言いたいだけだ
 だから、分相応な生活がいいとも限らないし、分不相応な贅沢がオカシイといいたいわけではない
 
 
 

ふさわしさ

2007-02-09 09:41:34 | 生活とその意見
 お金があれば、何でも手元に置いておく事が出来る
 だからふさわしくないものでも、お金持ちの家にはある場合が多い
 このふさわしくないものとは何か?
 これこそが、贈り物だ
 贈り物は、その贈り物にふさわしい人以外の人が受け取る事が出来ないと考えられる
 その贈り物にふさわしい人が現れるまで待っている
 現れない場合は、朽ち果てるしかない
 物でなくてもいい
 贈る言葉もそうだ
 本を買い、手元に置く事は出来ても、その中の贈り物をその本を買った人が自動的に受け取れるわけではない
 贈り物がスリリングなのは、それにふさわしい人に必ずしも届かないということにある
 宙ぶらりんの贈り物である
 物や言葉に限らない
 人だって同じだ
 たとえ身近にいても、自分がその人にふさわしくないのなら、出会うこともない
 贈り物、ふさわしさ、さらに付け加えるなら、幸運こそ関係の基本構造と知るべきだ
 贈り物が受け止められるということの中には、奇蹟があると思う
 
 

福寿草

2007-02-08 15:26:03 | 生活とその意見
 2年前ぐらいに、玄関に飾るため福寿草の鉢植えを買った
 花の季節が終わると地植えにした
 だから去年も咲いたはずだ
 しかし、何も覚えていない
 ところが今年は、気がついた
 しかも、ハッとするほどの衝撃があった
 初めて福寿草を「見た」のだ
 名前があまりにあまりなので、警戒していた部分がある
 それが、時間とともに消え去り、直接対面となったのだろう
 実に生命力に富む可憐な花で、心の底から喜びがこみ上げてきた
 もう萎れかけているが、気がついてよかったと思う
 天からの贈り物だろう

 
 
 

贈り物

2007-02-08 13:52:20 | 生活とその意見
 贈り物を誰かにあげる
 誰かから贈り物をもらう
 モノでもいいし、言葉でもいい
 これが気になる
 贈り物を受け取る場合でも、贈り物を贈る場合でもあるスリルがある
 贈り物というものには、際限のなさとでもいうべきものがある
 凝ればいくらでも凝れそうなものが贈り物だ
 これでいいというものはないとも言える
 ブログも誰かに贈る言葉だと思う事がある
 想定しているのは、自分の分身のような人ということではある
 この場合、分身なので自分にとっても意外なものというかヒラメイタものを贈りたいとどこかで思っている
 月並みなもの、自分にとってどうでもいいものでは「ない」何ものかをだ
 霊感のようなものを贈りたいのだ
 もっと端的に霊感を贈りたいのだ
 全ての贈り物には、薄められたものとはいえこうした霊感が付き纏っていると思う
 思いとか念でもいい
 良いものとばかりはいえないが、悪いとばかりもいえない
 何かを贈与することは、生きる事と同義のような気がしてきた!