ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

年賀状の子供

2021年12月05日 | 日記



「年賀状」「子供」「不細工と検索したらやっぱり私の過去の記事
「年賀状の子供の写真は不細工か・・」が現れました ( ̄▽ ̄)
アクセスしてくる人は恐らくいないのですが
年賀状の子供写真に対する感情やモヤモヤがネタになってた一時期の
その潮流に乗って書いた記事だったと思います

ブログの中で
私は写真が<不細工だ>とも思わないけれど、
友の近況が知りたいのに、これだけ送られてきても
なので、子供だけの写真は送らないと言うのは私の美学だと言っていた時期がある

みたいなことを抜かしとりましてね
もうコレ消したろかなと思ったりしますが
( ̄▽ ̄)←消しません

実は
年賀状のみならず・・
会えば必ず子供の近況に終始する母の集まりにもうんざりしてました
私自身が母でなく
子供だったのかもなと思うのですが

特に息子の一貫校のママ友の晩餐などでは
ずう〜〜〜っと麗しき息子さんたちの話が続く
こちらと言えば
ゲームしかやってない、多くを語らない、成績は深海魚、全く話題性のない我が子に比して
羨ましい限りの話ばかり
すっかりドン引きしてたといえばそうなんですが
なんて言うか
私はせっかく出会ったママ達自身の話を
もっと聞きたかった
菊か金魚の品評会に集まってる趣味人の情報交換と褒め合いの様相で
もはやどこを参考にして良いかすらわからず
いつもげんなりしてました
もちろん
うちの息子の出来さえ良ければ
褒めてそやされ舞い上がり
そんな気持ちもなかったのかもしれません

これに限らず
個人的に会っても大きくなった子供の近況しか話さない人とは
こちらに大したネタがないものだから
ずっと聞き役に回ることになります
ランチや飲み会やに参加して
あ〜!楽しかった!と思って帰れる人は
自分の気持ちをたくさん話すことができた人なんて言いますが
久々に会えても
不完全燃焼な思いを抱えて別れることになる人がいるのです
それは、そう感じるワタシの中に何か問題があり、
いわば神からの問題提議だと思うのですが
その日はとにかくなんとな
面白くない
いや、だから
うちの子供達の出来・・?
特にそうも思ってはいない
はずなんだけれど
( ̄ー ̄)


最初に住んだ社宅で知り合った彼女もその1人でした
子供の手が離れてから改めて旧交を温める形になった彼女とは
会えばほとんどが美しく育ったお嬢さんの近況
もちろん彼女もわきまえていて
そっちはどう?
と話を振っては来る
のだけれど
こちらがなにか話し出すと
あー!そうなのね、フランスと言えばうちの娘もね・・」
となって
そこからずっと先方の話が続く

バイト先のカフェ、好きな洋服、趣味、特技、学業成績、受賞、旅行の計画(娘の)
社宅を退去してから生まれたという彼女の一人娘には
一度も会ったことがないから
脳裏では毎年の年賀状の写真が再生されます
最新の年賀状には、高価なアンティークの着物をリメイクしたと言うモダンゴージャスな晴れ着姿
成人式はまだ先だけれど
通りかかった呉服屋で娘が目を留めた着物が素敵で
店主に若いのに目が高い
その肌の白さにはきっと映える是非やらせてくださいと絶賛されてのリメイク
モデル並みのスタイルが裏目に出ない工夫
半襟の柄は中々考えつかないような洒落たチョイスで我が娘らしく
成人式だけではもったいないから、その後は演奏会用のドレスにするのもいいと思って

長い長いペンギンの話より長い話は
途中から時々どうでも良くなってた反面
美しく聡明で優秀な一人娘さんにまつわる
なんとも豊かで華やかな世界を聞かせてもらえて
楽しくもありました

さて、冒頭の
「年賀状の子供の写真は不細工か・・」
と言う私のブログには
当時いくつかコメントを頂きました


ーーー年賀状に(友人)本人がいなくて、子供だけの写真が送られてきても、
「ああ、子供がこんなに元気で大きく育った」と言いたいんだな、
だから彼女も元気で幸せでいるんだ、と
考えられるようになりました。
1年に1回、消息が分かる1枚に一番伝えたいことがある、
それでいいんだと思います  ーーー

ああ、これが
人の気持ちに寄り添う
と言う事なのでしょう
相手を友と認めるならば
然るべきであり
その時に湧く雑念があるとしたら
それは自身の問題

至言だな
と思いました



彼女と疎遠になったのは
お嬢さんの受験が思うように成らなったと言う春から
ぱったり
連絡が途絶えました

A判定続きだったと言う難関国立大学入学の予定が
超難関私大への入学に変わったらしい
と小耳に挟みました

−−−もし私立理系なんて事になったらウチにはそんなお金はないのよぅ
女の子なのに理系って
どうなぉ?

嬉しそうに泣き笑いしてた彼女が思い出されました

いやいや
レンタル費用の十倍を投じてわざわざアンティークを仕立て直すお金はあったんだし
大丈夫じゃない?

連絡を寄越さなくなった彼女の気持ちを
妄想することは出来ましたが
私は特に気にも留めませんでした
これから学歴は重要視されないのだし
全ては本人次第 
あの聡明なお嬢さんなら心配はない
元気になったら 
また会えるでしょ


そのあと
交友の機会を世界規模で失った2年があって 
それもようやく終わろうか
と言う晩秋

郵便受けの中の
チラシに紛れて落ちた年賀欠礼のはがきを拾おうとして
文字通り
固まってしまったのでした


彼女の世界に
ささやかな幸せを見出せる光は
差しているだろうか?


生まれたことを知らせてくれる年賀状はこれまでたくさん受け取りました
それがどれほど稀有で幸福で
歓びに溢れたものであるかを
私は
全く解ってなかった
こんな葉書が届くこともあるなんて
考えたことが無かった

一人娘の娘のあれやこれやを話す彼女のあの笑顔
本当のところ
げんなりしたりしてました
でも、もうあの時間は
二度と訪れない

彼女はきっと
この世で考えうる中で
これ以上がない絶望の中にいる

彼女との時間の中で成長麗しいお嬢さん
輝かしく希望に満ちた将来を一緒に展望し
それを今
共に失ったような
このとてつもない喪失感は本物?

自分が本当に悲しんでいるのかが自分で疑わしい
本当に
残念で悲しくて
恐ろしくて寂しいのたけど

悲しむ事が
出来てない気がします


【喜ぶ人とともに喜び
泣く人と共に泣きなさい】
ローマ12章15節


若い頃
こんな簡単なことを
いちいち何故言うのだろうと
鼻で笑った聖書の一節が思い出されます


ともに喜んでなかったのだから
ここで泣くのは
涙が滲んだとしても
違うのかもしれないな


形式に則ってハガキをくれたのだから
彼女はそれでもちゃんと
今を生きている

それだけを胸に落とし込んだ




今日はそんな話です























2 コメント

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人のモノサシの源ってなんなのかしらね (くちかずこ)
2021-12-21 20:45:57
遺伝?
環境?
くちこの周りにも、自分の人生を殆ど子供に捧げている?的友達、多かったです。
愛と言えば、愛。
いつも、自分が一番可愛いことが不動なくちこは、三人の子供の母になっても、やはり、一線を画していました。
受験生の我が子に向かって、カレンダーに受ける大学を受験日に書いておいて。
受験に必要な金額は、項目と総計をメモで渡して、用意するから。
勿論、付き添いなんて頭の隅にも無かったです。
娘なんて、大学に入学した後に、学部を知り、予想と違って、ちょっと驚き、大学院なんて、卒業してから学部を知り、これまた予想と違っていて驚いた、、、、
そんな母親でした。
愛情不足な母親でもぐれずに社会人になってくれて感謝しているくちこです。
色んな親に、色んな子供。
正解なんて無いんでしょうね。
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Unknown (くちこ様に麦の返信)
2021-12-22 21:40:37
自分が一番と言うか、働き盛りでお忙しかったのではないですか?
その貴紳の背中を見るだけでお子さんたちは自分の人生を見つめることを鍛えられたのではないかと勝手に妄想します
( ̄▽ ̄)
大学受験の付き添いは私も考えなかったですが、昨今、入社式を見にくる親御さんがいると聞いたことがあるので
そう言うのもあるのかもしれませんね

正解なんて本当にないんでしょうね
ある幼児教育専門家に
6歳までに愛を与えられなかった子供の弱さは30代半ばで現れる
と聞かされたことがあったり
世の中に
80になって50の息子に殺される親がいたり
育て上げたと思った娘が夭折してしまったり
おっしゃるように正解もなく
終わりもないのかもですね
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