京都市内での同窓会が5時半から
なので、
その前に近郊に住む友達に会う約束をしたのだけれど
新幹線で京都に着いて
乗り継ぎの在来線が運休だと知った時には
一瞬途方にくれました
定期券や予め切符を持っている人には振替輸送を案内するけれど
該当しない人はフォローしてませんと
アナウンスが聞こえます
半べそでスマホを取り出し
乗り換え案内君に相談すると
地下鉄で四条烏丸へ出て阪急に乗り換えれば良いんじゃない?
今からなら、この時間に着けるよ
と教えてくれて助かりました
乗り換え案内
マジ神
あるのとないではストレス強度が違う
まるで自分が異能力者になったかのような錯覚すら覚える万能感
( ̄ー ̄)←言いすぎやろ
京都市内の同窓会会場へ向かう際も
阪急四条烏丸から地下鉄で一駅だというし
グーグルマップ君もそこから歩けば11分だと教えてくれるしで
たちまち行動指針は確立します
彼らがいれば、何処へだって行ける!
何度も言ってるけど
本当に、なんと
素晴らしい時代が来たことでしょう
そんな感慨に耽りつつ
四条烏丸の地下鉄ホームで待つ私の眼の前に
滑り込んできた列車
その先頭車両には
「急行奈良行」と書かれてて
思わず二度見
ギョギョ!🐟
ってこういう時使うんだろうな
今や、
京都市街地から
電車一本で奈良公園に行けるってこと??
え?え?
すごくない?
いやいや!
我が国が世界に誇る観光立国となるためには
否、
いや並びに!
1990年代JR西日本が谷村新司氏を起用して大々的売り出した
観光キャンペーン
京都・大阪・神戸を巡る「三都物語」に於いて
古都奈良が省かれたあの雪辱を晴らすために
とても大切な施策です
奈良は古都なのに
ホントの都だったのにっ
三都物語に入れてもらえなかった
都でもなんでもない神戸にお株取られた
何故ならアクセスが
超悪かったから
京都大阪神戸はあの当時すでに
JR一本で結ばれていたから
(p” ̄へ ̄)←その利便性を訴求するキャンペーンと思われ
あの悔しさを忘れていない奈良県民(元)の1人として
必要にして念願の
夢のアクセスが今ここに!
その当時は
夢に見ることすら思いつかなかったこの実現には
感動しました
夢は描き続けなあかんのよ
何処の誰ともわからないけど
( ̄ー ̄)←鉄道関係の人やろ
決して諦めなかった人が
いてくれたんだ
ありがたいね
まあこんな調子で?
何かに付けて
若かった頃これがあったらなあ・・
若かった頃こんなのなかったよお・・
50も過ぎると何かにつけて
そんな言葉が口をついて出てくるわけですが
その度に
「それって、いつの話?」
と娘に聞かれます
えっとぉ・・30年?
いや、
18で大学入学した時からだと40年前か・・
この度の同窓会でこの40年という時の流れを
私はとても過小評価していることに気づきました
例えば
私が初めて日本の歴史を学び始めた小学校5年生時(1976年)
「おじいちゃんおばあちゃんに戦争の話を聞いて来よう」
と言う宿題が出た事を覚えているのですが
当時の私は、ものすごい昔話を聞いてるつもりでいました
でもそれは、
たった30年前の出来事だった
この年を起点に四十年前を考えてみても
2.26事件が1936年
第二次世界大戦、敗戦
東京タワー、新幹線開通、東京オリンピック、
大阪万博で1970年
およげ!たいやきくんのヒットが1976年
これで40年
何度も言いますが
226から40年でたいやき君なんですよ
そして
私は遥かその年月を超え
て生きてる
ITによる技術革新は世界史上稀に見る別格としても
高度経済成長は実に高度だった
過去を振り返って見ても
40年の間にこれだけの社会変化が起こるのだということを
私はちゃんと分かってなかったのです・・
毎週金曜の夜現れる
N○Kの5歳児に
意地悪な質問を投げかけられ
困惑を強いられた挙げ句
結構な口汚さでなじられて
恐縮させられる大人を観るのは
あまり好きではなかったけれど
今なら解ります
ぼーっと
生きてました
(💧 ̄ー ̄)
同窓会会場には
とても良いタイミングで辿り着けました
<あの時の>
<懐かしい><非日常>が集結することで出現する
強力な磁場?のようなものが絶大な補正をかけます
このフィールドでは
時の流れを探すのではなく
「変わらないねえ」
という一時的な勘違い気分に
積極的に酔いにゆくと
楽しめるのだと言うことを
深く学びました
今日は
そんな話
〜( ̄ー ̄)ノシ
🥩🍷🍰🍗🍖🍺