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今も残る戦争の記憶

2020-10-16 18:20:41 | シンガポール

上の写真は、シンガポールのセントーサ島のシロソ砦にある展示ですが、山下将軍が連合軍に降伏を迫る場面です。この展示の後、太平洋戦争が終わり、日本軍が降伏する場面に繋がるのですが、この期間、戦地や日本本土では、数え切れないほどの悲劇が生まれていました。

NHKの連続テレビ小説「エール」を見ていたら、ビルマでの戦場の場面が描かれ、豊橋の空襲が描かれていました。私は豊橋市のすぐ隣の田原市の出身なのですが、母は豊橋市の杉山の生まれで、子供の頃、昭和20年6月19日の豊橋空襲の話は何度も母から聞いていました。市街地からは電車で何駅も離れているのですが、空が真っ赤に染まっていたのが見えたという話は今でも鮮明に覚えています。畑にいたら、アメリカ軍の飛行機が機関銃で撃ってきたので、必死に逃げて物陰に隠れたという話も聞いたことがありました。

戦争が終わって10年経った年に私は生まれました。今から思えば10年の月日は、ついこの間のことです。子供の頃には、戦争の余韻があちこちに残っていました。豊橋の市街地では、傷痍軍人をよく見かけたし、母の実家の農家の裏山には防空壕がまだ残っていたし、家には、父親のものなのか、祖父のものなのか、鉄兜やガスマスクまで残っていました。子守唄で軍歌をよく聞いていました。

小学校の頃、漫画雑誌で「0戦はやと」や「紫電改のタカ」とかの戦争漫画が連載されていて、夢中になって読んでいたし、クレパスで描く絵は戦闘機の絵でした。中学校では、学級歌というのがあって、週替わりだったか、月替わりだったか忘れましたが、みんなで曲を決めて、毎日一回合唱をするというのがありました。時々、軍歌になりました。「麦と兵隊」という曲はその時覚えました。今では考えられないことではありますが。

古関裕而さんの作曲された、「露営の歌」や、「暁に祈る」、「若鷲の歌」などが、ドラマの中で流れましたが、反戦思想に染まった人たちはこれをどのように聞いたのでしょう。ドラマの中には登場しなかったのですが、「シンガポール晴れの入城」という曲があります。福島三羽ガラスで作った曲の一つです。昭和17年(1942年)2月15日のシンガポール陥落を記念して作られた曲のようです。

私は今、シンガポールでこれを書いています。家の窓の外にブキティマの景色が広がっていますが、シンガポール陥落を前にして激戦地となった場所です。フォードのブキティマ工場で連合軍が降伏をしたのですが、そこは今、戦争博物館になっていて、痛ましい戦争の遺品が展示されています。

実は、シンガポールには、いくつもの戦争遺跡があります。国立博物館には、日本軍の戦車のレプリカや、日本統治下で使用された紙幣や、パスポートなどが展示されていますし、セントーサのシロソ砦には要塞跡が残っていて、連合軍に「イエスかノーか」と迫った山下将軍の会談の場面が人形で再現されています(上の写真)。フォートカニングにある地下壕跡のバトルボックスなどもありますね。日本ではほとんど見る機会がありませんが、太平洋戦争の歴史に関して、シンガポールで初めて接することができました。

当時の日本は、南方諸国を植民地化して、日本語教育を徹底するのですが、その時使った教科書などの展示も各所にあります。戦時中に作られた、子供向けのアニメで使われた「あいうえおの歌」というのもありますが、このアニメ映画の音楽監督をしていたのが古関裕而さんだったんですね。このアニメで手塚治虫さんがインスピレーションを受けたらしいのですが、あらためて聴くといい曲です。アニメも素晴らしい。



ドラマの中では、古関裕而さんの慰問はビルマしか描かれていませんが、シンガポールにも慰問に来ています。ドービーゴートのキャセイシアターでディズニーのアニメも見たのだそうです。

太平洋戦争末期のシンガポールを舞台にした小説と言えば、浅田次郎さんの「シエラザード」です。以前、知り合いが、この本を読んでシンガポールが好きになった、と言っていたのを聞いて、すぐに読んだのですが、素晴らしい作品でした。ラッフルズホテル、ミドルロード、ソフィアロード、クラークキーなどが舞台になっています。

シンガポールは歴史が浅いですが、ここがかつて日本だったと思うと、同じ風景も違って見えたりします。戦争の悲劇を繰り返してはなりませんが、過去の時代から学ぶことも多いですね。

朝ドラを見ながら、そんなことを思ったりしました。
コメント (2)
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