深夜の荒れた天気のあと今朝は10.2℃と暖かかった。
朝から時折強い西風が吹き、日差しもそこそこあるのに気温は13.2℃止まり
昨日の小春日和の20℃から一転、寒ーい一日になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/cb/c89f098175cc2014c12a26a5c18e0b8e.jpg)
奈良の紅葉は平地まで下りており、我が家の近くの保安林の紅葉も進み、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/5f/108dc5797fd96f8aed8d425b8e18188e.jpg)
庭の紅葉は「ドウダンツツジ・満天星」、なんとか色付いてくれたと思えば、
昨晩の荒れた天候、風雨で落葉が始まった。 11/30
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/87/088955516aaf4a9f05573e3211fef8c3.jpg)
11/26山の辺の道・奈良道Ⅳは、紅葉の「山村御殿・円照寺」を目指します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/68/c846ef1ec417f2956e46254c22bde82a.jpg)
百毫寺の石段を下り、山の辺の道に戻り、南へ行くと三叉路に。
南側から撮れば「右 かすが・・・」と、春日大社への道でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/88/22cc4796f8823fe30f1a957a8887c1f8.jpg)
住宅地が途切れると、中腹に火床のある高円山が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/29/d0eed5d583e88cf45f1f6cb140bb1e31.jpg)
高円山の麓にはあまり知られていない遺跡がある
①「石淵寺跡」弘法大師の師、大安寺の聖僧勤操大徳の開山で千坊を有したが
江戸時代初期には草むらに
②もう少し南の麓の高円高校敷地に「百毫寺遺跡」があり、発掘調査から
聖武天皇・高円離宮推定地とされている。
『延ふ葛の絶えず偲はむ大王の 見しし野辺には標結ふべしも』大伴家持
③「鹿野園石器散布地」、岩井川左岸の高円山麓に石鎚など多くの石器が
散布し、縄文時代の遺跡と考えられている。
石仏群が見えれば・・・奈良市などの霊園やその関連施設の入り口です。
奈良名張線を渡り、鹿よけの柵から池方向に下りる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/d2/eb8d1a2e4cc02875da20aa5434e3eeaf.jpg)
こんなところに、お地蔵様が![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c1/87cad98910437ec7e4c971c7dbb17dfa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c1/87cad98910437ec7e4c971c7dbb17dfa.jpg)
岩井川を渡れば、鹿野園町(ろくやおん) ”ろっきゃおん”と地元では呼ぶが由来は
"釈迦が「鹿の多く住むところ」で悟りを開いたとされる伝承やその仏教聖地
「サルナート(鹿野園)」にちなみ、奈良時代に日本へ渡来したインド僧
「菩提僊那(婆羅門僧正)」がこの地を「鹿野園」と名付けられたと。
斜面に沿い上れば、磐井川南側の鹿野園地すべり防止工事中でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/90/a5cee81c2442c600446bd990315f08bf.jpg)
中腹迄上がれば鹿野園の氏神様でしょうか「八阪神社」がある。
明治時代にお社が集められた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/0b/e9dfb701e561668c2bc51534dae98687.jpg)
本殿・八柱御子神、
摂社・木華開耶媛命、天照皇大神、天児屋根命、事代主之神、大国之主命
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/0c/c335ac9c2efb793198593b83f6a642fd.jpg)
池の傍を歩きのですが、その傍らに万葉歌碑・巻6 981 大伴坂上郎女
『かるたかのたかまとやまをたかみかも いてくるつきのおそくてるらむ』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/1a/e80a4ac0248af29351720347064330e0.jpg)
この池の西200mに『梵福寺跡』、東西南北18間の規模で石淵寺の支院の説と
奈良時代、鑑真さんの弟子善謝の建立の説がある。
本尊は十一面観音(室町期)とされる。
この池を過ぎて脇道となる樹林の中に「身ノ立山不動明王堂」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/5c/eaa5a305b4d88d463e780fbc9b335b4d.jpg)
『身を削り 人に尽さん すりこ木の その味しれる 人ぞ尊し』
今年は暖かいのか、ツツジが」咲いており、目を楽しませてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/39/ea82768b4bb6a01a2def2eaea69cab17.jpg)
奈良万葉CCの近く、横井寺跡があるというが標識はない。
そして元奈良38連隊の射撃場跡に、航空自衛隊の射撃場(室内)と官舎が残る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/06/2fbdd390b9e45dddd7c2af9b3a16ed0a.jpg)
この辺りは古市、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/91/be92161211702e468557261abb5f9eaa.jpg)
「古市廃寺」昭和35年の発掘で、南門・中門・塔・金堂の四天王寺式伽藍を
持つ飛鳥期の創建で、平安期に火災で廃絶したと。出土瓦に「野」があり、
和爾氏の同族の春日部小野氏の勢力下でその氏寺と考えられる
また「古市高山城跡」東市小学校付近に15世紀後半から古市氏の居城だ。
しばらく歩けば、「藤原観音堂」と「白山比咩神社」付近にトイレがある。
「白山比咩神社(しろやまひめ)」は白山信仰からで
ご御祭神は菊理比咩命
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/7b/71ac771a7280018c8e82419971baa5cc.jpg)
住宅の脇に「藤原観音堂」があり、十一面観音菩薩立像(室町期)がお出でだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/91/fd0a44e4c75464f58fe4ff257b612b17.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/aa/d820742797f035f0072858af77f08e3e.jpg)
南の村の外れに「嶋田神社」があり、八島神社・崇道天皇社とも呼ばれる。
御祭神は崇道天皇、神八井耳命
1885年まで ここから400m西にある八島陵(崇道天皇陵)内にあった嶋田社・
崇道天皇社を移し、嶋田神社本殿として現在地に移築された。
なお本殿は1727年に春日大社本社本殿第三殿を移築されたものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/ed/0addb2dde55c240bc96f770837812575.jpg)
西に下り「崇道天皇(すどうてんのう)八島陵」にまいります。
「崇道天皇」とは桓武天皇の皇太子「早良新王」のことで、謀反の疑いをかけ
られ、皇太子を廃され淡路島に流されるも無実を訴え、絶食して憤死し淡路島
に葬られた。そのたたりか天変地異が起こり、「崇道天皇」と追諡されたが、
皇位継承はない特異な方です。
そのためか門まであり、きっちりと整備されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/1c/9173959081859d53eb20230f17137d92.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c4/73620d950dfdf8885892e8e6e91435b2.jpg)
その傍らの道の真ん中に、石が8つあるらしく、1つ?は地中の中らしい。
早良親王が薨去の後、その親王からの夢のお告げにより東方に「九つの石」を
投じたところ、一つの石は大和国二見に、残りの八つの石は大和国古市(当地)
に止まったことから、御陵が設けられたことが由来とする 「八島巨石伝説」
を示唆するものだが・・・
実は古墳時代造陵された「八嶋陵前古墳」の石室の一部のようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1a/3b632dd0dc9d2fb4b5de7c2908ff2302.jpg)
池の傍らに立つ歌碑、日本書記 96 勾大兄皇子御製
『やしまくにつままきかねてはるのひの
かすがのくににくはしめをありとききて』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/24/c27ab4eed2688f54cc749e16d2a68339.jpg)
さあ最終目的地『圓照寺(山村御所)』へと樹林に入れば、
途中に『向山地蔵』、真ん中にお地蔵様を中心に400基ものの石仏が
手を合わせて立ち止まりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/62/c82086d2b8694197a1400aa222ee2444.jpg)
樹林を抜けると、円照寺の長い参道の途中に合流しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e8/7f527f4d391591b6c5338602ea2f6e8f.jpg)
紅葉に期待が膨らみました。 (次回に続く)