カメラを片手に

平城京跡に大極門が復元された


夜明けは曇り空、最低気温は5.8℃と冷え込みは弱く、午前8時過ぎから陽の光
が届き午前10時の気温は11.0℃迄上がったが、吹く風は冷たく、寒の戻りに。
通りで東の空、雲は二つに分かれ、冬と春の勢力争い中なのでしょう。
      10時、11.0℃、33%

若草山の北方中腹の「三笠温泉郷」、標高210m付近がピンク色に色づく。
サクラが咲いており、露天風呂からの花見など、よい季節になりました。
そして更に上の春日奥山にも点々と薄ピンク色が・・・、
ヤマザクラも咲き出しているのでしょか、ハイキングにもよい季節です。
      
             👆三笠温泉郷

今日は「三鬼忌」または「西東忌」、戦前から戦後にかけ新興俳句運動の
旗手『西東三鬼』、1962年、62歳の忌日。
胃癌を病み、死の床で詠んだ絶句は
春を病み松の根つ子も見飽きたり 』三鬼
    *やりたいことやり切ったという意味も含まれる?

同じ春の季語で『ヒバリ・雲雀』の句を探せば3/30
『電工や雲雀の空に身を縛し』 三鬼
雨の中雲雀ぶるぶる昇天す』 三鬼
  おどろおどろしい文字が連なりますね。

やはりこんな句の方が・・・
うつくしや雲雀の鳴きし迹の空』 一茶

古くは万葉集 巻19 4292の「大伴家持」
うらうらに照れる春日にひばり上がり 心かなしもひとりし思へば

こんな萬葉の世界に戻りつつあるのは・・・「平城京跡
3月30日訪れれば、春の陽気に誘われ空にはヒバリが囀っていた。

今や国営の平城宮跡歴史公園の『第一次大極殿院復元整備事業』
      

2015年には第一次大極殿(2010年復元)から朱雀門がみえていたのが、
回廊を示す塀に仮門が設けられていただけだったが・・・
         2015.11.21第一次大極殿から南を望む
      

2017年11月、総事業費は約56億円で正門の「南門」の復元工事が始まる。
2018年には覆い屋が現れた。



そして今年の3月19日、平城宮第一次大極殿院の正門(南門)を「大極門」と
名付けられ完成披露式が開かれた。間口約22m、奥行約9m、高約20m、
奈良時代前半の平城宮をほうふつとさせる姿です。
2人の衛士役の「開門」のかけ声で門が開き通り初めがされた。
      毎日新聞より

「大極門」の扁額も披露

3月30日に訪れれば、午前10時から18時迄公開されていた。


北を見れば2010年に、直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使い
復元された『第一次大極殿』、奈良時代初期の宮殿で、正面約44m、側面約
20m、地面より高さ約27mと平城宮最大の宮殿となる。
740年頃恭仁(くに)宮に移築されたが、宮が平城京に戻るも、山城国の国分寺
金堂になり、その後平安時代には焼失している。


南を見れば1998年完成『朱雀門』


西南側から見れば、まだ覆屋があり、国交省は今年4月から大極門の東側に
あった「東楼」の復元に着手し、25年度中の完成をめざされる。  
           10時開門前の写真

東を見れば・・・

東側の第二次大極殿跡(745年から40年間)から望めば・・・

20年後には近鉄線も移設されて、どんな風景が広がっているのでしょう。
余り観光地化してほしくはないのですが・・・・・

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