カメラを片手に

奈良町の稀豪・吉村長慶が残した長慶寺とは④

北陸から北海道まで雪が降り続き冬景色になっていますが、奈良も
昨日の北西風で紅葉が散り始めたようで、寒々しい風景に。
9時半

奈良町の稀豪・吉村長慶が残した石造物、最後は還暦記念で大正12年
(1923年)に建立された『佐保山普門院長慶寺』(徳融寺の末寺、
融通念仏宗)に向います。しかし拝観は一切不可で、門前にある
説教めいた言葉が刻まれた石や像を拝見することに。なお長慶は
昭和17年(1942年)享年80歳で亡くなられ、お墓はこの寺にある。

さあ一条通りから奈良総合庁舎西端からの道を北へ行くと、小さな
クランクにぶつかり、中央に昭和8年作の「長慶寺道標教示石」がある。


その次の角に『差し指道標』があり、「長慶寺ここ北へ石段上る」と


150mほどで石段にぶつかる。中央に石柱がたち、彫られた文章は
是より境内地 死んだ宗教を活かす長慶寺 神佛となるは生きた人間にかぎる


その両脇に、狛犬阿形一対あり、山門に向って右がオス、左がメスだそうで、
東大寺南大門の中国宗代の狛犬を模されて制作され、どちらも阿形に。
写真はなく、借用しました。

なお参道?脇に「佐保山サロン」の脇に万葉歌碑(巻19 4291 大伴家持)が。
わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも


20m程先に長慶寺の石碑があり、大正12年に建立されたが、実は
天理二階堂の荒れ寺「徳稱寺」を移転し改称されている。
本堂六坪、山門と裏門、石蔵・正蔵閣、石祠があり、
破損や撤去されたのは、庫裡と客間16坪、木造祠、茶亭とされる。
現在は非公開で、辰巳旭氏の写真集「流れのなかに」?が唯一と


こんな過激な言葉も刻まれた石碑も
『病人や信仰狂、遊山の参拝は勿論厭世迷信陋習の人も門前に
 近寄る事お断り。病気は病院、遊びは公園、信仰狂いは脳病院へ』


昭和16年、長慶さん最後の自像石碑が
寺の門前に、でもツタに囲まれて不明瞭 借用



門は堅く閉まったまま。手を合わせた。
『不許樂生不遜死者外入門内』
(のうのうと気楽に生きている人間、
   思いあがった人間や死者は門内に入るを許さず)


辰巳旭氏の撮影された長慶寺の写真集が発刊されている。
奈良新聞に掲載された十一尊仏と岩穴入口・信仰石を示す。
十一尊仏

岩穴入口・信仰石

付記)主要石造物年代目録を再度記す。

 

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