カメラを片手に

ガリレオ・ガリレイの名誉が回復されて40年

晴れ渡った奈良の朝、最低気温の9.4℃から午後2時半頃に25℃を越え夏日に。
ここ数日は気温差が大きくなるようで、体調管理の御注意を。
      12時、21.5℃、39%

40年前、1983年今日、空飛ぶローマ教皇とも称される「ヨハネ=パウロ2世」
が、350年前に「地動説」を唱えた「ガリレオ・ガリレイ」に対する宗教裁判
の誤りを認めた日です。

この裁判はガリレオの判決文に署名することを拒否した枢機卿もいたことで、
教会の総意ではなかった。
さらに裁判でガリレオが「それでも地球は回っている」と呟いたという
エピソードの証拠は存在しないのに、現在まで象徴的に語り継がれている。

なおパウロ2世は、キリスト教がなした過去の罪について、歴史的謝罪を活発
に行なわれ、ガリレイや異端として火あぶりにされたヤン・フスの名誉回復
ユダヤ人への対応や十字軍の正教会やムスリムへの行為への反省と謝罪など
が挙げられます。 
2005年4月2日にホーランド語で「父なる神の家に行かせてほしい」という
最後の言葉を残された。歴代2位の26年5ヶ月2週間の長き在位になる。 

地動説とは・・・天文学辞典より
1543年にコペルニクス(N. Copernicus)が、当時の標準的な宇宙観であった
天動説に対して提示した説。惑星は中心にある太陽の周りを公転するとした。
学術上の名称は「太陽中心説(heliocentrism)」である。
当初は、キリスト教会の権威に裏付けられた天動説に対する「異端」として
迫害を受けた。ガリレオ(Galileo Galilei)が望遠鏡で木星の周りを回る衛星の
観測を出版し(1610)、ティコ・ブラーエ(T. Brahe)の精密な惑星の観測
データから、ケプラー(J. Kepler)が惑星運動の法則(ケプラーの法則)を
導きだし(1619)、それが万有引力の法則によって説明されることを
ニュートン(I. Newton)が示して(1687)地動説が確立した。

コペルニクス以前にも、地球が動いているとする考えを持った人はいた。
最も古くて有名なのは、サモスのアリスタルコス(Aristarchus)で、太陽
中心説に基づいて、月の大きさや太陽までの距離の測定までも試みた。
しかし、コペルニクス以前の説は一般には地動説とは呼ばない。

          ・・・・・・・・・・

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はゴマノハグサ科の「キリ・桐
原産地は不明、淡い紫色の花がブドウの房のように集まって咲く。
花の様子が荘厳であることや、紫が高貴な色とされたことから、かつては宮廷
の庭園や貴族の屋敷に植栽され、紋様や紋所のモチーフとなる。
花言葉は「高尚
      2019.5.25

今年も葉の上に花が咲くのが特徴の「ハナイカダ・花筏」が・・・
モチノキ目に属する落葉低木、名の由来は花や果実が葉の真ん中に載る様を
筏(イカダ)に乗った船頭に見立てたもの。
これは葉脈と花の軸が癒着していることによる。
      
別名「ママッコ」「ママコナ」「ママコノキ」、花や果実の様子を飯(まんま)
あるいは子供のママゴトに見立てたもの
さらに「ヨメノナミダ・嫁の涙」といも言われる。

雌雄異株で雄株には雄花が3~5個ずつ、雌株には雌花が1個(稀に2~3個)、
葉の中央に伸びた短い柄の先に直径5㎜大。
雄花に黄緑色の花びらが3~4枚、雄しべも3~4本ある。
雌花には同じく3~4枚の花弁があるが雄しべはない。
      

雄花は咲き終えると消滅するも、雌花は次第に大きくなり緑色の果実になり、秋には黒紫色に熟すというが、見たことはない。

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